世界を救うため、元最強勇者は神に「死」か「結婚」を迫られる

豆ばやし杏梨

第1話 血だらけの少女


 勇者だった俺が魔王との決戦で死んだとき、転生後は「普通の人生を」と神に願った。家族に見守られ、友と出会い、生きがいとなる仕事を見つけるような。


 しかし「普通」というのは存外に定義が難しく、十八年という月日が経つが、果たして新しい人生で普通に生きられているかどうか疑わしい。


 そんな第二の人生も、嵐のように現れた女によってすべてが変わるかもしれない。女は頭から血を流しながら、必死に俺に訴えかけてきた。


「世界平和のために、今一度死ぬか、結婚してください」


 女の言っていることは意味不明だ。しかし世界の危機に瀕して、「なんで俺を」とも、「やっぱり来たか」とも、はたまた「今更何を」とも思う。


 でもやはり俺はどこかで「勇者」として求められるのを待っていたのかもしれない。その業は根深く、滅することはできないようだ。



 遡ること一時間ほど前。


 丘陵の上で、古い丸盾を背負った少女が小さな田舎町を見下ろしていた。少女はここまで道案内してくれた精霊シーオークに問いかける。


「ここなのね?アイゼンベルの町は」


 肯定したいのか、シーオークはその昆虫のような半透明の羽を羽ばたかせて、ユラの目の前でくるくると円を描いた。


 精霊と会話する少女の名前は、ユラという。


 ユラが生まれるよりも前、数百年にも及ぶ魔族の支配から抜け出すべく、勇者とその仲間たちが立ち上がった。激闘の末、勇者の命と引き換えに魔王の封印に成功すると、世界からは魔力が消え、人々に危害を与えていた凶暴な魔獣たちも消え、世界に平和が訪れたのだ。


 人々は平和を満喫していたが、魔獣に怯えていた子どもたちが立派な大人に成長した今、再び悲劇は訪れた。


「魔王の封印が解けようとしている」


 雷が轟き、強風が吹き荒れる嵐の日に精霊たちがやってきては、そう告げた。


 ユラの実母で、勇者の仲間だった大魔法使いのサーラはその事実を真摯に受け止め、魔王を封印した碑石を守る役目を買って出ては急ぎ、魔王との決戦地、世界の最果ての地へと旅立った。そしてユラは、サーラの代わりに、精霊曰く「転生した」元勇者を探す旅に出たのだ。


 山々の間を抜けてきた初夏の風が、まだあどけなさの残る少女の頬を撫でると、緊張が緩んだのか、数ヵ月間休みなく歩いてきた脚が震えだした。ユラは喝を入れるように脚を拳で叩くと、今度は背負った盾が、疲労の蓄積した身体に重く圧し掛かり、目に涙が滲む。


 母から受け継いだこの魔除けの盾のおかげで、魔王に先んじて復活し始めている魔獣たちに気付かれずに、なんとかここまでたどり着くことができた。ここで泣き言を言ってられない。体勢を立て直し、革の水筒にわずかに残った水を飲み干すと、ユラは気合を入れなおす。


(母さんを助けるんだ)


 精霊に導かれた目的の町、アイゼンベルは山に囲まれていて、隣町ともだいぶ距離がある孤立した町だった。精霊の話によると、近くにはかつてエルフの女王が魔獣に囚われていた洞窟があるらしい。もちろん、勇者一行によって救出されたのだが。


 町は岩石が積まれた頑強な壁に囲まれていて、魔獣を近寄らせないように防衛対策がされている。町民や交易の馬車が行き来する門には、田舎町には珍しい立派な落とし格子がついていて、平時でも門番が見張りをしていたようだ。町の中央に目を向ければ、教会と並んで、見張り台なるものもある。


 ユラはシーオークにひっそりと別れを告げて門をくぐると、真っ先に町の中央にある教会の聖堂へと向かった。母の話によると勇者は、王権とも近しい教会の庇護下にあり、旅先でも教会への挨拶は欠かせなかったという。


 それに勇者は、教会が崇める神様によって「転生」をさせられたなら、必ず今もつながりがあるとユラは睨んだのだ。それに今は昼下がり、この時間なら神父様は身廊にいて、人々の相談に乗っているに違いない。


(ようやく、ようやく着いたんだ)


 母の口から何度も語られた勇者に憧れの念を抱いていたからか、目的地を前にしたからか。知らず知らずのうちに、ユラの気持ちは逸っていたようだ。


 足の疲労を忘れて、駆け足で聖堂に飛び込むと、無作法に勢いよく扉を開けてしまった。重い木の扉が壁に衝突し、その音が静かな身廊に響く。


「神父様、いらっしゃいますか。私は勇者の仲間、魔法使いサーラの娘、ユラです。申し伝えがあり、急ぎ、この地へ参りました。勇者様の元へお導きください!」


 まるで道場破りのようなユラの声量は、身廊だけでなく町中に響いた。祈りにきた人々が突然現れた少女に目を丸くした後、付近にいた人同士で顔を見合わせる。


「あの、元勇者?」

「ああ、双子の兄のほうか」

「あらあら、元気な子だね」

「どこで噂を聞きつけてきたのか…」


 聖堂は、緻密に計算された建築によって、声が空間に反射するようにできている。そのため、老人たちが発した小さな声も、ユラの耳は拾うことができた。察するに、その元勇者はいるにいるらしいが、町の人々からは好意的に思われていないらしい。


「お待ちしておりました。来訪の件は“伺って”おります」


 祭壇のほうから現れた若い神父はにこやかにユラを出迎えると、粛々と頭を下げて「どうぞ」と、聖堂の外へと導く。ユラは、神父の反応に不思議そうに目を瞬きさせながらも、素直に神父に従うことにした。


(伺っていた?母さんが伝令を送ったのかな?)


 扉を丁重に閉めると、神父はユラを先導するように歩き出す。神父らしく厳かに歩き出すと思ったら、その神父はまるでユラから逃げるかのように早足で歩き出した。


「お嬢さん、先に言っておくが、私は精霊から言われただけだ。どんな目的で来訪したかまでは知らんぞ」


 ユラはほとんど駆け足になりながら、口調がすっかり変わった神父の後を追いかける。


「え、あ、申し訳ありません。あの、母の使いで……」


「元勇者に用があるんだろうが、今の彼を勇者として期待してはいけない。勇者は死んだんだ。今ここにいるのは、いち町民、普通の人生を送る十八歳、思春期、反抗期真っ只中の青年だよ。それでも良いかい?」


「え、ああ、転生したと伺っております!」


「ああ。しかし、サーラの娘か。そうか、懐かしいな。久しく連絡を取っていない」


「あの、神父様は、一体……」


 ユラの質問に、若い神父は足を止めた。振り返ると、人善き神父様の仮面を外した、少しすましたような表情の青年が笑顔を覗かせた。


「自己紹介を忘れていた。私は大僧侶、ハン。サーラの仲間で、勇者と同じように魔王との決戦で命を落として、転生後、またもや勇者と同郷になってしまった不運な男だ。元勇者と同じく、前世の記憶は持っているから、サーラのお嬢さんと会うことができて光栄だよ」


 ハンの自己紹介で、どこか同世代とは違う雰囲気に、見た目の割りに年老いた話し方の理由に、合点がいった。


 差し出された手を、戸惑いながらも握り返したユラは、ハンを見ながら、母から聞いた冒険譚を必死に思い出す。しかし、僧侶について覚えていることがほとんどなく、自分が聞いていなかったのか、母が話していないのか定かではなかった。とはいえ、馬鹿正直にそう話す必要はない。


「ハンさんですね。はじめまして、お話は伺っております!」


 ユラは愛想よく振る舞ってみたが、ハンは「ふうん?」と意味深に片眉を上げた。


「ところで、勇者様は、どこ……。ここは?」


 これ以上深く追求されるのを避けるために話題を変えようとユラは、周りの景色に目線を向けた。ハンの早足と会話に気がとられて気付かなかったが、どうやら商店や民家から離れた町のはずれに来たようで、田園地帯が広がっている。しかし昼下がりにしては農作業をしている人は見えない。


 ハンの背後には腰の高さまである石垣があり、その中に民家らしき建物が一軒だけあった。町の奥にある、ぽっかりと空いた異様な空間。中心部から少し離れただけなのに、町の喧騒はもう壁を隔てた向こうの世界にあるようで、風や葉っぱがこすれる音が妙に明瞭に聞こえる。なんだか空気も重い。


 異様な雰囲気に身の危険を感じて、ユラが神父から手を離し、距離を取る。すると、その様子に気付いて「大丈夫だ、悪いようにはしない」と、再びハンはユラの腕を取った。


「さて、覚悟してほしい。ここからは、ある種、異界だ。神々、精霊の世界だから気を強く保ってほしい」


「え、それはどういう?」


 ハンはユラの手を握ったまま、石垣の内側へと引っ張りこんだ。


 石垣の間を通り抜ける際、周囲の空気が圧縮されるような違和感を覚える。石垣の内側に着き、振り返って元居た場所を見ても何も変わったことがなかった。


 ユラは首をかしげながら前に向き直ると、その視界に、ハンの背景には多くの人々、いや、人ならざる異形のものたちが突如現れ、ユラは言葉を失った。


 いや、突然現れたのではない。石垣の外にいたユラには見えていなかっただけで、最初からここにいたのだ。とにかく、ハンの言う「ある種、異界」には、地面にも宙にも「人ならざるもの」が大挙していた。


 鳥と同じ羽を持つもの、小さきもの、複数の顔や手足を持つもの、鳥や猫の頭部をもつもの、異国の着物を纏うもの……彼らは一体なんなのか。ユラが圧倒されて凝視すると、恥ずかしそうに別のものの背後に隠れたり、臆せずにユラの顔を覗き込んだりする。


「あ…あの、この方々は……?!」


「国、時間、空間をまたいでやってきた精霊たちとかだよ。失礼のないように」


 ハンの釘差しに、ユラは肝が冷えるのを感じた。精霊と話すことができるユラだって、こんな数の聖なる存在を一度に見えることなんてなかった。


 彼らが纏う独特な空気と発する圧力に、ユラの鼓動が波打ち、呼吸が浅くなる。これが畏怖なのか、恐怖なのか、ユラにもわからなかった。ましてや、なぜ彼らがこの小さな町の、狭い空間の中に密集しているのか、わかるわけがなかった。


「すみませんね、ちょっとどいてもらって……さぁ、お嬢さんこちらだ」


 慣れたようにハンが聖なる存在に分け入って、一軒の小さな民家の前に立つと「お客さんだよ」と扉を叩いた。ハンの言葉に、ユラはハッと我に返り、扉に視線を移した。


(そうだ、私の役目は勇者に会うことだ)


 ユラは高鳴る胸を押さえて、扉をじっと見つめた。憧れの勇者様が出てくるのだ。一挙一動、漏らさずに見届けたい。そんな乙女心が、聖なる存在に抱いていた畏怖の念を凌駕していく。


 しばらくすると、扉が静かに開いて、一人の男性が奥から出てきた。しかし……現れた男の姿は、ユラの想像の斜め上、遥か上空をいった。


 ボサボサながら、ぬめりのある黒い髪。

 深く刻まれたクマ。

 生気のない暗い瞳。

 「ふくよか」という形容を遥かに超えた質量。

 無精ひげ。

 猫背。

 そして……


「くっ!!!!!」


 男から放たれる劇的な体臭は、ユラの鼻腔を抜けて脳天を突いた。途端、疲労が蓄積された脚は体重を支えきれずに崩れてしまい……ユラは背中から倒れて、頭を地面に叩きつけた。遠のく意識の向こうで男を怒鳴るハンの声が聞こえる。


「おい、コルト、風呂に入っておけと言っただろう!」


「それは、まぁすまん……で、この女は誰だ?」


「お嬢さん、大丈夫か?! 一応、これが元勇者のコルトだ」


「出会っていきなり倒れるって失礼じゃないか? 何しに来たんだ」


 ハンの呼びかけに、ユラは最後の力をふり絞って地面になんとか肘をつき、勇者を見上げた。額から血が流れているようで、上半身を起こすと目に流れ込んできて痛い。


 でも、ここで倒れてなんかいられない。喉元をふり絞って、ユラは声を出した。私はこの言葉を伝えるために、辺境の地からやってきたのだ。


「勇者様、お願いがあります」


「お、おい、大丈夫か??」


「世界平和のために、今一度、死ぬか、結婚して子どもをつくってください」


「え、君とか?」


 男の緊張感のない呆けた返しに、ユラは絶望した。


(こんな風呂にも入らない男にお願いしても無駄か)


「もう、ムリ」


 ユラは限界を迎え、そのまま肘を崩して今度は前から地面に頭を叩きつけ、そのまま気を失った。もう知らない。


 勇者なんてもう、知らない。

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