子猫を救わなかった話

東雲そわ

第1話

 一匹の子猫が我が家の敷地内に迷い込んだのは、2日前の夜のこと。そのときは「家の近くでなんか変な鳴き声の生き物がいる」という風にしか認識していなくて、断続的に鳴き声がすること、聞こえてくる方向、距離感がコロコロ変わることから「鳥かな?」という認識でしかなかった。果たして夜に鳴く鳥がいるのだろうかという疑問はあったけれど、一般的な猫の鳴き声である「ニャー」や「ニャン」とは程遠く、「ギヨン、ギヨン」という音に近かったので、まさか子猫だとは思いもしなかった。


 翌朝、自宅に隣接する物置兼自転車小屋の中で、昨夜聞いた鳴き声がするということで再びちょっとした騒ぎになる。でもその鳴き声が小屋内で反響しているせいでどこから聞こえてくるのかもわからず、最初は鳥が迷い込んだと思い天井付近を探していて、何も見つからず、でもしばらくするとまた同じ鳴き声がして、再度探しに行っても見つからず、そんなことを何度か繰り返しているうちに、ついに小屋の奥の方へと逃げ込む子猫の姿が目撃され、鳴き声の正体が判明して安心した反面、迷い込んだ子猫をどうするかで、頭を悩ませることになる。


 うちは田舎である。比較的大きな道路に面した一軒家ではあるけれど、両隣は畑に囲まれていて、近隣には雑木林もあれば、竹藪もある。家の周りで狸が目撃されることも年に数回あるし、庭先で野良猫に出くわすことも珍しくない。畑の土の上には常に何かしらの生き物の足跡が残っているような、そんな田舎である。

 そういった環境から、迷い込んだ子猫は野良である可能性が高いと思われた。縄張りを巡回する親猫の跡を追って迷い込み、そのまま帰れなくなってしまったという可能性。人間から逃げる、隠れる、という習性からも、野生で産まれた猫であると考えた。


 これが仮に捨て猫であるならば、人の姿を見れば猫の方から寄ってくるはず、という考えがあった。現に、今我が家で飼われている猫は捨て猫で、ガリガリに痩せている状態で人の前に助けを乞うように現れたところを、当時幼稚園に通っていた甥っ子に拾われ、猫アレルギーの甥っ子から我が家に託され、飼われることになったという経緯がある。そういった過去の経験からも、人に寄り付かないということは、野良猫だろうと判断した。


 うちの人間が庭でリードに繋いだ猫を散歩させている姿は道路からも見えるので、猫を飼っている家なら拾ってもらえると見越して、誰かが子猫を捨てていったという可能性もゼロではない。ただ、この場合は子猫の生存を望んでいるはずなので、人間から逃げ回れるぐらいに動き回れる子猫を、車が行き交う道路沿いに裸で放り出すということは考えづらく、やはり野良である可能性の方が高いという結論になる。そもそも誰かが捨てた、というはあまりにもやるせないので、それ以上考えたくもなかった。


 野良猫と仮定して、まずは野生に返すことを第一に対応することにした。親猫の跡を追って迷い込んだなら、再び親猫が家の近くを通ることがあるかもしれない。最近はほぼ毎日のように野良猫が庭に現れるので、可能性は低くないと考えた。親猫と再会できれば、子猫にとってもそれが最善だと思えた。市販されている子猫用のミルクより、母乳の方が子猫の健康に良いということはネットで得た知識だけど、鳴き声が親を呼んでいるようにしか聞こえなくて、その望みを叶えてやりたいという気持ちが、一番大きかったように思う。


 幸いにも、子猫が居座っている小屋は、雨をしのげ、風通しも良いので、比較的安全な場所だった。隠れる場所はいくらでもあるし、よく野良猫が通り抜ける場所でもある。夜に防犯用のサーチライトがパっとついて、窓から覗き見ると野良猫がいる、といったことが何度もあるぐらいには、野生の生き物の通り道にもなっていた。


 子猫の隠れている場所は、物が積まれている奥の方なので人間の手が届く場所でもなく、スマホだけを差し込んでなんとかその存在と状態を確認することができるような状況だった。スマホに録画された映像の中の猫は、痩せこけている様子もなく、どちらかと言えば丸々としていて、健康そうだった。鳴き声も大きく、何度か目撃した逃げる姿も、子猫ながらに俊敏で、怪我をしている様子もなかった。


 今日一日ぐらいは(命が)もつだろう、と判断した。


 親猫に返すためにも、人間が過度に関わるのはよくないと判断し、エサは与えなかった。 昨日は30度を超える暑さだったため、飲み水だけは猫が隠れている場所の近くに置いておいた。たぶんまだ乳飲み子なので、水を飲むのかはわからなかった。


 明日になっても親猫が現れないなら、子猫用のミルクを買いに行こうと思っていた。親戚、知人に、猫を飼いたい人はいないかという連絡を取り始めていて、保護するにしても時間がかかる、無理に捕まえようとして人間も子猫もお互いに怪我をするようなことは避けたかったので、餌を与えて、少しずつ慣らしてから保護しよう、触れる場合は感染症に気をつけて、絶対に素手では触らないようにしようという話しまで家族でしていた。


 我が家で保護をして、そのまま飼うという選択肢ももちろんあった。ただ、我が家は決して愛猫家ではない。現在、猫を飼ってはいるが、これは捨て猫を拾ってきた孫に泣きつかれたじいじとばあばが止むを得ず保護したから、という経緯がある。それ以前にも似たようなケースで猫を飼っていたことはあるが、どちらかといえば番犬にもなる犬を飼いたい家である。兄弟が揃っていた昔ならまだ知らず、同居する家族が減った今、経済的にも、精神的にも、ペットを多頭買いする余裕があるかと言ったら、あまり自信がない。

 今飼っている猫が異常に臆病というのも理由の一つにあった。今の猫を第一に考えるなら、他のペットは難しい。保護はするけど里親を探す、というのが最終的な家族の総意だった。ただ、誰も口にはしなかったけれど「最悪、飼ってもいい」という考えは、全員にあったと思う。

 

 就寝する前にもまだ子猫の大きな鳴き声が聞こえていて、飼うことになったらどうなるのか、と少し楽しい未来を想像しながら眠りについた。


 翌朝。今日になって、あの鳴き声は聞こえなくなっていた。そして、猫が隠れていた小屋から少し離れた庭先で、血だまりの中に倒れている子猫が見つかった。


 既に息はなく、体は硬直し、蟻がたかり始めていた。


 何かに襲われたようだった。お腹の辺りからかなりの出血が見られたけど、捕食された痕などは見当たらなかった。


 他の野良猫か、あるいは狸かそれ以外の生き物か。カラスに弄ばれた可能性もあるし、猛禽類が飛んでいることもあるため、それらの標的になった可能性もある。


 あの大きな鳴き声が災いしたのかもしれない。


 動き回れるぐらいに元気だったのが、脅威となる存在の目を引いたのかもしれない。

 

 手に取った子猫の身体は硬直していたけれど、やはり丸々としていて、命が失われるのはあまりにも小さかった。





 子猫は、庭の片隅に埋めてある。もしかしたらうちの猫になっていたかもしれない、という想いがあったのか、今まで飼ったペット達が埋まっている場所の直ぐ傍、木の根元に埋めることに、誰も反対はしなかった。




 昨日の時点で救わなかったことを後悔はしていないし、間違った判断だとも思っていない。


 ただ、もう少しだけ生き延びてくれていたら、という想いだけは今もまだ強く残ってる。

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子猫を救わなかった話 東雲そわ @sowa3sisu

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