第13話 ギャングの溜まり場
午後の授業がすべて終わり、生徒たちが部活動に精を出す放課後がやってきた。
空は緋色とも茜色とも言える夕焼けが広がっている。
鷺乃宮学園・右棟一階のエントランス・ホールも、窓ガラスを通して差し込む夕日で燃えるように赤く染まっていた。
「あんた、午後の授業放り出してどこで油売ってたの?」
大勢の生徒たちに混じってエントランス・ホールまで降りたとき、羽美は1人だけ鞄を持っていない武琉を見つけて声をかけた。
武琉は羽美に気がつくと、まったく悪びれた様子もなく右手を上げる。
「よう、こんなところで会うなんて奇遇だな」
右棟唯一の玄関口であるエントランス・ホールで会って奇遇も何もない。
羽美は冷たい眼差しを向けつつ武琉に近づいていく。
「説明して貰いましょうか? 生徒たちの模範となるべく生徒会の人間が午後の授業をすべてサボった理由を」
口調こそ穏やかだったものの、羽美が憤慨していたのは誰の目にも明らかだった。
当然だ。
生徒会役員になった次の日に午後の授業をサボるなど問題外である。
ここは同じクラスであり隣の席の自分が厳重に注意しなくてはならない。
そればかりか、武琉の身元引受人は本学園の理事長である祖母なのだ。
武琉の素行が悪いと後見人である祖母の面子も丸潰れになってしまう。
「午後の授業を出なかったのは悪かった。今度からは放課後にするさぁ」
「何を放課後にするって?」
「あ……いや、こっちの話」
羽美に問われた途端、武琉は強引に話を逸らした。
目線を左右に泳がし、しきりに鼻先を掻き始める。
武琉自身が無意識のうちに出る独特の癖なのだろうか。
「まあいいわ。今回は初犯ということで許してあげる。でも二度はないわよ。学生の本分は学業なの。それにあなたは庶務係とはいえ生徒会役員なんだからね。ちゃんとした理由もなく授業を欠席しないこと。いいわね?」
「ああ、分かった。次からは気をつけるよ」
ならばよし。どんな人間だろうと一度は間違いを起こすものだ。
ならば取り締まる側の人間としては大きな心で接する必要がある。
羽美は男子のように鞄を肩にかけた。
「だったらもう帰りましょう。今日は生徒会の会議もないからね」
今日は7月の第2週の火曜日。生徒会の役員会議は月・金の週2回しかないので、部活に入っていない羽美などは月・金以外の日はすんなりと帰宅できる。
もちろん学園祭や体育祭など学校行事のときは毎日学園に居残り、運営委員会などの手伝いに明け暮れる。
だが夏休みを間近に迎えつつある7月は、特に目立った学校行事はなかった。
それでも生徒間に蔓延している奇行事件の問題はあったが。
(まあ、それはおいおい調べてみましょう)
生徒会は何も犯罪者を取り締まる警察ではない。
いくら学園内の問題解決に尽力する組織とはいえ、根を詰め過ぎると本分である学業に支障が及んでしまう。
ならば休めるときには休み、動くときにこそ動く。
それこそ満足を得られる成果に繋がる真理だ。
「分かったらさっさと鞄を持ってきなさいよ。まさか手ぶらで帰るつもり?」
「いや、手ぶらで帰るつもりはないけど……これからちょっと行くところがある」
行くところ?
転校してきたばかりの男がどこへ行くというのだ。
羽美ははっと目を見張った。
「まさか自殺未遂の現場に行くつもり? そんなことをしても無駄骨になるだけよ。図書室は封鎖されているからね」
それは今日の昼休みにちょうどこの場所で秋兵と話していたことだ。
現在、左棟三階奥にある図書室は規制線が張られて立ち入り禁止になっている。
現場検証を終えた警察はすでに帰ったようだが、図書室が解放されるのは2、3日後になるだろうというのが秋兵の見解だった。
しかし、武琉の目的場所は図書室ではなかった。
「いいや、俺が行きたいのは旧校舎やっさぁ」
羽美は小首を傾げた。
「旧校舎ってグラウンドの端にある旧校舎? あそこは金網フェンスで仕切られているから一般の生徒は入れないわよ」
「でも〈ギャング〉の溜まり場なんだろ?」
羽美は武琉の考えていることが理解できなかった。
確かに旧校舎は〈ギャング〉どもの溜まり場だという噂はある。
だが、実際に旧校舎の周囲には樹林と金網フェンスで仕切られて誰も入ることができないのは周知の事実だ。
無論、金網フェンスに掛かっている南京錠の鍵を持っている事務員の人間ならば別だが。
「何で旧校舎に行きたいの? 別に学園探索ってわけでもないんでしょう?」
「ちょっと〈ギャング〉と称する人間たちと会ってみたいんだ。もしかすると有益な情報が得られるかも知れない」
有益な情報とは例の奇行を起こした生徒たちの件だろうか。
いや、実際にそれしかないだろう。
武琉は律儀にも生徒会役員として働くつもりなのだ。
それは非常に嬉しい。
まさか武琉が自主的にこうも動いてくれるとは予想外である。
ただ単独で〈ギャング〉たちと接触するなど無謀を通り越して呆れてしまう。
もしも噂通りに旧校舎が〈ギャング〉たちの溜まり場だった場合、狼の群れに飛び込む羊よろしく武琉など集団で襲われて一巻の終わりだろう。
ならば、と羽美も覚悟を決めた。
「そういうことなら私も行くわ。庶務係に危険な仕事を任せっぱなしなんて副会長の名に傷が付くからね」
任せなさい、と羽美は拳を胸に叩きつけた。
一方、武琉は両腕を組んで虚空に視線を彷徨わせる。
「羽美も付いてくるのか……う~ん、本末転倒にならないか」
「はあっ? 何をぶつぶつと言ってるのよ。いいから行くの? 行かないの?」
一拍の間を置いた後、武琉は頭を掻き毟りながら頷いた。
「分かった。一緒に行くさぁ。多分、大丈夫だろうから」
そう呟いた意味は分からなかったが、羽美は一本だけ突き立てた人差し指を武琉の顔面に差し向けた。
「でも、噂通りに旧校舎の敷地内に入れなかったら諦めること。それは約束できる?」
「ワカヤビンタン(分かりました)」
その後、武琉と羽美は歩調を合わせて旧校舎へ向かった。
グラウンドを迂回して鬱蒼と茂る樹林の中を進んでいく。
やがて2人の前には頑丈を絵に描いたような金網フェンスが見えてきた。
高さは3メートルほどだろうか。
簡単に乗り越えられない工夫のため、金網フェンスの上には何重にも巻かれた鉄線が張り巡らされていた。
これでは誰も旧校舎に向かうことができない。
出入り口である正門扉には南京錠がしっかりと掛けられていたからだ。
かなり前から封鎖されていたのだろう。
だが、残念ながら噂は真実だったようだ。
最初に発見したのは武琉である。
南京錠が掛かっていた正面入り口部分から十数メートル離れた場所に、人工的に作られたと思われる穴が開けられていた。
よく考えてみれば防犯装置など一切設置されていない場所だ。
工具さえ揃えば誰であろうと金網フェンスに穴の1つや2つ開けることができる。
おそらく〈ギャング〉たちはこの穴を潜って旧校舎に行っているのだろう。
武琉と羽美は人間1人が何とか通り抜けられる穴を1人ずつ潜り抜け、旧校舎の敷地内に足を踏み入れた。
数分も経たずに外壁が黒ずんでいる旧校舎の全容が見えてきた。
その頃には2人の耳には風に乗って複数の人間たちの声が聞こえていた。
ごくりと唾を飲み込み、羽美は慎重な足取りで声が聞こえる方向に向かっていく。
ざわざわと人の声のように聞こえる葉音に導かれながら――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます