第3話 英雄になりたくてー3

「ノア、どうした」

「アリスが!」


 俺の声に起きたリュウがアリスの額を触る。


「医者だ……普通じゃない! ノア! アリスを背負え! いくぞ!」


 俺はリュウを見つめて、そして頷いた。

 アリスを背負って、最寄りの街、ファストレスまで走った。

 

 背中が冷たい、吐息だけが聞こえる。

 弱弱しくて今にも消えそうな吐息。


「アリス、はぁはぁ……大丈夫だ。兄ちゃんが助けてやるからな」


 励ましながらスラムを駆け抜ける。

 でも返事はない。


 堕神に殺された両親のことをふと思い出す。

 それだけは嫌だ。

 それだけは絶対に嫌だ。


 俺達は、走り続けた。

 一番近い街、ファストレスにある医者のいる店。

  

 ドンドンドン!!


「開けてくれ! 頼む! 急病なんだ!! 開けてくれ!!」


 ドンドンドン!!


 リュウが必死に扉を開く。

 もう夜中で店じまいなのだろう。

 それでも何度も何度も必死に叩くと中の灯りが付いて、扉が開いた。

 

「なんだい騒々しい……今何時だと思ってんだい。明日きな!!」

「急病なんです! 見ていただけませんか!!」


 中から現れたのは、70代ぐらいのお婆さんだった。

 大きな鼻に小さな眼鏡を乗せて、俺達を足から頭まで見つめている。


 深夜にみすぼらしい服の子供二人、一人の女の子を背負っている。

 金などないスラムに住む孤児なんだと一目でわかる姿だった。


「妹を見てくれ!!」

「金はあんのかい」

「…………」


 金は当たり前のようにない。

 でもこのままならアリスはどうなるかわからない。

 俺はその場に膝をつき、頭を地面にこすりつけた。


「どうか……お願いします。俺のたった一人の妹なんです。金はないです。でも……なんでもしますからどうか助けてください」

 

 アリスはもう息もほとんどしていない。

 断られたらアリスは死ぬかもしれない。

 それがどうしよもなく怖かった。

 するとお婆さんが口を開いた。


「はぁ……まったく。嫌になるよ」


 おばあさんはため息を吐きながら背を向けた。

 しかし、扉は閉まらず、開いている。

 

「さっさと入んな。見るだけ見てやる」


 その言葉に俺とリュウは目を見合わせて頷いた。

 そして言われるがままアリスをベッドの上に寝かせる。


 薄い呼吸と真っ白な顔、息をしているかもわからない。

 お婆さんは何やらアリスの胸に機器を当てて心音を聞いているようだ。

 俺達は祈るようにそれを見つめるしかできなかった。


「…………あんたらスラム孤児だね。そうか……こりゃあれだね」

「お婆さん! アリスは! アリスはどうなんですか!!」


 こちらを見るお婆さんは目を伏せながら俺に言った。


「……残念だけど、助からないよ」

 

 アリスが助からない。

 その一言は、俺の頭を真っ白にするには十分だった。


「ふ、ふざけるなぁ!!」


 思わず俺は声を荒げてしまった。


「リュウいこう! こいつはやぶ医者だ! 俺たちの命なんてどうだっていいと思ってる!」


 俺はベッドで寝ているアリスを起こす。

 冷たい体に眉をしかめながら、抱き上げようとする。

 

「リュウ! なにやってる! 手伝ってくれ! 早くしろ!!」

「ノア…………」


 俺はアリスを背負う。

 まるで死人のようだった。

 焦る気持ちだけが募っていく。

 なぜか涙がこぼれていく。


「別にいいけどね。その子、他の病院に行くまでに死ぬよ」


 だがその言葉は俺の胸をえぐり取った。


「――!! う、うるさい! アリスは死なない!! 俺が絶対に助ける!! 約束したんだ! 絶対守るって!! 俺が!! なにがあってもって!!」


 言っていることが滅茶苦茶だと言うのは分かっている。

 でもアリスが死ぬなんて受け入れられない。だって父さんと母さんに頼まれたんだ。

 最後に頼むって俺に!!

 それを見たお婆さんがため息とともに俺に背を向けた。


「はぁ…………いやだよ、まったく。ちょっと待ってな! リュウだったか? そのバカを止めときな」


 そういうとお婆さんは店の奥に行ってしまった。

 するとリュウが俺の肩を掴んでアリスと一緒にベッドに座らせた。


「リュウ……」

「――今は信じるしかない」


 リュウはゆっくりとアリスをベッドに寝かせ、俺をアリスから引きはがす。

 俺は涙を貯めながら力なくその場で膝をついた。


 するとお婆さんはすぐに戻ってきて何か木箱を持っている。

 それを開くと、中には鮮やかな虹色に輝く小さな宝石が埋め込まれた指輪が入っていた。


 お婆さんはその指輪を、アリスの胸の上に置いた。


「え? な、なにを!! なんだよ、それ……」


 その直後だった。

 宝石の虹色がまるで吸い取られるようにアリスの中へと入っていく。

 不思議な現象だった。

 そしてそれがしばらく続いたかと思うと、宝石の指輪が灰色になりくすんでいた。


 一体何が起きたかわからない。

 でも。


「おにぃ……」

「アリス!!」


 アリスがゆっくり目を開いてくれた。

 俺は飛びつくようにその手を握った。

 その手は先ほどまでの死人のような手ではなく、血が通った人の手だった。


「なんかポカポカする……」

「だ、大丈夫なのか?」

「でも……ねむ……おや……すやぁぁ……zzzz」


 そして再度アリスは目を閉じてしまった。

 だが眠っているだけであることがすぐにわかるほど自然な呼吸で寝息を立てている。


「……アリスの病気は、治ったん……ですか?」

「ただの延命だよ…………二人ともこっちきて座りな」


 俺とリュウは言われるがまま店の奥へと案内された。

 そこはお婆さんの住んでいる家のようで、机があり温かくどこか落ち着く空間だった。

 温かいお茶を出してもらい、それを飲むとさらに少し落ち着いた。


「お婆さん……その……さっきはすみませんでした」

「いいんだよ。家族が死にそうなときは大体みんなあんな感じさ」


 するとお婆さんは優しく笑い、そして悲しそうな顔で口を開いた。


「あの子は助かったわけじゃない。あの症状はね…………マナ枯渇症だ」

「マナ枯渇症……どういう病気なんですか」


 ――マナ。


 この世界の根源となり世界に漂う力。

 その程度が俺がマナについて知っていることだ。

 見たことも触ったこともないが、すぐそばにあり、世界を満たしている。


「この世界の礎、マナ……命ともいうべきかもね。あんたも私も意識はしなくてもそれを持ってる。この世界中にあるそれを私らは食べ物や呼吸で取り込んでる。それが枯渇した。見たらわかるがろくなもん食べてないんだろ? 特に育ちざかりのスラム育ちに良く発症するんだ」

「…………アリスは確かにほとんど食事をとってなかったです」


 頬はこけて、肉はほとんどない。

 ずっとおなかを空かせて、それが当たり前になっていたがアリスは確かにほとんど食べなかった。

 でもそれはきっと遠慮していたんだろう。

 俺とリュウに……そしてスラムの子供たちにたくさん食べさせるために。


「発症してしまったなら直す方法は一つだけ。マナクリスタルからマナを供給してもらう。今みたいにね」


「マナクリスタル?」

「魔剣に使われている堕神フォールンから取れる結晶体ですね。その虹色に光っていた指輪のような」


 リュウは知っているようだった。

 マナクリスタルは堕神の力の源で、やつらから採取できるらしい。

 そういうとお婆さんは先ほどのくすんだ色になった指輪が入っている木箱を触る。


「あぁこれで金貨100枚はするね」

「金貨100枚!?」


 俺はすぐに立ち上がって、もう一度床に頭をこすりながら精一杯の感謝の言葉を述べた。

 

「いいんだよ、どうせずっと眠ってた代物だからね。だがマナクリスタル自体は……とても貴重なものだ」

「弁償します。すぐには無理ですが……絶対に」


 お婆さんは手のひらでめんどくさそうにいらないと言った。


「ただの気まぐれだよ。野良猫に餌やったようなもんだ。……だがね、話はこっからだ」

「はい」

「……完治したわけじゃない。マナ枯渇症は一度発生すれば、十分なマナを供給されるまで治らない。今のはただの延命措置。寿命が一月伸びたってほどだね。しかも次眠ったら死ぬまで眠り続けるだろうよ」

「そ、そんな……でも治す方法はあるってことですよね!」


 だがお婆さんは話しずらそうに眉をしかめた。

 それを察してかリュウが口を開く。


「金……ですか。それもとんでもない金額の」

「…………あぁ……完治するには、この親指ほどの大きさのマナクリスタルがいるだろう。そんなマナクリスタルを手に入れようと思うと、金貨3000枚は必要だろうね」

「3000!?」


 金貨3000枚、そんなの俺達が逆立ちしたって用意することはできない。

 それだけあれば王都に家が買えるし、欲を出さなければ一生食っていけるほどの金だ。


「そんな金……用意できるわけがない」


 俺は言葉がでなかった。

 つまりアリスは助からないと言われたようなものだったからだ。


「…………ベッドはしばらく貸してやるよ。どうせ誰も使ってないんだ……今は浅い眠りだろうが、次眠ったら最後だ。だから交わしたい言葉を精一杯交わしてやりな」


 そういってお婆さんは席を立つ。


「死んだら何も伝えられないからね」


 残された俺とリュウはしばらく何も話せなかった。

 

「リュウ……俺」

「いってこい。俺はちょっと婆さんと話してくる」

 

 俺はそのままアリスが寝ているベッドへと向かった。

 すやすやと久しぶりの柔らかい寝床が気持ちよさそうだった。

 

 顔にかかったアリスの髪を整える。

 ぼさぼさで一切手入れもされていない髪、女の子ならおしゃれもしたい年だろうに。

 今でも美人だが、きっと磨けば街一番の美少女にだってなれるだろう。


 俺はずっとアリスを見ながら思い出を振り返っていた。

 信じられない。アリスの命があと一か月だけなんて。

 信じられない……アリスが死ぬなんて。


「……いつもの元気はどうしたんだよ。いつもみたいに兄ちゃんをからかって笑ってくれよ」


 昔っからお転婆で、悪ガキで、可愛かった。

 一人で森に入って迷子になったときなんて、当然村中で大騒ぎになった。


 俺とリュウで必死に探したっけ。

 リュウは凄く頭が良いからアリスの居場所を絞ってくれたな。

 

 必死に探し回った。

 雨が降る凍えるような夜、なんとなくアリスがそこにいる気がしたんだ。

 そこには凍えてアリスがいて、俺は背負った山を下りた。


 道中、必死にバカな話をしながらアリスを元気づけた。

 今日久しぶりに背負ったが、あのころに比べて随分と大きくなったもんだ。


 思いだせばいくらでも思い出が出てくる。

 一つ一つが大事な思い出で、俺とアリスを繋ぐものだ。

 俺は声を押し殺しながらアリスの手を握って泣いた。


「ノアにぃ……」

「アリス!」


 俺はすぐに涙を拭いて、笑いかける。


「私……寝てた? ここは?」

「あ、えーっと……ファストレスの病院だぞ! アリス急に倒れてさ!」

「そっか……ごめんね……なんの……病気だったの?」

「え? か、風邪だよ! 大丈夫! ちょっと拗らせちゃったみたいだな。安静にしとくんだぞ」

「そっか。風邪か……」


 俺は本当のことを言えなかった。

 お前は死ぬんだなんて言うことはできなかった。


「ねぇ我儘いっていい?」

「え? あ、あぁ。いいぞ、なんでも言ってくれ」

「手を握ってて……そしたら安心して寝れる気がする。なんだか……寒い」

「…………ああ、いつまでだって握ってやる」

「珍しく優しい。怖いんだけど」


 俺は笑いながらその手を握った。

 それから俺とアリスは他愛ない昔話をたくさんした。

 アリスは嬉しそうにその手を握って聞いていた。


「ねぇ……ノアにぃ……思いだしちゃうね」

「なにをだ?」


◇アリス


 アリスはノアの様子から自分の病気が風邪なんかじゃないこともわかっていた。

 きっと何かまずいんだろう。でもそれは口には出さなかった。

 ただ今はこの手を握ると、あの日のことを思い出す。


 ずっと昔、森の中で迷子になり雨も降ってきて一人凍えていた時。

 辛くて寂しくて、誰か助けてと一人泣いていた。


「こんなとこにいたのか……相変わらずかくれんぼが得意だな」

「え?」


 その時、今と同じように温かい手が差し伸ばされた。

 その手を握ると安心する。

 今も昔も変わらない優しい手。


「帰ろう、アリス……一緒に」


 アリスの英雄アルゴノーツの手。



「ノアにぃは……いつだって…………私にとっては、世界一かっこいい英雄アルゴノーツ……だよ」


 するとアリスは自分の手首にかかった飾りのついた紐を俺の手首に巻いた。


「これ……母さんの」


 それは、あの日から一度たりとも外したことはないアリスのお守りで母さんの形見でもあった。

 最後の時に母さんがアリスに渡したお守り。


「勇気を……くれる……お守り……きっと……守ってくれる……から」

「アリス……」

「ごめん……ね。なんか……うまく……結べない」

 

 目を閉じながらおぼつかない手で結ぼうとするアリス。

 俺はずっと待った。

 

「で……きた」

「……似合うか?」

「うん……さすが……私の……おにぃ……最高に……かっこいいぞ」

「当たり前だろ。俺は最高にかっこいいお兄ちゃんだぞ」

「……ふふ。じゃあ……ちょっと眠いから寝るね。おやすみ」

「あぁ、起こしてやるから安心して寝ろ。おやすみ」


 限界がきたようだった。

 ゆっくり目を閉じるアリス。

 俺はその手をぎゅっと握る。


 アリスは優しく微笑みながら眠りについた。

 きっとアリスは自分がやばい病気だと気づいていたと思う。

 それを悟っていることを悟らせないような……そんな笑顔だったから。

 

 お婆さんの話通りならこのままならアリスはもう目を覚まさない。

 本当にずっともう目を開かない。

 このまま何もしなければ。


 俺は一晩中アリスの手を握った。

 どんな結果になろうとも、後悔しないようにずっと。



 ――朝が来た。



 アリスの手を優しく離して布団に入れる。

 その小さな頭を優しく撫でて俺は立ち上がる。


 決心するには十分な時間だった。


「いくのかい?」

「お婆さん……」

「あんたらがやろうとしてることは、命がいくつあっても足りないよ。その子が本当にそれを望んているのかい。あんたには生きて欲しいんじゃないのかい? その腕についたお守りは……そういう意味じゃないのかい?」

「………そうですね。アリスはきっとそう思ってると思います。なんせ俺の最高に可愛い妹ですから」

「じゃあなんでいくんだい」


 俺はにっこり笑ってお婆さんの眼を真っすぐ見て答えた。


「俺も最高にかっこいい兄ですから」


「そうかい。本当にバカばっかりだね……やだやだ」


「おばあさん。ご迷惑をおかけします。このお礼は絶対にしますから」


 お婆さんは呆れたようにさっさといけと手を振った。

 俺は頭を下げて外に出る。

 朝日が眩しい。


「しっかり話せたか?」

「リュウ……ありがとう」


 すると玄関先には、リュウがいた。

 俺とアリスの時間を作って、ここで待っていてくれたんだろう。

 そして俺がやろうとしていることも当たり前のようにわかっている。


「じゃあいくか」

「十中八九死ぬんだろ……俺だけで」

「バカか、だから俺もいくんだろう。大丈夫、俺たち二人なら最強だ」


 すると、いつものように俺の肩に手を回した。

 そしてやっぱりいつものように、何の恐れもなくリュウは、まっすぐと前を見て一言だけ言った。


「――勝つぞ」

「……あぁ」


 その足で俺とリュウは王都セカンダリへと向かった。


 堕神を倒し、大手柄を立てて大金を手に入れるために。

 憧れた童話のような英雄アルゴノーツになるために。


 そして何より、大切な家族を守るために。

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