第2話 模写課題 

世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(7)悔い改める人々

2020年12月30日14時23分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 


1735年4月のことであった。ウェスレーは姉のエミリーから「父病重し」との手紙を受け取った。急いで弟のチャールスと共に故郷のエプオースに駆けつけると、父サムエルは骨と皮ばかりになって病床に横たわっており、一目でもう長くないことがすぐに分かった。


「ジョンや」。父は、まず彼を呼び寄せると、その手を握りしめて激励した。「福音は喜びの訪れだ。それは人に生きる勇気と希望を与えてくれるものだということをあらゆる人に語りなさい。特に貧しい者、虐げられている者、社会から見捨てられている者たちにそうしてほしい」


それから、そばに立っているチャールスに言うのだった。「チャールス。おまえが神をたたえる歌を作りはじめていることを知っているよ。どうか最高の賛美の歌をささげなさい。多くの人がそれによって心の平安を得られるように」


その晩から、急に容体が変わり、次の日にサムエル・ウェスレーは天に召されていった。葬儀は彼の牧していた教会で挙げられることになり、ウェスレーは説教を委ねられた。


彼は、サムエル・ウェスレーがどんなに心の正しい、曲がったことの嫌いな人であったか、そしてどんな人にも優しく親切で、子どもまでが彼を慕っていたことを語った。その生涯はまさにイエス・キリストのしもべにふさわしく、黙々と苦難を耐えしのび、迫害を受けても抵抗せず、悪意や嘲笑に対しても愛をもって報いたことを、エプオースの民を前にして語った。


「父は限りなくこのエプオースと、ここに住む人々を愛していました。その昔――私はまだ小さくてよく覚えていませんでしたが――迫害に遭って牧師館が焼き払われたとき、皆がもう少し安全な場所に移ることを勧めました。その時、父ははっきりと申しました。自分はこのエプオースの人々を心から愛している。どうして離れられよう。自分がここを去ったら、いったい誰が彼らを愛し、キリストの愛を伝えるのだ、と」


その時、集まった人々は、こらえ切れずに涙にむせび始めた。「でも、父は確信していました。いつの日にか必ずエプオースは神を信じる人で満ちあふれるだろうということを。私は、父がエプオースのために祈るとき、いつでも涙を流しているのを見ました。父の生涯は、本当に報われることの少ない、苦難に満ちたものでしたが、愛につらぬかれたものでありました」


そう言って、ウェスレーが話を終えたときである。いきなり、一人の初老の男が苦しそうに喘ぎながらよろよろと講壇に近寄ってきたかと思うと、何か言いたげに唇を震わせていたが、がっくりとサムエル・ウェスレーの棺に覆いかぶさるようにして倒れ伏した。驚いたウェスレーが抱き起こすと、男は死んでいるではないか。会衆は立ち上がると、ざわめき始めた。


「この人はなあ、先生」。一人の男が泣きながら飛び出してくると、大声で言った。「この牧師さんにあやまろうとしていただよ。いつでもそう言っていた。この人が昔、牧師館に火ィつけたからだ」


ウェスレーは、言葉もなく立ちつくしていた。「あんなことをしたもんで、ばちが当たっただな。苦しんでいた。そして、とうとう、こんなに落ちぶれて、不幸になっちまった」


髪に白いものが混じったその男は泣きながら続けた。「こんないい牧師さんに、本当に何ちゅうことしただ。でもばちが当たって、この人はひどい病気で死にかけているってうわさがあったんだけど、サムエル・ウェスレーという牧師さんが死んだと聞いて、あやまりたいと思って来たに違いないだよ。だから許してやってくだせえ!」


「おらたちだってそうだ!」そこへ、2、3人の村人が駆けてきて言った。「牛を刺し殺したのはおらだあ!」「火ィつけたの、この人だけじゃねえ。おらたち、みんなで相談してやっただよ」。「おらが、先生んちの犬を切り殺しただ!」


彼らは一緒にその場にひざまずき、ウェスレーとその家族に心から許しを乞うた。それから一同は、棺のそばに横たわった男を、サムエル・ウェスレーと並べてやったのだった。


この時から、悔い改めが波のように広がり、やがてそれがエプオース村を生まれ変わらせる運動へとつながっていったのだった。



<あとがき>


人間は自分が犯した過ちについて、理屈ではそれが悪いと知っていても、心情から納得しないと悔い改めることはないといわれています。ウェスレーの郷里エプオース村の住民もそうでした。彼らはかつて牧師館を襲撃し、家畜を殺して放火した罪を心の中で認めてはいましたが、日常生活の中でそれを忘れようとし、昼間から酒を飲み、駄じゃれを飛ばし、賭博にのめり込む――というような生活をしていました。


しかし、突然それが一変しました。サムエル・ウェスレー牧師が天に召されたのです。この時、ジョン・ウェスレーは、父がどんなにエプオースとその村人を愛していたかを切々と語りました。すると、彼らはこらえ切れなくなったように、泣きながら昔の罪を告白したのです。この中から真の悔い改めが生まれ、やがてそれは信仰復興の波となって広がってゆき、エプオース村が新しく生まれ変わるきっかけとなったのでした。まことに愛のみが真に人を生まれ変わらせることができるのでありましょう。




世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(8)インディアンに福音を


英国からはるか遠い米国のジョージア州。ここは未開発の地で、原住民の多くはインディアンによって占められていた。英国の植民地であるために、総督オグレソープ将軍と20人の評議員によって統治されていた。オグレソープ将軍は寛大な心を持ち、原住民を虐げることなく、また評議員相互の調和を図りながらこの地を治めていた。


しかしながら、彼はいつの頃からか、原住民に良い感化を与えるためには政治や法律では限界があることを感じ始めていた。インディアンたちは人なつこく、英国人が自分たちを虐げることがないと知ると心を開き、総督官邸にかぼちゃの種を持ってきてくれたりした。しかし、彼らは多くの奇妙な習慣を持ち、迷信や因習にとらわれて生活していた。さらに、性格的には激しやすく、何かあると集団になって暴行を働き、破壊行為に走るという特性を持っていた。


(彼らを目覚めさせ、その生活を向上させるには教育が必要だ。だが、いかなる立場で、いかなる教育をしたらいいだろう?)オグレソープ将軍は、ようやくそれがキリストの福音であることに気付いた。そうだ、この地に宣教師を送ってもらおう。彼はただちに評議員たちと相談をした。しかし、彼らは英国本土からこのようなへき地に来るような宣教師はいないと考え、この案には否定的であった。


オグレソープ将軍は、密かに神に祈った。(神様、どうかこの未開の地に、宣教師をお送りください。)彼がひざまずいて祈る姿は、黒いシルエットになって映し出された。


ところで、故郷エプオースからオックスフォードに戻ったウェスレー兄弟を待ち受けていたのは、以前にも増して激しい憎悪や嘲笑と「ホーリー・クラブ」解散という悲しい知らせだった。そしてある日。2人は大学に呼び出され、理事や役員、そして教授たちから退職処分にする旨を申し渡されたのである。神聖な学問の殿堂を狂信的な信仰で汚したというのがその理由だった。


「さあ、きみたちは解雇だ。この退職願いに署名をしてもらいたい」。2人はペンをとると、それぞれ署名をした。そして、大学を後にした。


「とうとうこの大学も追われたか」。「でも、きっと神様は助けてくださるよ」。彼らは取りあえずジョンの部屋に行き、一緒にひざまずいて、どうかこれからの道をお示しください――と祈った。その時、不思議なことであるが、ジョンの目の前に一人の人間が祈る姿がシルエットのように浮かび上がった。


「どこかで、誰かがわれわれを必要としているよ」。彼は思わず叫んだ。その時である。いきなりドアがコツコツと叩かれると、管理人が手紙を持ってきた。それは故郷エプオースから、母親のスザンナ・ウェスレーが書いてきたものであった。


愛するジョン。突然の話ですが、お父様が以前親しくしていたオグレソープ将軍が今はアメリカのジョージア州の総督になっておられ、現地で宣教師を切実に求めていることを手紙で知らせてきました。それでジョン、もしあなたが福音を地の果てまで伝えたいと願っているなら、どうかインディアンたちにイエス・キリストの愛を伝えてあげてください。――とはいえ、これはあくまであなた個人の意志ですから、よく考えて一番良いと思う道を進んでください。


あなたの母、スザンナ・ウェスレー


ウェスレーは、この手紙こそ、自分を新しい働きへと召される神の導きと確信した。チャールスも同行を希望したので、2人は大学のポーター監督から按手礼(伝道者を送り出すときに、頭に手を置いて聖別すること)を受け、オグレソープ将軍の秘書官という名目で現地に赴くことになった。「ホーリー・クラブ」の仲間であるベンジャミン・インガムとチャールス・デラモットの2人も現地へ同行してくれることになった。


こうして1735年10月14日。ウェスレーは弟チャールスと2人の友人らと共にジョージアに向かって出帆したが、ビスケー湾に船が差しかかったとき、突然嵐に見舞われた。この時、一緒に乗り合わせていたドイツモラヴィア派の信仰者たちが、胸まで水につかりながら賛美歌を歌う姿を見て、ウェスレーは感動し、彼らから信仰の在り方を学び取ったのだった。



<あとがき>


エプオースからオックスフォードに戻ったウェスレー兄弟を待ち受けていたのは、「ホーリー・クラブ」の解散という悲しい知らせでした。さらに2人は理事や教授たちに呼び出され、退職処分にされてしまったのです。しかしこの時、奇跡が起きました。彼らが祈っていると、突然目の前にシルエットのように祈る人の姿が浮かび上がってきたのです。ちょうどこの時、ドアがコツコツと叩かれ、管理人が手紙を持ってきました。故郷エプオースからで母のスザンナの手紙でした。


それには、亡き父サムエル・ウェスレーが以前親しくしていたオグレソープ将軍がジョージアの総督となったこと、そして現地のインディアンたちに福音を伝えるべき宣教師を送ってほしいと切望しているので、ぜひ現地に行ってほしい――という内容でした。それこそ神の導きであると確信した2人は、「ホーリー・クラブ」のメンバー2人と共に未開発の地、米国のジョージアへと旅立ったのでした。



世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(9)失意のどん底に


1736年2月6日。一行はジョージア州サヴァナ港に上陸した。総督オグレソープ将軍は大変に喜んで一行を迎え、官邸に招いてもてなした。以前秘書官を務めていたサムエル・クインシー牧師がこの地を去ったので、取りあえずその教会の牧師館に住むことになった。チャールスとベンジャミン・インガムはフレデリカに行って伝道をすることになったのでたもとを分かった。


ウェスレーは、祖国でもそうであったように、現地のインディアンたちに熱心に伝道した。まず彼は単純な彼らによく分かるような話から始めようと考えた。そこで、用品の管理と質素な生活をすべきことを教え、神に喜ばれるのは潔(きよ)い生活をすることだと語った。しかし、現地のインディアンたちにとってこうした勧めは受け入れ難いものであり、うさんくさそうにこの新しい伝道者を眺めるばかりだった。


彼らは自然と闘い、未開の地を切り開いていくのに精いっぱいだったのである。しかも、ウェスレーは毎日午後の一番暑い時間に3時間もかけて戸別訪問を行った。彼らはこの暑い時間は外で労働できないから家の中で昼寝をしたかったので、人々は次第にウェスレーが来るのを迷惑に感じ始めた。


そのうち、インディアンの首長であるチカリという男と話をすることに成功した。「私らインディアンは、暗闇の中で生活している。分からないことが多い。でも、白人はいろいろ知っている」。チカリは、身振り手振りで話をした。「インディアンと白人は違う。どうして違うのか?」


ウェスレーは、彼に分かるよう話をした。「神様にとっては白人もインディアンもみんな同じ子ども。同じように愛してくださるんですよ」。「でも、その神様違う。われわれインディアンの神様は悪いことする者に復讐(ふくしゅう)する。どうして白人の神様はそうしないのか?」


「われわれの神様は正しい方だから悪を憎みなさいます。でも人間の中には罪がある。そこで神様は大切な独り子をこの世に送って十字架につけて、代わりに人間を救ってくださったのです」。チカリは信じられないというように、目を大きく見開いた。「独り子? 大切な子を?」「そうです。彼は十字架で血を流して、人間の罪を負われたんです」


その時、チカリは両手で頭を抱え、恐ろしい叫び声を上げた。「あんたがたの神は残酷だ。インディアンでも自分の子どもをそんな方法でいけにえにしない」。そして、彼は駆け去った。


翌日、驚いたことにウェスレーが道を歩いていると、一人のインディアンが果物の皮を投げつけて叫んだ。「白人の神、自分の子どもを殺していけにえにささげる!」それから、あちこちの辻から人々が押し寄せてきた。「白人の神、自分の子どもを殺す!」彼らは津波のような勢いで官邸に押し寄せた。オグレソープ将軍は、評議たちと何とか暴動を抑えることができたが、彼はウェスレーをこの地に招いたのは失敗だったのではないかと考えるようになった。


一方、フレデリカ伝道に出掛けたチャールスたちも、原住民から迫害され、その伝道活動は困難を極めていた。現地の英国人が好意的にインディアン伝道は難しいので英国に戻ったほうがいいと助言したのをチャールスたちが受け入れなかったことから、彼らは悪意をもってインディアンたちをけしかけたのである。そのために、チャールスたちはひどい迫害を受け、重傷を負ったチャールスは帰国せざるを得なかった。


ウェスレーはそのままサヴァナに留まっていたが、ある日インディアンの暴徒に襲われ、袋叩きになった。この時、通りかかったのがサヴァナの長官コーストンの姪に当たるホプキィという令嬢で、彼女の心を込めた手当てと慰めに心が癒えたウェスレーは、彼女とたびたび会ううちに、ある時求婚したのだった。


しかしながら、この女性は外見とは似つかずにその心が虚栄と傲慢(ごうまん)に満ちており、彼女はウィリアム・ウィルソンという青年と婚約しながら、ウェスレーをもて遊んだのだった。彼女はあちこちでウェスレーの悪口や、あることないことをふれ回ったので、町の人々は彼がとんでもない悪徳牧師と非難を始めた。ここに至ると、ついにオグレソープ将軍は彼をこれ以上現地に留めておけず、ウェスレーは辞任して帰国せざるを得ない事態となったのだった。



<あとがき>


米国のジョージア州に着いたウェスレーたちは、総督オグレソープ将軍の歓待を受け、現地のインディアンたちに伝道を始めます。ウェスレーは、持ち前の熱心さから、午後の一番暑い時間に彼らの家を訪問し、質素な生活をすべきことを勧告しました。しかし、その熱意は彼らに通じませんでした。


インディアンたちは、家の中でゆっくり昼寝したい時間にウェスレーが来ることを迷惑に感じるようになったのです。そのうちインディアンの首長チカリにイエス・キリストの十字架について話をしたところ、これが大変な誤解を生じさせ、ついには命を狙われるような事態に発展してしまいました。さらに、ウェスレーはある女性と知り合い、求婚したところ、これがまたトラブルに発展して、オグレソープの信頼を失ってしまいます。


他の地に伝道に出掛けた弟チャールスたちも現地の人々から迫害され、ついにこの地を離れざるを得なくなります。こうして米国伝道は失敗でした。





世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(10)アルダス・ゲートの体験

再び英国に戻ったウェスレーを友人たちや家族は喜び迎えた。そして、心からねぎらいの言葉をかけてくれたが、それをもってしても、彼の傷ついた心は癒やされることがなかった。チャールスも米国から帰って以来、肋膜を患って病床にあった。2人は抱き合って再開を喜び、無事に帰国できたことを神に感謝するのだった。


しかし、ウェスレーは惨めだった。今まで力を注いできた伝道が失敗だったことも彼を打ちのめしたが、何のための伝道なのか? 未開の人々に福音を伝えたいという決意は、実は自分の心の中にある虚栄心を満足させるためではなかったのか?――そうした声に彼は苦しめられていた。彼は、自分が何のために生きているのか分からなくなった。


彼はあの嵐の船の中で知り合ったモラヴィア派の人々の強い信仰のことを思い返した。そして、ロンドンの教会に赴任してきたこの教団のペテロ・ボエラーという牧師を訪ねた。そして、自分の悩みを打ち明けたのだった。


ボエラーは彼の話を聞き終えると言った。「あなたがそのような惨めな思いから解き放たれたいと思うなら、この世で最も忌み嫌われている仲間のもとを訪れ、彼らと悲しみを分け合うべきです。実は、オックスフォードの刑務所に死刑の宣告を受けたクリフォードという男がつながれています。彼は迫る死を前にして絶望しきっています。彼と悲しみを共にすることができますか?」


ウェスレーは、ただちに刑務所を訪れて彼に面会を求めた。「あんたが一つのことを教えてくれたら話をしてもいいが、お説教ならごめんだぜ」。死刑囚は言った。「おれが聞きたいことはな、さんざん悪いことをした揚げ句に死刑になるような男が、なぜ生まれてきたかということだ」


ウェスレーは、絶望している男の悲しさがひしひしと伝わってきて、同じように絶望のどん底にある自分の悲しみと一つに溶け合うのを覚えた。彼の目から涙があふれ出してきた。


「ばかな牧師だなあ。あんた、死刑囚に説教をしにきたんだろう?」囚人は肩をそびやかした。ウェスレーは、思わず両手を広げて、この不幸な男を抱きしめた。そして言った。「私も罪人ですよ。あなたと同じです」。「でも、あんたは牢に入るような悪いことをしていないだろ? 死刑になるわけじゃないからいいじゃないか」。「いいえ。あなたも私も、神様の前に同じ罪人です」


そして、ウェスレーは男の手を握りしめると、イエス・キリストに罪の許しを祈り求めるのだった。死刑囚は泣きながら言った。「ああ、おれは救われたいよ」。そこで、ウェスレーは彼に聖書を読んでやってから言った。「私たちが罪人であるからこそ、イエス様は私たちの所に来てくださった。彼は、悔い改める人間すべてを許されるのです」


そのうち、死刑囚は落ち着いてきた。「ありがとう」。彼は言った。「今まで死刑の宣告を受けた人間にそんなことを言ってくれた人はいなかった。これで落ち着いて死ねるぜ」。そして、明るい顔になって彼の手を握った。


やがてその年のイースターも終わったある日のことだった。アルダス・ゲートという所で小さな集会があり、ウェスレーも出掛けていった。チャールスはまだ病床にあり、出られなかった。重い心を引きずるようにして会場に着くと「われ深き淵より汝を呼べり」というテーマのもとに一人がルターの『ローマ人への手紙註解』を読んでいた。


その時である。彼は実に不思議な体験をしたのだった。彼はその時、時計の針がちょうど9時15分前を指していたことも記憶していた。一体自分の身に何が起きたのか言葉では表現できず、彼は日記にこう記した。


その時、私の心は不思議に燃え立ってきた(※英語ではあやしく燃える火という表現になっている)。私は自分が救われるためにキリストを――ただキリストのみを信じた。キリストが私の罪を取り去り、罪と死の中から救い出してくださったという確信をその時与えられた。


暗く重苦しい罪の重荷は取り去られ、心がのびのびと解放され、魂が高められた。彼はどんなに努力しても、血の汗を流しても得られなかった救いの確かさを今得たのである。まさに、福音が彼の血肉となった瞬間だった。



<あとがき>


英国に戻ったウェスレーは、惨めでした。米国伝道の失敗もさることながら、自分が何のために伝道しているのか分からなくなったのです。この一番大切なものを失って、彼はあてもなく町をさまよいました。その時、モラヴィア派の牧師ペテロ・ボエラーの勧めで、彼はオックスフォード刑務所の死刑囚に福音を伝えます。実はこれこそ、後のウェスレーの「見捨てられた者への伝道」の重要な要となるのです。


それから間もなく、神様は彼に素晴らしい啓示を与えられました。これが「アルダス・ゲートの体験」と呼ばれるものです。これについては、神学者の間でも他の分野の学者の間でも物議がかもされましたが、彼らが一致して言うには、「ウェスレーは恐らくパウロやパスカルのように第三の天に上げられる体験をしたのではないか」ということでした。つまり彼自身「あやしく燃える火」と表現した通り、まさに福音が彼の中で血肉となったのでしょう。





世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(11)見捨てられた者への伝道

アルダス・ゲートの体験以来、ウェスレーは別人のように変わり、その顔は生き生きと輝き、言葉は確信に満たされていた。彼は今、何のためらいもなく、この社会から見捨てられた者への伝道を始めたのだった。


あのオックスフォードの刑務所を訪ねると、まだクリフォードは牢につながれていた。「ああ、先生」。クリフォードは涙に濡れた顔にあふれるばかりの微笑をたたえて手を差し出した。「明日・・・だそうです。もうお目にかかれないと思っていたんですが、よく来てくださいました」


彼はすでに心の平安を得ており、落ち着いていた。「いつぞや先生は、人間は皆罪人(つみびと)だとおっしゃいましたね。私は今までの罪深さが分かり、泣きながら祈りました。そうしたら、先生、イエス様はこんな私の罪を残らず許してくださったんです。こんなに安らかな気持ちになったのは初めてです。これで安心して死んでいけます」


驚くべきことに、このやりとりを傍らで聞いていた2人の看守が感動して、この時から信仰を持つようになったのであった。ウェスレーは、間もなく死に赴く者を受け入れてくださいと祈ってから、死刑囚の頭に手を置いて祝福した。最後にクリフォードはこう言ったのだった。「死はいっとき潜らなくちゃならない門かもしれませんが、その向こうでイエス様が待っていてくださるんですから、それを楽しみにしています」


次に、ウェスレーはニューゲートの刑務所を訪れた。ここの死刑囚たちは心が荒れすさみ、手がつけられないほどの恐慌をきたしていた。ウェスレーは彼らにこう語った。「イエス様は、一緒に十字架につけられた強盗に向かって、今日一緒にパラダイスに入るべしと言われました。今日なのですよ。いつでもイエス様は信じる者を救いに導いてくださいます」


ニューゲートの牢獄の看守たちはこの言葉を聞いて苦々しく思った。死刑囚は社会的に制裁を受けるべきものなのだから、彼らに伝道するなどもってのほかだと考えたのである。そこで彼らはウェスレーに刑務所伝道が許可されるような証明書を持っているのかと尋ねた。当然ウェスレーには英国国教会で説教する資格があったので、自分はどこに行っても福音をのべ伝えることができるのだと答えた。


それから、彼は社会から見捨てられた者たちの方を向いて言った。「イエス様は今、あなたがたを招いておられますよ。信じる決心をするのを待っておられます」。「こんな社会のごみみたいなわれわれでもいいのかね? その方は、立派な行いをする人だけを救うのと違うか?」。「どんな人でも、何をしてきた人でも、信じる者をすべてイエス様は救ってくださいますよ」


このようにして、少しずつ死刑囚たちの頑なな魂にイエス・キリストの愛と許しを語るうちに、彼らはまるで幼な子のように素直にそれを信じた。そして、その日のうちにウェスレーは5人の死刑囚に洗礼を授けたのである。


ロンドンの刑務所の囚人たちも、ウェスレーをまるで慈父のように慕っており、続々と洗礼を受けた。彼らの一人のモリソンという若者は、死刑の当日までおびえていたので、ウェスレーは刑場まで付き添っていった。「あの人殺しが死刑になるんだとよ」「あれ? 付き添っているのは、あのメソジストの牧師じゃないか」。道の両側には、もの見高い人々がぎっしりと詰めかけ、このありさまを眺めていた。


「ウェスレーさん、あなたの名誉のためにこういうことはなさらないほうがいいですよ」。その時、国教会派の牧師が彼に注意した。しかし、ウェスレーはそれを無視し、死刑囚に最後の祝福を祈るのだった。「では、安らかにお行きなさい。イエス様はあなたの魂を抱き止めてくださるために、両手を広げて待っておられますよ」


この時、驚くべきことが起きた。今までおびえ、悪口を吐き散らしていたモリソンという若者はにっこり笑ってこう言った。「では行ってきます、先生」。それから、まるで遠くに旅行にでも出掛けるかのように晴れやかに手を振って絞首台に登っていったのである。ウェスレーが行ったこの刑務所伝道は、その後「刑務所の改善」という大きな社会問題を呼び起こすことにもなったのであった。



<あとがき>


ウェスレーの時代には、聖職者が刑務所を訪れるなどとんでもないことと考えられていました。しかし、アルダス・ゲートの回心で内的に変えられたウェスレーは、臆することなく刑務所を訪れ、見捨てられた人たちに福音を伝えたのです。オックスフォード刑務所のクリフォード死刑囚は、ウェスレーから福音を聞かされ、今はあれほど恐れていた死をも再びイエス・キリストに会える喜びに変えられ、平安のうちに召されてゆきました。


ウェスレーは、さらにニューゲート、ロンドンの刑務所をも訪れ、囚人に福音を語り、彼らを祝福して天国に送りました。凶悪な犯罪者たちはウェスレーを慈父のように慕い、一人残らずイエス・キリストの福音を信じたのでした。実に「・・・多くの者はあとになり、あとの者は先になるであろう」(マルコ10:12)と聖書に書かれているように、社会から排除され、軽んじられている者こそ先に天国に入るのでありましょう。



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