第三話 彼を殺した刃
可愛がられてきた人の共通項は何だろうか。
甘えたい盛りに甘えられたことだろうか。甘えるきっかけを失って、孤独を抱えたことだろうか。守ってほしいときに守ってもらえた経験だろうか。
守ってほしくても、守ってもらえなかった人は、その差に気づくと、よく妬みを吐き出すという。そんな人は、どこか胸が満たされないらしい。
センジがそういう子だった。
もとより臆病で、神経質で、だけど怖いものなどないかのように強がって、いきまいていた。
(居場所なんてない。いや違う、俺は十分に作ってる。だから女ののんきさには反吐がでるんだ。ウメもそうだ。最近になって、よだれがぬぐえるようになったと、あのウリスケとかいう親父と大喜びしてた)
そして、ふと思いなおした。
(誰かと、あんな風に笑ったこと、あっただろうか)
誰も見えない、何も見えない。
そんな闇部屋の中、気づけばセンジは泣いていた。
ウメはそんなことなど考えもしない、だから多少の痛みなど平気だった。だけどセンジは考えすぎだった。だからこそ、ここに人一倍に刺さる痛みがある。
(報復なんてなんも怖くねぇ。嫌いだ。何もかも)
◇
ウメの父、ウリスケはずぅっと起きていた。
夜から、ついには朝になった。
それを合図に布っ切れを巻きつけただけのボロ家からウメを、また一人で滝へとむかわせたのだった。その際、小さな背中が怯えたように見えたのも、きっと気のせいではないだろう。彼女はまだ十二歳だ、だけど大人に近づかせたいなら、それなりに成長をうながすことだって必要だとウリスケは考えていた。
(大丈夫だ、ウメ。俺はオマエの味方だ)
ウリスケは昨日まで、ひどい風邪っぴきだった。うなされ眠りこけ、起きた頃には大事な娘であるウメがボロボロだった。きくにセンジの仕業とのこと。
あんな風になって帰ってきたのは初めてのことだった。
ウリスケは時折、ぼうっとしつつも待った。
咳きこみながら里からすこし距離のある大木の前で、センジが歩いてくるのを、待った。
目の前はものすごくひらけた、ひとけのない真昼の盆地だった。
そして、その時はきた。
「センジ。ちょいといいか」
「なんですか」
「えっとな。オマエさんは、その、歪んでるぞ。心がなくなってる、人の痛みがわからんくなってる、ぞ」
「何を言い出すかと思えば――はぁ。そうみたいですね。普通は痛いんだろうけど、俺には痛くもかゆくもないし。でもなぜ、そこに心を割く必要があるんですか」
「随分とえらそうなんだな」
「だからなんですか」
そんな返しに、ウリスケは寂しい表情をした。もちろん本人に自覚はない。しかし、それが今のセンジには火に油だった。
「ウメが言ってました。俺に、死ねと。そうなる前に今ここで、ウリスケさんの命を絶って、ウメを殺すも手かもしれないですよね」
センジはイライラが止まらず、ついに一線を越えた。
「――っ」
センジの心のこもらない声が、ウリスケには怖く響いていた。
しかも彼は刺されてしまっていた、センジに。そう、センジに刺されたのだ、ウリスケは。
(包丁を持ってたのか)
しかもそれは、心臓に近い場所だった。
だけど、ウリスケはしゃべり続けた。
「馬鹿が。俺はオマエの味方だ」
「味方ってなんだよ。娘をボコボコにされてまだ、そういう何かをふりかざすのか。気持ち悪いんだよ。反吐が出る」
「ぐっ――こうまでして、何が嫌いなんだ。言ってみろ」
「何もかもだよ!ぜ、ん、ぶ!心がないだ?嬉しいね。こっちから願いさげなんだよ」
「馬鹿野郎。さ、寂しいんだろう。勇気がないんだろう。ここで無理なら、どこかに行け。里を離れ、ろ」
「追い出そうってか」
「オマエを、守りたいからだ」
どさぁ。
音をたててウリスケが倒れた。血の泉が勢いをもって地面に広がっていく。
はて。彼が倒れた先で思い描いたのは、やはりウメのことだった。
「――ウ、メ……」
(このまま俺が死ねば、センジは人殺し扱いで終わるだろうか。それで里の報復、報復が――センジに)
ああ。なぜか、幻の中でウメがウリスケに微笑む。
あの子の、ウメの笑顔はウリスケの中で宝物のように光って、それが不思議とウリスケに優しい心を運んでくる。
「っはぁっはぁ。センジ。その刃物を、俺の手に握らせろ。このまま死んでやる、から。俺が自害したことにする。だから、オマエは離れろ」
「は。何言って、何言ってんだよ!ウ、ウメはどうする。アンタ、なんで!」
「はやくしろっ‼」
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