第4話 激闘の末

「なにやってるんだ、お嬢さん!! 下がりなさい」


 他の町民の避難指示を終えて合流したハンが飛び出そうとして、コルトはハッと正気に戻った。そして咄嗟に、ハンを手で制してしまった。


「おい、なんで止めるんだ」


 出した手が凍り付いたように動かない。そうだ、今、俺に一体何ができるのだろう。何でもいい、あるはずだ。


 不意にコルトは、頬を鳥の羽のような軽くて柔いものに撫でられたように、こそばゆさを覚えた。


「ハン、俺は、今も精霊たちの加護を受けているんだよな?」


「は? あ、ああ、そうだな」


「そうか」


 そう言うと、コルトはふらふらとユラに近づいて行き、ユラの肩をつかんで後ろへと追いやった。


「下がってろ」


「え?」


 肩をつかまれてバランスを崩したユラは、なんとか後方にいたハンに受け止めてもらった。体勢を立て直すと、いつの間にかコルトは太い麺棒を片手にスライムに立ち向かった。家の台所から持ってきたもののようで、年季が入っているのがわかる。


「コルト!! お前こそ、役に立たん!! 下がっていろ」


 我慢ならんといったように、飛び出してきた町の自警団がそれぞれの武器を手にして飛び出してきた。コルトは必死な群衆を見て、不敵に笑う。そして


「ぅおおおおおおおおっっっ」


 コルトが雄たけびで自身を奮い立たせ、その腹についた贅肉を震わせながら自分よりも小さなスライムに飛び掛かると、その脳天に麺棒を叩きつけた。


 すると夕暮れの赤い空に光の環が生まれ、瞬く間に、コルトの周りに光のヴェールが張られ、スライムもろとも包み込んでいった。


「な……なんだこれは?!!」

「眩しい!!」

「神が、神が降臨されたのか?!」


 ハンが眩しそうに目を細めると、光の奥にうっすら見える影を見てこう言った。


「エウダイモーンだ」


 ハンの胸の中で、ユラは聞き返す。


「え、あれも精霊の一種ですか?」


「あれは善き魂、神と人間の中間的な存在……そうだな、いわゆる、天使だよ。コルトを守ってくれるようだ」


 ユラを自立させると、ハンは足元に落ちていた白い羽を拾い上げて手渡した。受け取ったユラは目の前の奇跡を見逃さないように目を凝らすが、いかんせん眩しくてまったく見えない。ただ「ベチベチ」と、スライムを殴打する音が聞こえてくる。


「コルトはなんだかんだ“勇者”だね。あれだけ言い争っていたのに、ピンチのお嬢さんを助けに行くなんて」


 ユラは魔法攻撃に固執してしまったが、実は今のコルトと能力値を比べれば、力も体力も、断然ユラのほうが高い。コルトもわかっているだろうが、それでも自分の代わりに前線に立って戦ってくれているのだ。


 ユラは光の玉を見上げ、陣を繰り返し描いてひりついた手のひらをさすりながら、少し胸を熱くさせた。


* 


「……遅いですね」


 日が暮れ、心配にやってきたパールが、誰しもが思ったことをとうとう口にした。かれこれ、数時間、まだコルトはエウダイモーンが起こした光の中でスライムと戦闘中だ。


「なにを言ってるのよぉ。コッちゃんが今必死に戦ってくれてるんでしょぉ??」


 ナルルンがリスのように頬を膨らませてパールの肩を拳で叩く。そして時折、思い出したかのように「がんばれぇ」と光の玉に向かって声をかけている。


「修行をしていない成人男性がスライムに立ち向かったとして、一匹を倒す時間はどれくらいですか」


 パールは純粋な疑問を呈した。


「健闘して十分程度、この町を一周するのにかかる時間だな」


「もうかれこれ一時間、いや、二時間ですか。……時間がかかりすぎですね」


 臨戦態勢にあった自警団も、騒いでいた若者たちも、いつの間にか三々五々に解散していた。町のほうでは避難指示が解かれ、それぞれ普段の生活に戻っているようだ。先ほどから漂ってくる夕飯の匂いに、ユラはたまらず腹の音を鳴らした。


「……もしかしたらコルトの攻撃力が低すぎて、倒すのに手数が必要なのかもしれないね」


「スライムのほうも、エウダイモーンの加護を受けたコルトにダメージを与えることもできず、ただの体力の消耗戦になっている、ということですね」


 助けられた身がこんなことを言ってはいけない。が、格好悪い。そうユラは思った。


 町のために闘ってくれているコルトをそのまま放置できず、月が昇ってもハンとユラは町の入口でただひたすら待つしかなかった。パールとナルはさすがに帰宅した。光の玉のおかげで明かりに事欠くことはなく、またほかの魔獣が警戒して寄ってくることはない。


 フクロウが鳴き始めて、ユラが大きな口を開けて欠伸をした頃、ようやく光の玉が解け、中からちりぢりになったスライムと肩で息をするコルトが出てきた。


「待ちくたびれたぞ」


「あ、ありがとうございます」


 ユラが駆け寄ってお礼を言うと、コルトは息を荒げながら尋ねた。


「町を、守るのは、町民の役目だ。……客人の、することじゃない」


「それでも、ありがとうございます」


 ユラがコルトの目を真っすぐ見つめる。


 コルトは一度深い息をつくと、ユラの顔から目を逸らして、こう言った。


「……スライム相手にも、こんなに手こずる男だ。そんな男を、フゥッ……旅に連れ出すと足手まといになるぞ」


「それは……つまり……」


「そういうことだ」


 コルトの「了承」に、ユラは空腹を忘れて、体中で喜びを表現した。そして、コルトの汗まみれの手を握り、満面の笑顔で返した。


「私の魔法レベルと同じくらいなので、一緒に修行をしながら旅をしましょう」


「ふんっ……」


 コルトは、ユラの手を払いのけた。


 そしてどこか恥ずかしそうに遠くを見るコルトの顔を、ハンが興味深そうに覗き込んだ。


「どうした? あれだけ、ごねていたのが」


「ん、まぁ……ナルルンにあれだけ言われたらな。ただし条件がある」


「まぁ、明日聞こう。さすがに今日はもう休め」


 夜も更け、気温が下がると、真っ暗闇の中に灯る町の明かりが温かく感じられる。山に囲まれているアイゼンベルは、夜に山の斜面で冷えた空気が滑って、山風となって吹き込んでくるのだ。


 肌表面を覆う汗が冷やされ、身震いしたコルトは腕を組んで細やかな暖をとる。さっさと門をくぐろうとするハンに、ユラが上機嫌そうに話しかける姿を背後から見て、コルトは鼻で笑った。


(騒がしい旅になりそうだな)


 コルトが溜息をつくと、山から強い風が三人を攫うように吹きつけた。


「わっ」


 肩まで下がるユラの黒髪が風に煽られ、首元が露になる。その瞬間、コルトの目線は細い首元に釘付けになってしまった。


 首の中央、髪の生え際に今宵の三日月のような薔薇色の痣があったのだ。


 「三日月の痣」、それは勇者の遺伝子を持つ人間の証。


 コルトは固唾を飲み、背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。



「旅は一年だけ行く。恋はしない。当然、結婚もしない。俺にはナルがいるからな!!」


「はい……?」


 翌朝、雄鶏が朝一番を鳴く前に起こされ、連れ出されたハンとユラは、寝ぼけ眼のままコルトの戯言を聞いていた。山の合間から差す鋭い朝日に目が潰されそうで、ユラは目を瞑った」。


 コルトは昨日の興奮が冷めやらぬといった感じだ。鼻息が荒く、目がランランとしている。ユラは目を擦りながら、つくづく迷惑な男だと心の中で毒気づいた。ハンなんて立ちながらいびきをかいている。


「世界に平和が訪れなければ、ナルルンは死んでしまいますよ。元勇者が恋人の命も守れないなんて……」


 寝起きの不機嫌に乗じてユラは煽ってみるが、コルトは動じない。


「条件は譲らない。ただし、旅で、死亡と結婚以外の第三の選択肢がないか探す。前世でも、“伝説の剣”と封印の方法は旅の途中で判明したものなんだ。今回も世界を回ればきっとヒントが見つかるだろう」


 確かに第三の選択肢があれば、ユラにとっても大助かりだ。言いたいことを言うことができたからか、コルトは呼吸を落ち着けて、残念そうに呟く。


「……ナルに痣があれば話は早いが、彼女にはなかったんだ」


 いつ確かめたのかはわからないが、コルトは最後の希望に賭けたが、外れてしまったらしい。するとハンが目を開けて、ある提案をした。


「わかった。条件は一旦置いといて、まずは三人でリハビリがてらリコの町に行こうじゃないか。ここから東の山を越えた先にある港町に行ってから、アイゼンベルに戻ろう。この十八年間、アイゼンベルから出たことがなかったからな」


「……そうだな。まだ遠くの町に行くのは不安だ」


 コルトはぶすぶす“小旅行”を了承した。ハンの提案に、ユラが視線を投げかけると、片目をつぶって合図した。


「お嬢さん、“急がば回れ”だ」


 目を細めて難色を示すユラに、ハンが小声で諭す。


「コルトがこの異界から出ようと、一歩を踏み出したばかりだ。今、ナルと奴をつなぎとめているのは何だ? コルトはナルの愛情によって一人の人間としての自信を得ている。まずは、知らない町の誰かと話し、受け入れてもらうことから始めよう」


「わかりました……リコの町へ行きましょう」

 

 今はただ眠くて、ベッドが恋しい。ユラは前世から友人であるハンに、気難しいコルトの説得を任せることにした。

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