18 危機、迫る
「工藤課長、申し訳ありません。少しお時間よろしいでしょうか」
史緒は隣席にいた上司に声を掛ける。
「どうかしましたか?」
「広報課が今行っているダンジョン配信なのですが、問題があるようなのです」
唐突な話に、上司の工藤は首を傾げはしたものの話を続けるように促してきたから、史緒は話を始めた。
同時に、彼の端末に見つけた書類データを送る。配信が協会内部のルールに逸脱した状態で行われていること。参加している探索者が評価Fの4人しかおらず、一緒にいる一般人がダンジョン内で非常に危険な状態にさらされていること。主催する広報課はこの状態を認識しているため、今、指摘しても耳を貸さない可能性が高いこと。業務の関係で探索者の知己が多いパテント支援課だからこの状態を改善できること。万が一、事故が起きれば、協会への信用が失墜しかねないこと。さらには、ダンジョン全体のイメージにも大きな傷が付いてしまうこと。未然に防ぐために今すぐに動かないといけない、といったことを手短に説明した。
「前任の武藤さんは、前例主義の官僚出身にもかかわらず、前例にとらわれない面白い仕事をされる方でしたが……。今回の方も前例にとらわれない方のようですが、こちらは困った方ですね。ただ、このまま黙って見過ごして何かトラブルが起きた場合、あなたが言う通りになるでしょう。それは避けなければいけませんか」
ディスプレイに書類を次々に表示しながら、まるで他人事のように淡々と話す彼は1つの書類をピックアップして指さした。配信の企画が持ち上がった段階で、Aランクの探索者がいる複数のパーティーに参加打診を送ったが断られたという報告書。指さしたのは探索者に支払う報酬の見込み額。次いで、前任者が行った配信の報告書をピックアップして、探索者に支払われた報酬額を指さす。10分の1に減らされていた。
「これは、もう、『参加するな』『お前たちは不要だ』と言っているようなものです。ヒドイなあ」
常に冷静沈着で声に浮き沈みがない工藤の声に、最後だけ感情が乗る。
再び決裁書が前面に表示される。それを見て、
「もしかして、彼にとっては前例に
彼の指さしたところには2つの企業の名前。史緒は見聞きしたことがなかった。その2つに多額の支出がされることになっていた。
「それぞれ広告代理店とコンサルティング会社ですが、まあ、正道ですね。この2つを関与させて成果を最大化させようと考えるのは。でも、ここ、ちょっと筋が悪い噂があるところなんですよ」
すると、「ちょっと待ってくださいね」と断ってから、私物のタブレットタイプの通信端末をバッグから取り出して操作し始めた。が、そのディスプレイに上司の出向元の企業のロゴと「Secret」の文字を見つけると、史緒は目を背け身体ごと後ろを向いた。
――これ以上厄介事に巻き込まれるのはゴメンだ!
彼の出向元は日本を代表する総合商社の1つ。彼らが抱えている情報にはヤバいものが混ざっている可能性が高い。
――大体、出身が違う部下の前で古巣のデータベースにアクセスするな!
――アクセスが認められるほど能力があるのと、それが必要なポジションなのは理解するけどさ。
心の中でぼやいていると、
「……マッチポンプまがいですか」
背中から声が聞こえてから、
「こちらを見ていいですよ」
身体を戻す。でも、彼の通信端末にはロゴの透かしが入り「Secret」の文字があるデータが表示されたまま。
「心配する必要はありませんよ。見せてはいけないものを見せる
「信用できない」という感情を史緒は表に出さないようにする。
「これ、ウチの調査部のものなんですが。今回の配信に参加している探索者チーム、『レッドフラッグ』でしたか、そこはさっきの広告代理店のひも付きのようです。提供した装備品を探索者に使わせて配信で宣伝させる。探索者には報酬が入る。代理店には仲介手数料が入る。提供したメーカーは利幅を分厚く設定した粗悪品が売れる。その集まりです。コンサルティング会社もアドバイザーみたいな形で1枚噛んでいますね。『レッドフラッグ』も安い報酬で参加したのは、裏でキックバックが入る。そうやって、これからも彼らは甘い汁を吸うつもりになっているのでしょう」
上司の謎解きを聞かされて、史緒の眉間に再び深い皴が入る。
――私の推しがそんな欲深どもの企みに巻き込まれた!?
――地獄に落としてやる。
目にした企業名を心の中のブラックリストに刻み込む。
「ですが、こうしたことは危機管理部の近藤さんが弾くことが多いんですが、今回はどうして通ったのでしょう?」
再び、工藤はデスクの上の端末に向き合って、
「これですね」
おもむろに、2か所を相次いで指さした。正人が作った今回の配信の起案書の日付と承認者。起案書はダンジョン配信の安全管理の面から危機管理部にも回覧されていたのだが、承認者は副部長になっていた。
「ちょうどこの時期は、パリで国際会議があって、近藤さんはそれに参加していましたから、副部長が代わりに承認していますね。配信を担当した彼が上手いタイミングを計ったのか、近藤さんが隙を突かれたのか。まあ、そんなことはどうでもいいですね」
そして、端末を操作して、ビデオ会議の申請をする。相手は危機管理部部長の近藤。
参加申請は史緒の端末にも送られてきたから、当然すぐにYesを選択。
でも、多忙な危機管理部部長から返答が帰ってくるには通常は時間がかかるものだが、
「おや、早いですね。……はい。お疲れ様です。パテント支援課の工藤です。部下の稲月も参加します」
『おう! お疲れ様。危機管理部の近藤だ』
ディスプレイに開かれたウィンドウに日焼けした強面の男性が映し出される。
『それで、用件は広報課が行っているダンジョン配信の件だな』
ビデオ会議の申請の際に内容も一緒に伝えられているから、
『すまん! ウチのミスだ!』
ウィンドウの向こう側で、近藤が勢いよく深く頭を下げた。
「では、準備は整っていますか?」
『ああ。対応チームを1チーム待機させている。残念ながら、他は既に別の現場に出動している』
危機管理部の中には危機対応チームが配属されている。ダンジョン内で探索者が遭難した時に救援に行く組織だ。そして、万が一、モンスターが地上に出てこようとした時の初動対応も行うため、普通の探索者が使う装備より重装備を備えている。中には、地上ギリギリでモンスターを防ぐために使う重火器も含まれている。そんな暴力装置の一面があるため、危機管理部が独断で危機対応チームを動かすことは出来ない仕組みになっている。必ず、他からの要請がないと動かすことは出来ない。だから、
「では、出動をお願いします」
『要請を受諾した』
ウィンドウの向こう側から慌ただしさが聞こえてくる。でも、近藤の顔つきは厳しいままだ。
『だが、今から急いでも、到着には最低でも30分はかかる。それに、ウチの1チームだけでは手が足りない』
「探索者の手を借りてしまうと、協会の不手際が表に漏れてしまいますが。いいのですか?」
工藤の淡々とした声は、保身に入ろうとする組織人のそれではなく、近藤がどこまでリスクを取り責任を取るのか問うように、史緒には聞こえた。
『構わない。むしろ時間の問題だ』
近藤も厳しい顔つきのまま答える。
『「レッドフラッグ」の能力なら、赤羽から巣鴨までの走破はそんなにリスクは高くない。だが、一般人を伴った状況では1つのミスが命取りになりかねない』
近藤の言葉から、「どいつもこいつもダンジョンを甘く見やがって」、そんな風に言っているようにも聞こえた。けれど、続いた言葉の声音はより重いものに変わった。
『だが、もっと深刻な問題がある。こちらでも彼らの配信をモニターしていたが、第5階層を歩き始めてすでに30分以上経過しているものの、彼らはまともにモンスターとエンカウントしていない。1匹のワームに出遭っただけだ。これは非常にまずい』
何を意味しているのか、史緒には理解できなかった。確かに、配信が始まってからほとんどモンスターと遭遇していない。ディスプレイの片隅に開いているウィンドウで確認している。遭わないから、「レッドフラッグ」のメンバーの嘘交じりの自慢話ばかりとなって、視聴者は飽き始めている。同時視聴者数は8000人を切った。
でも、続いた近藤の言葉は史緒の顔から血の気を引かせた。
『アッパーモンスターが出現する兆候だ。幸運にも彼らがアッパーモンスターに出会うことがなくても、この先、アッパーモンスターに追いやられ苛立って凶悪化したモンスターが確実に待ち受けている。彼ら単独でこの状況を打破するのは非常に難しい、と私は考えている』
少し前の配信を見られることに浮かれていた自分を、史緒は罵りたくなった。工藤の顔つきもはっきりと厳しいものに変わった。
「今、信用が出来て緊急に依頼を出せる探索者はいますか?」
「はい。こちらが候補のリストになります」
工藤からの問いかけに、史緒は合間に用意していた2つのリストを彼と近藤の端末に送る。
「1つ目はBランク以上で現在ダンジョンに入っていない探索者のリストです。12時間以内にダンジョンから帰還したばかりの探索者は除いています。もう1つは、同じくBランク以上で現在ダンジョンに入っている探索者の中から、探索計画書で配信の近辺で活動していると考えられる探索者をリストにしました。ただし、こちらは2組しかいません。Cランクまで範囲を広げれば、人数を確保できますが……」
『いや、広げない方が良い。あの階層で活動するCランクだと、まだ経験が少なく技量も不安だ。それに、彼らも今の状態だと依頼を受ける余裕がない。この1時間ですでに2パーティーが壊滅している』
「壊滅」。つまり、探索者に死者が出ている。それ自体、珍しいことではない。未だ、最底部に
『今いるBランク、片方はAだがソロか、その2組に緊急で依頼を出す。あとは地上から投入した方がベストだ』
「了解しました。それでは……」
工藤と近藤、2人の間で今後の詳細を詰め始めたのを横で聞きながら、史緒は緊急依頼が出された2組のパーティーの情報を協会のデータベースから呼び出す。1組は「サイバーヴァイカルズ」。もう1組、と言うかソロだから1人は石引伸忠。彼が持つ別の一面をこのオフィスの中で彼女だけが知っている。出向時の研修の一環で探索者ライセンスに関する業務に入った時に、ライセンス更新に来た伸忠に出くわしたから。パテント支援課に配属されてからは接点はない。彼自身、協会とつながりは最低限以上持たないようにしている。彼のランクとこれまでに上げた成果は、パテント支援課から専属担当者を付けて、より良い依頼を回すなど特別待遇をされるに相応しいものなのだが、断られている。ライブですれ違っても気付かれた様子はない。彼女が一方的に知っているだけ。
だから、
――ごめん!
――また、重荷を背負わせてしまった!
――だけど、頼む!
――アンタだけが頼みなんだ!
――「『チーム・スピカ』の最初の人」として、もう1度彼女たちを助けてくれ!
探索者「石引伸忠」のデータを通して、祈りを捧げる。
けれど、現実は彼女の祈りを嘲笑うかのように……。
「……ゴブリン?」
配信には、V字状の深い谷底を走る一本道の向こう側から、モンスターが姿を現していた。
『やっと出てきやがった! おい! 見ていろ! ゴブリンなんか、この俺様が簡単にやっつけてやっから!』
「レッドフラッグ」のメンバーがこれまでの憂さを晴らすかのように威勢の良い声を張り上げるのが、史緒の耳に届く。でも、彼女の目は現れたモンスターが持っているものに注意が行っていた。通常、第5階層に出現するゴブリンの手は何も持っていないか、せいぜい棍棒レベルの粗末な武器しか持っていないのだが……。
「……ゴブリンが槍を持っている?」
今にも折れそうな細長い木の棒ではない。その柄の先には、金属の刃先が鋭さを誇示するかのように光り輝いていた。
『なにっ?! ゴブリンが槍を持っているだと? おい! そいつは!』
工藤とのやりとりに集中していた近藤は、耳に入ってきた史緒の呟きに慌てて配信画面を確認して、声を上げる。
同じようなことが配信のチャット欄でも指摘されていた。それを見た晴菜が配信を通して虚ろな声で史緒の耳元に囁いてくる。
『……アッパーモンスター?』
ある条件が満たされると、システムによって配信は自動的に遮断される。
その条件とは配信している探索者がモンスターに殺されること。
……配信がブラックアウトした。
『くそっ!』
近藤の罵り声が聞こえてくるが、史緒には非現実的なものに聞こえた。
けれど、自分のディスプレイの片隅に開かれたウィンドウに表示されたテロップが、史緒に無慈悲な現実を告げてくる。
>緊急事態のため現在配信を一時停止しています
>再開までしばらくお待ちください
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