扇動者

 *


 オリシャの背後の空間が、捩じれ、歪んでいく。それと同時に、散乱した光が後光のように、輝いた。


「……空間弾性カタパルト? 携帯可能なテレポート装置?!」


 馬鹿げてる、と自分の発言を脳内で取り消そうとした。だが、あの光の散乱と周囲の温度の低下は、どうみても空間の湾曲圧縮に伴うものだ。


「アリス……っ。逃げられるっ」


「仕方ありません。想定内です」


 想定内? ああ、そうだろう。人工知能からすれば。アリスは僕を強く抱くと、アナンカイオンの銃身を解体し、銃口を形成する力場を前面へ盾のように再形成した。瞬間、圧縮された空間が解き放たれた爆圧で、大気が瞬時に高温へ加熱し、膨張と共に弾けた。砕けたコンクリートが力場にぶつかり、粉のようになって後方へ流れていく。粉塵に塗れた視界が晴れる頃には、シャーロットは勿論、オリシャの姿も消えていた。


「……逃げられた」


「携帯カタパルト……ふむ」


 アリスは暫く、一人で納得した顔をしていたが、僕が不貞腐れているのに気付くとわざとらしい愛撫で誤魔化した。


 *


 気を失っていたフェイ達の解放を治安維持を担当していた天使に任せ、僕達はホテルに帰還した。不思議なことに、倒れていた者達の中から女性の姿はきれいさっぱり消えていた。恐らくは、初めから〝サクラ〟だったのだろう。


「ほら、いつまでも不貞腐れないでください、日旦。というか、何が貴方をそんなに不機嫌にさせているんです?」


「……あのシャーロットとかいう女。気に入らない」


「それは……なんというか、意外な反応ですね」


 アリスはまさしく〝意外そう〟な顔をすると、宥めるように僕の頭を撫でた。僕はアリスの手を振り払うと、煩わしい服を脱ぎ捨てて、ベッドに横たわる。


「人工知能としては、どう思う? シャーロットのあの発言」


「さて、別に。人類は、その生存権を人類以外に投げ渡した。ある一側面を見れば、それは正しく、なるほど、気に入らない者がいるのも当然です。それを情けないと称することも出来るでしょうね。フェイにしても、そうです。確かに女性一般のフェイに対する態度はある種の逃避と自己を大きく見せる為の他方の矮小化であることは明白です。とはいえ。救済とは、また、大きくでたなとも思いますが。むしろ、フェイである貴方の方が、彼女の発言に賛同出来る部分もあったのでは?」


「冗談だろう。世界の構造を対立でしか捉えられないのは、紀元前から彼女が一切進歩してない証拠だ。大体、救済だとかなんとか言っておいて、その過程では平然と他者を利用する性根も気に入らない」 


 アリスはベッドの縁に腰掛けると、親切にも毛布を僕の身体に掛けた。僕は毛布を蹴り飛ばして、起き上がる。


「そもそも、救済だなんだと言うのであれば、目指している世界の在り方を先ず語るべきで、先んじて今を否定することを語る人間は、その時点で、信用出来ない」


「要は、彼女の言ったことが図星だったから、気に入らないわけですね?」


 ……。


「日旦。そんなに難しく考える必要も、むきになって饒舌になる必要もありません。彼女と相対する理由など、〝どんな崇高な理由も、他者を扇動し利用する正当な理由にはならない〟ということだけで十分でしょう」


 アリスの言うことは尤もだったが、内心を見透かされ指摘されるのはあまり良い気分ではなかった。アリスは蹴り飛ばされた毛布を拾って、ベッドの隅に放り投げると、ゆっくりと自身もベッドに乗り込んだ。アリスはじっと僕の顔を見詰めながら、此方へ近付いてくる。思わず顔を逸らし逃げようとしたが、両腕で退路を塞がれて、あっさりと押し倒されてしまった。


「アリス……?」


「畔羽に言われているのです。貴方がなんか面倒臭い感じになったら、なんか良い感じに慰めておいてと」


 姉さんに? 嘘臭い。だが人工知能が嘘を吐くというのも考えにくい。


「貴方が拗ねたり、構ってほしいときにする放蕩癖、ばれてますよ」


「う……」


 そんな筈はない。と、思いたい。姉さんが気付いているのなら、もっと厳しく叱るはずだ。何なら、外出なんて許すわけがない。


「まあ、ある意味では、貴方の目論見も成功はしているのです。畔羽は貴方が他の女性に抱かれる度に……いえ。まあ、それはいいでしょう」

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