フォー・ホースメンに属している人類(つまり、女性とフェイ。天使と施設に付属するインターフェイス用簡易人工知能を除く)は、誰もが皆、人工知能に直接スカウトされた人物である。どのような人物がスカウトされるのか。優秀な人物? ある意味では、間違ってはいない。但し、正しくもない。


 人工知能達は、常に人類の滅亡を回避する為に、ある種の、未来予測を行っている。一般に、終末演算と呼ばれるものだ。たった一つの確実な未来を予測することは出来なくとも、滅亡へ至る無数の未来を可能な限り予測しておき、現状に合わせて修正しながら参考に用いればいい。人工知能達は、その演算結果をストーリーラインと呼んでいる。


 フォー・ホースメンにスカウトされている人物は、その終末演算において、世界の滅亡の重大な要素となった人物であるとされる。そして、その滅亡の主要因となった四人の人物が、所謂、四騎士である。そうなのだ。姉さん。緑騎士。ペイルライダー。半羽畔羽は、アリスの話では既に未来予測の中で三十四回、世界を滅ぼしている。


 あるストーリーラインでは、僕と姉さんが致命的な喧嘩をした結果、姉さんが世界を滅ぼしたらしい。らしい、というのは、具体的にどのように世界が滅んだかを、アリスは教えてくれなかったからだ。機密事項だという。


 勘弁してくれ、と思う。と、同時に、そんなことで滅ぶ世界なら、滅んでしまえと、思わなくもない。



「と、いうわけだから。安心して。アリスもいるし……危険はないよ。というか、そんなに気になるなら、付いてくれば良かっただろ」 


『付いて行ったら、拗ねてたでしょ?』


「……」


 否定は出来ない。とはいえ、それは僕が狭量なのではなく、姉さんが常日頃から過保護気味なのが悪い。


『まあ、分かってるわよ。アリスがいれば、安心なのは確か。だから、任せたのだし。でも、無理はしないこと。怪我をしないこと。それから……』


 姉さんは、〝それから〟の続きを口にはしなかった。僕も何が言いたいかは分かったので、敢えて尋ねなかった。もう手遅れだったからでもある。姉さんも、何となく気付いているに違いない。いつものことなのだ。


『悪い子には、お仕置きしないとね』


「……どんな?」


『貴方が望むような。ビデオ通話に切り替えて』


 言われた通りに、ビデオ通話に切り替える。仮想モニタが拡大して、姉さんの全身が映し出される。あちらにも、同じように僕の姿が映し出されていることだろう。


『脱いで』


「姉さ──」


『お姉ちゃん、ね。ほら。早く脱いで』


 こうなったら、もう何を言っても無駄だろう。僕は渋々、シャツのボタンに手を掛けた。些か、フリルが多いこのシャツは、勿論、姉さんの趣味だ。その下で、小さな丘を守っている聖なる防護も同じ。僕は、あまりファッションには興味がなく、全て、姉さんに任せていた。


 ……正直なところ。この小さな、慎ましい、淑女然とした小丘には、不満がある。いや、そもそも、なぜ僕は、こんなにも幼い身体なのだろう。フェイの外見年齢は、変異が訪れる前の精神状態が影響しているという報告がされている。自己肯定感が強い者ほど、発達した外見に。低いものほど、幼く、未熟な体付きになるという。僕は確かに、そこまで自惚れ屋ではなかったとは思う。だからといって、こんな身体になるほど、自己否定が強かった覚えもない。


 やけくそ気味に服を脱ぎ散らし、下着を取り払う。


「これで満足?」


『私はね。でも、貴方は満足してないでしょ?』


「……どういう意味?」


『私に構ってほしかったんでしょ?』


「……お姉ちゃんが、でしょ?」


 *


 露に濡れた花弁を、指先で押し開き、その奥に眠る蜜を晒す。


『ふふ。かわいい』


 花の蜜から立ち昇る濃厚な香りが、カメラ映像に情報として乗ることなど在り得ないが、にも関わらず、そのどこか青い香りを、姉さんは感じ取っているかのように、目を眇め、陶然とした表情で小さく息を吐いた。


『ほら、指が止まっているわよ』


 蜜を掬った指先で、ぷっくりと膨らんだ蕾を摘まむ。甘い疼きに子房が脈動する。蜜が零れ、床に染みを作る。根が震え、茎が震える。


『かわいい、私のドローレス』


 小さな二つの丘。その先端に、これまた小さな結実がある。小さな苺。赤く、膨れた、小さな果実。指で摘まむと、甘く、とろりとした液体が、滲みだして、ぽたぽたと零れ出した。


『とても親切な苺よね。自分から練乳を出してくれるんだもの』


「………、姉さ、ん」


『私がその場にいないのが残念だわ。とてもね』


 姉さんの指を想像しながら、花を摘む。姉さんと行う花摘みは、毎晩、毎晩、行われる儀式のようなものだ。花を摘み、丘を撫で、窪地を埋め、平野に出来る清らかな水の珠を拾い集める。そして、二つの丘へ再び登り、その頂点で、赤い実を食む。


 姉さんの指先。姉さんの声。姉さんの──


 *


 アリスの機械の身体は、それでも、抱き締めると温かかった。夜の闇は冷たく、恐ろしく、薄い毛布と布団ではそれを覆い隠すことなど出来ない。温かな抱擁だけが、それを誤魔化し、遠ざけることが出来る。


 姉さんとの通信が切れた後(姉さんが僕の花摘みに満足した後)、同じベッドに入るように頼み込む哀れな僕を、アリスはただ肩を竦めるだけで許してくれた。幸いなことに、ベッドは二人が寝るのに十分な大きさだった。


 一人でベッドに入ることの寂しさに、どうしたら耐えられるようになるのだろう。抱擁と柔らかな愛撫のない夜に、どうすれば耐えられるだろう。


 アリスのマニピュレーターに用いられている人工皮膚には、人間の自然な体温を再現する機能が付いている。何の為に、と尋ねると、料理だとか、マッサージだとか、そういうことの為にと返答されたことがある。料理はともかく。アリスのマッサージは確かに気持ちが良い。人工知能にそんな機能が必要なのかは、良く分からない。


「相変わらず……夜は甘えん坊ですね」


 アリスの呆れたような言葉に、僕は反論することが出来ない。けれど仕方がないのだ。夜と孤独を恐れるのは、フェイの特性のようなもので、僕のせいではない。機械の身体に頬を寄せて、回路に電気が流れる様子を幻視する。


「仕方ないだろ。……この前みたいに、いきなり居なくなるのは、駄目だから」


「はいはい。分かっていますよ。ああ。そういえば。……トイレには行きましたか? この前みたいに──」


 アリスがこれ以上余計なことを言わないように、胸を叩いて黙らせる。柔らかい。機械なのに。悲しくなって、自分の膨らみを思わず見てしまった。小さな丘。慎ましい。別に、大きな胸が欲しいわけではないのだ。せめて、胸だけでも。大人のようなら、と。思うだけなのだ。


「恥ずかしがらずとも、大丈夫ですよ。フェイの排泄器官に仕様上の欠陥があることは既に解明済みですから。フェイの排泄物は基本的に真水とそれを特殊な凝固剤で固めたものですが、極めて多量の生化学的反応物質が含まれており、フェイを構成する──」


「分かった。分かったから、説明するな……トイレ、ちゃんと行くから……」


 馬鹿にして、とは思うものの、口に出すと、人工知能が人を馬鹿にするわけないじゃないですかと、真顔で返されるので黙るしかない。とはいえ。


「……」


 動きたくない。それに、別段尿意はないのだ。先程散々、水分を失ったからというのもある。何より、一人になりたくない。アリスに着いてきて貰えばいいのだが、それも何だか恥ずかしい。奇妙な感覚だというのは分かっている。裸を見られるのも痴態を見られるのも、別に構わない。ただ、一人でトイレに行くのが嫌だから、というのは。


「……日旦?」


「トイレは、大丈夫。よく考えたら、さっき行ったから」


 アリスは疑わし気な目で僕を見てきたが、僕はそれを無視して背を向けた。


 *


 夢を見た。遠い昔に、姉さんと川に遊びに行った時の夢だ。勿論、パンデミック前のことで、その頃の僕は、フェイではなかったのだが、そこは夢の中ということで、僕は妙に少女趣味な水着を着て、水遊びを楽しんでいた。


 夏の日差しに反射する水面の煌めき。水の冷たさ。石を裸足で踏む感覚。夢の中に痛みがないというのは、嘘っぱちで、僕は大概の夢の中で、痛みを感じる。羽が黒い蜻蛉が肩に止まって、僕はそれを捕まえようとする。幼い頃の僕は、虫の類が苦手ではなかった。今では、触れることは出来そうにない。


 姉さんは岸で本を読んでいた。表紙は夢特有の曖昧さで隠されていたので、分からない。


 遊び疲れた僕は、姉さんの横に座り込む。姉さんは本から顔を上げて、僕の顔を見た。姉さんは、トイレに行くから一緒に行きましょうと言って、僕の手を引いて歩き出す。





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