第6話 雑魚ステータス

 リコの町から帰ってきたコルトに、ユラは無慈悲にこう言った。


「痩せましょう」


「いやだ」


 間髪入れずに返すコルトに、ユラはもう一度、メッセージが明確に伝わるように、ゆっくり大きな声で「痩せましょう」と伝えた。


「いいかい、俺は俺のままで大変満足している。俺が太っていても誰にも迷惑をかけない。それを指摘するのはルッキズムだ」


「いいえ、迷惑かけています。リコの町までどれくらいかかりました? 私でも一日で帰れたのに、あなたと一緒だと三日かかりました。その体に蓄えた荷物を下ろしましょう」


「ナルルンはどう思う?」


「え~、ナルルンはどちらでもぉ」


 ほらな、と自慢げにコルトはユラに笑顔を向けた。むかつく。


 パールと床を共にしたときは大人びた声を出していたナルは、コルトの前ではしなをつくっている。誰でも本音と建て前は違うし、人によって態度を変えるなんて日常茶飯事だろう。でもユラが、ナルをどうしても好きになれなかった。


 結局ユラは、コルトにナルとパールの浮気を伝えていない。今話したら、せっかく前向きに検討してくれた旅に出ずに、二人を監視するなんて言いかねないと思ったからだ。


「私も、お嬢さんに賛成だ。共同生活をする上では風呂に入ってほしいし、食欲を制限してほしい。それに魔獣がこれから増えていくんだ。少しでも機敏に動けないと命取りになるぞ」


 ハンが加勢をするが、コルトは子供のような反抗をやめない。


「そうだとしても、別にわざわざダイエットをしなくても良いじゃないか。歩けば多少は体重も落ちて、筋肉もつくだろう」


「甘い」


 ユラの口調に厳しさが増す。それに勘づいてか、コルトは声を荒げた。

 

「今や、ボディ・ポジティブの時代だ。すべての体型が肯定されて、認められる時代なんだ。俺の体は実に魅力的だ。ナルもそう思ってくれている。自ら変える気なんてないさ」


 コルトの言葉にユラの怒りが頂点に達したらしく、こう言い放った。


「わかりました。ではあなたの『魅力』がどれくらいあるのか、客観的にわかればよいのでしょう? はっきりお見せしましょう」


 ハンの「待った!」は、残念ながらユラの耳には届かなかった。


 ユラは紙と筆を取り出して食卓の上に置くと、小さな声で呪文を詠唱して、紙の周りに指先で魔法陣を描き出した。食卓の表面の木材が焦げ付く臭いが辺りに広がり、パールは「食卓が…」と声を震わせた。


 魔法陣の紋様が光を放つと、ユラはすかさず筆を取り、コルトの顔を見つめながら、紙に何かを高速で書き出していく。


「な、なにを」


「……できました」


 ユラが紙に書き出したのは、コルトのステータスだった。


 名前 コルト・ラインカーン

 職業 無職

 性別 男

 年齢 18歳

 レベル 5

 装備 綿製上着・綿製パンツ・綿製下着・革の靴


 最大HP 18

 最大MP 0

 攻撃力 5

 守備力 5

 経験値 16


 力 5

 素早さ 5

 体力 5

 かしこさ 10

 運のよさ 3

 魅力 1

『状態異常:肥満。脂質異常症』


 一般的な成人男性のステータスでも、力なら20、体力も30はある。最大HPなら50くらいだろうか。コルトのステータスは、10歳の子どもと同程度だ。魅力について、もはや言及しなくても良いだろう。


 コルトは自身のステータスを生まれて初めて見て固まった。横から見たパールも「うわぁ…」と声を漏らす。


「み……魅力……1」


「いや、それよりも状態異常に注目しろ。体質を改善しないと動脈硬化が起きるぞ」


 衝撃を受けて、コルトの紙を持つ手が震えている。その様子を見て、ユラが怒りの矛を収めながら、コルトを諭すように語り掛けた。


「……ボディポジティブの考えは、もちろん世間が決めた“理想的な外見”に左右されずに、自分の体をありのまま認めて自己肯定感を高めるものです。でも愛する体に、病気というリスクを与えてよいのでしょうか。自分の体が好きなのは良いことですが、体質を改善しないと、自動的に“第一の選択肢”が採択されてしまいますよ」


 さすがのコルトも理解したようで、ユラの言葉に頷いた。ようやく理解してもらえたとユラが胸を撫でおろしたところ、横から紙を覗き込んだナルがコルトにとどめを刺した。


「わぁ~、マホーってこんなことできるんだ。この魅力1って……ふふふ、あ、笑っちゃってごめん」



「うおおおおおおおおっっっ」


 初めてデタイでステータスを見た日から、一ヵ月。コルトはハンとパールを重し代わりに載せた人力車を引いて、汗や鼻水を垂れ流しながら町中を駆け回っていた。恋人の何気ない行動が、男の負けん気に火をつけたのだ。


「結果オーライだな」


 コルトの巻き起こす風に目を細めながら、ハンはぽつりと呟いた。


 ユラの考案したダイエットメニューは、“適度な”運動と健やかな食事のバランスを基本に組まれている。その運動の中心にあるのが、人力車だ。


 人力車は梃子の原理を用いて持ち上げるため、軽い力でもかじ取りができ、走行性も良いが、一方で人力車を止めるときには脚を使わなければいけない。ユラの狙いは、筋肉量が多い下半身の鍛錬にあった。


 アイゼンベルの町は山の麓にあり、町の中にも高低差があるので、荷台を運ぶための坂が多い。その地形で人力車を走らせて脚を鍛えることで、体の代謝を上げ、太りにくく痩せやすい体に仕上げるのが、一番ダイエット効率が良いのだ。また、大僧侶による強化系のバフ呪文をかけてもらうため、トレーニング効果は倍になる予定だ。


 コルトの周りを陣取る精霊たちにも、これには力を貸さないように伝えているため、少し離れたところで応援している。中には別の精霊をおぶって、コルトの後を追いかける者もいた。


 さらにユラは、人力車に客人を乗せて目的地まで運ぶことで日銭も稼ごうと考えたのだ。ダイエットにちなんで、これからの旅に必要な路銀にまで気を回すところ、ユラは優秀なのだろうが、確実にコルトの恨みは買っていた。


 ちなみに「人力車」と言っても、車両は、農産物を運ぶための木製の荷台に突貫工事で座席と階段を設けた簡易的なもので、パールが兄のために急遽拵えた力作だ。


 揺れる人力車の上でハンは寝るわけにもいかず、ユラから奪った、コルトのステータスが書かれた紙を小さく小さく折りたたむ。すると、パールが不思議そうにハンの手の中に収まった折り紙を指さして尋ねた。


「あの、今更ですが、これは何の魔法ですか?」


「ああ、これは『デタイ』という、人のステータスを可視化する魔法なんだ。本来なら勇者が持つ『絆』というオドで、仲間全員に情報を共有できるんだが、コルトは勇者のスキルを発動させられない。だから、お嬢さんは情報を紙に書き留めたのだろう」


「ふーん……便利な魔法ですね」


「平和な世の中には、こんな魔法なんて必要ないだろう。人は数値で人を判断なんかしないし、したくない。数値では測りえない魅力というものを人は必ず持っているからな」


 パールが頷いてから景色に視線を戻すと、ハンは風の音に紛れて自嘲するように「だから恋というものは面倒なんだ」と呟いた。


「太陽が真上に来たから、昼休憩 !」


 町の外れに戻ると、コルトは水を大量にかぶってからトネリコの木の下で仰向けになって寝転がった。ユラが『デタイ』をかけてステータスチェックを始めるが、誰も数字を気にするものはいなかった。


「バフ呪文をかけてるから、普通の人よりも早く体重を落としているようね。少しぽっちゃりと言えるかもしれないけど、この一ヵ月で筋肉も順調につけているようだし、前よりも十分魅力的に見えるわ」


「それは、どうも」


 コルトが返すと、満足そうにユラは頷いた。


 人力車を引くときに邪魔にならないように、コルトはナルにお願いして何年振りかに身なりを整えた。肩まであった髪は短く、襟足も刈り上げられている。眉間でつながっていた眉毛は凛々しく整えられ、そして輪郭を隠していた森のような髭はきれいに剃られていた。


 呼吸が徐々に落ち着いていくと、初夏の爽やかな風と木漏れ日の温かさで身体の疲労が癒されていき、コルトに心地よい眠気が訪れる。


 そういえばと、コルトは前世で行っていた修行を思い出して苦笑した。今のダイエットメニューとは比べ物にならないほど過酷なものをこなしていたのに、こんな基礎鍛錬だけで音を上げているなんて。


 まだまだ先は遠いが、でも少しずつ前世の自分に近づいているようで、コルトは少し安堵した。おかしな話だ、先日ハンに「町民なんだから、好きにやれ」と言われたばかりなのに。


(もう少し鍛えたら、あの時のように剣を振るえるのだろうか)


 コルトがそう考えたのも、先日スライムを自らの手で討伐したときの感覚を忘れられないからだろう。明らかなる「勝利」は、かつての闘志を思い出させていた。


(そしたら、自分の力で世界を救えるのだろうか)


 コルトは青空にかつての姿を映しては、それを掴もうと手を伸ばした。ユラは、その傍らで書き上げたばかりの紙を見て、口を尖らせていた。


「どうしたんだい、お嬢さん。なにか気になることがあるのかい?」


 ハンの問いかけに、ユラは素直に疑問を口にした。


「んー…ステータスで気になることがあるんですよね。なんか最後の項目が読めそうで、読めなくて……」


「そういえば、ユラさんにはステータスはどのようにわかるんですか?」


 エネルギー補給用に、家から切り分けた新鮮な果実とパンを持ってきたパールがユラに尋ねる。


「厳密に言えば、『デタイ』自体はステータスを見る魔法じゃありません。バフを詠唱者にかけることで、観察眼を強化し、能力値を数値化できるようにする魔法なんです」


 パールが理解できずに首をかしげると、ユラは丁寧に説明を重ねた。


「そもそもの話ですが、魔法というのは、基本的に地道な知識の詰め込みでなせるものです。レベルが上がったら自然に使えるようになるわけではないんです。本来、魔力を宿さない人間が魔法を使う場合は、呪文、陣の描き方、使い道などを、先人たちがまとめた書物から学びます。魔獣は例外的で、爪や牙を使うように、本能的に魔力の発動で相手を攻撃します」


 みずみずしい果実にかぶりついて、喉をうるおすとユラはさらに言葉を継いだ。


「知識を得る一方で、詠唱の練習や魔力の制御など、実際に魔法を『使う』ための反復練習も欠かせません。中でも最も大切なのは、魔法を扱うときの『感覚』です。例えば……パールさんが料理をするとき、肉の大きさや厚み、種類によって火力を変えますよね。それと同じで、例えば『火』の魔法であれば火の出力具合を感覚的に覚えていなければ、安全に扱うことはできません」


「『デタイ』で習得すべきは、『人を見る目』、観察眼というところかな。お嬢さんが大事そうに抱えていた書籍で心理学、表情筋の動き方などを学び、人と対面しながら『人を見る目』を養っていく練習を重ねてきたわけか」


 ハンの言葉を証明するように、ユラは自身の鞄から『超・心理学』と題された分厚い一冊を取り出して、パールに見せた。


「学んだうえで『デタイ』を唱えると、私の観察眼にバフがかかり、簡単に言えば、その人自身の情報、能力値を瞬時に見抜けるようになるのです。……『デタイ』って初級魔法なのに、やりすぎると目とか鼻とか、とにかく五感が鋭くなりすぎるときがあります。コルトさんに初めて会った日も『デタイ』の練習をしていたので、臭いで倒れてしまったんです。言い訳がましいのですが、あの時はすみませんでした」


 ユラは初めて頭を下げ、自分の非礼を詫びた。上体を起こしたコルトは驚きの表情でユラを眺めたが、頭を上げたユラと目が合うと「あ、いや、別に」と気まずそうに顔をそらした。


「それでコルトからは”読み取れそうで読み取れない”情報があるというのか。お嬢さんが経験を積めば、もしかしたら見えるようになるのかもしれないな」


「もしかしたら兄さんがレベルアップすると勇者の力が目覚めるとか」


「そんな奇跡はありえないでしょう」


 鼻で笑うユラにコルトは苛立ちを覚え、今はまだ何も言い返せない自分自身にさらに腹を立てた。


 そして未熟な感情に任せて人力車を蹴り上げると、いとも簡単に車輪が取れて、荷台が勢いよく地面に落ち、その衝撃で木の板がへし折れ……人力車は崩壊してしまった。


「な、なんですか、これ?!」


「これは……!!」


 背後で聞こえてきたユラとハンの大声に驚き、コルトが弁解しようと慌てて振り返ると、三人の前に糸状の光が浮かんでいるのが見えた。


「なんだこれは?」


 遅れてコルトが声をあげると、スルスルと光の糸は文字を形作り、空中に何かを書き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る