第2話 元勇者の反抗期

「勇者様!!」


 ユラが飛び起きると、そこはベッドの上だった。


「大丈夫ですか。倒れていましたが……」


 ベッドの横には、ユラと同年代くらいの青年が座っていた。肩まで伸びた美しい白金の髪に、碧眼の瞳、そして服の上からでもわかる鍛錬で鍛え上げた逞しい体。まさか、やっぱり。


「貴方が勇者様ですね! やっぱり、さっきの方は違うのね、ああ、よかった」


 ユラは安堵して涙した。しかし次の瞬間、額の痛みと共に現実がユラを襲う。


「失礼な客人だな」


「まぁ、その身なりでは当然の反応だ。もう少し自分自身を顧みろ」


 白金髪の青年の後ろで、大僧侶ハンと元勇者のコルトが並んで立ち、ユラの様子を伺っていた。


「え、えっと」


 ユラが救いを求めて白金髪の青年に視線を向けると、困った表情を浮かべる。


「申し訳ございません。私は、コルトの双子の弟、パールと申します。しかし、兄さんが本当に元勇者だったとはね」


 そう言うと、パールは軽く会釈して部屋から出て行ってしまった。


 初対面なのに、臭いを理由に倒れてしまったユラは今更気まずくなって、目を伏せた。窓から差し込む光加減を見ると、どうやら何時間か眠ってしまったようで、陽が傾いている。黒鳥の鳴き声が、夕暮れどきだと告げた。


「あ、あの、わ、私……」


 狼狽えるユラに、元勇者が近づいて腕を差し出した。


「風呂に入って、しっかり洗ってきた。もう臭わないだろう」


 確かに、腕からは微かに石鹸の香りがしている。ユラは頷いて、コルトを見上げると頭の上から異形のものたちが好奇心を覗かせて、こちらを眺めていた。


「うわっ」


「ああ、彼らは見ての通り、コルトにくっついているんだ。彼らの中には、勇者に助けられて恩を感じている者もいれば、神様の采配に同情している者、好奇心でやってきている者もいる。要は、彼らは好んでコルトを見守り、祝福してくれているんだな」


 ハンが家の中にも侵入してきている彼らのことを説明してくれたが、ユラは思わずのけぞった。ここまで人間になつくのは、かなり珍しいことだ。


「これだけ人ならざる者がいると磁場が狂う。だから人に悪影響を与えないように、町から離れたところに居を構えているんだ。パールはまぁ、生まれたときから一緒にいるからか、身体がもう慣れてしまったようだがな。私は修行の賜物だよ。しかし、せっかく古今東西の精霊たちが揃っているのに、コルトが見えないのは残念なことだ」


「え、見えないんですか?」


 コルトは頭をかきながら、申し訳なさそうに言った。


「気配さえ感じない」


 ちょうど空中を浮遊しているものが、コルトの目の前を通り過ぎて行ったが、一切反応しない様子を見ると本当らしい。


 会話が途切れたところで、ハンはベッドの横のスツールに腰をかけた。


「さて、目覚めて早々申し訳ないが、話を聞かせておくれ。先ほどの話から察するに魔王の封印が解けかかっているんだね?」


 ユラは急いでベッドの上に座り直し、ハン、そしてコルトと向き合う。


「しかし不可解なのが、何が一体どうして、コルトが死んだり結婚したりしなくちゃいけないんだい?」


 ユラは慎重に言葉を選びながら、「あくまで精霊から聞いた話ですが……」と前置いてから説明を始めた。


「まずは死ぬことについて、母……魔法使いサーラは、決戦時、勇者が封印の儀の最中に光に包まれて共に消えたと言っていました。精霊が言うには、そのとき勇者の体は生きたまま、魔王もろとも碑石に封印されてしまったそうです。さらには、転生した体から魂が抜けていれば、魔王の封印が解けたときに、生きている勇者の体に戻るというのです」


「結婚の話は?」


「結婚の最終目的は、勇者の遺伝子を次の世代に渡すことです。ただ、転生したコルトさんの身体には残念ながら勇者の遺伝子はありません。これは代々勇者を生み出す家系で継がれてきたものなので、元勇者が前世で子供をなしていない以上、途切れています」


「では、その選択肢は……」


「つまり、コルトさんは“勇者の遺伝子”をもつ女性と結婚してもらいます」


「な……そんな、勇者の遺伝子を持つ女性なんて、どこにいるんだ」


「見つける手段はあります。身体のどこかしらに、三日月のような痣があるようなので、それを目印に……」


「藁山の中から一本の針を見つけ出すような話だ」


 コルトが溜息まじりに、選択肢の無謀さを指摘した。


「それは……別の言い方をすれば、相手が誰であろうと、“勇者の遺伝子”を持つ女性が妊娠すれば、勇者が生まれるんじゃないか?」


「身体能力的に勇者の素質をもつ子どもが生まれるという意味では、確かにそうです。でも素質があるからといって、必ずしも勇者にはなりませんよね。つまり、コルトさんが父親として、勇者が受け継ぐべき剣技やオドの扱い方などを子供に伝授する必要があるのです」


 ハンが唸る。するとユラが声を潜めて、こう言った。


「それに精霊は、女性の拉致と暴行を推奨しているわけではありません。あくまで、コルトさんの“結婚相手探し”を一つの案として提示しています」


「俺の人権はどうなる」


「前世で勇者になった時点で諦めてください」


「精霊のお告げのわりには、粗雑な案だな……。それが真実という確証はあるのかい?」


「母が冥界の精霊、ランパスたちに聞きました。彼らは最果ての地で封印の石碑を見守ってきた者たちです」


 ハンが大きく溜息をついた。


「コルトが死んでも生き続けても、結局魔王との再戦は免れないのか。幸い、相手が見つかったとして、子供が生まれて育つまで二十年は必要だ。魔王はそんな悠長に復活を待ってくれるのか? 別の案を模索したほうがいいんじゃないのか?」


「誰にもわかりません。しかし、今これしか方法がないんです」


 ハンの言うことはもっともだ。ユラだって、母からこの話を聞いたときは嫌気が刺したというのに……。他人に指摘されると、これほどまでに悔しさを覚えるものなのか。ユラは唇を強く噛んだ。


 しかしどんな感情を抱いたとしても、ユラは母からの言伝を守り、この責務を果たさなければいけない。なぜなら世界のために、最果ての地で人生を終える覚悟をした母がいるからだ。


「母さんが、精霊たちと協力して封印が解けるのをなんとか遅らせています。もちろん二十年持つかはわかりませんが、魔王は復活後に人々の悪心を吸収して力を増大させていきます。だから母さんが敗れて、例え魔王を復活させてしまっても、暗黒時代が訪れる前に、新たな勇者が復活していなければいけないのです」


 ハンは、かつての仲間、サーラを思い出すとさすがに口をつぐんだ。かといって荒唐無稽な話に納得できず、腕を組んで唸り声を上げる。


 一方、コルトは鷹揚に構えて、話を聞いていた。正直、いきなり現れた女に何を言われても信じる気が起きない。いや、もしかしたらこの十八年間、コルトとして生きてきた人間は勇者という意識が抜けてしまったのかもしれない。だから他人事に聞こえるし、まったく現実感が湧かないのだ。


 そんなコルトの様子に気付いたのか、ユラは苛立ち、尋ねてきた。


「なぜ、そんな悠長に構えているんですか。勇者様、貴方のことなんですよ」


「お前は、俺の何を知っているんだ。俺はなぜハンが素直に話を聞いてるのかさえ、わからない。こんな突然現れた小娘の話を」


「このお嬢さんがサーラの娘なのは間違いないだろう。あの盾を持っているし、何よりもサーラの面影がある」


 コルトはベッドの脇に立て掛けられている古びた盾をちらりと見たが、それでも態度を変える気はないようだ。


「もう俺は勇者じゃない、町民のコルトだ」


「そんな、でも、前世の記憶は持ってるんですよね?」


 舌打ちしてそっぽを向くコルトを見て、ハンが代わりに答えた。


「持っているさ。ただ、まぁ状況は複雑でね」


「何か、不都合なことでも? 仕事ですか」


「いや、仕事はしていない」


「そうだな、ここ八年間はほぼ部屋に引きこもっていたな」


「別れがたい家族や友人がいるとか?」


「親は両方死んだし、友人と言える友人は……」


「私だけだな」


 ユラはこれまでのコルトの話を反芻すると、うんうんと頷いてから快活に言った。


「よし、じゃぁ、未練もなさそうだし、この町を離れても問題ないですね!」


「は?!」


 思いもしない発言にコルトは声を荒げた。ユラは構わず畳み掛ける。


「さぁ、旅支度をしてください。すぐに結婚相手を探しに行きますよ」


「話を聞いていたのか?! 俺は行かないって言ってるだろ、バカ女」


「なによ、ここに引きこもって異界をつくってる暇があったら、旅に出なさいよ、デブ!! 人の命がかかっているのよ?!」


「俺は町民だ! なんの取柄もスキルもない、町民なんだ。足手まといになるに決まってるだろ!! 結婚相手なら、旅慣れたお前が探してくればいいだろ?! なんなら、お前が勇者の遺伝子をもつ男と出会って結婚すればいいじゃないか。精霊は性別を限定していないんだろ?!」


「見つけた相手が女だったら、またこんなクソ田舎まで戻ってくるのか?!! 頭にまで贅肉がついてんのか?!! かつての仲間の命がかかってんだ、四の五の言わずについてこいやっっ」


「ハンッッ!! この女、猫をかぶってたぞ!! こんなやつ、信じられるか!!」


 ユラに胸倉をつかまれて及び腰になったコルトを小気味良さそうにハンが見ていると、玄関を軽やかにノックする音と甘い声が部屋に響いた。


「コッちゃんいますかぁ?」


「ナルルン!!」


 コルトの豹変ぶりに驚いたユラの顔を、ハンは一生忘れられないだろう。

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