第54話:ロストフィールド侵攻編⑤

 任務は滞りなく終わった。

 情報を抜き取り、最深度地下施設カーパルスから脱出した後、ラスティ達は同じ車両で本拠地へ向かった。


 ピリついた雰囲気があった。

 エクシアの仲間殺しは必要な行いだ。勿論、人間を故意に傷つけるのは尊ばれる行為ではない、が、しかし味方を守る為に指示を出して、自ら先導者となってやってみせた。


 それは仲間として見るならば頼れる味方に見えるだろう。エクシアは統括部門、つまり他の組織で言えば重要なポジションにいる人間である。そんな人間が、自らの命を危険に晒しながら仲間殺しの汚名を被ってでも、仲間を守る行動に出た。


 彼女を信じると判断する者達が現れるのは当然の帰結だ。しかし倫理的や道徳的に考えれば、ブレイヴの言い分もわかるのが感情ある人間の難しいところだ。


 合理的な行動が、必ずしも民意を得るわけではない。

 その理不尽さや不条理が、ラスティは面白く感じる部分であり、だからこそノブリス・オブリージュを達成する楽しさもある。


 そこで一つ、思い出して顔を顰めた。


「どうかしたの?」

「いや、ドラゴンを倒した時の台詞……あれは調子に乗ったり偉ぶったりする極めて格好の悪いものだったと反省した」

「もっと動けよ、みたいな言葉?」

「とても気分が悪い。あれは非常に恥ずかしい。ああいう場面では黙ってやる方がスマートだった」

「格好良くはしたいのね。少し面白いわ」

「見栄えは大切だ。人間の精神性は外見に現れる。醜ければ余裕がなかったり、自堕落な事が多いだろうし、清潔過ぎれば潔癖やこだわりが強いのかもしれない。だからこそより良いものを常に考え、実践するのが大切と感じる」

「突出している人は、精神が安定していることは少ないってことね。行動や思想も同じだけど」

「極端な人間は、どこかで必ず強い長所と短所を抱える。バランスが悪いということは、それだけでハンディキャップを背負う。恩恵もあるだろうが……環境に左右されやすいのは好みではない」

「なるほど。個人的には頭蓋をナイフで破壊して取り出したのが猟奇的で怖かったけど……今となっては些細なことね」

「バランスが良いのが理想だろうが、どうしても悪くなるのが知的生命体の宿命だろう。ならば、次はどうするか、を考えるほうが建設的だ」

「同意するわ」


 最深度地下施設の戦いから一日経って、ロストフィールドの外にある拠点に着いた時にはもう夕方だった。オレンジ色の夕焼けが辺り一面を照らしていた。


 影が本部ビルを黒く染め上げ、夕日と黒が描き出すコントラストが神々しさすら感じさせる。


 エクシアは出来るだけ太陽の方を見ないようにしていた。自分の罪が白日の下に晒されているように感じたからだ。

 地面を見ながら狭い歩幅で、とぼとぼと歩く。


「は……苦し」


 ラスティと一緒に居たい反面、弱々しい今の自分を見て欲しくない。気がつけば仲間達には置いていかれた。


 もう彼女たちは見えない。

 エクシアの前にいるのはメーテルリンクだけだった。彼女は私を見ながら寂しそうに微笑んでいた。日の光を背にして暗くなった顔が余計にそう感じさせた。


「お疲れ様です、エクシアさん。お兄様は部屋にいるそうです。緊急の連絡がない限り部屋には行かないように手回ししておくので、ゆっくりしていてください」

「そう……」


 あんなことがあった後に休暇を楽しむなんて無理だ。たとえラスティと一緒にいたって……それに一緒にいてもらえるかどうかも分からない。


 やっぱり本当の気持ちを言うのは怖い。せめて言うのは最後の日にしようか。真実をひた隠しにして最後の日々を味わうことくらい許されてもいいはずだ。


 そうだ、そうしよう。それまでは何もなかった振りをしていつも通りの自分を演じていればいい。辛いことは先延ばしにしよう。自分の大切な関係を失う前にそれくらいしたっていいじゃない。

 きっとその後、私は壊れてしまうから。



 自分たちの宿舎に行く気もしなかったので真っ先にラスティの部屋に行った。しばらくドアの前でうろうろした後、やっと決心がついて中に足を踏み入れた。


 デスクに向かっているラスティがそこにいた。


「やぁ、来ると思っていたよ。戦友」


 顔を上げたラスティがエクシアを見てはにかんだ。私の大切な人、共に同じ道を進もうと誓い合った人。その姿を見て胸の中心が締め付けるように痛んだ。


「随分と手酷くやられたな。今回の件には神聖防衛王国や、聖杯連盟も絡んでいるだろうし、エクシアに運営業務を全て任せたのはまずかった。申し訳ない。次は、共に地獄を歩こう……体は平気かい?」

「ええ……疲れているけど、それくらい。少し、いや……大丈夫、何も問題はない。私は大丈夫……」

「そう」


 ラスティはそう言ってエクシアに微笑みかけた。


(優しくて温かみのある表情だ……私の大切な人)


「大丈夫そうには見えないな、泣いておいてそれは通らない」

「えっ……?」


 エクシアは自分が気づかないうちに涙が零れ落ちて頬をつたっていたのに気がついた。慌てて袖で拭うとラスティが立ち上がってエクシアの方に近づいて行く。

 エクシアは思わず後ずさりした。心の中を見透かされないか不安になる。



「何でもないわ。何でもないのよ。本当に何でもないの……」

「……一人で悩む必要はない。私にできることは俗物的な事だけだ。根本的な解決は難しいと思う。しかし、話し相手くらいにはなるだろう。何も言わない。だから話してほしい」


 ラスティがエクシアの肩をがっちりと捕まえてじっと目を見てきた。


(私を心配しているんだ。どうしよう、この状況から誤魔化せるとも思えない。でも、本当のことを言いたくない。ラスティが私に向ける表情が変わって欲しくない。もし、怒りや憎しみを向けられたら耐えられない。やっぱり無理だ、そんなことは。ずっとラスティと生きてきた。私の根底にはラスティがいる。見捨てられたら生きていけない)


 エクシアは両肩を抱きしめて顔を伏せる。


(嫌だ、嫌だ。ラスティを失いたくない。仲間たちには憎まれているし、拠り所が無くなってしまう。戦う理由を失ってしまう。自分の責任を果たして、一緒に暮らしたかった。ずっと一緒にいられた最初の日々みたいに。たくさん話して、映画を一緒に観たりして、ご飯を食べたりして、そんな風に平和に暮らしたかった。本当のことを話したらそんな生活はただの妄想に終わってしまう!)


 エクシアはずっと押し黙って考えていた。ラスティと過ごした日々、必要だと言ってくれた日のこと、街で虐殺される人、最深度地下施設カーパルスの死体、今まで見てきた光景が頭の中を駆け巡る。


 ラスティは何も言わずにエクシアを見ていた。ただエクシアに触れたまま。その手は温かかった。


(あの頃の私はただ時間が過ぎるのを待っているだけで、全部灰色だった。指揮官が救い出してくれた。あの時、初めて私は生まれた。一人じゃ生きていけない。あの時の私に戻りたくない)


 エクシアは拳を握りしめる。


(誰かと寄り添って、価値を見出してもらう喜びを知ってしまったから。絶対嫌だ。ラスティを失うなんて嫌だ。空っぽの自分に戻りたくない。一度知った幸せを手放したくない。私を置いていかないで。私から離れないで。私を離さないで。私の前からいなくならないで、お願い)


 気づけばエクシアは跪いていた。

 エクシアは懇願するようにラスティのジャケットの裾にしがみついて、顔を埋めた。大粒の涙がボロボロこぼれて止まらない。


「お願い、私を許して。仲間を殺してしまったわ……実験体から自由になって、明るい未来のことを楽しそうに語っていた彼女達を……私が殺したわ……取り返しがつかないことをしたのは分かってる。でも、でも……他に選択肢がなかったのよ……彼女達を殺さなければ私達が殺されていた……メーテルリンクもシャルトルーズも……みんな死んでいた。だから、命に優劣をつけて汚染された仲間達を撃ったわ……この体で命令を下した……許されることじゃない……でも、お願いだから私を許して……あなたにまで憎まれたら生きていけないわ……戦う理由を失ってしまう……それに、私のせいであなたにも不信感は高まっている……でも、お願いよ。私を見捨てないで。あなたと離れたくない……あなたとずっと一緒にいたいわ……ただの奴隷でいいからそばに置いて……お願い、お願いします。許してください。一人は嫌、嫌なのよ……ううっ……お願い、嫌わないで……ひぐっ……ぐずっ……ごめんなさい、ごめんなさい……いくらでも謝るから……私のことを捨てないで……私を置いていかないで……」


 エクシアは恐怖に心をへし折られた私は情けなく子どもみたいに泣いていた。泣きながら許しを懇願してラスティの慈悲にすがろうとしていた。

 もう彼女にはそれしかなかった。言葉らしい言葉も発せられないほど泣きじゃくって涙をぼとぼと床に垂らしていた。


 強がっていた彼女の姿はもうどこにもいなかった。やがてラスティの身体がゆっくりと動いた。

 エクシアの顔を見るために膝を床につける。エクシアは自分が叩かれるんじゃないかと思って身構えた。その顔が怒りに歪んでいるんじゃないか、見るのがとても恐ろしくて頑として俯き続けた。

 そんな冷たい彼女の体を、ラスティはゆっくりと抱き締めた。



「…………」


 何も言わなかった。ただ、抱きしめた。強く。長く。力強く抱きしめる。

 エクシアの口から声にならない嗚咽が漏れる。


「ら、ラスティ……」


 エクシアもラスティに抱きついてしゃくり上げ続けた。背中を手のひらでポンポンと軽く叩き続けた。


「でも……でもっ……私、アーキバスの仲間を殺してしまったわ……! 殺すための命令を出した。私が、殺した。私のことを信頼してたのに……裏切って殺したわ。罪は消えない……償えないわ……」


 ラスティはしばらく黙って泣いているエクシアを抱き締めていた。それからより一層腕に力を込めて密着した。そしてゆっくりと、言葉をかけた。


「大丈夫。私は君の味方だ」

「私を許してくれる……?」


 エクシアは弱々しくそう呟いた。感情が激しく揺れ動いて言葉では言い表せない気持ちがこみ上げて来ていた。

 ラスティに許してもらいたかった。

 自分の罪を洗い流して欲しい。償うことはもう出来ないけれど、せめてラスティに受け入れてもらいたかった。


 


「許す。全ての存在が君のことを憎み、死を望んだとしても、私だけは君が死ぬまで味方でいる。生きていてほしいと願い、行動する。約束だ」

「夢……かしら、ああ、ひどく悲しい夢ね……許されるなんて、あってはいけないのに」

「現実だ。君が意識を失って、目が覚めても隣にいる。夢は覚めても、私はここにいる。それが現実だ。とうしようもない過去と、これからについて考えるために、自分は頑張ったと認めて上げてほしい」

「……ええ、私は、頑張った。みんなに恨まれても、みんなに生きていてほしかった。悲しみも、不安もある。けど、私の行動に曇りはなかったわ」


 それを最後に、エクシアは意識を失った。過労と緊張状態が緩和させられたことによる睡魔が一気に来たのだろう。


「良い夢を、エクシア」


 

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