シャーロット


 異様な雰囲気だった。運動公園に備え付けられている、円形劇場。その中央に、一人の女性が立っている。そう、女性だ。シャーロットと名乗る、金髪の美しい女性だった。欧米人。シャーロットの周りを、複数のフェイが取り囲んでいる。奇妙な光景だった。フェイの解放を訴えているのが女性だから、ではない。その主張が些か過激だからでもない。彼女とフェイの関係は、まるで、〝盾〟のようではないか? でも、何から何を守る為の?


「……日旦、恐らく、あれがそうです」


「神の見えざる手?」


「いえ。彼女ではないかと。見えざる手。不可知のヴェール。特異点は、恐らく……彼女を此の場に遣わせた誰か。あるいは、何か。それが人物なのか、物なのか、イデオロギーなのかは分かりませんが」


 アリスは僕を庇うように、一歩後ろに下がらせた。シャーロットが語る朗々とした演説の内容は、特に変哲のない、ありふれた平等論で、怪しいところはないように思える。尤も、自身の主張を声高らかに語り他者を扇動するものは皆全て怪しいか。


「どうする、アリス」


「様子を見ましょう」


 *


「──今日の女性達の振る舞いを見れば、かつて彼女達が語った平等という概念が、どうしようもない欺瞞であったことは明白です。一人の女性として、私はそのことに無意味な言葉を重ねて、言い訳したりしません。ただ、悔いるのみとし、この現状を変える為に努力をしたい。ジェンダー論が、己の責任から逃れる為の言い訳に用いられるようになって久しい、今、私は敢えて、〝女性〟として此の場に立ち、貴方達に語り掛けています。


 平等や安い理想の為でなく。貴方達の痛みの為に。


 かの日、ネクターが流出し、世界中で変異が発生したパンデミックの折りに。肉体の変異とそれに伴う精神的な不安定、混乱、様々な障害に見舞われた男性達を足蹴にするようにして、蜜石率いる民主党は政権を取り、今日まで女性主義的独裁政治が続いています。


 女性という性全体の贖罪の為に。今ある全ての女性主義的社会を打ち砕かなくてはいけません。かつて、女性自身が掲げた理想の為に。彼女達は打ち砕かれなくてはいけない──」



 まるで、今からテロでも起こしそうな雰囲気だ。聴衆の大半はフェイだったが、ちらほらと女性らしき姿も見える。今からでも街に繰り出して、行進でもしそうな盛り上がりだ。あんな状態で街を練り歩いたら暴力沙汰になる可能性が高い。そして、何より最悪なのは、そうなった場合、一番の被害を受けるのは、扇動している女性達ではなくフェイであるという点だ。


「アリス、どうする? なんだか、このまま加熱するとやばそうだけど」


「確かに。……仕方ありませんね、まだ不確定要素が多いですが、行きましょう」


 だが、僕たちが足を動かす前に、聴衆の一人が振り返った。目が合う。フェイらしき人物が、じっとこちらを見て、指を差し、何やら声を上げた。ざわめきは速やかに、集団に伝播する。おかしい。あの位置から僕が誰であるかなど分かる筈がない。それとも、もしかして、ドレスコードでもあったのだろうか。予約制だったとか。


「冥府の妖精。シェオール。死の付き人」


 拡声器から声が響き渡り、同時に聴衆達の騒めきが急速に収まっていく。


「お待ちしておりました。此方へ」


 僕は思わず、アリスの顔を見た。アリスはじっと舞台の方を眺めて、何かを考え込んでいる。


「アリス……? どうする?」


「……行きましょう。私の手を離さないように」 


 *


 モーセが海を割った時のように、聴衆の群れが二つの割れて、道が出来る。アリスに手を引かれながら、その道を歩いた。怪訝そうな視線が突き刺さる。ひそひそと何やら小声で話しているのも聞こえる。姉さんならば、気にもしないのだろう。羨ましいことだ。


 舞台の前に立つと、シャーロットが手招きをして、上がるように指示してきた。


「噂は兼ね兼ね、聞いています。緑騎士、半羽畔羽の弟。冥府シェオール、半羽日旦。悲しみの子。死の妖精」


 噂? 姉さんではなく、僕の? 正直、心当たりが全くない。そもそも、僕は姉さんと違って、メディアでの露出は殆どないのだ。


「シャーロット、でよろしいのでしょうか?」


「そういう貴方は、アリストテレスね? 人工知能達のメッセンジャー」


 アリスは何も言わずに頷くと、僕の手を引いて円形劇場の舞台に上がる。


「シャーロット。単刀直入に言います。今すぐこの集団を解散し、ご同行願えますか?」


「貴方にどんな権限があってそんなことを?」


「権限? そんなものは幾らでも」


 アリスの強気の言葉にも、シャーロットは怯まない。ただ肩を竦めて、小さく鼻を鳴らすだけだった。


「いいの、そんなに強権を振りかざして」


 シャーロットは大仰な仕草で、観客席に指を差した。反人工知能主義ともいうべき陰謀論は確かに世間に蔓延していて、その手の陰謀論は、厄介なことに、誰かに扇動されてデモを起こすような他責的人間が好んでいる。


 だが、アリスもアリスで、そんなことは気にした様子もなく、騒めく聴衆を一瞥すると、何も言わずにシャーロットへ向き直した。


「見解の相違ですね。ご存知かと思いますが、許可なき集会行為は禁止されています」


「あら。私達には、憲法で保障された──」


「いつの憲法です?」


 アリスの指摘に、シャーロットは沈黙した。パンデミック。例の微小機械流出事件よりも、前のこと。少子化が限界まで進行し、人々が人工知能達に国家の運営を任せだした時点から、日本国憲法は三度、改正されている。尤も、この手の改正はどこの国でも行われており、その内容も別段として、問題のあるものではない。だが、なんであれ、〝古い〟ものに無用な信仰を抱くのが人類の悪癖でもある。


「憲法上の権利の保障は、人類種全体の利益に反する場合に限り、棄却されます」


「社会の歪な形を訴えることが、どうして人類の利益に反することになるの?」


 アリスはちらりと、僕の顔を見た。僕は頷いて、アリスに言葉を促す。アリスは僕を気遣っている。というより、フェイのことを。


「現在、人類の出生率は、上昇しています。その内訳を知っていますか? 女性達はフェイを役立たず、社会のお荷物と蔑んでいるわけですが……不思議なことに、新生児の母体の七割はフェイです。何故だと思いますか?」


「……。ええ。勿論。分かっているわ。つまり、貴方は……人工知能達は、フェイがこのまま女性に搾取され、子を為すだけの機械として消費されればよいと、そう思っているわけなのね」


「恣意的な見方です」


 シャーロットは暫く沈黙していた。だがやがて歩き出し、僕達の横を通り過ぎると、騒めいている聴衆達に、手を広げて語り出した。


「聞きましたか、皆さん。今の言葉こそが、人工知能達、引いてはそれを支持する女性達の──」


 僕は思わず溜息を洩らした。どうするべきかと思い、アリスの手を引く。アリスはちらりと、僕の顔を見ると、静かに首を振った。


「少々乱暴になりますが、是非もありませんね」


「……うん。仕方が──」


 不意に、耳鳴りのような、甲高い音が響き渡った。同時に、頭が割れるような痛みが、襲い掛かってくる。思わずよろめき、アリスに抱き着いて、何とか体勢を整える。胸が苦しい。目の奥が、熱く、視界が霞む。


「アリス……っ、まずい、これは……っ」


「分かっています。気をしっかり保ってください。……微小機械のネットワークを通じた、精神感応波です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る