第4話 避けるエラリーと逃がしたくないクリス
エラリーが学園に復帰する頃には足の痛みも殆んど治まっていて、無理をしなければ普段通りに過ごせる程度には回復していた。
エラリーには休んでいた間の授業を教えてくれる友人などいない。早く遅れた分を取り戻さなくてはいけない。だけど図書室には行けない。クリスにどんな顔をして会えば良いか分からないからだ。
エラリーは休み時間にふらりと教室を出ると、静かな場所を探して校舎を歩いた。そうして辿り着いたのは、校舎裏にひっそりと置かれているベンチだ。
建物の影に隠れて日陰になっているそこは、静かなだけではなく、日差しから遮られて涼しい。
エラリーは持ってきた教科書を広げる。けれど、何も頭に入らないままその日の昼休みは過ぎていった。次の日もその次の日もそれは変わらない。
「やっと見つけた」
それはエラリーが学園に復帰して4日目のことだ。
久しぶりに聞く声がして、振り向き様に顔を上げるとそこにクリスが立っていた。
「っ……、クリス、様……」
今、一番会いたくない人物。だけどエラリーは心のどこかで、会いたいとも思っていた気がする。
そんな矛盾する複雑な心境を抱えてエラリーは立ち上がると、後ずさった。
「どうして、こちらに?」
「それは私の台詞だ」
「っ」
「……何故、図書室に来なくなった?」
痛いところを突かれて、エラリーは目を泳がせる。
「……それは、……その、勉強するのが、嫌になって……」
「それなら、何故今の君の手元には教科書がある?」
指摘されて、エラリーはさっと身体の後ろに教科書を隠した。
「た、……たまたまです」
「休み時間にこんなところに来て? たまたま持っているのか?」
「はい……」
コツ、とクリスが一歩踏み出した足音がする。
その分、エラリーはズリッと足を引きずって後ずさる。だけど、クリスは構わずエラリーとの距離を詰めて来ようとする。
「っ、クリス様ごめんなさい。わたくし用事を思い出したので、これで──」
言葉にしながら、挨拶もマナーも忘れて逃げるように去ろうとしたエラリー。
「エラリーッ!」
だけど、クリスはそんなエラリーの手を掴んだ。
「っ!!」
エラリーはぎゅぅぅぅぅっと、胸が締め付けられる。
クリスが“エラリー”と初めて呼び捨てにした。
掴まれた手は痛くない。けれど、振りほどけないように、力強くエラリーを引き留める。
「お願いだ。逃げないで。……私と、話をしよう」
クリスに何を言われるのか、エラリーは考えただけで怖かった。
きっと、レポートを提出しなかったことを責められる。レポートを完成させられなかったからと、教師に提出したと嘘を吐いたことを責められる。
そんな人だったのかと。ガッカリしたと言われるに決まっている。
そんなの、聞きたくない!!
泣きそうなほどにエラリーの心は、そう叫んでいた。
「ぃや、です」
やっと絞り出した声は、驚くほど小さくて震えていた。
「クリス様に話すことは、何も、ありません……」
「私はある!」
「っ! 聞きたく、ありません!」
パサッと音を立ててエラリーが手にしていた教科書が地面に落ちる。そうして、エラリーは空いた手で片方の耳を塞いだ。
「エラリー嬢、君は努力できる人だ。そして、教えられたことを理解できる力も十分にある。一月前からその姿を近くで見ていた私が言うんだ。間違いない!」
「っ、」
「レポートの作成をあんなに頑張っていたじゃないか。嬉しそうに私にお礼を言って笑っていた君が、そのレポートの完成を放り投げて提出を怠るとは思えない」
クリスに掴まれたままのエラリーの手が震える。
責め立てられると思っていたのに、クリスがそれとは逆の言葉を掛けてきたからだ。
「クリス様は、わたくしを、信じてくださるのですか?」
「私は、自分の目で見てきたエラリー嬢を信じるよ」
力強いクリスの声にエラリーの手から力が抜ける。
エラリーが逃げる心配がなくなったとわかったクリスは、そっと手の力を緩めるとエラリーを呼ぶ。
「こっちを向いてくれるだろうか?」
優しい声だった。だけど、エラリーは振り向けない。今にも泣いてしまいそうな顔をクリスに見せたくなかったからだ。
「ごめんなさい。……今は、ちょっと……」
なんとか答えると、ふわりとエラリーの頭にクリスの手が乗せられた。
「分かった。では、放課後に時間はあるだろうか? またここで話をしよう」
「……はい。分かりました」
返事をしたとき、授業開始5分前を知らせる鐘が鳴った。
はっと、近くの時計を探す。いつの間にか随分と時間が経っていたようだ。
「戻ろうか」
エラリーの手を優しく握ったままのクリスは、エラリーが落とした教科書を拾うと、エラリーに差し出した。
エラリーがそれを受けとると、優しく手を引いて歩き出す。俯いた状態でエラリーはそれに従った。だが、捻挫が治りかけの足で早くは歩けない。
三年生のクリスは一年生のエラリーとは教室が離れていて、彼の教室はエラリーよりも遠い場所にある。
クリスはエラリーに合わせてゆっくり歩いてくれているが、このままでは授業に遅れてしまう。
生徒たちが教室を目指して周囲から、どんどんいなくなっていく。その様子を目の当たりにして、早く歩かなくてはと焦るあまり、無理をしてしまったのか、エラリーの左足首に鈍い痛みが蘇ってくる。
「っ、クリス様」
「なんだい?」
「わたくしはゆっくり戻りますから、先にお戻りください」
「それは無理な相談だ。足を痛めているエラリー嬢を残して先に戻るなんて出来ない」
「え? どうして、それを……?」
エラリーは捻挫したことをクリスには話していない。にも拘らず、彼はそれを知っていた。
「あの日、エラリー嬢は足に包帯を巻いていただろう? 先ほども少し足を引きずるように動いていたし、今も歩き方がいつもよりぎこちない」
指摘されて、クリスの観察力にエラリーは驚く。
図書室に行けなかったあの日、教師に怒られていたエラリーが包帯を巻いていたことをクリスは見ていたんだ。
エラリーはゆっくり歩いている自覚はあったが、ぎこちないと言われるとは思ってもみなかった。
「そこまで分かっていらっしゃるなら、なおさら先にお戻りください。クリス様が授業に遅れてしまいます」
自分の都合でクリスを授業に遅れさせて、迷惑をかけるわけにはいかない。そう思っての答えだった。
「分かった」
クリスの答えにエラリーはホッとする。
だがそれも束の間。「少し失礼するよ」なんて声がした次の瞬間、繋がれていた手が離されたと思うと、エラリーの膝裏と背中ににクリスの腕が回って、軽々と抱き上げられてしまった。
「きゃ!? へっ!? あああっ、あのっ! クリス様!?」
パニック状態のエラリーは、急な浮遊感に教科書を持っていない方の手で、クリスのシャツにしがみつく。
「大丈夫、顔は見ないから。そのまま下を向いていて」
落ち着かせるような声が耳のすぐ近くで聞こえて、エラリーは顔が熱くなる。顔を見られたくないエラリーを気遣うクリスの優しさが、エラリーの胸を甘く締め付けた。
「教室の少し手前まで送る。これなら私も遅刻しない。だからエラリー嬢は何も気にしなくていい」
「ぅ、……わ、かりました」
あまりの恥ずかしさに、エラリーはそれ以上何も言えなかった。ドキドキと忙しなく音を立てる胸を感じながら、ただクリスに抱えられている姿を誰にも見られていないことを祈った。
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