第22話   武琉VS花蓮

「どう? これ吸ってみる?」


 無造作に差し出されてきた煙草を見て、武琉は眉根を細めて警戒心を露にした。


「堀田花蓮……イヤー(君)1人か?」


「前にも聞いたけどあなたの言葉はよく分からない。普通に喋ってくれない?」


 ウチナーグチ(沖縄の言葉)のことだろうか。


 確かに聞き慣れない人間にしてみればウチナーグチ(沖縄の言葉)は特殊な部類に入るだろう。


 意味が分からないのも頷ける。


「分かった。これからはヤマトグチ(本土の言葉)で喋る」


「喋ってないじゃん」


 揚げ足を取ってくる花蓮に構わず、武琉は依然として差し出されている煙草を見た。


 パッケージこそ市販製の煙草である。


 銘柄はラーク・マイルド。


 赤と白のコントラストから遠目でも簡単に見分けられた。


 武琉は真一文字に締めていた口をゆっくりと開いた。


「それは本当にただの煙草なのか?」


「どういうこと? ただの煙草じゃなかったら何に見えるの?」


 尋ねた瞬間、花蓮の目尻がかすかに動いたのを武琉は見逃さなかった。


「箱自体は市販製の煙草の空箱を使い、中身だけは煙草に似せた違う物を入れているのかどうかと訊いている」


 二呼吸分の間が空いた後、花蓮は上唇を真っ赤な舌でぺろりと舐めた。


「やっぱり彼が言うように危険なのは彼女よりもあなたの方だったようね。もうそこまで調べたんだ」


 花蓮は取り立てて隠す様子もなく言葉を紡いでいく。


「ということは、もしかして中身の正体もちゃんと分かってるの?」


「ああ……マリファナだろう」


 決定的な一言だったと思う。


 現に花蓮は蟲惑的な笑みを消した。


「ふ~ん、転校してきたばっかりでそこまで突き止めたんだ。もうあれだね、凄いっていう感情も湧いてこないよ」


 そう言いつつ、花蓮は氷面を滑るような摺り足で武琉に近づいていく。


 もちろん、右手には煙草に似せたマリファナが納められている煙草の箱を持ったまま。


 やがて武琉と花蓮の間合いが4メートルほどに縮まったときだ。


 あっ、と花蓮は短い声を漏らした。


 武琉の顔を見つめていた視線が微妙にずれる。


 武琉は花蓮が見据えている方向が瞬時に分かった。


 花蓮はどうやら自分の後方に意識を向けているようだ。


 一体なぜだろう。


 自分の後方には誰もいないはずなのに。


「あの子、君の婚約者じゃない?」


 そんな言葉を聞いたのは、花蓮との間合いが3メートルまで縮まったときだ。


 武琉は心臓を鷲摑みされたような感覚に陥った。


 まさか、先ほどの光景を羽美に覗かれていたのか。


 すぐさま武琉は後方を振り返った。


 瞬時に視線を動かして羽美の姿を捉えようとする。


 だが、おかしなことに羽美の姿はどこにもなかった。


 視界に映るのは人気のない裏道と塀の手前に植えられた花壇の光景のみ――。


 1秒にも満たない時間で武琉は己の迂闊うかつさに舌打ちした。


 当然である。


 今時、こんな古典的な手に引っかかってしまうとは馬鹿の極みだ。


 武琉は身体ごと反転させ、自分を言葉巧みに引っ掛けた相手と対峙する。


 自分の直感を信じるならば花蓮は目の前に迫っているはずだ。


 しかし、再び視線を戻した武琉の眼前には花蓮の姿はなかった。


(一体どこへ――)


 逡巡する間もなく武琉の疑問は瞬く間に解決された。


 ぞくりと肌が粟立ち、背筋が凍るほどの殺気が真横から突き刺さってくる。


 まずい! 


 武琉の脳裏にそんなテロップが浮かんだ瞬間、右手首を赤子のような柔らかな手で握られた。


 それほど強い力ではない。


 思いっきり振り回せば簡単に外せるような握力で摑まれている。


 ただ相手にとって己の握力の強弱など関係なかった。


「捕まえた」


 真横から聞こえてくるソプラノな声の持ち主は、3メートルの距離を瞬く間に近づいてきた花蓮だ。


 次の瞬間、武琉と花蓮の視線が交錯した。


 武琉の方は隙をつかれて棒立ちの状態だったにもかかわらず、花蓮は武琉の右手首を摑んだまますでに技を行う体勢に入っていた。


 例えるなら武琉は弓矢の弦を半分まで撓らせた状態で、花蓮は全身を使って弓矢の弦を最大限まで撓らせていた状態だ。


 ならば今後の結末は素人にも予想できる。


 数瞬後、武琉の視界に映っていた光景が綺麗に反転した。


 舗装された地面。


 視界の端に映っていた幾本もの樹木。


 そして、目の前にいた花蓮の姿が額縁に嵌められた絵を回転させたように逆転したのだ。


 続いて武琉を襲ったのは背中に走る激痛だった。


 声にもならない呻きを上げ、それでも武琉は痛みを堪えるため歯を食い縛る。


「へえ、咄嗟に自分から飛んでダメージを和らげたんだ」


 真上から降り注ぐ花蓮の声に武琉は目を見開いた。


 すでに花蓮の呪縛から右手首は解放されており、当の本人は後ろ手に組んで喜悦の表情を浮かべている。


「ちいっ!」


 花蓮の姿を目視した武琉は両足を風車のように回しながら身体を捻る。


 その遠心力を使って一気に立ち上がると、地面を蹴って後方に跳躍した。


 アクション俳優ばりの武琉の動きに花蓮は一度だけ口笛を吹く。


「その動きからすると素人じゃないね。今のダメージを軽減させた動きといい……あなたは何が得意なのかな?」


 自分のペースで言葉を紡いでいく花蓮を無視し、武琉は背中の痛みを鎮めるため独特な呼吸法を繰り返す。


 大きく両鼻から息を吸い込み、長く長く口から吐く。


(シカンダ(驚いた)やっさぁ。相手が合気道の使い手だってことすっかり忘れてた)


 それは生徒会名簿の備考欄にもしっかりと書かれていた。


 堀田花蓮は合気道の使い手で学園最強の実力者と称されている人物だということを。


 武琉は先ほど握られた自分の右手首をぶらぶらと動かした。


 どうやら関節は外されていない。


「今日のところは自己紹介がてらの挨拶だからこれぐらいね」


 武琉の起こした行動の意味を正確に読み解いたのだろう。


 花蓮は全身で警戒心を露にした武琉に向かって淡々と言った。


 どうやら手加減されたようだ。


 花蓮の口調から察するに、やろうと思えば相手を地面に叩きつけた後も何らかの技に繋げられるらしい。


 それがどんな技なのかは合気道をよく知らない武琉には知る由もないが、先ほどの投げ技のキレから推測するに相当な技だということは十二分に理解できた。


「一体、ィヤー(君)の狙いは何だ?」


 堀田花蓮が噂に違わぬ実力者だということは骨身に染みて分かった。


 それでも今一つ分からないことがある。


 なぜ、自分が一連の事件の真相を暴いたことに気がついたのだろう。


 これは羽美にも告げていないことだったはずなのに。


「また言葉が戻ってるよ。でも、何となく分かってきたかな」


 でも、と花蓮は言葉を続けた。


「それ以上に分からないことがあるのよね。あなた……その〈L・M〉をどこで手に入れたの? まさか道端で拾ったなんて言わないでよね」


 武琉はすぐには答えなかった。


 灰色に染まる空はより一層濃くなり、木々の葉を揺らす風が吹いてくる。


 やがて沈痛な静寂が場を支配したとき、武琉は開き直ったように大きく胸を張った。


「本当に拾ったと言ったらどうする?」


 精一杯な真顔で武琉は答えた。


 そんな武琉を見た花蓮は呆けた顔を見せるものの、すぐに可愛い顔を歪ませて笑い始めた。文字通り腹を両手で抱えて笑い続ける。


 一方、そんな花蓮を見て動揺を隠せなかったのは武琉だ。


 何がそんなにおかしくて花蓮が笑っているのか分からない。


 一瞬、身体を半身にして拳を握ってしまったが、花蓮の奇妙な行動に大きく肩透かしを食らってしまった。


 身体の力を抜いた武琉は狼狽しつつ花蓮を見据える。


 ほどしばらくして、ようやく花蓮は笑い声を上げるのは止めた。


 あまりにも長く笑っていたため、目元に溜まっていた涙を手の甲で拭う。


「そう、拾ったんだ。だったらどこで拾ったか教えてくれない?」


 武琉は一瞬だけ躊躇したが、やがておそるおそる口を開く。


「赤松公園の入り口だ」


 花蓮は武琉の言葉を聞いて両腕を組んだ。


「赤松公園……確か副生徒会長が住んでいる近くよね?」


 返事の代わりに武琉はこくりと頷いて見せた。


「ふ~ん、ということは彼も相当に切羽詰っているのかな。いや、本当に切羽詰っているのは……」


 花蓮は高笑いから一転、今度は念仏を唱えるように小言を呟き始めた。


(逃げるなら今の内か)


 無防備な姿を晒す花蓮に対して、武琉は相手に気づかれないよう摺り足でじりじりと遠ざかっていく。


 花蓮の実力の一旦は直に垣間見ることができた。


 鷺乃宮学園最強の実力者の名に恥じない女であり、彼女に1対1で勝てる人間はそうはいないだろう。


 今の自分もそうである。


 の今では花蓮の足元にも及ばない。


 だからこそ、武琉は一時的にこの場から撤退することを決めた。


 幸いこの駐輪場には障害物になりそうなものが多い。


 それに単純な足の速さにはそれなりに自信がある。


 よく祖父と一緒に山原を走り回って鍛えた脚力だ。


 この場から逃げ出すことなど造作もないだろう。


 ならば相手が思案している間に逃げてしまえ。


 まさにそう思って武琉は足を動かした。


 そのときである。


 走り出そうとした武琉の足は数歩も移動しないうちに止まった。


 無理もない。


 校舎の外にいた武琉の耳に甲高い音が聞こえてきたからだ。


 発生源はどうやら校舎の中。


 防火ブザーのベル音が鳴り響いたらしい。


「火事か?」


 単純に考えれば火事を連想させるのが妥当だ。


 それに最近の防火装置は最寄りの消防署と直結され、防火ブザーが稼動すれば自動的に消防車が駆けつけてくるという。


 武琉はじっと耳を済ませた。


 もしも防火ブザーが作動した場所が右棟ならばこんな大きく音が聞こえるはずがない。


 ならば防火ブザーが作動したのは左棟ということになる。


 しかし、それにしてはやけに音が大きく聞こえる。


 まるですぐ近くで防火ブザーのベル音が鳴り響いたようだ。


 直後、武琉は脳を高速回転させてある記憶を呼び起こした。


 生徒会室で見た奇行を起こした生徒たちのファイル。


 確かその欄の中に現在の状況と酷似したことが書いてあった気がする。


 数ヶ月前、屋外の部活中に人が変わったように暴れた生徒の1人は行動に身を任せて廊下にあった防火装置を……


 はっと武琉は我に返った。


 視線上にいた花蓮と再び目が合う。


 花蓮は首を傾げつつ、驚愕色に彩られている武琉に尋ねた。


「こんなところで油を売っていていいの? 多分、生徒会の仕事だと思うよ」

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