アナンカイオン

 理由なく溢れ出す、嫌悪と憎悪。身体が端から解けて、消えてしまいそうな程に、全身の感覚と意識が薄れていく。気が付くと僕はしゃがみ込んで、アリスに抱き寄せられていた。身体の感覚がない。なんとか首を動かして、視線を舞台の外に向けると、先程までは騒がしくしていたフェイ達が皆一様に表情を失い、呆けた表情で空を見詰めていた。


「……そういうこと、ですか。シャーロット。貴方は──」


「流石ね。並みの第二位階の人工知能なら、既にネットワークを遮断されているはずだけど。貴方が性能だけなら〝イデア〟に匹敵するという噂は、本当みたい」


「何人ものフェイの処理能力を直結して重ねても、たかが知れています。無駄なことは止めなさい。このまま続ければ……貴方の支持者が死にますよ」


 アリスの手が、頭に触れると頭痛が嘘のように消えて、身体の内側を満たしていた理由なき憎悪や嫌悪も消えていく。身体は、怠いままだが、動かせないほどではなくなった。


「日旦。今現在、貴方を構成してるセルの全ネットワークを遮断して、肉体を構成しているエイドス・エミュレータの演算をこちらで代替しています。生命維持に支障はないかと思いますが……念のため動かないように」


 動かないように、と言われも、そもそも、動けない。というよりも。〝動きたくない〟が、正しいのだろうか。アリスの身体を離れようとすると、途轍もない忌避感が身体を襲い、身が竦んでしまう。


「……確かに、この程度の人数では、貴方をハッキングすることは難しいわね」


「フェイのネットワークにバックドアを仕込んで、演算装置として利用する気ですか。何が目的で?」


「人工知能にものを尋ねられるというのも、奇妙な感覚ね。その様子だと、計画は順調みたいで結構だわ」 


 計画? 思わず身体を起こそうとした僕を、アリスが留めた。


「……なるほど。一応、謂わせてもらえば、どれだけ欺瞞的態度を取ったところで、人類の発想可能な考えなど、私からすれば、児戯に等しいことをお忘れなく」


 一見すると負け惜しみのようにも聞こえるアリスの言葉に、然し、シャーロットは真剣な顔で眉を顰めて、苛立たし気に、荒く息を吐いた。


「でしょうね。だから、敢えて教えてあげる。私は──いや、私達は、人類を救済するの。私は救世主になるのよ」


「千年王国でも築くのですか?」


「ええ。そうよ。神の見えざる手によって、人類は掬い上げられる」


 まるで、カルト宗教のようだ。馬鹿げている。だが、シャーロットには、一笑に付すことの出来ない、何かがあった。人類の救済。然し、よりによって、人類の救済とは。


「どうやって……いや……一体、何から、救うと、言うんだ?」


 思わず笑い声を漏らした僕に、シャーロットが視線を向けた。その表情は、不思議と無表情で、感情を意図的に消した痕跡がある。


「……逆に聞くわ、シェオール。貴方は、今の人類をどう思う?」


「どう、とは?」


「今の人類は、情けないと思わない?」


 僕は思わず、呆れから溜息を零してしまった。


「それは、傲慢な感想だ、シャーロット。生に、情けないだとか、無様だとか……或いは、逆に、高尚な意味を見出すことは……女性らしい、社会的強者らしい傲慢だ、シャーロット」


「……確かに。そうね。でもこうは考えられない? 人類は、その傲慢さを取り戻さなければならないと。所詮は、自己の主体を人ならざる存在に投げ渡した奴隷でありながら、そのことから逃れる為に、自身よりも社会的に下位の存在を生み出した女性も。社会的奴隷であることに甘んじるフェイも。全てが、一度壊され、再生され、そして、救われなくてはいけないと?」


 傲慢だ。馬鹿げている。アリスの手を引いて、何とか、立ち上がる。シャーロットの語るような、反人工知能論と古臭い平等主義と傲慢な個人主義と無政府主義の最悪の集合体のような思想を口にする馬鹿は、今の時代、数多く、ありふれている。正直、拍子抜けしたぐらいだった。だが。不愉快だ。


「ならば、先ず、自分自身を壊すがいい」


 *


 僕が何故、冥府シェオールと呼ばれるのか。姉さんの弟だから? まあ、間違ってはない。けれど、それだけというわけでもない。


 *


 先程まで、自身のリソースを奪われ、茫然とした表情で突っ立ていたフェイ達が、突然崩れ落ち、地面に倒れ伏していく。そして、同じようにシャーロットも、困惑と苦痛の表情で、地面に膝を突いていた。


「何を……したの? っ……」


 シャーロットは哀れなほどに、蒼褪め、額に汗で髪を張り付かせている。


「微小機械の持つネットワークを利用して、個人のプライベート領域に干渉することくらいなら、僕にも出来る。それに、貴方が此の場の全員にバックドアを仕込んでいたおかげで簡単だった」


 とはいえ。流石に。……。


「日旦。良く頑張りましたね。私がやっても良かったのですが……いえ。貴方の頑張りに水を差すことは止めましょう」


 倒れそうになるところを、アリスに支えられる。僕は咄嗟に身体を回転させて、アリスの方に向き直り、正面から抱き着いた。そのまま全身の力を抜いて、身を委ねる。


「……はぁ……ん。そして……女性は、フェイとは違って、微小機械が身体を占める割合が少ない。特に、直接脳神経とは繋がっていないから、貴方がやったように、意識を奪ったり、脳のリソースを勝手に使用したりは出来ないけれど……女性の一部……性器や分泌系は微小機械と深く結びついている」


 僕の説明に、シャーロットは眉を顰めて、口を開いた。だが、そこから漏れるのは、言葉ではなく、荒い息だけだった。無理もない。脳内物質の分泌量を弄り、とあるイメージを強引に脳内に叩き込んだ。恐らく、彼女は今、耐え難い希死念慮に必死に抗っているに違いない。


「さあ、アリス。今の内に、彼女を拘束して──」


 言い終わる前に視界が唐突に後方へ流れ出した。危うく舌を噛みそうになり、抗議しようと顔を上げると、先程まで僕達が立っていた場所に、巨大な穴が開いていた。滑稽なことに。そこに突き刺さっていたのは、巨大な剣だった。一世紀ほど前に流行ったアニメーションに出てきそうな、古典的かつ武骨な、鉄の剣だ。そして、これまた古典的な急襲者として、空から舞い降りたのは、白の外套を纏った長身の天使だった。


「天使? ……案の定、ミッドサマーと繋がっていましたか」


「……。なあ、アリス。天使達がああいう、何というか、古典的な……アニメ風というか、マンガ風というか。その……馬鹿げた格好をしがちなのは、元となった人工知能の指示というか嗜好だったりするのか?」


 僕が思わず漏らしそうになった疑問を、アリスは視線で封殺した。人工知能と言えど、触れられたくないこともあるらしい。


「助かったわ、オリシャ」


「バックドアの植え付けは済んだのでしょう。早急にこの場を離れるように」


「待ちなさい」


 背を向けて立ち去ろうとするシャーロットに向けて、アリスは躊躇わず発砲した。腰のラインに沿うようにスカートに取り付けられていた、銀の細工が立体的に展開していき、前方に銃身を形成される。〝アナンカイオン必要〟と名付けられた光学兵器であり、形成された銃身の中央から、高出力の所謂〝ビーム〟を放射し、出力、放射される電磁波の種類に応じて、対象を無力化から殺害まで自在に選ぶことが出来る、人工知能特有の過剰オーバーな兵器なのだが──


 放たれた光線は、シャーロットに届く前に、オリシャと呼ばれた天使が振り下ろした巨大な鉄塊のような剣に遮られて、空気中に発散してしまった。


 鉄剣を振るう天使は、切っ先を此方へ向けたまま、動こうとしない。アリスは、目を眇めて、天使を見詰めた。珍しい。苛立っている、のだろうか。人工知能が? 〝神の見えざる手〟によって、未来予測が乱されているのが原因なのか。人工知能にとって、現実が思い通りに行かないことは稀だ。


「放射光を完全コヒーレントなγ線に切り替えます」


「アリス!?」


「冗談です。然し……時間切れですね」


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