16 土竜と彼女、互いに想いをはせる

 晴菜たち「チーム・スピカ」の3人がダンジョンに入る日。だけど、


 ――胸騒ぎがする。


 数日前から、伸忠は不安が収まらなかった。単純に、親友の妹が危険な場所ダンジョンに入るから、それが「心配で心配でたまらない」だけだったらよかった。


 この日の配信を主催するダンジョン生態系研究振興協会は、配信を使ったイメージ改善を図る活動から、自らが運営する配信チャンネルで、有力なダンジョン配信者とコラボしたり、その配信者の案内で探索者ではない著名人をダンジョンの中に連れて行ってダンジョンでの探索の一端に触れてもらったり、そんな企画を積極的に行っている。


 これまでダンジョンの中に入った著名人は男性アスリートが多かった。もちろん、女性が皆無だったわけではないが、こちらもアスリートばかりで、女性アイドルが協会の公式チャンネルの企画でダンジョンの中に入ることはこれまでなかった。


 そして、配信が映っていない所では手厚いフォロー体制が毎回敷かれていたのは、探索者界隈ではかなり知られた話だった。ある回では、護衛のために、凄腕の深層探索者のパーティー3チームに依頼を出し、さらに協会が抱えている危機対応チームもすぐそばに待機させる、徹底ぶり。


「モンスターが大量発生しても絶対に逃げられる」


とも探索者の間では囁かれていた。


 ――だから、晴菜ちゃんたちがダンジョンに潜っても安全は確保されている


 「はず」を確信にするために、伸忠は依頼表を探した。協会が今回の企画のために護衛を依頼するものだ。配信に直接顔を出すエスコート役の探索者パーティーはすでに公表されている。「レッドフラッグ」という伸忠の知らないパーティーだった。


 けれど、本命は配信には姿を現さない護衛役。


 探索者への依頼は、全て協会のHPに掲載されて公開されている。法律で義務付けられている。協会が出す依頼も例外ではない。


 依頼表には、依頼内容が書かれている。いつ、何階層のどのあたりで、どんな内容で配信を行うのか、そのためにどういう護衛をするのか。依頼を引き受けた探索者も全て記されている。引き受けた探索者の名前を伸忠が知らなくても、配信チャンネルを探すなり、顔の広い「居酒屋までま」の店主の直章に聞くなりすれば、どんな探索者かがわかる。だから、依頼表を見れば、心配の種は解消する。はずだった。


 見つからなかった。


 依頼主の「協会」でキーワード検索しても、正式名称の「ダンジョン生態系研究振興協会」でも、英字の略称でも、見つからなかった。


 ただ、これはいつものこと。協会の依頼検索の評判が悪い理由、それはキーワードが完全に一致しないと検索結果に出てこないこと。


 公式チャンネルを運営している「広報課」をワードに追加してみた。よく使われるパターンで、「協会」と「広報課」の間にスペースを挟んでみた。全角、半角、両方試した。「広報課」の上位部署も追加してみた。思い浮かんだありとあらゆるワードの組み合わせを試してみた。


 ――見つからない。


 ダメもとで、ウェブ上でオープンにされている「スターライトセレナーデ」のファンコミュニティから、依頼表を見つけ出した人がいないか、探してみた。


 ――見つからない。


 伸忠の不安は増すばかりだった。


 「までま」で他の客たちが話していた、


「今年に入ってから協会広報課の仕事が劣化した」


という噂話を聞いた記憶も不安を後押しする。


 そこにさらなる燃料をくべることが。


 日付が変わったタイミングで公開された配信ページには、


『現役女性アイドルが初挑戦!! 赤羽大立坑から巣鴨大斜道まで第5階層を走破!!』


と内容を告げる文字があった。


 赤羽大立坑は東京ダンジョンへのメイン入口の1つ。深層部まで貫く竪穴が地上に姿を現している。開口部から吊り下げられるゴンドラに乗って、ダンジョンの各階層まで降りることができる。もう1つの入口、巣鴨大斜道は目的の階層まで延々と歩かなければならないため、赤羽大立坑のゴンドラは深層部で活動する探索者たちに利用されることが多い。そして、利用するには予約が必要で、最短で使えるのは半月先。


 それよりも問題なのは、


 ――赤羽から巣鴨までダンジョンを走破って、未経験者にやらせることではないぞ。


 直線距離だと約5km。地上なら歩いて1時間強で着くことができるが、舗装されたアスファルトの道とは無縁のダンジョンの中だ。地上で例えるなら、ライオンを始めとする肉食獣も闊歩するアフリカの乾季のサバンナを徒歩で歩くことだろう。ただし、アフリカでライオンに襲われたら銃で反撃できるが、ダンジョンでは銃は使えない。


 ――誰だ? この企画を考えたのは。

 ――護衛を引き受けた探索者も止めなかったのか?


 怒りを感じたが、配信ページや晴菜たちのSNSのアカウントには応援するメッセージしか書かれていないのを見て、


 ――……。


 一般の人との認識の違いに無力感さえ感じてしまった。


 地上でのんびりと配信を見る気にはなれなかった。


 だから、ダンジョンに入ってみることにしたら、伸忠の不安な心にまたさらにガソリンのような燃料をくべることが。


 ――空気が違う。


 横にいたフェリの顔つきも厳しいものに変わる。


 スキル「観察」が危険を告げて来る。下層にいるモンスターが上層に上がってくる兆候だった。


 「アッパーモンスター」「特定モンスター」などと呼ばれる上がってきた強力なモンスターに、この広いダンジョンの中で鉢合わせする確率は高くない。が、こういう時、ダンジョン全体のモンスターの狂暴度が上がる。下層からモンスターが上がってくると、近くにいたモンスターは一斉にその場から離れる。離れたモンスターは移動した先を縄張りとするモンスターと衝突する。行動パターンが変わる。普段、攻撃しない限り反撃しないモンスターが自ら攻撃して来たり。縄張りから出ないモンスターが縄張りから出て、攻撃して来たり。当然、探索者として対処するセオリーも滅茶苦茶に変わってくる。リスクが非常に高くなる。


 普段なら、伸忠は回れ右をして、住むアパートに戻る。数日、長くても1週間たてば、「アッパーモンスター」の場所と種類が特定され、協会から討伐依頼が出る。そして、何事も無かったようにダンジョンは元に戻る。それを待つ。


 安全第一。危険には近寄らない。リスクは取らない。だけど、


「フェリさん。すみませんが、付き合ってもらいます」


 キュッと唇を噛み締めた口にした言葉には、自分が切れるカードが少ないことへの無力感が乗っている。


 ――もしも、普段から協会と密に関係を持っていたら、そこから警告を上げられたかもしれない。

 ――もしも、「スターダスト・セレナーデ」を運営する薫子と連絡を取っていたら、彼女に中止するように言えたかもしれない。

 ――もしも、……。


 そんな堂々巡りは捨て去る。


 フェリが、上を見上げた後、「仕方がない」と言わんばかりに目をわずかに細めた。


 その様子を確認することなく、伸忠は、ただ、前に足を一歩踏み出す。


 


 *


 


 ガコン。


 わずかな振動の後、ゴンドラが下に降り始めた。


 眼下に広がる赤羽大立坑の深い暗闇を晴菜の目は捉えていた。その心は、未知の空間に踏み入る恐怖と、憧れの人伸忠が活躍する空間に踏み入るドキドキ、さらに他にも色々な感情が入り混じっていた。


 晴菜が初めて伸忠に会ったのは7歳の時。ショッピングセンターの中にあったゲームセンターで家族とはぐれた時だった。休日で、彼女たちの同じような家族連れで混雑していた。


「おにいちゃ……あ。……ご、ごめんなさい」


 兄の真嗣だと思って、後ろから服を掴んだら、違った。同じグレーのパーカーを着ていた伸忠だった。


「……お兄ちゃんとはぐれたのかい?」


 しゃがんで目線を合わせてきた伸忠の問いかけに、晴菜は首を少しだけ縦に動かした。


「……じゃあ、一緒に探そう。目印はあるかな?」


 その後すぐに合流できたのだが、その時、真嗣と伸忠は互いに高校の同級生ということに気が付いた。


 これをきっかけに親しくなった2人は一緒に過ごすようになり、しばしば真嗣は家に伸忠を招くようになった。家には幼い晴菜もいたから、3人で遊ぶことが多かった。


 幼い子供を邪険にしない、一緒に遊んでくれる年上の男性。晴菜の心の中の憧れが淡い恋心に変わるのに、時間はかからなかった。不貞腐れる真嗣シスコンには、


「おにいちゃん、邪魔」


の一言で退治した。


 そして、伸忠が東京の大学に進学するために会えなくなることを知った際、


「ヤダヤダヤダ! 行っちゃヤダ!」


 泣いて盛大に駄々をこねたのは、今の晴菜にとって最大の黒歴史。


 でも、本来はそれでお終いになるはずだった。幼い頃に抱いた甘酸っぱい初恋の記憶になるはずだった。実際、泣いて駄々をこねた1カ月後には、伸忠がいない日常を晴菜は笑顔で過ごしていた。


 転機は5年後、晴菜15歳の時の真嗣の死。働いていた会社のビルの屋上から、真嗣が飛び降りた。霊安室で再会した姿は、やせ衰え、変わり果てたものだった。いつも顔に浮かんでいた笑みは影も形も無く、恐怖と怯えで染まっていた。別人と思いたかったし、そうでないと分かっても、なかなか認められなかった。大学卒業後一人暮らしを始めていたから、姿を見たのは半年ぶりだった。「仕事が忙しい」を理由に週末も帰ってこなかった。「様子を見に来る必要はない」と来るのも拒まれた。


 ――どうして、もっと早く様子を見に行かなかったのか。


 晴菜も両親も同じ後悔を抱いた。


 その日から、彼女の家から笑い声が消えた。会話も最低限になった。下手に口を開いて、誰かを傷つけないように。


 互いが腫れ物に触るような空気は息が詰まった。まるで、呼吸をする人形がいる、そんな空間になった。


 そんな時、


 ♪~


 晴菜の部屋に着信音が響いた。鳴らしたのは真嗣が使っていたプレートタイプの通信端末。


 ――ウザッ。


 何かする気もおきなく、ベッドの上でゴロリと寝転がっていた晴菜は最初そう思った。でも、その着信音は、


『ノブお兄ちゃんからだ!』


 伸忠からの着信にのみ割り当てられていたメロディー。かつてはその音を聞いただけでテンションが上がったことを思い出した。同時に、その時の真嗣の顔も。妹の愛らしい姿を見られた喜びと呼び起こしたのが自分ではないことへの嫉妬に入り混じったその顔は、幼い晴菜に「仕方ないなぁ、おにいちゃんは」と兄妹の繋がりを感じさせるものでもあった。


 ベッドから起き上がり、勉強机の片隅に放置していた真嗣の端末を手に取ると、バッテリーが残り3%になっていた。慌てて、充電を開始する。それから改めて、メッセージを確認する。


伸忠 : 久しぶり。どうしてる?


 これまでのやり取りの履歴を確認すると、前回から3年ほどの空白があった。


 ――なんて書いて返そう。


 兄の死を告げることが真っ先に思い浮かんだ。


 けれど、正直に書くと、伸忠とのつながりが切れるような気がした。指が動かなくなった。


真嗣 : 家でゴロゴロしてた


 気が付くと、こんなことを書いて送っていた。


 ――どうしよう!!

 ――嘘吐いちゃった!!


 半分パニック状態になるものの、再びの着信音が身体を固まらせる。


 それから、恐る恐る端末を確認すると、


伸忠 : そっか


 素っ気ない一言。


 でも、そこに、なぜか、晴菜はなにかうすら寒いものを感じた。


真嗣 : そっちは今何してた?


 先程とは別の意味で、恐る恐るメッセージを送る。


 間が空いた。


伸忠 : 会社でイヤなことがあって凹んでた


 そのメッセージは晴菜の背中にゾゾゾッと寒気を走らせた。


 直感だったのか、単に真嗣のことと重なっただけなのか、は今でも分からない。でも、


真嗣 : 余計なおせっかいなのは十分分かっているが

真嗣 : もし そのイヤなことがずっと続いていることだったら

真嗣 : そんな会社 辞めちゃえ

真嗣 : 辞めろ!


 気が付いたら、連続でメッセージを送っていた。再び、間が空いた。


 ジリジリとした時間が晴菜の心を削っていった。


 着信音。


伸忠 : ありがとう。


 今度のには寒気は感じなかった。むしろ、背負っていた重い荷物を下ろしたようなホッとした感情が伝わってきた。晴菜の心にもホッと安堵の気持ちが広がった。


 しばらくして、


伸忠 : 会社辞めてきた


と送られてきた。


真嗣 : おつかれさん


 この時から、やりとりをするようになった。ほとんどは他愛のないことだった。


真嗣 : 今日の晴菜は最高だった!

真嗣 : 晴菜が学校の体育会で1位取った!

真嗣 : 文化祭の晴菜の衣装がチョー可愛かった!!


 晴菜のことばかり。過去の履歴を見ても同じような調子だった。中には、晴菜の記憶に無い恥ずかしい失敗談もいくつもあり、


 ――お兄ちゃんのバカ!!

 ――バカ! バカ! バカ!


 羞恥心で、天国に行ってしまった真嗣を何度も心の中で罵ったりはしたが。


 逆に、他愛のないことではないやりとりもあった。


伸忠 : パワハラ受けていたんだよな

伸忠 : 大学でも会社でも

伸忠 : まあ、今は逃げたから清々しているがな

伸忠 : お前のおかげだよ

伸忠 : ありがとな


 どのように返信を返すのが正しいのか晴菜には分からなかったが、自分の選択が正しかったことを知ることはできた。


 こういったものでも、伸忠とのやりとりが、晴菜にとって、家の中の窒息死してしまいそうな重い空気から逃れることができる数少ない憩いの瞬間だった。


 だから、伸忠が探索者になったことを知らされた時には心配で仕方がなかった。深くまで潜って強いモンスターを倒せれば大金を得られるが、代わりに死と隣り合わせのハイリスクハイリターン。それが晴菜が持っている「探索者」のイメージ。


真嗣 : 一獲千金でも狙っているのか


 笑っているキャラクターのスタンプを添えることで、冗談めかしているニュアンスを込める。


 過去の履歴と晴菜の記憶の中の真嗣と伸忠の2人のやりとりを思い返して、そのように遠回しで心配を伝える。


伸忠 : ないない

伸忠 : 浅い階層でリスク取らなくても、人ひとり生きるくらいの稼ぎはできるみたいだから

伸忠 : それにしばらくは組織で働くのはゴメンだな


 晴菜が送ったのとは別のキャラクターが明るく笑ったスタンプが返事に添えられていたが、彼女にはその明るさが逆に痛々しく見えた。


真嗣 : 安全第一で気を付けろよ


伸忠 : 了解


 敬礼するキャラクターのスタンプと一緒に返事が返ってきた。これ以上は踏み込めなかった。


 配信を通じて、伸忠が大怪我をした時には、すぐにポーションを使って回復していたが、それでも血の気が引いた。


真嗣 : 一緒に見ていた晴菜が悲鳴上げていたぞ

真嗣 : あいつが安心して見られるようにもう少し気を付けてくれ


伸忠 : 了解。気を付ける。


 その返信を見て、


 ――卑怯だな。


 とも思った。そして、「底辺ダンジョン配信者」という、リスクを取らずに浅階層をさまよい続ける、配信のファンもいない、そんなスタイルとポジションを、自分が実質決めてしまったことに後ろめたさを感じるようになった。寛乃から先日聞いた「実は成功者の部類」の話には、どういうことか理解できなくて目を白黒してしまったが。今でもよく理解できない。


 アイドルになるために東京に来て3年経っても晴菜が伸忠に会わない、と言うよりも、会えないのはこの後ろめたさもある。


 けれど、なにより一番は真嗣の死を告げられていないこと、そして、今までずっと兄になりすましてやりとりしていること。


 ――話すタイミングを逃した。


 この感情が、晴菜の中で伸忠に会いたい気持ちを圧し潰す。「アイドルだから」を理由の表にかぶせて。


 だからこそ、ダンジョン生態系研究振興協会から「ダンジョンを走破する案件の依頼が来た」と薫子から聞いた時、


「やります!」


 間髪入れずに答えていた。それを横で見ていた寛乃と彩寧も「予想通り」「仕方ない」といった表情を顔に浮かべた後、首を縦に振ってくれた。


 後で調べて、ダンジョン未経験者がやる内容ではないと知っても、気持ちは変わらなかった。付き合わせる寛乃達には「ごめん」と謝ったが。


 こうして、日に日に憧れの人伸忠が活躍する空間に踏み入るドキドキが募っていった。


 でも、東京ダンジョンの赤羽大立坑をグルリと取り囲むコンクリート壁を実際に目にすると、恐怖の感情が晴菜の心に小さく生まれた。


 さらに、外とを区切るゲートを通り抜けると、その感情はドキドキを押しのけるように次第に大きくなっていく。


 この日の配信でダンジョンをナビゲートする探索者パーティとは、当日のゲートの中で初めて顔合わせをした。


「やっぱ、アイドルってカワイイねえ。どう? 配信が終わった後、一緒に遊びに行かない?」


 パーティのリーダーの開口一番がこれだった。下劣な視線と一緒に。


 他のメンバーはたしなめるどころか、笑い、一緒になって声を掛けてくる始末。


「おいおい、リーダー。それじゃあ、下心丸出しなのが隠せていないぞ。こうやるんだぞ。俺たちと付き合わない? 稼いでるぜ」


「お前の方がバカだろ。それ、この前、女からビンタ食らったのと同じじゃないか」


 晴菜たちの中で、嫌いな仕事向けのゼロ円スマイルを完全装備することが決まった瞬間だった。



**********



ここから「20」まで伸忠以外の視点が続きます。



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