第4話   運命の再会

「お前が悪いんだからな。お前が俺たちに恥をかかせるから」


 毬栗頭は荒い呼吸を吐きながらナイフをちらつかせる。


 その狼狽振りから推測するに相当に切羽詰っていることは明白だった。


 うかつに刺激すると本当に刺されかねない。


 羽美は心中で舌打ちした。


 まさか白昼堂々とナイフを抜く馬鹿がいるとは思わなかった。


 こんな人混みの中で抜けば、例え相手を刺さなくとも銃刀法違反で捕まるとは考えないのだろうか。


 そんな羽美の心配をよそに毬栗頭はじりじりと摺り足で近づいてくる。


 どうやら毬栗頭には羽美以外の光景は視界に映っていないらしい。


(だったらこっちも容赦しないわよ)


 羽美は左半身になると後ろ足に七分、前足に三分ほどの力を込めて重心を落とした。


 手刀の形に変えた右手を掌が上を向くように腰に引きつけ、残った左手は右手と同じく手形の形を保持したまま前方に軽く突き出す。


 凶器を持つ相手に対して素手で挑むなど無謀だったが、もしも自分がこの場から逃げた後に毬栗頭が周囲の野次馬たちを傷つけないとも限らない。


 ならば警察がくる前に、毬栗頭の注意を自分に向けさせておく必要がある。


 羽美と毬栗頭との距離は約4メートル。


 周囲は野次馬たち以外に余計な障害物はない。


 それに毬栗頭の仲間である男たちは微塵も動かずに呆然としている。


 だとしたら勝機はあるかもしれない。


 いくらナイフであろうとも素人ならば攻撃手順は限られてくる。


 切りつけるか突き刺すかの2通りしかない。


 羽美は浅く呼吸を吐いて気息を整えると、全神経を毬栗頭に集中して相手の動向を見逃さないよう注意深く観察する。


 勢いに任せて突っ込んできたら即反撃できるように。


「うわああああああああ――――ッ!」


 すると案の定、空気を震わせるほどの悲鳴が轟いた。


 場の緊張感に耐えられなくなった毬栗頭が絶叫したのだろう。


 そう思った羽美だったが、すぐに悲鳴を上げた主は毬栗頭ではないことに気がつく。


「ぐはっ!」


 毬栗頭は横から猛進してきた人間に突き飛ばされ、錐揉みしながら地面を転がった。


 同時に手にしていたサバイバル・ナイフが手元から離れる。


 羽美は呆気に取られた顔で毬栗頭を突き飛ばした人間を見た。


 いきなり目の前に現れた闖入者は、羽美と同じ年頃の思われる少年だった。


 日焼けサロンで焼いた肌とは違う赤銅色の肌がとても印象的である。


「タ、タマシヌガチ~(たまげた~)。マブイ(魂)が抜けそうだったさぁ」


 その瞬間、羽美は周囲に張り詰めていた緊張という名の鎖が一気に引き千切られたような錯覚を覚えた。


 それほど突然に現れた少年の態度が和やかだったからだ。


 少年は地面に尻餅をついた状態でしきりに頭を掻いている。


 やがてどこからともなく鼓膜を刺激する甲高い笛の音が聞こえてきた。


 野次馬たちの口から「ようやくお出ましか」などの声が漏れ、周囲が騒然としてきたことで報告を受けた警察官が駆けつけてきたのだろう。


「やべえ! おい、ずらかるぞ!」


 残った男たちはまさにゴキブリに匹敵する敏捷性を見せた。


 怪我をした男たちに肩を貸し、先ほど羽美が考えていた雑居ビルの路地裏に慌てて駆け出していく。


 ほとんど入れ違いに警察官が現場に駆けつけてきたときには、すでに男たちは誰一人いなくなっていた。


 残っていたのはサバイバル・ナイフに被害者と主張するつもりの羽美、そして勇敢にも毬栗頭に突進した赤銅肌の少年だけである。


「ハイサイ(やあ)、大丈夫だったか? どこも怪我しちょらん?」


「え? まあ、怪我はないけど」


 少年は駆けつけてきた警察など無視して羽美に声をかける。


 構えを解いた羽美は、聞き慣れない方言を操る少年をまじまじと見た。


 よく見れば中々に端正な顔立ちの持ち主だ。


 南海の漁師を思わせる肌色は人工的に焼いたものではないだろう。


 そこら辺をぶらついている軽薄なチャラ男とは雰囲気が違う。


 羽美は少年に対してちょこんと頭を下げた。


「取り敢えずお礼を言っとく。ありがとうね。本当なら自分1人でも十分に対処できたんだけど、それも結果論なので今は考えないことにするわ」


 やや棘のある言葉だったものの、少年はまるで気にすることなく快活に笑った。


「ジョートージョートー(いいよいいよ)、ウチナーンチュ(沖縄人)ならばイナグ(女)を助けるのは当然さぁ」


 ウチナーンチュ(沖縄人)。


 その言葉に羽美ははっとした。


 祖母に聞かされていた待ち人の特徴を思い出す。


 羽美は1本だけ突き立てた人差し指を少年に差し向ける。


「あなた……もしかして名護武琉!」


「ヤンテー(そうだけど)何で俺の名前を……アイッ(えっ)、まさか!」


 今度は少年――名護武琉の人差し指が羽美に差し向けられた。


「イャー(君)はもしかして鷺乃宮羽美?」


 反射的に羽美は首肯する。


 直後、何を考えたのか武琉は羽美に抱きついた。


「俺のヨミ(嫁)!」


「なっ!」


 このとき羽美は武琉が口にした沖縄の言葉ではなく、自分が初対面の男に抱きつかれた事実に驚愕した。


 まさか抱きつかれるまで気配に気づかないとは。


 と思ったのも一瞬、ここが衆目の只中だと気づき直した羽美は武琉に容赦ない攻撃を放った。


「いきなり何すんのよ!」


 羽美は武琉の後頭部に右手を回し、そのまま腰を密着させたまま一気に投げ放った。


 必殺の入り身腰投げを食らった武琉は、重力に導かれるまま地面に背中から叩きつけられる。


「さすが……俺のヨミ(嫁)……やっさぁ」


 悶絶したまま武琉はぶつぶつと小言を呟く。


 その後、武琉を投げ飛ばした場面を警察官にはっきりと目撃されたため、羽美は近くの派出所でこってりとお灸を据えられることとなった。


 もちろん、その際にも武琉は終始羽美の傍から離れようとはしなかった。


 なぜなら、武琉こそが羽美の待ち人だったからだ。


 そして警察官の説教から開放されると、羽美は武琉を連れて自宅へと戻った。


 こうして本日の羽美の仕事は無事完了したはずだったのだが、居間にいた祖母から武琉が下宿する本当の理由を聞かされて羽美は耳を疑った。


 ただの居候だと聞かされていた武琉が、実は自分の婚約者だったことに。

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