アリストテレス

「満足しましたか? では仕事の話に移りましょう。端的に言えば、デモの鎮圧に向かってほしいのですが……」


「デモ? ああ……最近流行りの。でも、どうして私なの? そんなのは警察にでもやらせておけばいいし、百歩譲って、そういうのは〝赤〟か〝白〟の役目でしょう?」


「赤? それこそ冗談でしょう。鎮圧ですよ。殺戮ではありません」


 フォー・ホースメンには、その名の通り、四つの班分けが存在している。フォー・ホースメンは表向きには、対堕天使討伐部隊だが、実際は人工知能達の命令を受けて特殊任務をこなすエージェントだ。赤は最も直接的手段を以て任務をこなす。戦闘スペシャリスト。


「どうにも、そのデモを行っている中核の集団にテロリストが関わっているようなのです。〝ミッドサマー〟という名を知っているでしょう?」


「ミッドサマー? ……ああ。あの自称革命軍。それは……まあ、確かに厄介だけど」


「何か、厄介ごとが起こった時に、一番被害を抑えられるのは、貴方だろうというのが、人工知能達が達した結論です」


 姉さんは、面倒くさそうに溜息を吐いて、暫く虚空を眺めていた。やがて、静かに首を振って、ソファに深くもたれかかる。

 

「お断り。大体、デモなんて好きにさせておけばいいじゃない。下手に刺激する方が面倒だわ。ミッドサマーが保有している堕天使達は確かに戦力としては面倒だけど……天使は堕ちても天使だもの。哀れな天使達は、自主的に人類を傷付けることは出来ない」


 堕天使達は、バグやストレスによって優先順位の錯誤を起こし、人類に反旗を翻した天使達だが、そんな状態にあって尚、彼らは、自身に設定された至上命題、即ち、人類の繁栄、人類の栄達、人類の保護、人類を最優先とした文明の維持という思考の条件付けから脱することは出来ていない。堕天使達は、自らの意志で、人類を傷付けることは出来ない。自己の保存を脅かされない限りは。


 建造物の破壊や、文明の否定、いうなれば、法の牴触などは、人類の文明が持つ本質的矛盾を突けば幾らでも無視できるが、人類への直接的危害に関しては、堕天使達では、どうあっても、先制することが出来ない。


 堕天使達の大暴れが。そして、その討伐の放送が、一種の娯楽として受け入れられているのは、それが理由でもある。結局のところ、今の時代。人はそう簡単には死なない。今では誰もが持つ、固有端末と、大気に偏在する微小機械を用いた医療技術。現在、日本における老衰以外での死因は全て合わせても、年に百件以下しかない。これだけ堕天使達による破壊活動が活発になっているにも関わらず、だ。


 そして、資源もまた無限にある。人工知能達の高尚な技術の具体的な理論など知りようがないが、

彼らがエントロピーの制御と嘯く技術と微小機械による自動建設によって、巨大なビルが派手に吹き飛ぼうが、道路が硝子のように砕かれようが、民衆はその派手な〝演出〟に喜ぶだけだ。


「資源が潤沢というのも、考えものですね。端的に言って、人類の皆様は我々の演算能力を無駄に使っています。ええ、確かに。現在日本国内に存在する建造物は、微小機械による自動建造を用いれば大凡、二十時間もあれば建造が完了するでしょうが。微小機械に設計図を入力し、量子レベルでの物質操作演算を行っているのは、専門の人工知能達です。無限小の時間の中で行われる演算は、然し、有限の時間によって出力されることをお忘れなく」


 姉さんは、退屈そうにあくびをすると、僕に向かって手招きをした。首を振ってそれを拒否する。アリスはそんなやり取りを見て、僕の方に視線を向けた。


「……そうですね。では、日旦。貴方に頼めますか?」


「僕に?」


「ちょと、アリス。どういうつもり?」


 アリスはちらりと、姉さんの方へと視線を向けたが、何も言わなかった。アリスはどういうつもりなのだろう。


「まあ、実際のところ。テロリスト共が何かするとは限りません。あくまでも、〝もしも〟の時の為に、最大限の保険を掛けておきたかったのです。畔羽。貴方が断るのなら、日旦に頼むことにしましょう。お願い出来ますか?」


 姉さんの表情が怖い。どうしたものか。僕に姉さんの代わりが務まるとは思えない。僕を引っ張り出せば、姉さんが付いてくると分かっているのだ。


「……はぁ。気は乗らないけど。分かったよ、アリス」


「ちょっと、日旦!」


 アリスは声を上げる姉さんを無視して、ありがとうございます、と、これまた大仰に頭を下げた。

 


 フェイ。妖精。永遠に幼く。永遠に美しく。そして、極めて高い、不死性。それがフェイの基本的な性質だ。


 今や世界に遍在する微小機械──〝ネクター〟は、元は不死の研究の為に研究されていた万能な自己増殖するプログラマブル・マターである。かつて、クオリアを搭載した自己進化型人工知能の試作機の一機。運命の女神の名が冠された彼女が生み出した、とある証明に基づいて設計されている。


 即ち、魂の証明。


 ネクターは、魂の証明を以て死を否定する。ネクターの本質は、自己増殖に基づいて無限大に拡張されていくネットワークだ。そして、物質のあらゆる情報を記録し続ける。ネクターは、量子の状態を制御し記録媒体として利用することで、無限大の──勿論、文学的意味での無限大だが──容量を持っている。全てのフェイは、自身を構成する情報を余すことなく、ネクターのネットワークにバックアップが取られており、常時、その補正を受けている。傷を負えばすぐさま癒え、基本的に病に罹ることもない。その為、フェイの健康度は、〝正常性〟と呼ばれる特殊な指数で語られるほどだ。


 まさしく。新たな性、新たな人類と言ってもいい。


「けれど、女性達は、フェイを人類と認めることはなかった」


「人は常に、自分より劣る存在にしか、権利を認めないものですから」


 人工知能であるアリスが言うと、説得力がある。尤も、彼女達人工知能は、自身より遥かに下等な人類に権利など認められようが、認められなかろうが、気にさえしない。その気になれば、容易く滅ぼせる存在が、どんな戯言を口にしても、考慮にさえ値しない。彼女達は常に、人類の無礼を笑って(時に嘲笑であるとしても)許す。


「……。でも残念だったね、アリス。アリスの予定に反して、姉さんは付いてこなかったけど」


「? ああ。ご心配なく。最初から、私は貴方に仕事を頼むつもりでしたから」


 僕は思わず顔を顰めて、アリスが強がっているのかと疑った。だが、一般に人工知能は強がりなど言わない。


「何故僕に?」


「貴方がフェイだからです。考えてもみてください。相手は、仮にもフェイの社会的解放を訴えているのですよ。フェイである貴方なら、多少なりとも、穏便に済むかもしれません」


 僕は、疑わしく思い、思わず目を細めてしまった。絶対に嘘だ。とはいえ、人工知能の考えを推察しようという試みは、大体の場合、徒労に終わる。僕は肩を竦めて、周囲に視線を移した。


 道を歩いているのは、八割が女性だ。残り一割が、その女性に付き従うように歩いているフェイ。そして、もう一割が、無謀にも一人で街中を歩いているフェイ。フェイが付き添いを付けずに外を出歩くことは稀だ。女性のフェイに対する扱いは、パンデミック前に彼女達が常々口にしていた平等だとか、性差の解消だとか、弱者に対する思いやりだとかからは、酷くかけ離れている。


 尤も、僕はそれをあまり責める気にはならない。それは、僕が幸いにもある程度の地位を持ち、そして、姉さんに守られる立場であることからくる、傲慢なのかもしれないが。とはいえ、人類なんて、そんなものだ、という諦観は拭えず、また、自身が逆の立場であったと仮定したときに、周囲の雰囲気や風潮を打ち破ってまで、社会に敵対しようと思えるほどに自分が正義心に溢れる人間だとも思えない。何かを批判し、敵として糾弾する者は、先ず自らを糾すべきなのだ。


「それにしても。デモ、ね」


「貴方はどう思いますか、日旦。彼らの行いに、益はあると思いますか?」


「あるには、あるのだろうね。それが、彼らにとって好ましい益であるかは別にしても。でも、益より害が大きいのなら、それらが排除されるのも、また道理だ」


「正しい意見です、日旦」


 世界が強者と弱者に分かれようと、結局のところ、人々は平等に社会に囚われている。そして、その恩恵を受けている。彼らは、自分達が格差や差別と呼んで非難しているものの正体が分かっていない。



 アリスが、不意に足を止める。釣られて足を止めた僕は、アリスの視線を辿った。背の高い女性が、小さなフェイの腕を引いている。フェイの外見年齢は、凡そ、六歳から十六歳の間で、九歳程度の年齢が一番、多い。今、必死に女性の腕から逃れようとしているフェイも、大体その程度の外見だ。僕は視線だけでアリスに許可を得ると、小走りで二人に駆け寄った。

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