2 その土竜、オオカミ退治をする

 空気が変わった。


 フェリのひげがわずかに震え、閉じていた目が少し開く。シャドウフェリスの特徴である擬態を始め、周囲に身体が溶け込んでいく。この状態になると、スキルをフルに使った伸忠にもフェリがどこにいるか分からない。


 その伸忠も腰を浮かせ、さらに神経を尖らせる。鉈を握っている手に力が入る。


 彼らがいる場所から丘を挟んで向こう側、風上から現れた。


 1、……3、4、5頭。「アルファローク」と名付けられた狼系のモンスター。ダンジョンの5階層から10階層までに現れる。群れを作って、縄張りに入ってきたら攻撃してくる。


 そんなアルファロークが丘の上で伸忠がばらまいた鶏肉に興味を示している。1頭が口にすると、他の4頭も食べだす。量はないから、食べ終わるのもすぐ。そして、5頭が別の場所に移動しはじ……。


 最初に口にした1頭が倒れた。他の4頭も次々に倒れていく。


 倒れた原因は鶏肉。無味無臭で即効性が極めて高い麻酔薬が仕込んであった。


 ――よし!


 アルファロークが倒れるのを確認すると、伸忠は左手にナイフケースを持つと、一気に丘の上に駆けあがる。


 ケースを広げて、右手に持っていた鉈を左手に持ち替え、ナイフを取り出すと、躊躇ためらうことなく1頭のアルファロークの延髄にナイフを差し込み、えぐる。伸忠の身体にアルファロークの断末魔の震えが伝わるが、顔色ひとつ変えない。ナイフを抜く暇も惜しんで、別の1頭に新しいナイフを差し込む。


 さらに、3頭目、4頭目。そして最後の5頭目。


 急いだ理由は麻酔薬にある。即効性が高い分、効果が切れるのも非常に速いからだ。アルファロークが鶏肉を口にして5分と経っていないが、もう薬の効果が切れる頃合いだった。もしも、6頭いたら、そのまま見逃していたが、アルファロークの群れが6頭以上のケースはまれ。群れの個体が群れから離れて行動することもまれ。だから……。


 シッ!


 フェリの警告音が聞こえた瞬間、新たなアルファロークが現れ、一気に丘の上に駆けあがってきた。


 アッという間に間合いを詰められる。


 態勢を整えている余裕なんか欠片も無い。


 なんとか、左手に持ち替えていた鉈を振り上げるので精一杯だった。


 何かを考えるゆとりもない。ただ、伸忠のスキル「観察」だけは、コンマ数秒足りずに、左腕がボディアーマーごと食いつかれ引き裂かれる未来を告げてくる。


 恐怖はない。よくあることではないが、たまにあること。首を食いちぎられるような致命傷は無いが、左足を骨が見えるまでズタズタにされたこと、右腕を皮膚1枚で辛うじてつながっているレベルまで引き裂かれたこともあった。そこにプラス1回がカウントされるだけ。


 が、現実はコンマ数秒遅れて、鉈の刀身がアルファロークの大きく開けられた口の中に入り、そのまま頭を真横に切り裂いた。


 伸忠の身体のすぐ横に、命を失ったアルファロークの身体が倒れこむ。一瞬遅れて、噴き出した血が彼の顔と身体を真っ赤に染めた。


「……っはぁ」


 無意識に止まっていた呼吸が再開する。心臓がバクバク鼓動しているのが感じられた。


 身体を赤く染めているアルファロークの血の温かさが、薄氷をとりあえずは渡り切ったことを告げてくる。


 でも、このままいつまでも余韻よいんに浸り続けているわけにいかない。次の作業に移らないといけない。


 だけど、まずは、


「フェリさん、ありがとう」


 警告を伝えてくれたことだけではない。スキル「観察」が告げてきた未来よりコンマ数秒遅れた理由は、アルファロークが伸忠に襲い掛かる最後の瞬間に、その後ろ脚に噛みついていたから。アルファロークとフェリの体重差は10倍近い。


 そんなフェリは、伸忠の言葉に何か反応することも無く、口の周りを血で赤く染めたまま、倒れ伏したアルファロークの身体を右前足でタシタシと叩くのみ。その意味は、


「はい、はい」


 フェリの催促に従うために、伸忠は右手に持っていた6本目のナイフをケースにしまって、鉈に持ち替える。そして、アルファロークの腹を切り裂いた。内臓が外に飛び出てくるが、フェリは目当ての物を目にすると躊躇することなく真っ先にかぶりついた。まずは、心臓、肝臓、そしてダンジョンのモンスターであることを示す魔石。これらはフェリにとって最高のご馳走だ。


 一心不乱にかぶりついているフェリの様子に少しだけ笑みを浮かべると、伸忠は代わりに周囲を観察して安全を確認する。それにここからもスピード勝負。一帯は仕留めたアルファロークたちの縄張りだったから他の捕食系大型モンスターは近くにいないが、それでもモタモタしていると、血の匂いを嗅ぎつけた別のモンスターがやってくる。


 端末を操作して、運搬車を呼び寄せる。そして、ナイフケースから再びナイフを取り出すと、仕留めたアルファロークの状態を確認していく。問題がなければ、アルコールで消毒したナイフで首を掻き切って、血を抜いていく。5頭とも傷ひとつない。綺麗なもの。運搬車が来ると、


「……よいしょっ」


 アルファロークの後ろ足が上になるように側面に引き上げ、血抜きのスピードを上げる。合間に、身体を汚している血を持ってきていた水で軽く洗い流す。さらに、運搬車の荷台のクーラーボックスからシートを取り出し、荷台に敷き、血抜きが完了したアルファロークから順に荷台の上に乗せる。防水機能もあるため、残った血が荷台を汚すこともない。乗せ終えると、また別のシートを上から敷く。このシート自体に冷却機能があるため、包むと簡易的な冷却空間を作り上げることができる。これでアルファロークの死体から熱を奪い、この後の処理のための前準備とする。


「フェリさん、引き揚げますよ」


 食べ終えて顔を洗っていたフェリに声を掛けると、足元に置いていた魔石をくわえて持ってきた。お腹がポッコリと大きくなっていて、心なし普段より動きが緩慢。


「はい、了解です。しばらくの間預かります」


 今回は、後でゆっくりとカリカリ齧り食べるつもりらしい。


 受け取ると、魔石についていたアルファロークの血を水で洗い流す。それからポケットにしまった。


 フェリが食べていた個体はこの場に残す。血の匂いに引き寄せられたモンスターへの撒き餌代わりになる。


 こうして一人と一匹は元来た道を戻る。


 「巣鴨大斜路」と名付けられた地下から地上に続く坂道を上って第1階層まで上がると、


「配信を終了と」


 降りてきたドローンを回収して、ザックに押し込む。次は、ダンジョン内に設けられている処理施設の無人窓口で仕留めたアルファロークを渡す。ここで薬品の原料として、あるいは毛皮の素材として、あるいは食肉として処理され、後日、売却された金額が銀行口座に振り込まれる。


 同時に、運搬車はレンタルだったから、返却。敷いていた冷却シートを丸めて、乗せていた荷物と一緒に、大量に並ぶクリーンルームの中の空いている1つに入る。中でロープを張って、血で汚れた冷却シートを吊るす。ルームの中に備えてあるテーブルを引き出すと、同じく血と脂で汚れた鉈やナイフを上に並べる。壁に設置してある操作パネルでモードを設定すると、外に出た。


 閉じられた扉の向こう側で、洗浄が始まる。壁中から水が噴射され、汚れを洗い流し、次いで風が吹き出され、乾燥までしてくれる。


「フェリさんはどうします?」


 伸忠の問いかけに、フェリは少し考えこむように視線を地面に落とすと、次には嫌そうな顔をしながら、空いているクリーンルームに入っていく。


「了解です。ごゆっくり」


 同様にパネルを操作して外に出る。入る時は濡れるのが嫌でフェリの顔をしかめ面にさせるのだが、終わる頃には自分でする毛づくろいでは到底できないフカフカモフモフの己の毛並みに大満足で出てくるから、全く問題ない。


 そして、最後に残った伸忠もザックを抱えてさらに別のクリーンルームに入る。身に着けていたボディアーマーを脱ぎ、真っ裸になると、操作パネルをタッチして、汗と血の汚れを落とす。終わった後は、ザックから新しい下着と模様がプリントされたオープンシャツ、紺のデニムパンツを取り出して身にまとい、代わりに畳んだボディアーマーを仕舞い込む。同じように、洗浄が終わった冷却シートも畳み、鉈とナイフは水気を綺麗に取ってから錆止めの油をさし、全部ザックの中にしまってしまう。


 この頃には、満足げなフェリの洗浄後の入念な毛づくろいも一段落ついている。


 ダンジョンの外に出る前にリフレッシュして爽快な気持ちになるため、だけではない。ダンジョンに入る格好で地上を歩くことが法律で禁止されているから。血まみれ姿で出れば、悲鳴を上げられて警察を呼ばれてしまう。武器を手にしたまま出れば、警察官から職務質問を掛けられるか、場合によっては銃刀法違反で逮捕されてしまう。


 最後に、ザックの外側のポケットから夜用のサングラスと音楽用ではなく耳栓として使っているノイズキャンセリングイヤホンを身につける。


 腕に付けたままの通信端末で近くの駐車スペースに止めていた車を呼び寄せて、


「フェリさん、出ますよ」


 クリーンルームの中で毛づくろいをしていたフェリに声を掛ける。毛並みがフカフカモフモフになってご満悦なフェリと一緒に車に乗り込むと、自宅への帰路をセットして、自動運転システムに任せた。


 動き出した車は東京ダンジョンの外に出て、片側3車線の大通りに出る。国道17号、通称、白山通りである。左に行けば、すぐJR山手線の巣鴨駅に出る。


 車は右折する。通りの上には、ダンジョン発生によって地下区間が使えなくなった地下鉄の都営三田線が高架となって走っている。再開業したのは2年前のこと。


 太陽は沈んでいて、とっぷりと暗くなっている。でも、街灯や建物の明るい灯りによって、空でまたたいているはずの星はほとんど見えない。


 通りには普通に車が行き交い、歩道には普通に人々が歩いている。そのすぐ下には、20年前に突如現れた「ダンジョン」という非日常の地下空間が広がっているのに、人々はもうほとんど気にしていない。


 ――非日常が日常に溶け込んでいっているのか。

 ――日常が非日常を侵食しているのか。

 ――どちらなのだろうか。


 ダンジョンから地上に戻って人々の様子を見ると、ダンジョンの中とは違い、毎回、こんな考えが伸忠の頭の中に浮かんでくる。歩く人々の中で、大きな荷物を抱えている人は伸忠と同じ探索者なのだが、時たまにさげすむ視線を送られることはあるが、大抵は誰も気にしていないし、普通に周りに溶け込んでいる。


 対向車のヘッドライトがもたらす眩しさは夜用のサングラスによって遮られる。


 左手に現れた「巣鴨地蔵通商店街」と書かれた入口を横目に帰路についた。


 なお、この日は午前中にもアルファロークを3頭、処理施設に渡しており、トータル8頭。1頭15万円ほどで売れる見込みのため、120万円の収入の予定。

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