第8話 大魔法使い

「くっ、サラマンダーの加護も弱くなってきた。勇者、これが最後のチャンスだ」


 後方から一行を援護していたハンは、最後のマナをふり絞って勇者にバフ呪文をかける。もう回復の手立ては“神への祈り”しかないようだ。なんとか震える指を組むが、体力の限界が来ているようで、重心を崩し、そのまま前に倒れ込んでしまった。


「しっかりしなさいよ。大僧侶でしょ?! いつもの横柄な態度はどうした!」


 次から次へと湧いて出てくる飛竜に火球を落としながら、大魔法使いサーラがハンに喝を入れる。彼女はこうやって魔法使いに似つかわしくない、みなぎる活力で勇者たちを引っ張ってきてくれた。


「ぅおおおおおおおおっっっ」


 雄たけびで自身を奮い立たせ、勇者は自分の二倍はあるであろう魔王に飛び掛かり、その脳天に伝説の剣を突き刺した。


 すると、暗雲の立ち込めた闇の世界に天から一筋の強い光が差し込み、剣に込められた封印の呪文が起動される。そして瞬く間に、魔王の頭上に魔法陣が描かれていった。これで終わりだ。


「人間ごときが生意気な!!」


 魔王が必死の抵抗で勇者をつかむと、力に任せて握りつぶしてくる。耳からではない、体の中から骨が折れる音が聞こえると、勇者の喉からは内臓から込み上げてきた血反吐が噴き出した。


「ガハッ」


 それでも、勇者は剣を離さない。離すなんて無責任なことはできない。勇者という業を負ってきた人々の無念や宿願を双肩に担い、長い長い旅路を経てここまで辿り着いたのだ。


「勇者?! 畜生っ!!」


 気付いた戦士が魔王の横っ腹に大剣を叩きこむ。不意を突かれて致命的なダメージが入ったのか、魔王は勇者を握ったまま片膝をついた。


 魔王が飛竜から魔力を吸収して補給するが、回復が追いつかないようだ。痛みを発散させるように太い爬虫類の尻尾を振り回すと、戦士に直撃し、容赦なく吹っ飛ばした。


「マックス!! 」


 吹き飛ばされた戦士の元にサーラは駆け寄ったが、彼女の魔力も尽きたようだ。回復もできず、魔力を回復するアイテムもなく、なすすべもない。ハンを見ると、意識を失い、地面に突っ伏したまま動かない。


「諦めるな!! 平和を、取り戻すんだ!!」


 勇者が気力をふり絞って仲間に声をかけるが、もはや一行に反撃する力は残っていない。


「諦めちゃいけない……せめて……せめて、俺の命と引き換えに!!」


 その言葉を待っていたかのように、頭上で完成した魔法陣は閃光を放つと、球体となって魔王と勇者を包みこむ。そして空間を押しつぶすように、陣を縮めていった。陣の紋様が網目のように魔王と勇者の体に食い込んでいき、激痛が走る。


「「うがあああああああ」」


……


「旅に出る前に、一度サーラに会わないか?」


 ハンの提案に、コルトはハッと意識を取り戻して、周りを見回した。アイゼンベルの自宅にある庭だ。周りには、ハンとユラがいる。パールは畑仕事に出ている。ナルは、実家のパン屋が繁盛していて手伝いが忙しいらしい。


 洗濯物を終えて休憩していたコルトはどうやら白昼夢を見ていたようだが、昼に見るにしては悪夢がすぎる。昨晩、パールをどう説得しようかを思い悩んでいたので、その暗い感情に囚われてしまったようだ。しかし、欠伸が止まらない。


「サーラ……、魔法使いのサーラか?」


 コルトはかつての仲間の名前を声に出すと、懐かしさが込み上げてきた。


「ああ、昨夜、メッセンジャーが来た」


「え、でも、ここから最果ての地へ行くのは、それこそ長旅になりますよね」


「大丈夫だ。シルフが私たちを最果ての地まで送ってくれる」


 ユラが視線を上げると、コルトの背後から風を司る精霊・シルフが顔を覗かせた。普段姿を見せない恥ずかしがり屋の性格なので、シルフが人間の前に自ら出てくるのは珍しい。ユラが安心させようと微笑むと、ほっそりとした少女のような手を差し出した。


「さて、早速行こう。準備はいいかね?」


「え、え、今からですか?! 準備が……」


 ユラが慌てだすと、シルフが嬉しそうな表情を浮かべて、その場で踊るように手を広げてくるりと回った。


 するとシルフの手の回転に合わせて風が巻き起こり、ヴェールのようにユラたちをやさしく包み込んで体を浮かせた。


「わぁ……!!」


 初めての体験に、ユラは歓声を上げる。若葉色に微かに色づくヴェールをどうにか掴もうと夢中になって手を差し伸べると、まるで窓を開けたように別の風景が目の前に広がった。


 そして突然足元に現れた最果ての地の硬い岩盤に、ユラは上手く着地できず、足を滑らせて強く腰を打ち付けてしまった。


「グゥッ……」


 ユラが腰をさすりながらゆっくりと起き上がると、大きな碑石の傍らに女性が立っているのが見えた。


 女性は杖で石碑の周りを囲むように魔法陣を描き、口元に二本の指を当てて詠唱する。ぼんやりと陣が青白く光ると、常に闇に包まれて暗い、最果ての空に光を放ち、辺りを包み込んだ。そして陣の周りでは、影のような冥界の精霊ランパスたちが松明をユラユラと揺らしながら祈りを捧げている。


「母さん!」


「ユラ?! 早かったのね」


 数ヵ月の旅を経ての突然の再会に、母娘は固く抱き合った。母から言付かったお使いをなんとか遂行できた安心感もあってか、ユラはサーラの腕の中で肩の力が抜けるのを感じた。


 しかし甘えてばかりはいられない。緩んだ気を引き締め直すと、自ら母親の胸元から離れ、後ろで呆然としている二人に向かって話しかけた。


「大魔法使いサーラ、……私の母です」


 ハンが体勢を立て直すと、サーラに手を差し出し、握手をした。


「久しぶりだな、サーラ。伝言を受け取ったよ」


「今の名前はハン…だったわね。……別人なのに、不思議ね。あなたの昔の顔に似ている」


 サーラがふと笑う。


 彼女は、二人が最後に見た姿とはまるで違っていた。魔力が宿るとされた長い髪はばっさりと短く切られ、狭い野営テントに押し込んだ痩身は穏やかに肉を蓄え、無慈悲な詠唱を繰り返した口元には、温かい笑みを浮かべている。


 それでもサーラだった。


「そっちは勇者ね。今は、コルトかしら。ごめんなさい。転生したのに、面倒をかけて。それに神様のお告げしか頼れる情報がなくて。無責任よね、ごめんなさい」


 コルトは溜息をついた。少し前まで文句を言いたい気持ちだったが、しきりに謝るサーラを前にしたら、それもどこかに消えてしまった。


「気にしないでいいよ」

 

 反対にハンがサーラの言葉に疑問を覚えたようだ。


「神様? 精霊ではなく?」


「そう、色々いる神様のうちの一人ね」


 サーラが意味深に片目を瞑ると、ハンはそれきり黙ってしまった。


 この世界で、神と呼ばれる存在は多い。というのも、教会が言うところの「大いなるもの」から複数の意思が独立して神々が生まれているからだ。彼らは人間と同じように神々との関係性を築きながら、「大いなるもの」に代わって人間の世界を司っている。


 一般的に「大いなるもの」に近しい者が神としての位が高く、神から生まれた神など、遠き者ほど位が低くなる。神の中には人間に積極的に関わってくる神もいるようだが、その接触は「奇跡」と表現されるほど稀だ。ちなみにハンのような聖職者が崇める神は、所属する教会の宗派によって異なる。


「それで、何があったんだ?」


「実はね、どうやら……コルトの命を狙う“使者”が出てきたらしいの」


 コルトは聞き間違いかと思って、思わず語気を強めて「は?」と聞き返してしまった。


「その神様が言うには……、ユラが第二の選択肢である“結婚”を目指す穏健派の使者だとしたら、なんというかそっちは“コルトの死”を狙う強硬派……らしいわ」


「どうして……」


「神側にも、魔王に目覚めてほしくない者が複数いるんだろう。どちらが早く目的に到達できるか……か」


 言い終わった後、ハンは何かに気付いて石碑を囲むランパスのほうを見た。するとサーラがゆっくりと頷く。


「そう、コルトが死んだら、次に狙われるのは石碑を守る私ね。だからランパスが応援に来てくれたのよ。もう少しで結界が完成するわ」


「母さんが……」


 ユラが心配そうにギュッとサーラの衣服の裾を掴む。母は娘の頭を抱いて「大丈夫よ」と答えた。そして、持っていた杖をコルトに渡す。


「だから、これを貴方に。東の国に伝わる神話から生まれた『ツキタツフナトノカミ』という神様が宿る杖よ。結界を張るのが得意で、その中には疫病も魔獣も立ち入らせないわ。少しでも役に立つと良いけど」


 手渡された杖は、ワンドのような細い杖ではなく、歩行補助もできそうな長い木製のものだった。飾りなどもなく、木の枝が二重、三重にも絡まって固まったような形状をしている。


 コルトが礼を言って杖を受け取ると、目を細めながらじっとサーラを見つめた。


「しかし……見違えたな」


 サーラは、自分の体型を誇るようにポーズを取って応える。こんなおどけたやりとりは昔と同じで、コルトはふっと笑みをこぼす。


「そういう意味じゃないが……まぁ、元気そうで良かった」


「ふふふ、昔のようなスタイルにはもう戻れないけど……このセクシー&グラマラスな身体は貴方のおかげなのよ」


 言葉の意味がわからず、コルトが首をかしげると、サーラはやさしく語り掛けた。


「暗黒時代の人々は畑や家畜が魔獣に襲われ、明日の食料を確保できるか、そもそも生きているかどうかもわからず、恐怖と不安に耐えていたわ。人々は、太る暇なんてなかったの」


 サーラはコルトの手をとり、両手で包み込む。


「でも、貴方が魔王を封印してくれたおかげで、人々は安心して夜に寝ることができて、食事を美味しいと感じられるようになったの。……日々の幸せを感じながら、生きる喜びを味わっているのよ」

 

 そして抱きしめ、サーラは「ありがとう」と心からの感謝を伝えた。それはこの世界に生きる者すべての人の声を代弁したものだった。


 その言葉に、コルトの目から涙がこぼれた。まるで何かつっかえていたものを押し流すように、体の奥から湧き出る涙だった。


 十八年という長い時間によって、勇者としての記憶も、想いも次第に遠のいていき、すべては夢だったのではないかと感じることもあった。生まれた世界では、(自分のせいでもあるが)町の人々から嘲り笑われる日々だった。家でひとり英雄譚を読み漁ったのは、自分の前世が現実にあったことだと確認したかったからだ。


 先日、ハンはコルトである自分を認めてくれた。そして今、サーラからは前世の自分が現実であると認めてくれた。自分が疎んだ、人が好き勝手に言い合える今の世界は、かつての自分が遺した宝なのだと教えてくれた。


 コルトはようやく、勇者だった前世の自分と、コルトとが混じり合うのを感じた。そして以前の勇者が掲げていた自尊心とは違う「自信」がみなぎっていく。一度は、勇者の力で世界を救った。今度は別の方法でも良いから、世界を救おうと。


 コルトは鼻水をすすり、かつて愛した女性に微笑み返す。


「ありがとう……、また平和になったらゆっくり話したい……」


 サーラは、涙ぐんだ目元を拭うと、さぁさぁと仕切り直した。


「ここの封印は任せて。私は、最高の娘と一緒に充実した二十年を過ごすことができたし、封印の陣をつくった張本人として責任を全うするつもり」


 コルトは大魔法使いの目に、本気の覚悟を見た。彼女は真の勇者が現れるまで、最果ての地を離れることができない。そして強硬派の使者をはねのけるために結界を張れば、最愛の娘とも会えなくなる。


 だからこそ別れ際、サーラはユラの手をしっかりと握りしめた。ユラは母の気持ちを受け取り、それに応えようとしたが、うまく言葉を紡げず、代わりに唇をぎゅっと結んだ。そして溢れそうな涙を堪えようと、踵を返して、ハンとコルト、そしてシルフの元へと戻っていった。


「あ、そうそう」


 サーラがユラの背中に語り掛ける。


「戦士、マクシミリアンの元を訪ねなさい。おそらくヒントをもらえると思うわ」


 母の助言に、ユラは前を見たまま、首を縦に振る。もう一度でも顔を見たら、きっと泣いてしまうだろうから。その様子に気付いたのか、サーラは敢えて他の者に語り掛けた。


「ハン、コルト。ユラは、私みたいに気が強くて、こうと決めたら曲げない性格だけど、頼りになる自慢の娘よ。しっかり守ってね」


「母さん……」


 ようやく振り返った我が子の顔を見て、サーラが白い歯を見せる。


「ユラ、貴方なら大丈夫。いつも見守ってるわ」


 ユラが返事に窮している間に、シルフの若葉色の風が三人を包み込み、あっという間に元のアイゼンベルの街へ戻ってきた。


 頭を垂れるユラの足元に、数滴の涙のしみができていたが、コルトたちは見ないように顔をそむけた。

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