ション・ウエスレ―のミニストリー
山下安音
第1話 コラムニスト : 栗栖ひろみ さんの筆力に学ぶ
彼女の筆力も模写することで、イエスの枝の秘跡の業のミニストリーを描く力を養う。#アンネの法則 のトレーニング課題
そのまま、模写する課題
世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(1)猛火から救われて
1709年。英国のエプオースにあるサムエル・ウェスレー牧師の牧師館が突然猛火に包まれた。すでに飼い犬と牛が殺され、2階の窓から子どもたちが顔を出して助けを求めている。
「サムエル、エミリー、こっちだ」。父は2人の手を引いて下に逃れた。母も3つになるチャールスを腕に抱き、別のきょうだいをつれて後を追った。
その時、母は6歳になるジョンがまだ家の中にいることに気付いた。「あなた! ジョンがまだ中に!」父は水をかぶると、家の中に駆け込もうとしたが、周りの人々はその体を抱き止めた。
「もうだめですよ。ウェスレーさん。あんたが死んじまう」。「誰か、ジョンを助けてください!」母スザンナは気が狂ったように叫び、よろよろと倒れかかった。その時すでに火はすっかり回ってしまっていた。
6歳になるその子どもは、2階で絵本を見ているうちにいつの間にか眠り込んでしまった。どこからかゴォーッという音が聞こえた。きっと天の軍勢だ――と子どもは思った。神様はこの家を守るために天から軍勢を送ってくださったのかもしれない。だって、お父さんは牧師だもの。
ゴォーッという音はだんだん近づいてきたので、彼は目を覚ました。その時、目に映ったのは、あたり一面に燃え盛る火で、赤い炎は部屋の家具をすべてなめつくし、煙が喉に流れ込んできた。
「お父さん! お母さん!」子どもは窓に駆け寄り、泣き叫んだ。庭から、彼の名を呼ぶ両親の声がする。飛び降りようとしたが、高すぎてとてもできない。そのうちに、近所の人や駆けつけた教会員たちが何人か組になって「人はしご」を作り、身軽な人が何人か上に登っていった。もう少しで2階の手すりに届くというときになって、下の一人がつまずき、「人はしご」は崩れ落ちた。
「早くしないと、火が回るぞ」。見ていた人は大声で励ました。もう一度「人はしご」は組み立てられ、ついにある人が上手に登ってゆき、おびえ、泣きじゃくる男の子を抱きかかえ、無事に地面に飛び降りた。それと同時に、建物は崩れ落ちた。両親はジョンを抱きしめ、声も出なかった。
「皆さん、神様に感謝しましょう。家はどうか放っておいてください」。われに返ったウェスレー牧師はこう言うと、庭の片隅にひざまずいて祈り始めた。
「ジョンや、よかったね」。母のスザンナは、無事に戻ったわが子の髪をなでさすって言うのだった。「神様はおまえを炎の中から助け出してくださったんだよ。このことを忘れずにね」
サムエル・ウェスレーは、英国の片田舎エプオースで牧師をしていた。エプオースはロンドンの北、なだらかな丘と川の間にある水濠地帯で、美しい自然に恵まれていた。しかし、この地域に住むのは、昼間から酒を飲んで、賭博をするような道徳的に低い人ばかりだった。
彼らはけんかが早く、貪欲で、下品な歌を口ずさみながら村の娘をからかったりするような楽しみしか持っていない人たちだった。彼らは無知なくせに、大声で騒ぐことが好きで、政治のことや教会のことで新しいニュースが入ってくるたびに興奮して騒ぎ立てた。
英国は当時、ジェームス1世の統治下にあり、国教会は堕落した聖職者たちによって乱れ、キリスト教に対する不信が国中に渦巻いていた。権力者たちはおごり高ぶり、弱い者を虐げ、貧民はあふれ、犯罪は日を追って増えた。
毎日のように絞首刑が広場で行われたにもかかわらず、殺人や強盗、放火などが跡を絶たなかった。聖職者や貴族たちは、一般大衆の苦しみなど少しも思いやることがなく私腹を肥やし、形式だけの宗教を重んじ、過酷な法律により貧しい者たちを縛りつけていた。まさに暗黒時代とも言えるものだった。
このような世の中を憂い、進歩的な考えを持った人々は、ジェームス1世を退け、オランダのオレンジ公ウィリアム3世を英国に招き、新しい王とする運動を始めた。サムエル・ウェスレーも正しい人だったので、このような進歩派に属し、新しい政治体制を築くことに賛成の意を示した。
すると、たちまち彼は古い体制の人々の反感を買い、いろいろと嫌がらせをされるようになった。エプオースの村人も、彼が中央の権力者からにらまれているのを知ると、すぐに共謀して悪さを始めた。そして、牧師館に石を投げ込んだり、飼い犬や家畜を殺し、牧師館に火を放ったりしたのであった。
*
<あとがき>
ジョン・ウェスレーは、メソジスト派の教会を初めて作った人で、巡回伝道というそれまでのキリスト教界では考えられなかった方法を実践した偉大な伝道者です。彼の生涯を若い方々に紹介するのは、この上ない喜びです。
ジョンは幼い頃、教会の牧師館が火事になり、猛火の中から奇跡的に助け出されたという特殊な経験を持っています。これは彼にとって、神が自分に特別の使命をお与えになったという自覚を持たしめる特別な出来事でした。
母スザンナも、恐らくこの出来事を通して、息子が神から特別の使命を授けられていることを心に留めたのではないでしょうか。ウェスレーがその人生の第一歩を踏み出した時代は、まさに英国にとって暗黒時代と呼ばれたような時代でした。これから、どんな苦難が彼を待ち受けているのでしょうか? それとともに、どんな素晴らしい神の栄光を彼が目にすることでしょうか? ご一緒に彼の生涯をたどってみることにいたしましょう。
世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(2)友の重荷を背負う
11歳になったジョンは、父親の友人であるバッキンガム侯爵の援助でロンドンのチャーター・ハウス校に入学することになった。彼はよく勉強し、品行方正だったので教師たちから目をかけられ、かわいがられた。すると、級友たちはこれをねたみ、あの手、この手で嫌がらせをするようになった。
しかし、ジョンはこんな彼らを恨むことをせず、校長に訴えることもしないで一人で耐えたのだった。
ある時のことである。食事の時間に乱暴な上級生が隣に座った。彼は横目でジョンのことを見ていたが、その耳もとで脅した。「おい、そのおかずよこせよ」。しかし、ジョンは黙って食事をしていた。すると、彼はいきなりテーブルの下で、思いきりすねを蹴飛ばした。
「言うことを聞かないとひどい目にあうぜ」。「きみがおなかをすかせているなら自分の分をあげてもいいよ。でもきみは自分のおかずに手をつけていないじゃないか」
ジョンは静かに言った。するとこの上級生は彼の腕をつねり上げ、その皿からおかずを取り上げてしまった。
それから毎日、この上級生は彼の皿からおかずを奪い続けたが、ジョンは一言も教師に告げ口をすることなく、何と4年間もおかずなしで食事を続けたのだった。
またある日、こんなことがあった。ウィリアム・ホーキンスというクラスで一番乱暴者の生徒がジョンの教科書を隠してしまった。「お願いだから返してくれないか。先生に叱られるから」。必死で頼んだが、ホーキンスはふてぶてしく腕組みし、首を横に振った。「知らないねえ。自分で探してみろよ。まあ、きみはいつも優等生だからたまには叱られるのもいいんじゃないか」
そのうち文法の時間がきた。教師は、教科書をどうしたのかとジョンに聞いた。「あのう…」。ジョンは立ったまま、何も言えなかった。その時、一番前の席の生徒が言った。「ジョンが悪いんじゃありません。ウィリアム・ホーキンスがそれを体育館の後ろの倉庫に隠すのを見たんです」
ウィリアム・ホーキンスはそれを聞くと急に青ざめてガタガタ震え出した。教師は厳しい顔で彼に言った。「きみは近ごろ、下級生や弱い者をいじめてばかりいるそうじゃないか。今またクラスの友達にそういうひどいことをするなどもってのほかだ。きみの両親に手紙を書いて引き取ってもらうことにするから、処分が決まるまで自分の部屋で待っていなさい。もう教室には出ないでよろしい」
すると、この乱暴者はいきなり机の上に身を伏せると悲しそうにすすり泣きを始めた。この時、ジョンははっと胸を突かれた。ウィリアム・ホーキンスの家が大変貧しく、レンガ職人である父親が仲間とけんかをして相手を傷つけて刑務所に入っているので、病身の母親がその細腕で内職しながら子どもたちを養っていることを耳にしていたからである。ウィリアム少年は伯父の情けで何とか学校に行かせてもらっていたのだ。
机に身を伏せて泣いている彼の姿を見たとき、何ともいえないほどの同情とあわれみがジョンの胸から湧き上がってきた。
「先生」。いきなり、ジョンは立ち上がった。「実は、ぼくが教科書をあそこに忘れてきたのでした。ホーキンスが悪いんじゃありません」。クラスの級友は、あっけにとられたように見守っていた。
教師は壁にかけてあるムチを取ると、ジョンの痩せた体をしたたか打ってから、文法の授業が終わるまでドアの所に立たせておいた。ジョンは友人の心の痛みを一緒に分け合いながら、喜んでこの苦痛に耐えた。彼が悲しむ者、苦しむ者と重荷を共に背負ったこれが最初の体験であった。
やがて授業が終わると、ウィリアム・ホーキンスは彼の所にやってきて、そっと言った。「ウェスレー君、悪かった。本当にぼくは卑怯な人間だった。許してくれたまえ」。「ううん、いいんだよ。何とも思っていないから安心していいよ」。ジョンは静かに言った。
「それじゃあ」。ホーキンスは手を差し出した。「これから友達になってくれるかい?」「ああ、喜んで」。ジョンはしっかりとその手を握り返した。
このことがあってから、ジョンに意地悪をしたり、悪口を言う者は一人もいなくなった。
世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(3)潔い生活への招き
高等学校を卒業したウェスレーは、オックスフォードのカーディナル・カレッジに入学した。彼は相変わらずよく勉強したが、決して無口で偏屈な勉強家ではなく、友人との会話を楽しみ、極めて自由に大学生活を送っていた。しかし、経済的には苦しく、やっと授業料は払えたものの、日常生活は誰もが驚くほど窮していた。
友人たちは、部屋に閉じこもりがちの彼を気遣ってたまには町に出掛けようと呼び掛けたが、彼は勉強があるから――と苦しい言い訳をして断るのだった。すると、こんな彼の生活状態を察した親友のチャールス・デラモットは、友人たちと共に彼を食事に誘い、寮の食堂では味わえないおいしい料理を振る舞ったのだった。
そんなある日のこと。ウェスレーが昼食にも夕食にも姿を現さないので心配した友人たちが部屋を訪ねると、彼はふとんをかぶって寝ていた。前の日から何も食べていなかったのだった。デラモットが追求したので、仕方なくウェスレーは、食費が底をついたこと、郷里の両親も食うや食わずの生活をしているので、送金を頼めるような状況にないことを打ち明けたのだった。
「そうだったのか。なぜもっと早く話してくれなかったのだ」。富豪の商人の息子であるデラモットは、自分が必要だと言って実家からかなりの金額のお金を送ってもらい、それをそっくりウェスレーに与えたのだった。彼は心から感謝してこの友人の好意を受けたが、後になって少しずつこのお金を返済したといわれる。
そんなある晩のこと。寮の2階のウェスレーの部屋を誰かがコツコツと叩くので開けてみると、大学の門番が立っていた。
「あんた、ウェスレーさん? この手帳が門の所に落ちていましたよ」。そう言って、門番は懐から黒い手帳を取り出して渡してくれた。「ありがとうございました。落として困っていたところです」。ウェスレーが礼を言うと、彼は父親のような口調で言った。「こんな大切なもの、これからは紐でもつけておきなさるといい」。そして立ち去った。
この時から、ウェスレーはこの門番と親しくなり、いろいろと話をするようになった。そのうちに、この男が生まれこそ卑しく、学問も受けていなかったが、素晴らしい信仰を持っていることに気が付いた。彼は、いつの間にか夜になると門番小屋を訪れ、語り合うのが楽しみになった。
「さあさ、こっちへお入んなさい」。門番は、彼がいつ訪れても親切に招き入れ、1つしかない椅子を勧め、自分は床にしゃがんで話をするのだった。その椅子は、片足が取れていた。
「聖書にはな、こう書かれています。『あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」というようにならない前に、また日の光や月や星の暗くならない前に…そのようにせよ』とね」
門番は諭すように言うのだった。「あなたくらい若い時は、一番いい時です。でも、今しっかり勉強しておかんと、あっという間に時は過ぎてしまいますよ」。ウェスレーは、驚いて門番を見つめた。「わしは学問もなく、お金も一文もない哀れな男ですが、感謝でいっぱいです。このとおり、神様がこの懐にあふれるばかりのお恵みを下さっていますから」
「あなたはよく聖書を読んでいらっしゃるんですねえ。いつ勉強されたんですか?」「わしは字が読めませんし、書くこともできません。ずっと前からこの教会にご奉公して日曜日がくるごとに庭の草取りや掃除をしながら牧師先生がお話をされるのを聞いて、それを覚えたんですよ」。ウェスレーは、また感動した。
「わしはほんのわずかなパンと水がありゃ生きていけますのでお金は頂かないことにしましたよ。その代わり、一生死ぬまでここに置いていただけますんで、はい。皆さん親切にしてくださいますし、わしほどの幸せ者はおりませんです」
ウェスレーは、初めてその時、貧しい小屋の中を見回した。椅子と毛布と、粗末なベッドの他何一つなかった。この人は何も持っていないけれどもこんなにも心が豊かで、あふれるばかりの感謝と喜びを持って生活しているのだった。彼はこの時、はっきりと悟ったのだった。自分は神の前に潔(きよ)い生活をするために召されているのだということを。
世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(4)エプオース村の改革
1726年5月。ウェスレーはリンコルン大学の特待生に選ばれた。ここで彼は、神学、歴史学、詩歌、物理学、雄弁学、ヘブル語、アラビア語などを学んだ。成績がずば抜けて優秀だったので、ゆくゆくは大学に残って学者か教授になるだろうと期待されたのだが、意外にも彼は健康がすぐれない父親を助けるために副牧師となり、エプオースに帰ったのだった。
エプオース村は少しも変わっていなかった。昼間から酒を飲み、賭博をし、大声で流行歌を歌ったり、若い娘をからかったりしていた。また主婦たちは、あちこちの辻にかたまって低俗な世間話やうわさ話に明け暮れていた。彼らは、ウェスレー牧師の息子が学問を修めて帰ってきたことを知ると、たちまち好奇心と憎悪の目を向けた。
「見ろよ、ウェスレーのばか息子が帰ってきたぜ。おやじさんの代わりに説教をするんだと。笑わせやがらあ」。彼らは日曜日になると、ぞろぞろ教会にやってきた。これは説教を聞くためではなく、若い副牧師をからかい、ヤジを飛ばすためであった。そして、説教が始まると、いっせいに口笛を吹いたり、罵倒したりした。
「もっと大きな声で話せよ、この青二才!」教会堂は、罵倒で揺らぐかと思われた。しかし、ウェスレーは落ち着いて説教を終えると、最後にこう言った。
「私は確信します。信仰復興の運動がこの暗黒の地、腐敗しきった英国において起こることを! そして、その運動を最初に始めるのがこのエプオースの住民であるあなたがたであることを」
「くだらないことを言うな! 帰れ!」どこからか石が飛んできて、彼の額に当たった。彼は血が吹き出す額を押さえてしばらくうずくまっていたが、再び立ち上がった。――と、その顔が輝いた。病床にいるはずの父サムエル・ウェスレーがいつの間にか会堂の扉の所に立っているではないか。彼は力を得て、説教を締めくくった。
「人にはできないが、神はおできになる。私は今、はっきりと確信します。近いうちにきっとこのエプオース村が新しく生まれ変わるということを」
彼が講壇を降りると、人々はおとなしく帰っていった。父サムエルは、彼をつれて教会堂の庭に出た。そこにはちょうど若木になったばかりのさんざしの木が柔らかな芽をつけていた。
「この木を覚えているかい?」父は彼に言った。「これは昔、芽を出しかけたときに火事になって焼けてしまったのさ。ところが焼け跡から再び芽を出し、今ではこんなにしなやかで美しい芽をつける木に育った。だからジョンや、人の目には分からないが、神様はすべてを益としてくださるのだよ」
「ああ、本当です、お父さん」。ウェスレーは言った。「私たちのすべきことは、ただ種をまくこと。そして水を注ぐことなんですね」
その日からウェスレーはこのエプオースに留まり、3年の間父を助けて説教をし、村人たちに少しずつ感化を与えていった。村の人々と交わるうちに、彼は20代、30代の若者たちが昼間から酒を飲んで仕事をなまけたり、賭けごとをしたり、悪い遊びをするのを見て心を痛めた。彼らは生活に希望が見いだせず、将来の夢もなく、ただぶらぶらと毎日を過ごしているのだった。
ウェスレーは努めてこれらの若者たちと言葉を交わすようになり、彼らの家を訪問したり、彼らを食事に招いたりしてその話に耳を傾けるようにした。すると次第に彼らは心を開き、ポツリ、ポツリと話をするようになった。集団になると悪いことをする者も、一人一人向き合えば、それぞれ孤独で、悩める魂を持っていることが分かったのである。
ウェスレーは、言葉ではなく行いによって彼らに感化を与えたいと考えた。彼は4時に起き(これはウェスレーの4時起きと呼ばれ後々まで有名になった)、勉強し、家族と朝食をとってから村人と一緒に畑仕事をした。その後、村人たちを訪問して語り合い、病人を見舞い、悩んでいる者の相談相手をした。夕食後は集会に出掛け、帰ると深夜まで勉強し、就寝。
このようなウェスレーの努力が実り、いつしか村人の間から悪い習慣が消えていった。また俗悪なむだ話や人の悪口も聞かれなくなり、殺傷やけんかも見られなくなって、代わりに賛美の歌声が農家から流れるようになった。そして、彼らのあいさつの中に祈りの言葉が織り込まれるようにさえなったのだった。
*
<あとがき>
ジョン・ウェスレーの生涯は、まず生家である教会の牧師館に放火されたことが幕開けとなりました。エプオース村の住民というのは、倫理的に意識が低く、昼間から酒を飲み、賭博に興じ、若い娘をからかったりするような人たちばかりでした。ウェスレーが大学教育を終えて故郷に帰り、健康がすぐれない父親に代わって礼拝説教をすると、待ってましたとばかり、彼らは大声でヤジを飛ばし、罵声をあびせるのでした。
父のサムエル・ウェスレーは、そんな息子を庭に連れ出し、さんざしの若木を見せます。それは、芽を出しかけたとき、火事で焼けてしまったが、今ではしなやかな美しい若木に成長していたのでした。父は彼を諭します。「人の目には分からないが、神はすべてを善しとしてくださるのだ」と。その言葉に力を得たウェスレーは、訪問や共に食事をして交わりを深めるといったやり方で若者たちの心をつかみ、エプオース村の改革を成し遂げたのでした。
世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(5)隣人愛を実践する
1729年11月22日。ウェスレーは助教授および学生指導官としてオックスフォード大学から招かれた。彼は健康のすぐれない父をエプオースに置いて出るのがためらわれたが父自身の勧めから、この話を受けてオックスフォードに赴いた。
弟のチャールスもすでに学位をとり、この大学に在籍していた。2人は再会を喜び、友人のウィリアム・モルガン、ロバート・カークハムも加えて集会を持つことを決めた。彼らは週2回、学校内の決められた場所に集まり共に祈り、聖書を読み、互いに励まし合った。そのうちこの集会は参加する人も増えたために会議室を借りることになった。
そのうち、メンバーの一人のモルガンが、ただ聖書を読み共に祈るだけではなく、社会に出て「隣人愛」を実践していこうではないかと提案した。一同はその言葉に打たれ、集会の合間にこの町に住む病人や物乞い、身寄りのない人々を訪ね、慰めることから始めた。
町の中央通りから一歩裏町に入ると、恐ろしい世界が展開した。汚らしい身なりをしてうろつき、お金をせびる子どもたち。彼らは通行人に悪態をつき、何人か組になってスリや万引きをしていた。むっとするような悪臭漂う町中には、酒に酔ってけんかをする者や昼間からふざけ合って下品な声を上げる男女もいた。また、なすこともなく辻にうずくまっている体の不自由な者や物乞いもいた。近所の家々からは口汚くののしる声や怒鳴り声が聞こえる。
そうした家々を訪ねるうちに、誰からも面倒をみてもらえず、一人寂しくわらの寝床に横たわる病人や、大勢の子どもを抱えて内職をしているどん底生活の女性たちが多いことにウェスレーたちは衝撃を受けた。彼らは病人の枕元に座って聖書を読み、祈ってあげた。また、生活に疲れた人にはイエス・キリストの愛と、この暗い世にあってもなお望みを持って生きるべきことを伝えた。自殺しようと1本の縄を枕元に置いた病人もいた。不治の病に侵され、生きる希望を失っていたのだ。ウェスレーたちは、彼の手を取って聖書の中から慰めの言葉を語った。
「ありがとうございました」。病人は涙を流して言った。「まだ自分にできることがあるということが分かりました。家族や、もっと気の毒な人のために祈ることにいたします」。こうして彼らは、町の辻から辻へと歩き、絶望している人たちにキリストの恵みを伝えて回ったのだった。
「ばかやろう! 何を寝言言ってるんだ!」心の荒れすさんだ人は、こう罵声をあびせかけ、石を投げつける者もいた。しかし、これらの人々の心に、神の慰めの言葉は少しずつ入っていったのだった。
この集会が始まって1年ほどたった頃、ジョージ・ホイットフィールドが入ってきた。彼こそウェスレー兄弟と終生うるわしい友情で結ばれた人物だった。ホイットフィールドは大胆にイエス・キリストの恵みを証しして、たちまち皆の注目を集めた。彼が入ってしばらくたつと、この集会は大きく盛り上がり、「ホーリー・クラブ」という名が付けられた。その名が示すように、この会の趣旨は神に喜ばれる潔(きよ)い生活をすることにあった。互いに励まし合いながら信仰に堅く立ち、絶えず向上していくために熱心に勉強すること。そして社会に出ていって生きる望みを失いかけている隣人に奉仕し、キリストの恵みを伝えること――これが二大原則であった。
その年の8月24日のこと。「ホーリー・クラブ」のメンバーが集まって祈っているうちに、一同は神の愛に迫られ、心が熱く燃え立つのを覚えた。
「皆さん、この『ホーリー・クラブ』こそ、この暗黒の英国社会に光を掲げ、キリストの生きた証人となるものではないでしょうか」。ホイットフィールドが突然叫んだ。「この小さな祈りの団体が、もしかしたら英国を変えるほどの力強い働きをするようになるかもしれません」
「私の父がよく言っていました」。ウェスレーも、頬を紅潮させて言った。「信仰復興の運動が必ずこの英国に起こるということを。そして、罪と不信仰の中にあって暗黒の生活を送っている多くの人が救われるようになるということを」
「この『ホーリー・クラブ』がその初穂となるのですね」。チャールスも顔を輝かせて言った。一同はその場にひざまずき、時が来たら、われらをそのためにお用いください――と祈るのだった。
*
<あとがき>
「潔めの信仰」とか「潔い生活をする」と言うと、現代の人たちは、酒・タバコをやらずギャンブルはもちろんのこと、あらゆる享楽を遠ざけ、ひたすら祈りと善行に励む――といったことを想像するに違いありません。しかし、本当は、潔めというのは、こうした生活習慣や生活態度を指すのではなく、まず自分が一人の罪びとであることを自覚し、それにもかかわらず罪ゆるされ、あふれるばかりの恩寵の中で生かされていることへの感謝そのものを言い表すことなのです。
それ故、ウェスレーたちが小さな祈りのグループ「ホーリー・クラブ」を作ったとき、まず社会の底辺にある人に福音を伝え、またできる限り生活の援助をしようとしたのは、そうした神の愛に対する感謝のしるしとして、隣人愛の実践をしたことにほかなりません。まさにヤコブの手紙で述べられているように「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を潔く保つことにほかならない」のであります。
世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(6)メソジスト教団の結成
さて、大学内に賛美歌が響き渡るようになると、教授や一部の学生たちは眉をひそめるようになった。
「あの人たちは会議室を使って集会ばかりやっているじゃないか。耳ざわりだよ」。「それに、うわさですが、彼らは貧民くつに行って病人と話をしたり、物乞いに食物をやったりしているそうですよ」
「ホーリー・クラブ」が盛んになるにつれ、大学内には次第に反感が高まってきた。教授たちにとってみれば、オックスフォード大学は教養のある人が集まる所であり、高度な水準を持った学問の研究機関であった。それが一部の奇妙な人たちに会議室を独占され、彼らは毎日声高らかに祈ったり、賛美歌を歌ったりし、学生に呼び掛けて祈祷会を開いたりしているのだ。さらに、集団で裏町の貧民くつに出掛けてゆき、無知で道徳的に低い人たちと交わり彼らの世話までしているというのだから、どうにも我慢できないことであった。
一方、学生たちも、教授に同調してこのグループの悪口を言い、こきおろした。彼らは授業が終わると、行きつけの酒場に行き、一杯やりながらこのグループのうわさをしたり、物まねをしてはやし立てるのが習慣になった。
「そうだ、いいあだ名を思いついたよ」。ある学生がグラスを高く上げて言った。「それは何だい?」「つまり、やつらはきちょうめん屋――メソジストだ」
「メソジスト! ぴったりじゃないか」。彼らは、どっとはやし立てた。
その頃、ウェスレーたちは、一人の男の臨終をみとるために裏町のみすぼらしい大工の家にいた。その男は、仕事中に足を滑らせて屋根から落ち、大けがをして医者からもう助かる見込みはないと言われたのだった。床にぼろぼろの布団を敷き、そこに男は横たえられていた。彼にとりすがって、妻と子どもが泣いていた。
その時、突然男は呻き声を上げた。そして迫り来る死に抵抗するように目をかっと見開き、しびれて動かない体を必死で動かそうとした。妻は、ウェスレーにすがりつくようにして頼んだ。
「先生、この人死ぬのを怖がっているんです。何とか言ってやってくださいな」。ウェスレーは、今にも息を引き取ろうとしている人の上にかがみ込み、その手をしっかりと握って聖書を読んでやった。
「あなたがたは心をさわがせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家にはすまいがたくさんある」(ヨハネ14:1〜2)
すると、男はしきりに胸の上で十字を切っていた。その意味を感じ取ったウェスレーは、器に水を入れてきてもらい、死にゆく者に洗礼を授けた。「父と、子と、聖霊の名によって、あなたにバプテスマを授けます」。その場にいた者たちは、声をそろえてアーメンと言った。
すると、その時である。恐怖と苦痛に歪んでいた男の顔が変わり、平和と喜びに満たされ、彼はまるで遠くの空を仰ぐように目を上げた。それから、感謝するようにウェスレーの方を見て笑った途端に、息が止まった。最後に、疲れた労働者がその仕事をなし終えたときのように、ほっと幸福そうな吐息がその口から漏れたのをウェスレーは聞いた。
すでに汚らしい部屋は神聖な場所に変わっていた。ウェスレーは小さな娘の手を握りしめると言った。「お父さんはね、神様を信じて平安のうちに天に召されたんですよ。あなたもイエス様を信じていたら、また天国でお父さんに会えますからね」
「先生」。その時母親はきっぱりと言った。「ありがとうございました。私どもも勇気を出して、何とかやっていきます。私と娘にもどうか洗礼を授けてくださいまし。そうすれば、天国で主人と会ったとき、喜び合えますから」。その場で、母と娘もただちに洗礼を受けた。
「これを葬式の費用にしてください」。その時、ジョージ・ホイットフィールドがポケットからありったけの小銭を出してこう言うと、「ホーリー・クラブ」の者たちもわずかずつ小銭を集め、1ポンドほどになった。彼らはこれを母親に渡して、この家を出た。
「よう、メソジストの先生方!」家の前にいた学生たちがはやし立てた。「きちょうめん屋さんたち!」しかしこの時、ウェスレーたちはこのあだ名を喜び、自分たちの教団の名称としたのだった。
*
<あとがき>
「ホーリー・クラブ」という小さな祈りのグループが、やがては伝道と社会事業によって暗黒の英国に光をもたらすようになろうとは誰が予測したでしょうか? その中には不思議な神様の摂理があったのでした。「メソジスト」という言葉は、英語で「きちょうめん屋」との意で、大学の中で生まれたあだ名でした。ウェスレーたちに反感を持つ教授や学生たちがこの祈りのグループをこう呼んではやし立てたのですが、彼らはこれこそ自分たちの活動にふさわしい名前だとして神様から頂戴したのでした。
「メソジスト教団」はこうして生まれ、やがて素晴らしい活動の第一歩を踏み出しました。刑務所伝道、病院や孤児院訪問、炭坑の町での教育活動など、まさに社会から見捨てられた人々に向けて力強く福音が語られ、その生活への支援がなされたのです。まさに、英国の地獄のような無法地帯に、恩寵の光が射し込んだ瞬間でした。
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