17 かりそめの宴

 稲月史緒は、その日、上機嫌だった。


 ――推しの配信をリアタイリアルタイム視聴出来る♪


 しかも、仕事で使っている端末のディスプレイに堂々と表示できる。流石に、全画面化は出来ず、ディスプレイの隅にウィンドウを置くことになるが。それでも、プライベートで使っているメガネ型の通信端末にこっそり表示させるよりは、解像度が高く、はっきり見ることができる。


 そのメガネレンズ兼用の通信端末のディスプレイの片隅では、彼女がアバターとして使っているタヌキのキャラクターが鼻提灯を膨らませながら眠りこけている。


 ただ、結局は、休日の自宅にいる時間帯に配信するのが、一番理想的なのは変わらない。


『なんで、平日に設定したんだ!』


 今回の配信をセッティングしたダンジョン生態系研究振興協会の広報課への文句は、心の中だけに留めるのでなく、ファンコミュニティで漏らしている。


 その担当者である同じ大学出身で3歳年上の彼、益田正人のムカつく顔を思い出してしまうと、さらに文句は増す。協会に出向してくる前、経済産業省にいた時は素っ気ない対応だったのが、同じタイミングで出向してからは折に触れて、嫌味を言われたり、マウント取りに来る。顔を合わせないようにしても、向こうからやってくるから、腹立たしい。仲の良い同期からは、


「それってライバル視されているんじゃないの?」


「史緒は私たちの年次の中で一番の有望株だからね」


 などと言われたが、


 ――迷惑だ。


 の一言に尽きる。出世競争には全く興味がない。ただただ、割り振られた仕事をやるだけ。


 でも、協会に出向させられたのは、上が史緒に期待している証でもあった。配属されたパテント支援課は新発見をした探索者が正当な報酬を得られるように取り計らったり、その応用をダンジョン発の知的財産として守るために動いている。つまり、これからの日本経済を左右する、場合によっては世界も揺るがすダンジョン発の新情報が集まる重要部署。


 もちろん、これも史緒にとっては、


 ――面倒くさい。


 の一言で終わってしまう。


 興味は無い。給料を貰えれば十分。そこから、推し活に必要な金が出る。


 とりあえず、このことは脇に置いて。


 ダンジョン生態系研究振興協会には、ダンジョンに関することなら全て関わるという性格と、組織が立ち上がってからまだ日が浅い事情から、様々な人が各所から集まって働いている。協会が内閣府の外郭団体という位置づけのため、内閣府の官僚たち。海外の類似の組織との交渉があるから、外務省。モンスターが地上に出てくる可能性に備えて、防衛省。モンスターを倒す武器の管理監督から、警察庁。ポーションを医薬品行政の範囲と見ている厚生労働省も。他にも、国土交通省、総務省、etc。さらに、ダンジョン発の新情報を狙った企業も。


 中でも、史緒たちがいた経済産業省はとりわけ力を入れている。ダンジョンから取り出される物資が今後の日本経済、ひいては世界経済に大きな影響を及ぼすと考えているからだ。実際、ポーションを始め、経済に及ぼす影響は徐々に大きくなっている。だから、元大学教授でお飾りの理事長に代わって実務を取り仕切るNo.2の専務理事には前事務次官を据え、他の送り込む人材も選りすぐりの精鋭ばかり。


「経済産業省が協会を植民地にしようとしている」


「それを阻止しようと、各省庁に大企業も加わって縄張り争いの暗闘を繰り広げている」


 なんていう言葉は、陰謀論大好きな外の人間が唱えること。中の人間はただただ与えられた仕事を真面目にこなすだけ。……一部を除いて。


『はーい! 今回の私たちのエスコートを担ってくれる探索者の皆さんを紹介します! 「レッドフラッグ」の皆さんです! どうぞっ!』


 始まった配信から聞こえる明るい声音に史緒のテンションが上がる。同時視聴者数の数字を見て、


 ――おうおう。1万人越えてるよ。

 ――大丈夫か? 平日の昼間だぞ。

 ――キツネは確か「有休をとる」って言っていたけど、チビ子ダヌキは学校か。授業中にこっそり見てんかもな。


 「スターライトセレナーデ」のファンコミュニティでの知り合いの顔を思い浮かべる。


 だけど、同時に、聞こえた内容に、史緒の眉間にかすかなしわが寄る。


 ――「レッドフラッグ」? そんなマイナーパーティー呼んでどうすんだ?

 ――確かに、最近人気が出てきているようだけどさ。

 ――もっと良いチームあるだろ。「醜の御楯」とか「サイバーヴァイカルズ」とか「竜のねぐらを見つけ隊」とか。


 知っている探索者パーティーの名前を頭の中で思い浮かべながら、片手間に「レッドフラッグ」のことを協会のデータベースで調べてみる。


 データベースには全ての探索者が登録されている。ライセンス発行時に必要な個人情報から、これまでに受けた依頼の成否、探索計画書の実践度、といった様々なデータを専用AIに解析させて、最高A最低Fの5段階に格付けした非公開の評価も。


 史緒の眉間の皴がはっきりと深くなる。


 ――全員F! なんでこいつらをエスコート役にした?!


 非公開の評価のため、協会が評価の差で探索者をあからさまに優遇したり差別したりすることはない。高評価だと、赤羽大立坑のゴンドラの予約のキャンセル待ちが少しだけ繰り上げられたり、協会での書類手続きが少しだけ早く処理されたり、とその程度。優遇を受ける彼ら自身、こうした措置を口にしないどころか、気付くこともあまりない。それでも、噂レベルでは探索者の間でも評価の存在は知られている。優遇を受ける探索者の多くが深層を活躍の場とする有力探索者であるから、「仕方がない」と目をつぶる。


 では、逆に低評価だとどうなるか? 何もしない。優遇されるのはBランク以上で、Cランク以下の扱いは変わらない。評価が低いほど、


「より早くデータベースから消えるだろう」


と見るだけ。自ら探索者を止めるか、ダンジョンの中で死ぬか。


 ただし、協会が直接出す依頼にD以下の評価の探索者に受注させない。確実な成功を、少なくとも年度内に達成することが求められるから。その実現のために、担当者は直接探索者へアプローチする。そして、OKを得たら、依頼表に割り振られた通しナンバーを伝える。普通に検索したのではなかなか見つからないが、ナンバーさえあれば一発でヒットする。どうして、手間のかかることをするのか。国際的に定められた原則を守る必要があるから。


「探索者は何人にも強制されずに自由に探索する」

「探索者は平等に扱われないといけない」


 これらの原則が守られていない国からは、ポーションを始めとするダンジョンに関連する国際市場にアクセスすることができない。民主主義の欧米諸国が中心になっているのだが、これに中国も加わっているから、比較的実効性のある国際的な枠組みになっている。


 この原則から全ての依頼が公に公開される。依頼する側は探索者を選ぶことができない。探索者は平等に自由に選んで好きな時にこなす。実力が足りなくて、断念することも自由。別の探索者によって先に達成されることもあるが、そこは早い者勝ち。逆に、いつまでも達成されないこともある。


 となると、期日と確実な成功を求められる依頼はこの仕組みでは都合が悪い。依頼者は目を付けた探索者に直接アプローチすることになる。合意を得たら依頼をシステムに登録する。この時、「お役所仕事」と揶揄やゆされる検索システムが役に立つ。都合の悪い別の探索者の目をくらますことができるから。こうしたことを含めて、出向前後に受けさせられた様々な研修で史緒は散々叩き込まれた。閑話休題。


 ――まあ、いいか。

 ――肝心なのは、周りに隠れている護衛の探索者パーティーなのだから。

 ――そこをAとBで固めていたら、実質的な責任者の広報課長もGOサイン出すだろう。


 と、そこまで思考が至ったところで、史緒のメガネ型端末に着信が入る。映りこんできたキツネのキャラクターが寝入っているタヌキを見ると、そのまま蹴飛ばし、無理やり起こす。それから、一通の手紙をタヌキの頭の上に置いて去って行った。手の込んだアクションな演出を目にして、史緒の眉間の皴が少し消える。


 だけど、送られてきたメッセージを見ると、再び皴が深くなった。


 ――キツネが依頼表を見つけられない? どういうこと?


 ファンコミュニティーでキツネのアバターを使っている中身のことは、ある程度知っている。ホワイトハッカーとしてセキュリティ企業で働いていて、さらに情報のエキスパートでもあることを。その彼女が、晴菜たち「スターライトセレナーデ」のダンジョン配信の依頼表が見つけられないとなると、普通ではない。


 ――まさかと思うけど、依頼表をシステムに登録していない? 公開してない?


 それは協会の内規違反で懲戒の対象になりうる。さらに、探索者への非公開依頼は、ダンジョン依頼システムの利用規約違反にもなる。最悪、システムから追放だ。


 史緒の眉間から皴が無くなり、代わりにその顔色が悪くなる。


 ――協会がシステムからBANなんて全然笑えない。

 ――あ! それとも、協会公式配信には特例があるとか?


 切羽詰まる気持ちで調べてみても、そんな特例はなかった。むしろ、逆。事故が決して起きないように、配信参加者の安全を守る細心の配慮がされた、ガチガチに固められた内部ルールが見つかった。参加する探索者は80%以上を評価Bまたは評価Aの探索者で構成すること、評価E以下の探索者は排除すること、協会の危機管理部に所属する危機対応チームをバックアップとして待機させること、遅くとも2週間前までに関係者全員の顔合わせを行うこと、など。


 ルールを作ったのは正人の前任者。ダンジョン配信を人気沸騰中の今にまで広げた立役者。協会公式配信を立ち上げたのもこの人。今は、出向元の経済産業省に戻り、協会での成果が評価されて出世している。


 「面倒くさい」なんて考える暇も無く、協会内部の文書データベースから広報課の書類を探し始める。


 ――あった。……けど、なにこれ?


 広報課に関する決裁書から芋づる式に引っ張り出した複数の書類から、史緒が見て取れたのは目をそむけたくなる現実。つまり、今行われている配信に参加しているのは「レッドフラッグ」の1パーティーだけ。


 ――危機管理部は何をやっている!


 ダンジョンの危険を未然に避けるために日夜活動している同僚たちの怠慢を罵る。ダンジョン内に設置した通信基地局を使った定点監視から、モンスターの地上への進出を警戒している危機管理部は、他にも、探索者がダンジョンに入る際に提出が義務付けられている探索計画書のチェックも行っている。これまでの探索経験から明らかに過大な計画を立てている探索者に警告を与えたり、場合によっては入場禁止にすることもできるが、


 ――くそ! あのFども、計画書に嘘を書いていやがる。

 ――だから、お前らはFなんだよ!


 虚偽記載されたら止めるすべはない。AIを使った動画解析で配信映像から探索計画書どおりかチェックする仕組みはあるが、ランダムに抽出されたサンプル調査だから、引っかからずにバレなければペナルティは与えられない。全数やるには、協会が持つ量子コンピューターのキャパシティー余力が足りない。それにチェックされるのは地上に戻った後になるから、今の彼らを制止するすべはない。


 ――どうする? どうしたらいい?


 はっきり言わなくても、正人の失敗の尻拭いをするなんてまっぴらごめんだった。


 それに部署も違う。正人は総務部広報課、史緒は物資調達部パテント支援課と大きく違う。


 だけど、


 ――推しの安全のため!

 ――万が一、彼女たちに何かあったら、死んでお詫びしてもお詫びしきれない!


 腹をくくった。



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