第3話 コッちゃん!

「コッちゃんいますかぁ?」


「ナルルン!!」


 扉から顔を覗かせたのは水仙のようにスッと背筋が伸びた、でも、あどけない笑顔を浮かべる少女だった。彼女の姿を見るやいなや、コルトの顔は幸せそうな笑みで染まり、かつてない俊敏さで玄関先まで飛んで行った。


「あらぁ、お客さん? ごめんねぇ、コッちゃんにお届けしたいものがあってぇ。ほら、ナルルンお手製の焼き菓子だよぉ」


「えぇ~、ナルルン優しい!! これコッちゃんの大好物じゃぁん」


 ハシバミ色の腰まで長い巻き髪に、珍しい琥珀色の瞳、そしてコルトにしなをつくる様子はとびっきりご機嫌な猫のようだ。


 小鳥が歌うような声に、舌足らずな話し方は、いちいちユラの神経を逆撫でした。そして少女に合わせるように、コルトが甲高い声を発するのも耐えられなかった。


 ただただ茫然と、目の前で二人が抱き合う様子を見守る中で、ユラはあることに気付く。「彼ら」の姿が見えていないコルトにも、パールにもその周りには精霊たちが無邪気にまとわりついていた。ハンやユラも同様だ。しかし、ナルルンに近寄ろうとする者はいない。


「コルト、客人にナルを紹介したらどうだい?」


 振り返ったときのコルトの表情は嫌悪に満ちていたが、すぐさまナルに向かって笑顔を向け、ユラを紹介した。


「ナルルン、この人はユラさん。辺境の地からわざわざ旅して来られたみたいなんだ」


「同年代のお友達かしらぁ? 私はナル! コッちゃんの……いえ、コルトの恋人よ!」


 ナルは、わぁっと声をあげると駆け寄り、ユラの両手を握って嬉しそうに話しかける。しかしその握る手の強さから、牽制の意味もありそうだ。


「ど……どうも」


 ユラはナルの先制攻撃にうまく返すことができず、ただ背後にいるコルトを見ると、少女のように頬を赤らめて照れている。なんの茶番なのだろう。


「あ、ナル。いらっしゃい! 焼き菓子のいいにおいがするね」


「パール!! はい、どうぞ。今日はね、シナモンを入れてみたんだ!」


 パールの口に直接、クッキーを入れるところ、ナルは兄弟に歓迎されている存在らしい。ナルが醸し出すシュガースイートな空気に溶け込めずに、ユラが硬直しているとハンがそっと声をかけた。


「これこそが、複雑な状況だ」


 ハンの声で、ようやくユラの強張った筋肉が動き出した。


「ここ、数ヵ月のことだ。この町にナルの家族が引っ越してきてコルトに出会い、恋仲となった。信じられんが、ナルがコルトに一目惚れしたらしい」


「だから、あんなに頑なに旅を拒んでいたんですね」


「まぁ、コルトのあの体たらくからわかるように、ナルにべた惚れだ。気持ちがわからんでもないが、“結婚相手を探す旅に出る”のは、コルトの中で許されない裏切り行為になるのだ」


 ユラは頭を抱えた。しかし一方でハンの態度が気になった。


「ハンさんは……旅に賛成なんですか?」


「先ほど、お嬢さんが言っただろう。封印にはサーラの命がかかっている。お嬢さんという大切な家族がいるのに、二度も世界のために身を挺するのは、あんまりじゃないか。いつ終わるかわらかない子供の恋心と仲間の命を天秤にかけたら、私は、後者のほうがよっぽど大切だ」


 ユラの目頭が熱くなった。そうだ、こんなところで挫けている場合じゃない。


「それに、精霊たちの様子も気になる」


 やはりハンも違和感を覚えて、警戒しているようだ。目の前では、ナルが動くたびに、精霊たちは自然と一定の距離を保とうとする。ついには、ナルと手を握りあうコルトからも離れてしまった。


 しかし、どうすれば、この恋に盲目男を説得できるのだろうか。腕を組んで逡巡していると、ハンが何か思いついたようでユラに耳打ちをする。


「なるほど」


 ユラは頷くと、コルトに向かってわざと仰々しく、話しかけた。


「それで、勇者様!! 世界を救ってもらえるのでしょうか。一刻も早く旅立たないと、魔王は復活してしまいます。どうか、世界のために今一度お立ち上がりください」


 私って舞台役者になれるんじゃないかしら。芝居じみているとは思ったが、ユラは床に片膝をつき、両手を広げて力強くコルトに嘆願する。


「え、なぁにぃ」


「おお、コルト!! やはりお告げの通り、伝説の勇者の生まれ変わりであったか。友よ、いや、前世より深い絆で結ばれた仲間よ! ともに旅立とう。また、世界を救おう」


 ナルの興味を惹いたのがわかると、ハンもユラの演技に乗り、コルトも舞台に立たせようと励む。ハンとは今日出会ったばかりだが、なんとも呼吸が合っていてやりやすい。


「な、なにを……いや、さっきの話は、終わったはずじゃ」


 ナルの手前、怒りをなんとか堪えながら、コルトは二人の芝居をやめさせようと必死だ。しかし、別の角度から猛攻撃をくらう。


「ええ、兄さん!! やっぱり勇者として旅に出るの?! すごい、さすが兄さんだ」


「えええ!! ナルの旦那様が元勇者なの?! カッコいい~」


 パールの煽てと、ナルの「あ、将来の旦那様か、間違えちゃった」の一言が効いたのか、コルトはたまらずに「う、うん、そうだね」と首肯する。ユラとハンが背後で拳を合わせた。


 このままユラが畳みかけようとしたとき、アイゼンベルの中心部のほうから警鐘が聞こえてきた。


「なんだ?」


 ハンが玄関の扉を開けて外に出る。


「魔獣、魔獣が現れたぞー!!」


 その声にいち早く反応したのはユラだった。ハンが「お嬢さん、待て!!」と呼び止める声を振り切り、ユラは一目散に町の入口を目指して走っていく。慌ててコルトもナルを部屋の奥まで避難させて、ユラの後を追いかけて行った。


 石垣を抜けて、久しぶりに町の中心部に来たが、そこにかつて見た平和な光景はなかった。母親は幼子を抱きかかえて、少女は年配者の手を引き、足早に近くの商店に逃げ込んでいく。店主が大声で周囲に呼びかけ、誰もいないことを確認すると頑丈な鎧戸を閉めていった。


 かつて人々の心を支配した恐怖は、町の教訓として伝わり、緊急時にはすぐさま避難できるように日頃から連携して訓練していたのだ。


 反対に魔物を知らない、好奇心旺盛な少年たちは町の壁によじ登り、歓声を上げている。視線の先には、ゼリー状のスライムが数体、町に向かっていた。


「あれがマジューかよ?!!」

「話に聞いてたよりも弱そうだな」

「そのへんの棒切れでも倒せそうじゃね?」


 本当の恐怖に出会ったことない向こう見ずな若者の放言に、年長者たちを中心に結成された自警団が眉間に皺を寄せる。


「下がっていなさい。スライムといえども、侮ってはいけない。あいつらは合体して、人を呑み込むほどの大きさにまで成長するからな」


 悲鳴を聞いてすぐに駆け付けたコルトたちだったが、既に鍬や鋤で武装をして臨戦態勢の町民たちに遅れを取ったようだ。ハンは避難指示を出すために途中教会に立ち寄っている。


 自警団の前に出ようとするユラを、コルトが押さえる。


「大丈夫です。私は魔法使いです。……見習いですが」


 ユラはコルトの手を払いのけると、自身の魔力の出力具合を確認して、前に躍り出た。


「ここは、私にお任せください! 魔法使いの見習いですが、皆さんよりも心得があります!!」


 ユラの申し出に、人々がどよめく。


「まだ子どもじゃないか」

「あの子だろう、教会に“元勇者”を訪ねてきたのは……どうも、うさんくさいな」

「客人は下がっておれ! 暗黒時代を生きてきた俺らに任せろ!!」


 この反応は、ユラにも容易に想像ができた。なにせ山奥の町に突然一人で訪ねてきて、町の外れに引きこもっている偏屈男を元勇者と呼び、今はもう廃れた“魔法使い”を名乗っているのだから。信用を得るほうが難しいだろう。


「それならさ、見せてもらえばいーじゃん! マホーってやつをさ!!」


 活きのいい若者の煽りに、ユラは便乗することにした。


 水属性のスライムに対しては、「火」が常套手段。ユラはコルトの背後に憑いている火の精霊・サラマンダーの姿を確認すると、「大丈夫」と胸に手を置いた。彼の力を借りれば、きっと上手くいくはずだ。


 小さな声で詠唱しながら、指で手のひらに陣を描き上げていく。腕から手にかけて仄かに発光していく様子に、魔力の充足を覚えながら、ユラは遅々と侵攻してくるスライムに向けて手のひらをかざした。距離は目測三十メートル弱、狙えば当たる距離だ。


「フォイアー!!」


 威勢のいい大声と同時に、ユラの手元で爆発音が響く。しかし、手のひらから黒煙が上がるだけで、迫りくるスライムにダメージが入った様子はない。どうやら見習いは、見習いらしく陣、詠唱、もしくはどちらも間違えてしまったようだ。


 先ほどまで騒がしかった町民たちが静まり返る。


「も、もう一度!!」


 ユラは詠唱と陣を繰り返すが、火の玉が飛び出て目の前の野草を一部燃やすだけで、スライムになんて届きはしない。いよいよ背後からは落胆の溜息と笑い声が聞こえてきて、ユラは恥ずかしさで震えあがった。


 ただ一人、コルトだけは睨むようにして、ユラの後ろ姿を見つめていた。


(“魔法使い”なんて堂々と名乗った割には……まともに詠唱できやしないじゃないか)


 そんな、失敗してうろたえるユラの姿に、かつての未熟な自分が重なり、コルトは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


 前世の勇者像にしがみつき、今との違いに嘆いて引きこもった自分。失敗し続けても魔法使いという肩書にしがみついて、なんとかしようとするユラ。


 いや、まったく違うじゃないか。目の前のユラは、惨めな姿を人々に晒しながらも、小さな小さなマッチ火程度の炎を駆使してスライムを町から離れさせようと、必死に足掻いている。


 ナルという最愛の恋人ができて明るく振る舞ったところで、コルトの本質は変わらなかった。これまでの八年間と同じように、動かず、静観を選ぶ。願わくば、ユラにもそうしてほしい。今すぐに。


(そこからどくんだ……表舞台から下りるんだ……)


 コルトの願いは届かない。


「おいおい!! マホー使いさんよ! もういいから下がってくれ!!」


(もう誰もお前に期待していないんだ)


 町民の心が離れてきている。下ろしていた鍬を掲げて、いつでもスライムに立ち向かう準備を町民が始めていた。それでも、ユラは涙を目に浮かべながらもスライムの前から離れない。


「怪我をしますから下がっていてください!!」


(なんで……)


(なんで俺はただ見ているだけなんだろう)


 心に沈殿して溜まった澱の底から、微かな気泡が浮上して、表面で泡を弾く。コルトはかつての自分に背中を押された気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る