その土竜は己の爪を「鋭くない」と隠す
C@CO
1 その土竜、ダンジョンに潜る
人通りによって踏み固められた道から少し外れたところ。
スイッチをONにする。
すると、ドローンの上面にあるLEDが青く点滅することで、待機状態であることを知らせてくる。
「ドロドロ、自律行動開始。追尾モードA。上昇後、配信開始」
その言葉によって、LEDが赤色に変化。ドローンのローターが回転を始め、機体を浮かび上げる。「ドロドロ」はドローンに設定した個体名称であり、音声コマンドでもある。ネーミングは適当。後方5m、高さ4mにあらかじめ設定した「追尾モードA」に従って、自律してあとをついてくる。
左手首に付いた端末で確認すると、頭はヘルメット、顔にゴーグル、身体にはボディアーマーを身につけた男を捉えている配信映像が腕に投影される。近くには8輪のホイールが付いた運搬車。その荷台の上には、コンパウンドボウが収まったケース、水や食料などが入ったザックと、毛づくろいしている猫が1匹。
遠くから元気のいい声が響いてきた。
「さあ! 今日はここ、巣鴨大斜路から東京ダンジョンの7階層を探索します! みんな、準備はいいかい!」
「「「「イェーイ!!」」」」
「視聴者の皆さんもありがとうございます! うわっ! xxx人ですか!?」
「「「「ありがとうございます!」」」」
「早速ですが、時間が惜しいので、出発します!」
「「「「しゅっぱーつ!」」」」
彼、石引伸忠の耳には、はっきりと同時視聴者数は届かなかったが、3桁の数字のように聞こえた。もしかしたら、4桁かもしれない。
なお、伸忠の配信を見ている視聴者は0。これが通常モード。
当然と言えば当然。動画配信サイトに表示されるサムネイルは「無言配信」の一言が入っているだけの簡素すぎる物。タイトルも日付しか書かれていない。書き込みも許可されていないから、コメントもつかない。これで視聴者が付くことはない。顔面偏差値75以上の超が付くほどの美少女・美女、イケメン男子だったら、ファンが付くこともあるかもしれないが、
――映っているのは29歳の
視聴者が付くわけがない。これまでの配信もサイトにアップされているものの、視聴回数はほとんど1桁回数。最高で17回。
では、なぜ、その状態でも配信活動を続けるのか。万が一、ダンジョンの中で道に迷ったり遭難した際に発見されやすくなるメリットがあるから。しかも、ダンジョンの中に入るのに必要な「ダンジョン保険」の契約で、配信が義務付けられている。この保険で遭難時の救助費用も補償してくれる。なので、配信を続けている。
だから、先程の元気のある声を耳にしても、
――頑張っているな。
としか思わない。
虚勢ではない。一般常識的にも、客観的に見ても、「底辺ダンジョン配信者」である。でも、プラスの面もある。探索のためにパーティーを組んでいない、ソロで活動しているからパーティーメンバーの調子に気を巡らす必要はない。ダンジョンに入る日も自分で決められる。ペースも自分で決める。休みたければ自由に休む。ダンジョン内でどのように動くかも自分で決める。
だから、今日も自由に動く。
配信状態を確認したら、次は、運搬車が自動で後ろからついてくるように端末を通じてセットする。さらに、ポケットから紙の地図を取り出して、今日予定している行程を確認する。端末にも地図は入っているが、広い面で確認するには紙の方が便利だし、さらにこれまでの探索で得た様々な成果を書き込んでいる。出るモンスターの種類に特性、それぞれの縄張りの範囲に、etc。チェック終了。
最後に、ザックの中にしまっていた鉈を取り出して、ベルトに取りつけ、鞘から抜く。刃が鋭くギラリと輝いた。
「チェック完了。……さて、フェリさん、行きますよ」
毛づくろいを続けていた猫に声を掛けたら、猫は「ようやくか」と言うような一瞥を伸忠に送った後、背筋を一杯に伸ばして、運搬車の荷台から飛び降りた。
その様子も「いつもどおり」。
なお、この猫、普通の家猫ではなく、ダンジョン内に棲む「シャドウフェリス」と名づけられたヤマネコに似たモンスター。7階層から10階層までは、こちらから攻撃しなければ攻撃してこない、でも小柄で俊敏だから仕留めにくい、それだけのモンスターなのだが、11階層より下になると行動パターンが代わる。積極的に探索者に襲い掛かってくる。周囲に擬態した状態からの突然の奇襲、足元を攻撃して逃げられないようにしてから仕留めにくる陰湿な攻撃。そうしたところが探索者から嫌われている種でもある。「にゃ~」とか「みゃお」とか愛嬌のある鳴き声もしないから、なおさら。
フェリの右前足には真っ赤な足輪がはめられ、伸忠の
――気まぐれで好奇心が強いんだよな。
――あと、食い意地も張っている。
ふと伸忠がそんなことを考えると、「なに、余計なことを考えている」と言わんばかりにフェリからにらみつけられた。シャドウフェリスの顔つきはどれもふてぶてしいが、フェリのは輪をかけてふてぶてしい。色々思うところはあるが、今は、素知らぬ顔をしてやり過ごす。
そんな1人と1匹の東京ダンジョン第7階層のダンジョン行が始まる。
辺りには岩石砂漠のような荒涼とした空間が広がる。岩盤が露出して岩がゴロゴロ、起伏もあり、時折岩山が上に高く100mほど伸び、柱のように天井を支えている。これが東京の地下に広がっている。最初の頃なら、何らかの感傷を抱いたが、今ではそんな感情は麻痺している。
伸忠は後ろからついてくる運搬車が安全に走れるルートを選びながら、フェリは岩の上に登ったり、飛び移ったり、出来るだけ視点の高い場所を保ちながら、歩みを進める。時折、フェリが立ち止まって、辺りの様子をうかがうような仕草を見せると、伸忠も歩みを止める。フェリが再び進み始めると、伸忠も歩み始める。逆に、伸忠が地図を見て場所を確認するために歩みを止めると、フェリも立ち止まる。そして、1人と1匹はまた歩み始める。
と、今回の目的地に到着。そこは盛り上がった岩の丘がある場所。
伸忠は、端末で運搬車を手動運転に切り替えて、丘から少し離れた風下に位置する岩陰に移動させる。
そして、ザックから猫缶と紙皿を2枚取り出すと、フェリの目の色が変わるのだが、見て見ぬふり。皿を運搬車の荷台に置いて、1枚には缶の中身をあけ、もう1枚には水を注ぐと、またザックから荷物を1つ取り出す。今度は生の鶏肉が入った密封された容器。フェリの目線が嫌そうにそっぽを向く。もちろん、伸忠はまた見て見ぬふりをして、今度は丘の上に1人で上っていく。
丘の頂上の様子を観察する。複数の獣の足跡があった。
――1つ……2、3、4……5。6は……無し。
5頭分。さらに周囲の様子を確認した後、容器の蓋を開け、中身の鶏肉を辺りにばら撒いた。
丘を下りて、運搬車の所に戻ると、紙皿を片付ける。猫缶の中身があけられた皿の上は綺麗に何も無くなっている。
ザックから新たに、ナイフケースを取り出し、そのまま腰を運搬車と岩の間に下ろす。
少し離れた別の岩陰では、フェリが顔を洗っている。
しばらくの間、宙を飛んでいるドローンのプロペラのかすかな回転音だけがあたりに響く。
――静かだ。
地上の雑踏と喧騒とは真逆の世界に浸る。
大学の研究室の教授にビクビクする必要はない。会社の上司に怯える必要もない。同僚の機嫌をうかがう必要もない。友人と空気を読み合う必要もない。もっとも、大学はとうの昔に卒業して、今は会社に勤めていない。深くつながっている友人もいない。
――孤独? むしろ逆。解放感の方が強い。特に、ダンジョンの中では。
そんな解放感にただただ浸る。
お腹がいっぱいになったフェリのかすかな寝息も聞こえる。
空気の揺らぎから、遠くで行われている戦闘をかすかに感じ取る。
こうした明敏な感覚は、ダンジョン探索で得たスキルだ。
探索者は、ダンジョンに潜っていると、ある時から特別な能力を得るようになる。それまでぎこちなかったナイフの扱いがスムーズになったり、弓矢の命中率が急上昇したり。
一番注目されたのは魔法を使えるようになること。何もない所に火を出したり、水を出したり、風を起こしたり。最初はしょぼい。火もライターの火のようだったり、風はそよ風程度。ただ、ずっと使っていくと、モンスターをあっという間に燃やし尽くす巨大な炎球、スパッと切ってしまう風の刃、そんなものを出せるようになる。
――あれは凄かった。
伸忠はそんな魔法を知り合いに1度見せてもらったことがあった。でも、羨ましいとは思わない。
ただし、これらのスキルはダンジョンの中でしか使えない。ダンジョンの外に出ると使えない。どうしてかは分かっていない。どうして使えるのかも分かっていない。ただ、使えるから使っている。
逆に、使い勝手が悪かったり、悪いどころか使いどころが全く見当たらないスキルも中にはある。探索者界隈でもっとも有名なのは「靴磨き」と名づけられたスキル。言葉通り、靴磨きが上手くなるスキルだ。ダンジョン探索ではまず使わない。それでも、有名なのは日本にいるトップ探索者の1人がこのスキルの持ち主だから。探索者になる前は靴磨き職人だった彼は、反骨心と不屈の魂でトップにまで上り詰めた。
――格好良かったな。
遠くからその彼を1度だけ見かけたことがあった。でも、彼のようになりたいとは思わない。
こうした中で、伸忠は自分が得たスキルを「観察」と名付けた。観察すればするほど、より詳細な情報を得られる。運搬車が
ただし、他の探索者にはなかなか理解されない。もっと分かりやすく使えるスキル、例えば、周辺のどのくらい離れたところにモンスターが何頭いるか分かったり、地図を見なくても現在地がわかって目的地までのルートを割る出すことが出来たり、そんなスキルだったら引く手あまただった。
それでも、今のスキルを伸忠は「当たり」だと思ってい……。
空気が変わった。
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