13.想いは目に見えますか?



 慌ただしい前夜が明けて命日を迎えた。

 毎年のことながらこの日は雨が降り、空は灰かぶったように仄暗い。

 一行は馬車に揺られること1時間、さらに徒歩で曲がりくねった山道を登ってここまでやって来た。

 そこは小さな丘で、野花に囲んで白い墓石が建っている。その前に皆が集った。



 ──イリス・シルト、愛すべき想い出と共に。



 墓石に名が刻まれたイリス・シルトこそ、侯爵の妻であり、シャルロッテとベルナールの母だった。

 ミルクティー色の細くて柔らかな髪の毛、ミルク色の肌に、陽の光を含んだ菫色の瞳が煌めく。イリスは見る者の心を奪う、それは美しい女性だった。

 かく言うシルト侯爵も心を奪われた1人で、彼女と婚約が決まった侯爵は、季節外れに紅葉したようだったという。

 この丘は2人の想い出の場所だ。結婚式前夜のこと、侯爵は夜景を理由にイリスを誘った。そして茂みに薔薇の花束を隠してサプライズで愛を誓う……予定だった。

 しかし夜闇で花束を見失った侯爵は必死で探し、ようやく見つけた時には全身土塗れだったという。

 そしてイリスはその姿を見ては声を出して笑い、こう答えたのだった。



 ──「これからもずっと薔薇をくれる?」



 侯爵はありし日の妻に微笑みながら、墓に薔薇の花束を供え、土の下で眠る妻にそっと語りかけた。


「イリス、今年はお客様が来てくださったぞ」

 

 その一言でシャルロッテの側にいたスワードが前に出た。傘の下で凛と背筋を伸ばすスワードは、何かの式典のように厳かな空気を纏っている。


「久しいな、侯爵夫人」


 スワードはそう言って、あろうことかその場で跪いた。ぬかるんだ土がスワードの膝にみるみる染み渡っていく。シャルロッテはスワードの側によると耳元で言った。


「殿下っお膝がっ……」

「構わない。それに、こうでもしなければ夫人に示しがつかないだろう?」

「は、はい……?」


 目を白黒させるシャルロッテを他所にスワードは立ち上がると、ペリースの内からあるものを取り出した──花だ。

 スワードはそれをシャルロッテに手渡した。その花は深海のように青いような、しかし僅かな明かりで紫色に転ずるような。

 雨天でも鮮やかな美しい花。


「菫……ですか?」

「いや。これは──」


「アイリス、ですね?」


 侯爵が2人の会話に割って入った。そして花の引力に吸い寄せられてくる。


「ああ。夫人が君に返礼できず無念だろうと思ってな。律儀な女性だったろう?」

(お母様が薔薇のお返しにアイリスを贈っていたということ? 全く知らなかったわ)


 シャルロッテは手に持つアイリスをじっと眺め、それはベルナールも同様だった。

 そして彼はしばらく考えた後、確信に満ちた面持ちで口にした。


「母上の名と……瞳の色?」

「あ……っ! 確かにそうね」

(つまりお母様は、薔薇のお返しに自分色をプレゼントしていたの? 何だかそれって……)


「ああ知らないのか。シルト夫妻は所謂『熱々夫婦』で有名だったんだ」


(──熱々夫婦!?)


 シャルロッテとベルナールの心の声がリンクした。

 しかしここにきて母親の知られざる一面を知ってしまったことに、シャルロッテは罪悪感を感じる。

 目の前で眠る母も自分の愛の形を知られてさぞ赤面していることだろう。ごめんなさいお母様。

 そうして姉弟が黙り込むと、感極まる侯爵にスワードが言った。

 

「これは夫人の代理だ。受け取ってくれ」

「あっありがとうございます……うっ……」

「そう泣くな。君と夫人には悪いが私の下心も存分に込められているから」

「へ? 下……心?」

「男が女性の親御に挨拶するとなれば目的は1つだろう? 色々と手筈は踏まねばならないが……とりあえず持参金は免除すると言っておこう。シャルロッテがいればそれでいい」

「「はい?」」


 スワードは満面の笑みで白い歯をこぼす。

 侯爵とベルナールは、スワードの爆弾発言で額に汗を滲ませた。そして2人の首が軋轢音を立てて回り、シャルロッテの方へ視線を運ぶ。


「なっなによ。2人とも変な顔しちゃって」

((あぁ、鈍い……))


 シャルロッテは怪訝な顔で2人を見返した。

 侯爵もベルナールも、眉間に皺を寄せ、まるで徹夜明けのような人相である。

 そうして彼らが悠長なシャルロッテにげんなりすると、スワードが言った。


「先ずは外堀を埋めようと思ったんだ」

「外堀? 王宮を増築されるのですか?」

「いいや?」


 スワードの言葉に検討もつかず、シャルロッテは侯爵もベルナールに視線をやる。

 しかし2人に素早く目を逸らされるのでそれ以上の追求は諦めた。

 代わりに、近くて遠い母に心で語りかける。


(お母様。シャルロッテは今、人生の転機の真っ只中です。わたしの怪力に初めて理解を示してくださった人がいて……)


 シャルロッテは横目で家族と楽しげにやいのやいの言い合うスワードを見た。

 自分の怪力と向き合ってくれる人、家族を知ろうとしてくれる人。

 笑いかけてくれて、思いやってくれて、それから、それから──。


「シャルロッテ」

「はっ! はい!!」


 背後から肩に触れられてシャルロッテは我に帰った。そして光を浴びるスワードが一等優しく微笑む。


「雨が止んだぞ」

「え?」


 シャルロッテは足元を見て恐る恐る傘を下ろす。

 だってあり得ない。母の命日は必ず雨だったから。あの日の涙が繰り返されるように、毎年必ず雨だった。だから──。

 黒い傘を下ろすと、遮断していた空が現れた。澱みない、晴れ渡る青空。

 雨は去り、ただ地面の水たまりを残しただけで、それでさえ蒼穹を映す鏡となっていた。

 それらは隣で微笑むスワードの瞳に似ているようにも思えた。

 天を仰ぎ見るシルト一家。墓石を見やれば大きな雨粒もすでに流れ落ち、その跡を眩い日光がヴェールとなって拭っていく。


「……姉上、何かした?」

「わたしは怪力なだけで祈祷師じゃないわ」

「こっこんなこと初めてだ。まさか……」


 そしてシルト家3人がスワードを凝視した。

 彼は悠々としていて、こちらに構わず肩の雫を手で払っている。

 それからスワードがシャルロッテの熱視線に気がつくと、花咲くように微笑んだ。


「帰ろうか。私達の王宮へ」


 柔らかな風がシャルロッテの頬を撫でた。

 手に持つアイリスが揺れ、若葉の青い薫りが遠く遠く運ばれていった。



◇◇◇



「なかなか充実した1泊2日だったな。怪力歴史も勉強になったし、何より威勢のいい弟が気に入った」

「ううっ、その節は本当に……もう何からお詫びすればいいのか……」

「ははっ! なぜ謝る? 感謝こそすれ、責める気なんかさらさらない」


 帰りの馬車は穏やかだった。

 スワードは上機嫌でシャルロッテに言葉を渡し、シャルロッテはそれに顔を赤らめながら答える。それの繰り返し。そう、とても穏やかな時間だ。

 スワードが密着していること以外は。


「ででで殿下っ、その……近いので? 何だかとっても近いので!?」

「私は君の模擬恋人だ。恋人らしく振る舞い君を昂らせ、感情のコントロールを訓練させる義務がある」

「そっそれはまあそうですが、しかしこういうぶつかり稽古は如何なものでしょう!?」

「ぶつかり……ふっははっ! シャルロッテ、これはスキンシップと言うんだ」

「スキンシッ……ひゃっ!?」


 スワードは縮こまるシャルロッテの腰に腕を回し、より一層強く抱き寄せた。スワードの半身に収まったシャルロッテは当然昂るわけで。自前の日傘はとっくに取っ手がヒビ割れ粉砕してしまった。最悪だ、お気に入りだったのに。

 スワードは人の気も知らず、徐にシャルロッテの右手を取った。


「こんなに柔らかい手で……よく怪我をしないでいられるものだな」


 そう呟くとスワードはシャルロッテの薬指をいじり出す。紅潮するシャルロッテは微動だにせず、固唾を飲んで見守った。

 素肌が触れるとスワードを直に感じた。綺麗な顔からは想像できない、マメやタコや古傷が残る、硬く厳つい手指。

 それこそが、王太子としてのスワードの並々ならぬ努力の証明で、シャルロッテの胸が妙に熱くなった。

 この手が沢山の民を導くのだ。国の未来を担う尊い手。

 ……妙な気分だ。か弱くなって恋をするために始めた関係だというのに、いざスワードのいない世界を思うと違和感しかない。

 しかし今が異様な状況なのであって、訓練が終了すれば、また正しい立場に戻るだけだ。

 王太子殿下と、ただのシャルロッテに。

 そしてもう2度と、この温もりを肌で感じることはないだろう。そう思うとシャルロッテの心臓がキュッと締められた。


(慣れちゃだめ、勘違いしちゃだめ。殿下はわたしに慈悲をかけてくださっているだけなのだから)


 シャルロッテの顔が陰ると同時にスワードが「これでよし」と呟く。

 そしてシャルロッテが自身の薬指を見やれば、ある物が残されていた。


「これは一体……?」


 それは指輪のように結ばれた1輪の野花だった。上向きの白い花が1粒石に扮しており、素朴ながらも美しい。

 スワードはシャルロッテの問いに答えた。


「見ての通り指輪だ。取り急ぎ手作りだが」

「もしかしてさっきの丘で……殿下が?」


 スワードが喜色を湛えて静かに頷いた。

 ──ってことは、これは国宝か!!

 シャルロッテは爆誕した国宝を手にし、心理的重圧で手が力む。

 そして白白と浮く関節にスワードが優しく触れた。


「ほら力を抜け。また怪力になってるぞ」

「殿下、これはいただけません」

「……なぜ?」

「普通の令嬢なら、これにがあるって勘違いします!」

(だってこんなの、まるで愛の告白だもの)


 シャルロッテは指輪の嵌った手をスワードに見せつけた。こんなこと、例え冗談でも軽々しくするものではない。

 王太子に求婚されたと誤解されてみろ、下手をすれば国を揺るがす大問題に発展する。

 だから「深い意味」があるなんてあり得ない。シャルロッテはそんな風に考え、自分の中の「期待」を削ぎ落とした。

 しかしスワードはお首にもせず、シャルロッテの指の間に自身のそれを通し絡ませた。


「これに『深い意味』があると思ってもらえたなら本望だ」

「……え?」

「今回、シルト家を見て思ったんだ。『大切な物や想いは目に見えない』というのが昨今の定説だが、同時に、相手に想いが伝わらなかった時の言い訳にもなりうる。『ああ、伝わらなかった。まあ大切な物や想いは目に見えないし、仕方がない。それまでの縁だったんだ』とな。だから、こうして見えるようにしてみたのだが……、不満なら返してもらおう」

「えっ!? いっ、いります欲しいです!」


 シャルロッテは反射神経に任せて返事をし、スワードは花咲く薬指にキスを落とした。

 その唇の湿度と温度の余韻が、シャルロッテの血行を急激に促進して発汗させる。

 そうして手のひらまで汗が滲むので、シャルロッテはスワードから手を引き抜こうとした。

 しかし抵抗すればするほどに力を込められる。「逃がさない」まるでそう言っているように、烟る瞳でシャルロッテを射竦める。

 堪らず視線を逸らせば、スワードはシャルロッテの額を指で弾いた。


「痛ぁあっ!?」

「『王国の麗星』からのプレゼントだ。大切にするんだぞ」

「も、もちろんです! お墓まできちんと持って行きますので!」

「ふっはは! 光栄です姫君」


 そこでようやく手指が解かれた。汗で湿った手のひらが空気に触れて冷つく。

 まるでドレスを脱ぎ、肌着だけになったような心許ない感覚がした。

 シャルロッテは花の指輪にそっと触れ、「深い意味」の正体を思案する。

 しかし思いつく答えが、自身にあまりにも都合が良い。そうして何度も自惚れだと自重した。

 悩ましげなシャルロッテが視線を上げると、スワードの甘い瞳と視線が絡み合う。


(殿下の仰る「深い意味」って何だろう。ほんの少しは勘違いしていいの……?)


 馬車の中まで夕陽が差した。紅潮した頬をどうか茜色が誤魔化してくれますように。

 シャルロッテはそう願いながら、言葉少なに王宮へ帰っていくのであった。

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