第5話 クリスの正体
エラリーはそのあとの授業に、ろくに集中できなかった。クリスに抱えられたことを思い出して、その度に顔が熱くなるからだ。
放課後まで残りあと一限というとき。小休憩の時間に入った途端、廊下が騒がしくなった。そして、そのざわめきは段々とCクラスに近付いていた。それはどうやらAクラスの方から来ているようだった。
「いらっしゃったわ!!」
そんな声がして、普段すれ違う程度にしか知らない令嬢たちが、エラリーめがけて一目散に歩み寄ってきた。
「先ほど、殿下運ばれていたのは貴女ですわね!?」
「新学期から殿下と図書室で親しげにお話しされているのは見かけていましたが、どうやってお話しを!?」
「ねぇ、よろしければ聞かせてくださらない?」
「殿下を独り占めだなんて、ずるいわ!」
きゃあ、きゃあと騒ぐ令嬢たちからエラリーは質問責めにあう。だけど、彼女たちから刺々しい敵意は感じられない。どちらかと言うと、教えをこうような、羨望の眼差しを向けられていた。
「貴女たち、彼女がお困りよ」
注意する声がして「はぁい」と言う声と共に、それまでぐいぐいと質問していた令嬢たちの声が止む。
「はじめまして。わたくしたちAクラスとBクラスの者ですわ」
そう言って、注意をしてくれたご令嬢がエラリーの前に出ると、まず自己紹介を始める。彼女がミダヤム侯爵令嬢であることを聞いて、エラリーはピンっと姿勢を伸ばした。
順番に紹介が終わり、エラリーも自身の名前とエレネルン伯爵令嬢であることを明かした。
「まぁ、エレネルン伯爵令嬢でしたのね! 道理で初めてお会いする筈ですわ!!」
「それで!? 窓から見えたのだけれど、先ほどは何故、殿下に抱えられていましたの?」
「どうしたら殿下とお話しできるか、ぜひ聞かせて頂戴」
エラリーに向けられた瞳が期待に満ちていてキラキラと輝く。
エラリーは戸惑った。こんなにポジティブな好奇心でいっぱいの瞳でご令嬢たちから見つめられることがなかったからだ。
そして、戸惑う理由はもう一つあった。
先ほどから彼女たちが口にする“殿下”と言う言葉。この国でそんな呼び方をする人物は限られている。
だが、エラリーはまだ信じられない。
「えっと、……その前に、
「そんなの、この国唯一の王子様。クリストファー殿下のことに決まっていますわ!!」
「っ!?」
お茶会への不参加は勿論のこと、社交界デビューをしておらず、友だちがいないエラリーでもその名前は知っている。
クリストファー・スプリングフィールド。
この国の王子であり、エラリーとは関わりがない筈の人物の名前である。
エラリーは学園にクリストファー殿下も通っていることは知っていた。
でもまさか、クリス様がクリストファー殿下だったなんて……。クリストファー様……それで“クリス”を名乗ったということ?
今までのことを思い出して、エラリーはサァッと血の気が引いていく。
エラリーは王子様に勉強を教わっただけでなく、レポートの手伝いをさせた。あげく数日の間、王子様を避けて、それから彼に教室の少し手前まで運んでもらったのだ。
それに思い返しえみれば、エラリーの態度は? 話し方は? 知らなかったとは言え、王子様相手に失礼がなかったと言えるだろうか。
「エラリー様?」
顔を青くして黙り込んだエラリーを令嬢たちが心配そうに覗き込んでくる。
「ごめんなさい、急に大勢で押し掛けてしまったから、混乱されているわよね」
ミダヤム侯爵令嬢が呟いたとき、授業の始まりを知らせる鐘が鳴響いた。
「続きはまた今度お聞かせくださいね」
そう言い残して、令嬢たちがそれぞれのクラスに戻って行く。
エラリーは今度は先ほどとは違う理由で、次の授業もろくに集中することが出来なかった。
◇◇◇◇◇
社交界の噂とは、あっという間に広がる。それはこの小さな社交界である学園でも同じだった。
王子様に抱えられていたエラリーがエレネルン伯爵令嬢であると知ったものは好奇と羨望の眼差しを彼女に向け、エラリーの“ガラスの足の伯爵令嬢”という異名を知るものは複雑そうに、そしてエラリーに嫌がらせをしてきたものは、面白くないと苛立ちを隠せない様子でエラリーを見ていた。
そんな中、エラリーは未だ状況が呑み込めないでいた。つい数時間前にクリスがクリストファー殿下だと知ったばかりで、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
今まで良くしてもらっていた学園の先輩が王子様だった。通りで、優しく気品に溢れていた訳だと納得もした。
しかし、エラリーはそこであることを思い出す。
『では、放課後に時間はあるだろうか? またここで話をしよう』
そうだ! わたくし、クリス様と放課後に約束を……! あぁっ!! でもどんな顔をして会えば良いの?
わたくしがレポートを提出出来なかった理由を話すのよね!? でも、どう説明を!?
嫌がらせの件は家族にも秘密にしているのだ。貴族令息のクリス様に話すのも躊躇われる内容を王子様のクリストファー殿下に話すだなんて、到底出来っこない。
兎に角、王子様の貴重な時間を私のために割いて、お待たせしてはいけない。
クリスが言っていた“ここで”と言った約束場所は、校舎裏のベンチだ。
エラリーは急いで荷物を纏める。そんなとき、エラリーの前に人の気配がして、「エラリー様」と名前を呼ばれた。
顔を上げると、ブリジットたち3人がエラリーを囲んでいる。
「何でしょう」
「お話がありますの」
どこか高圧的な態度に、一瞬怯みそうになる。だけど、断るとそれこそ何を言われるか分かったものではない。
「……分かりました。人と約束をしていますので、手短にお願いします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます