四大聖女のかしまし宮廷物語

宮前葵

第一話 聖女認定

 帝都を見たのはもちろん初めてだった。故郷の村を馬車で出て、四十日後の事である。


 峠の頂上から遠望した帝都は、のたうつ様な城壁に囲まれた鏡のように輝く街だったわね。はー。何あれ。なんでも窓ガラスが広く普及しているから日差しを反射するのだろうという事だった。ガラスなんて、町の礼拝堂でしか見た事ないわ。


 しかも、あんなに大きく見えるのに、まだ辿り着くまでに一泊しなければならないのだそうだ。それくらい巨大な都市なのである。人が百万人も住んでいるのだと言われても、全然ピンとこないわよね。


 何せ、故郷の村は人口三十人。近くの町で二百人である。百万なんて想像もつかない。というか、単位として理解出来ない。その頃私が知っていた単位は百までだから。


 ヒャクマンってどれくらい? 町の人の倍くらい? なんて同行してくれた神官様に尋ねていた私は、帝都の巨大な城門を潜って街の大通りに入って、たちどころに理解した。倍どころじゃないわ。これ。


 なにしろ、実家の畑よりも広い大通りを人間が埋め尽くしていたのだ。人だけではなく、馬車も荷車もいたし、道の両側には露店が立ち並んでいたけども。


 そして道を見下ろす建物はどれも三階建以上なのだ。町の礼拝堂の鐘楼よりもみな高いのである。そしてカラフルに彩られ、聞いた通り窓にはキラキラ輝くガラスが嵌っている。


 馬車の外を眺め愕然とする私を見て、神官様が肩をすくめた。


「驚いただろう? これでもまだ帝都のほんの入り口だ。帝宮はもっと凄いぞ」


 これ以上凄くなったらどうなってしまうんだろうね。私は身震いした。


「私、これから帝都に住むのよね? こんなところでやっていけるかなぁ」


 そう。私は帝都に引っ越してきたのだ。親兄弟と別れて。生まれ育った村からはるかに遠いこの地までやってきたのだった。もちろん、見知らぬ地で生活する覚悟はしていたのだけど、こんな大都会とは思っていなかった。私は農作業しかしたことがない。畑もないこんな土地でやっていけるのだろうか……。


 私が不安を漏らすと、神官様が思わずといった風に笑った。


「何を言っているのだ。リレーナ。君は聖女なのだから農作業などしなくても良いのだよ。なにしろ、君は皇太子妃になるのだからな」


 そうだった。私は聖女として、皇太子妃になるために、遥々この帝都までやってきたのだった。


 ……皇太子妃ねぇ。実はこの時、私は皇太子妃というのが何なのか、全然分かっていなかったのだけどね。聖女の方は、一年前からそう呼ばれ始めていたから少しは理解し始めていたけれども。


  ◇◇◇


 私の名前はリレーナ。家名なんて平民にはない。実家は帝都からはるかに離れた北にある村の、小さな農家。


 私は三女で、別に生まれた時は普通の赤ん坊だったそうよ。生まれる時に星が流れたり、身体に聖紋が浮かんだりはしなかった。


 実際、十二歳まで私は別になんということもなく過ごし、成長した。毎日親の農作業を手伝って、ヤギの世話をして糸を紡いでいたわね。


 大して信心深い子供でも無かったと思うのよ。大女神フォルモガーナ様の像は実家にもあったから寝る前にはお祈りしたし、半年に一度のお祭りでは町まで行って礼拝堂でお祈りしたけどね。


 十三歳になると、成人のお祝いをする。それで私は同い年の子供達と共に町の礼拝堂でご加護の検査をされたのだった。


 ご加護の検査とは、数多いる神様からのご加護を賜っているかどうかの検査だそうだ。大女神様フォルモガーナ様以外にも神様ってのは沢山いて。その中のどなたかの加護を頂ける事が稀にあるのだそうだ。


 ご加護を賜った人間は神様の力の一部をお借りして奇跡を起こす事が出来る。そういう人間を聖人、女性なら聖女というらしい。


 もっとも、そんな人は当たり前だけど滅多にいるものでは無いそうで、それでももしもの時のために、成人を迎えた子供達全員のご加護を検査する事が決められているのだそうだ。


 もちろん、実家のある村どころか近くの大きな町、それどころか領主様のお住まいの領都でも聖人が出た事などないらしい。なのでご加護の検査は成人した時の儀礼の一つくらいにしか思われてなかった。


 実際、成人だからと新調してもらった青いワンピースを着て、花冠を被って、町の礼拝堂の大女神様の神像の前で跪き、検査のための大きな宝石を握って祈りながら、これで私も大人になるのね、と誇らしい気持ちになったものだった。


 女の子はこの儀式が終わればお嫁に行けるようになる。私にもいくつか嫁入りの話は来ていて、何事もなく無事に成人すれば、その年の内に私はお嫁に出されていた事だろう。私の姉さん二人もとっくに嫁に行っている。


 ところがそうはならなかったのだ。


 祈りの言葉を終えて組んでいた手を解いた私は、透明だった筈の儀式の宝石が、澄んだ赤い色に変わっている事に気が付いた。


 ? なんだろうね。と思った私は特に疑問にも思わず宝石を神官様に返そうとした。


 神官様は宝石を見て最初は怪訝な顔をして、次の瞬間目を真ん丸くしてひっくり返ったわよね。


「せ、聖女だ! 聖女がいた!」


 誰が聖女なのか? と思ったのは私だけだったようで、その瞬間から私は「聖女候補」という事になってしまったのだった。祈りと共に宝石の色が変われば、それこそが私が神様からご加護を賜っている印なのだそうだ。


 蜂の巣を突いたような大騒ぎになってしまった。まず私の両親が礼拝堂に招集され、神官様から私の事を生まれた時から今までの全てを根掘り葉掘り聞かれた。


 もちろん、両親は寝耳に水。意味が分からなかったらしいわね。とにかく、普通の娘で別に特別な事はないと言うしかなかったようだ。


 私も色々聞かれたけど、特に別に信心深かった訳でもないし、特別な祈りを捧げた訳でもない。友達も親戚も集められて、さまざまに調べられたみたいだけど、私がどうして聖女候補になったのかは遂に分からなかった。


 しかしながら、何度か行われた(宝石が透明に戻るまでに一ヶ月ほど掛かるのですぐに繰り返しては出来ない)ご加護の検査によって間違いなく私には神のご加護がある事が分かった。何の神様かはこの段階では分からなかったのだけど。


 私は実家から出され礼拝堂に住まわされ、極めて丁重に扱われた。お部屋を頂いて、町の女性が私の世話をしてくれて、最上級の神官服を着せられた。私は女性としてはまだやや小さめだったので、最小サイズの女性神官服でもブカブカだったけどね。


 毎日たっぷりのお食事を頂き、お茶やお菓子まで食べさせてもらった。どれも今までろくに食べたこともない高級品だ。私は目を白黒させてしまったわよね。農作業もしないでよく、物心ついた時から暇さえあればやっていた糸紡ぎすらしない。それまでが毎日忙しかったから、一体何をして過ごしたら良いのかと戸惑うほどだったわよ。


 で、私は仕事の代わりに毎日、聖女として何が出来るのかを調べられた。なんでも聖女は神々のお力をお借りして何らかの奇跡を起こす事が出来るらしい。どの神様の加護を頂いたかによって起こせる奇跡が違うのだそうだけど。


 神官様が色々調べた結果、伝説の聖女は雨の空を晴れさせたり、地面から水を湧き出させたりする事が出来たらしい、という事が分かった。……それを私にやってみせよというのだ。無茶振りだ。


 どこの誰がやり方を教えてくれる訳でもないのだ。出来る訳がない。


 でも、聖女として厚遇されてしまっているのに、出来ないというのは通らない。いや、聖女である事は間違いないようなので、何かは出来る筈なので、それを見つけなければならない。


 私も困ったけど、聖女と接した事のない神官様も困ったと思うのよね。大聖典を持ち出して、なんでも七十四柱いらっしゃるという神々の名前を教えて下さって、その神様の名前を一人一人私に唱えさせた。ご加護があるなら反応があるだろうと仰って。


 で、全ての神々の名前を祈りの言葉に入れて唱えていったところ、一柱の神様の名前で祈った時に礼拝堂に赤い光が降ってきたのだった。


「いと麗しき女神アスタナージャよ。我が祈りに応えて我にご加護を賜らん」


 アスタナージャは聖典によると大女神フォルモガーナの娘なのだそうだ。かなり高位の神様であり、大地の女神とも呼ばれているらしい。


 大地の女神というからには、農業に何か関わりがあるかもしれない。神官様はそう予想し、私を農場に連れ出した。


 農場なんてこの間まで毎日泥まみれで働いていたところだ。今更なにをすれば良いのだろうか。神官様は「とりあえず祈ってみなさい」と仰った。


 仕方なく私は首を傾げながら畑の横で跪き、祈ってみた。


「偉大なる大地の女神アスタナージャよ。そのお力によってこの地にお恵みを下さいませ」


 すると、私の組んだ手の中にふんわりとした光が生まれた。私は驚きながらも、その光がフワフワと浮かび、それからゆっくり地面に落ちて、そして地面に吸い込まれて行くのを見守った。


 効果は劇的だった。光が吸い込まれたその場所を中心にスーッと地面の色が変わっていったのだ。乾いた土が湿った黒土に。


 そしてすぐにポコポコと草の芽が生え出し、ジワジワと伸び始める。目が点になっている私と神官様を尻目に、半径百歩ほどとかなりの範囲が、一面の草原になってしまった。


「こ、これが聖女の奇跡か……」


 神官様は呆然と言ったのだけど、私だって声も出ないほど驚いたわよ。とても自分がしでかした事だとは信じられない。


 色々試した結果、この奇跡は一日一回しか使えないのだけど、アスタナージャ様にお祈りすれば間違いなく使える事が分かった。しかも、真剣に強く祈れば祈るほど効果が強くなるようで、一度真剣に祈ったら見渡す限りが草原に変わってしまった事すらある。その時は流石に私も疲れて寝込んだけどね。


 実際に奇跡を起こして見せた私に、町中大騒ぎになってしまった。私は本物の聖女として礼拝堂に座らされ、町や近隣の村から集まった人々に跪いてお祈りをされるようになってしまったのだ。見知った人までが私に対して真剣に祈りを捧げるのよ? 大変な事になったと私が気が付いたのはこの時ね。


 聖女出現に神官様は大急ぎで帝都に向けて事の顛末を書き記した報告書を書き、町の若者を使者に仕立てて送った。帝都までは歩いて行ったら七十日。馬車でも四十日。馬を走らせても三十日以上掛かるらしい。


 なので帝都から確認のために上級神官様が派遣されるまで結構な時間が掛かった。その間、私はすっかり聖女扱いされて崇め奉られて、領主様に招かれて二日も掛かる領都まで行って大歓迎を受けたりしていた。


 聖女の証として土地が痩せて困っていた農村に行って奇跡で土地を肥やすような事もしていたわね。それでその土地が本当に豊かになると、他の村からも奇跡を施して欲しいという依頼が殺到して大変だったわ。


 実家になんて帰っている場合ではなく、父さん母さんがたまに会いに来るのが精一杯。両親は心配してくれたけど、どうにもならなかった。神官様は町では町長より偉い人だったからね。家の両親が神官様のやる事に口を出すなんて出来なかったのだ。


 その神官様が帝都から来た上級神官様にペコペコしているのには驚いたけどね。上級神官様も私に色んな質問をしたり、奇跡の様子を観察したりして帰って行った。


 でそれから二ヶ月くらい経ってやってきた「皇帝陛下のご使者」様が私に「帝都に招待する」と告げたのである。


 ご使者様はハクシャク様だそうで、神官様も町長様も仰天して跪いていた。シシャク様である領主様よりお偉い方なのだそうだ。


 その物凄くお偉い筈のハクシャク様が私に向けて跪き、恭しく頭を下げた上で、皇帝陛下と帝国大神殿は私を聖女と認定し、私を帝都に招待すると仰った。


 それだけではなく皇帝陛下は「聖女様を皇太子妃として迎え入れたい」というご意向だとも聞かされた。……正直に言って意味が分からなかったわね。後で神官様に「皇太子殿下のお嫁さんに迎えようという意味だよ」と説明されてようやく理解した。


 ハクシャク様のお言葉を聞いて神官様も町長様も、呼び出されていた両親も大騒ぎになってしまった。とんでもなく名誉なことであるらしい。私はもちろん良く分かっていない。そもそも、コウテイヘイカ自体をまだよく分かっていない。ハクシャク様より偉いのかどうかも知らなかったのだから。


 で、それからてんやわんやと準備を整え、すったもんだが(領主様が私を帝都に行かせたがらなかったそうだ)あった後、私は両親と生まれ故郷の村を後にして帝都へと旅立ったのだった。

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