第7話 複雑な事情
「なんだこれは?!!」
ユラが必死で目で追いかけると、浮遊する光る文字はコルトのステータス情報を書き出しているのだとわかった。
名前 コルト・ラインカーン
職業 無職
性別 男
年齢 18歳
レベル 10
装備 綿製上着・綿製パンツ・綿製下着・革の靴
最大HP 20
最大MP 5
攻撃力 15
守備力 12
経験値 78
力 23
素早さ 18
体力 14
かしこさ 18
運のよさ 5
魅力 21
『オドを解放。「絆」を習得しました。』
コルトの能力値は相対的に前回見た紙の数値よりも上がっているようだが、最後の一文が気になり、パールは声に出して読み上げた。
「オドを解放。『絆』を習得しました……?これって先ほどハンが言っていた勇者のスキルですよね……」
「勇者のオドだ」
ユラは予想外の出来事に驚き、煌々と輝く文字をただ見つめるしかなかった。てっきり勇者の遺伝子を根拠に、オドが発動するのかと思っていたからだ。町民であるはずのコルトがなぜ能力を発動させたのだろうか。
「俺の力……」
かつて当たり前のように使っていた勇者のスキル。普通の人生の代わりに手放してしまったスキル。コルトは胸の奥で熱い感情が湧き上がり、二十年ぶりに現れた光の文字に手を伸ばす。一方で 勇者の奇跡を笑ったユラの鼻を明かすことができて、コルトは胸がすく思いをして、「どうだ」と振り返った。
しかし、ユラ本人はまったく気にしていないようでブツブツと独り言を重ねている。どうやら光る文字とコルト自身、そして彼の背後にある「それ」を順に見比べて、分析しているようだ。
「スライム退治に、ダイエット、そして人力車の破壊が経験値につながり、レベルアップしたようですね。でも勇者の遺伝子を持っていないのに、勇者のオドを解放ってどういうこと?」
「……人間のオドは、生命力を根源とする。つまりは魂の活力だ。勇者の遺伝子がなくとも、その魂の意志の強さによってオドは発現する可能性がある」
ハンの推測に、ユラは「なるほど」と頷いて考察を続けた。
「本来の勇者ならレベル1で取得できる“絆”を、レベル10まで取得が遅れたのも納得できます。ずっと引きこもっていたのですから。でもこれでコルトさんにも勇者としての自覚が生まれたとみていいのでしょうか」
ユラの鋭い視線がコルトを刺す。なまじっか、心に蜃気楼が立ち上ったおかげで、コルトは白昼夢を見てしまった。しかしそれが勇者の自覚かと問われると自信がない。
「う、それは……まだ、なんとも……」
人力車を壊した罪悪感も相まって、目をそらして口ごもるしかできない。
ユラの真っすぐな眼差しに、コルトは自分が情けなく思えてきた。あのとき、スライムに一人立ち向かっていったときの勇気を今も持ち続けていれば、この眼差しに応えられるのだろうか。
俯くコルトに、ユラは諦めたのかまた一人話し始めた。
「……疑問点が多すぎます。オドが魂の活力であっても、まだ覚悟ができていないコルトさんに勇者のスキルが発動できたのは謎です。例えば他の一般市民でも修行をすればオドを取得できるのでしょうか。では、勇者の条件って一体何?」
ハンが肩をすくめる。
「確かにな、前世の勇者は、勇者を生み出す家系に生まれたから、疑いもなき正統な『勇者』だった。でも今のコルトは無職の町民だ。勇者の命(めい)を教会などの権威者から賜ったわけでもない」
「万が一、コルトさんが『勇者』になる資格を持っているとして……。勇者しか修得できない『伝説の剣』に関するスキルを、いつになったら……」
ユラは親指を悔しそうに噛むが、男二人はただ黙って見守るしかできなかった。いくら前世の記憶を引き継いでいるコルトやハンといえど、今世はイレギュラーな事象が多すぎて、積み上げた知見も経験もほとんど活かせないのだ。
しかしユラの次の発言に、コルトは顔をしかめた。
「レベルが上がったのは喜ばしいことですが……逆に今までの人生で、なぜ経験値を重ねられていなかったのが気になります」
「お嬢さん」
「だって、そうじゃないですか。“普通”なら、人や家族との関わり合い、身体的な成長で、町民でもある程度のレベルを築けるはずなのに……」
「お嬢さん!!」
ハンの呼びかけにハッと気付いて、ユラはコルトを見た。すると、先ほどの罪悪感や不安とは違う、暗い感情がコルトの表情に宿っていた。周りの精霊たちも強張り、身を縮めている。
「コルトさ……」
「複雑なんだよ」
ユラは「またそれか」と思ったが、口に出すのは憚られた。
「……今日は、もういいだろう。脚が痛い」
「それなら、ユラ印の栄養補給剤『ポルト』が……」
「今日は、もう休ませてくれ」
ユラはバッグの中に入れた手をそっと出し、「…はい」と答えた。脚が痛いわりにはずんずんと力強く歩き、去っていくコルトの後ろ姿を見送りながら、自分がコルトの地雷を踏んだことを理解した。
パールが申し訳なさそうにユラに会釈した後、急いでコルトを追いかけていく。ユラはそのままトネリコの木の下に腰を下ろして、寝転がった。
「すまんな、またもや複雑な状況が絡んでしまって」
「……いいえ」
ハンの気遣いで、ユラの胸にかかった靄つきが若干薄くなったようだ。彼の声はどうにも心地よい。
しかしあのコルトの意固地な態度がどうしても気になった。
「コルトさんが引きこもっていたとき、何があったんですか?」
ユラの疑問に「そうだなぁ」とハンは青空を見上げてしばし逡巡してから「知っていて損はないな」と、ハンはコルトの過去を話し始めた。
それはコルトが「引きこもる」前の話だった。
コルトは幼い頃、「どんな危険を冒しても必ず助かる」子どもだった。歩き始めたばかりの乳飲み子にもかかわらず小麦粉袋を軽々と運び、幼少期になれば投げたものは球でも何でもすべて狙い通りに当たり、高いところから飛び降りても怪我ひとつしなかった。もちろん、普通の子供であるパールはそれらすべてを真似しては、相応の怪我を重ねた。
ある日、暴走した馬車がコルトの前でぴたりと止まったとき、町では「奇跡の少年」の話題で持ちきりになった。こうして幼い兄は注目を浴び、味をしめ、どんどんと危険行動を取るようになる。弟のパールは、脚光を浴びていた兄の影に隠れていた。
しかし、双子が十歳を迎えたときに、コルトは奇跡のからくりを知ることとなる。
夏のある日、コルトが度胸試しで、撤去予定の古い丸太橋を渡ったとき、丸太は子供の体重さえ支えきれずに折れ、コルトは橋ごと急流の川に呑み込まれていった。
近くにいた母親は無我夢中で飛び込み、なんとか子供を岸に上げることができたものの、母自身は力尽きて川に流されてしまった。そして転生のない、人の死を迎えることとなる。
母が死に、嘆き悲しんでいるコルトの元にハンが姿を現し、真実を告げた。これまでの奇跡は、前世で勇者が救済した精霊たちの助けによるものであり、コルト自身の力ではないこと。そして今日は、十年に一度開催される会合のために精霊たちが留守にしており、「奇跡」が発揮されなかったこと。
ちなみにハンは、コルトが勇者とは無縁の人生を生きられるように、敢えて関わりを持たなかったようだ。同郷に生まれたにもかかわらず今まで隠れて過ごしていたハンの言うことを、コルトは素直に信じなかった。
だからその夜、精霊たちのいない夜、試してみたのだ。
するとコルトは小麦粉袋をひとつも持ち上げられず、投げる球は一度も木に当たることなく明後日の方角へ飛んでいき、高いところから飛び降りたら脚の骨がぽっきり折れてしまったのだ。
一方で、パールは小麦粉袋を二つも抱えることができ、投げる球はすべて的のど真ん中に当たり、高いところから飛び降りるときはくるりと一回転して見事着地を決めた。パールは影で地道に努力を重ねて、自ら能力を高めていったのだ。
コルトは現実を、真実を目の当たりにして、自分の過信と奢りが母の死を招いたことにコルトは強く後悔し、そして引きこもった。人と関わりもせずに、暗い部屋で、精霊たちに囲まれながら、ひたすら世界中の随筆家によって書かれた勇者の英雄譚を読み漁っていったのだ。
「そんな自分の首を絞めるような……」
ユラが眉をひそめると、肩をすくめてハンはこう答えた。
「現実逃避だな。かつての自分なんだから」
やがて思春期に入り、中性のような容姿に育ったパールが町中の少女たちの初恋を独り占めするようになると、人々はかつてのコルトのようにパールをもてはやし始めた。
その噂は引きこもっている兄の元まで届いた。……心配を装って、わざわざ告げ口をする大層暇な輩がいたのだ。コルトは業を煮やして、とうとう外へと飛び出し、町の中心で大声で叫んでしまったのだ。「俺は、元勇者なんだ」と。
真実を知らない町民は、負けず嫌いの子供の戯言だと鼻で笑い、面白がり、「元勇者のコルト」と揶揄した。すっかり傷ついたコルトがどうなったか、もうわかるだろう。コルトは人との関わりを絶ち、自ら成長を止めたのだ。
*
「ちょっと遠回りしただけさ。兄さんなら勇者になれるよ」
家に戻ると、パールは兄を励ました。
コルトは正直、長兄としての「素質」は自分よりもパールにある、と常日頃から感じていた。弟とはいっても、生まれた時刻が前後しただけで、機械的に決められたものである。
前世からの記憶を持つ分、幼い頃から知恵者であったコルトだが、体や心の年齢は青年であり、その気性は少し繊細だ。一方パールは、昔から兄に振り回されてきたせいか、ある程度のことなら動じずに対処できる強い心を持っていた。
だからこそ、当時、母を亡くした悲しみはあったけれども、パールは、言い寄ってくる少女や町の人々に目もくれず、亡くした母に代わって兄の身の回りの世話をし、畑を耕し、一層勤勉に励むことができたのだ。そうやって弟はコルトの“普通の暮らし”を守ったのだ。まるで兄のように。
「……そうじゃない、そうじゃないんだ」
コルトはかぶりを振って、パールを見上げた。
これまでの甲斐甲斐しい世話も、先日コルトが元勇者だとわかったから、救われたはずだ。だから「遠回り」なんて言葉を使えるのだ。
ここ最近は、コルトも熱に浮かされてしまった。元勇者だと知ったときの愛する者たちの反応、スライムとの戦闘、レベルアップ、オドの修得。それらが重なって、夢を見てしまった。
でも前世を知っているから、今の状態の自分がよくわかる。勇者になるにはあまりにも実力不足だ。そして勇者として体を育てるには、年齢が育ちすぎている。つまり、第三の選択肢に「自分が勇者になる」を挙げることはできない。あくまで、ダイエットで魔獣から逃げられるだけの基礎体力をつけることしか、今はできないのだ。
そんな現実を知ったからこそ、これまで好き勝手歩んできたコルトの人生を今更ながら悔やむ。
これまでコルトは、好き放題悲しみに暮れ、生活を放棄した挙句、恋人にのめり込んだ。それなのにたかがダイエットに文句を垂れ、旅に出ても勇者になるわけでもないなんて……あまりにも情けないじゃないか。しかもあれだけ愛を囁いた恋人をも裏切るかもしれない。
「兄さん?」
「すまん、パール。お前には、ちゃんと話さなきゃいけない。俺は、情けない奴だ」
何も知らないパールから励まされるのが辛いからって、観念して真実を話すなんて。なんて自分本位の馬鹿野郎なんだ。そうコルトは思いながら、泣く泣く、魔王の復活と二つの選択肢の話をした。
パールはどんな反応をするだろうか。呆れて、今度こそコルトを見捨てるのだろうか。情けない兄を持ったことを、これまで信じて世話を続けたことを後悔するだろうか。
しかしパールはとんでもない発言をした。
「よし、私も旅についていきますよ。そうしたら、兄さんも心強いでしょう?」
コルトは唖然とした。
兄が町を離れれば、弟は自分の人生を歩むことができるだろうと考えていた。八年間、恋愛もせず、遊びもせず、ただ勤勉に生きていた弟を解放したかった。しかし、彼の望みは違った。
「本気か? いいんだぞ、自分なりの人生を歩めばいい。もうお前は自由なんだ」
「うーん、でも兄さんと一緒のほうが楽しいし」
「俺は勇者にはならない。結局は、ただ、仲間についていって、ナルを裏切って、どこぞの知らない女と子づくりするだけかもしれない」
「なら、そうならないように、第三の選択肢を探すのを手伝うよ。それが兄さんのためになるんでしょう」
「でも……」
第三の選択肢が見つからなかったら、また阿呆な姿を弟に見せるかもしれない。
「いいんだ。僕は兄さんと一緒にいたいんだ」
コルトはようやくパールの違和感に気付いた。人の感情や機微を読み取れない男ではない。しかし、パールは「兄のため」と言いながら、自身の主張を押し通している。
もしかしたらパールの献身は、単なる兄への執着なのかもしれない。どこでこの弟は、こんな兄を手放せなくなってしまったのだろうか。
そう考えると、またもやコルトの背筋に気持ちの悪い冷や汗が流れ落ちた。
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