12.大切な姉のためならば(sideベルナール)


 ──2度目の邂逅だ。


 スワードは覚えていないだろうが、ベルナールとは一度だけ遭遇したことがあった。

 侯爵が政務で王宮に赴く際、ベルナールもついて行った時のことである。

 ベルナールは王宮の迷路庭園で物思いに耽っていた。


(もうすぐ母上の命日か。生きていたら見せたかったな)


 そこで見た薔薇は今まで見たどれよりも美しく、ベルナールは気がつけば手が伸びていた。どうにか天の母に捧げたい、と思ったりもして。

 1本だけ拝借したい。しかし美しいものには棘があるものだ。

 ベルナールの指が棘の痛みに怖気て因循していると、頭上で風を切り裂く音がした。


「これで足りるか?」


 声の主は剣で切り落とした薔薇を5本、ベルナールに手渡した。

 その時の青年こそが、王国の麗しき王太子、スワードだったのである。

 彼の風格と美貌を見た衝撃は、10年近くたった今も記憶に新しい。

 いくら騎士のフリをしていようが、ベルナールがスワードを見間違えるはずもなかった。



◇◇◇



「やったことあるよね? ビリヤード」


 ベルナールは挑戦状を叩きつけるが如く、スワードを連れ出した。

 日中は日陰で薄暗かったこのビリヤードルームも、今はシャンデリアと掻き集めたガスランプで煌々と照らされている。

 ベルナールは高硬度かつ超重量の怪力仕様キューを粗雑に投げ、スワードはそれをさらりと受け取った。

 彼が持つとキューはまるで細枝のようにも見える。

 ベルナールはそんな澄まし顔のスワードが余計に忌々しかった。


「……今までも色々いたんだよね、姉上の見た目に集る虫どもがさ」

「男ですか?」

「そ。純朴男、優男、軟派男……まぁ姉上が怪力令嬢って知った途端に、みーんな消息を断ったけど」


 ベルナールはそう言って先行でボールを撞き、ゲームが始まった。

 勝負を左右する最初の一撞きで、9個のボールは多方に離散する。

 まるで姉から蜘蛛の子を散らすように逃げた男達のようだ。


(遅かれ早かれ、あなたも姉上を捨てるんでしょ)


 ベルナールはスワードを前に心中で悪態をついた。

 かつて自分に良くしてくれた輝く王太子も、今となっては姉の美貌だけに堕ちた愚かな男。

 スワードが姉を王宮に住まわせたと聞いた時、ベルナールは感情が入り乱れた。

 あの日、薔薇を授けてくれた王太子に対する憧憬。

 そして、姉に近づいてくることへのどうしようもない嫌疑。


 ──カコンッ


「ファール。選手交代ですね、ベルナール殿」


 ベルナールはその一声でハッと我に帰った。

 後攻のスワードはすでに美しいフォームでキューを構えている。

 ベルナールの撞きでバラついたボールは、どれも難易度の高いポジショニングだが、しかしスワードは涼しい顔でボールを撞いていった。

 そして3個目のボールをポケットした時、スワードが口を開いた。


「それで? 私に話があるのだろう?」

「──っ!」


 ベルナールはスワードの真っ直ぐな視線を受け、まるで縫い付けられたように動けない。

 しかしベルナールは萎縮こそするものの努めて気丈に振る舞った。


「気づいてたんですね。僕が殿下を知ってるって」

「私とて王太子だ。変態だが人を見る目はある」

「……それは!いえ、申し訳ございません」


 ベルナールは自分の行った無礼の数々と、それを見透かされていた事実に身が縮まった。

 その間もスワードは次々にボールを撞き、それらは軽快に穴へ落ちて行く。


「でも一言だけ言わせてください」

「ああ」

「お願いですから……姉上で遊ばないでください」

「なんだと?」


 スワードは顔を顰め、ベルナールは手にするキューを両手で強く握りしめた。

 そこからベルナールが語ることは、他ならぬ姉シャルロッテの過去だった。



◇◇◇



 ── 8年前。


 母親のシルト夫人が逝去した。

 元から病弱な体だったことに加えて、流行り病に罹ったことが原因だった。


 ベルナールはこの日のことを今でも夢に見る。


 暮相時、部屋の中が朱に染まった部屋。

 母の亡骸を抱きしめる父の嗚咽、握り潰された薔薇の花束。

 それから、小さな小さな姉の背中。

 葬儀の日は大雨だった。黒い傘に大粒の雨が叩きつけ、耳元で煩く鳴っていた。


 それからひと月程経った頃、夜の屋敷で悲鳴が響いた。

 屋敷の皆が聞きつけて声の方へ向かうと、そこにいたのは腰が抜けたメイドと、壁に拳をめり込ませてボロボロ泣くシャルロッテだった。


「……そっその人が、お母様の部屋に勝手に入って宝石を盗もうとしててっ……!そしたらわたし……すごく力が入って……それでっ……」

「姉上、怪我はない?」


 ベルナールは姉の小さな拳をそっと取った。

 不思議なことに手に傷はなく、その代わりに屋敷の壁に深くて大きな穴が開いていたのだった。


 それがシャルロッテ初めての怪力だった。


 それからシャルロッテは時と場所を選ばず、感情が昂るたびに怪力発動するようになった。

 お茶会に行けば高確率でティーカップを割るので、一部の貴族間で「怪力令嬢」と囁かれ始めた。そうしてその異名が水彩が滲むように広がっていくと、シャルロッテはあえなく社交界を去ることとなった。

 しかし行き場を無くした嘲笑は、弟のベルナールに向けられた。

 「怪力令嬢の弟」と馬鹿にされ、幼き次期侯爵はお茶会に出席する度にいじめられた。

 その内容の殆どが姉のシャルロッテを虐げる内容で、ある日ベルナールの怒りがとうとう爆発した。

 腹を抱えて笑う令息に掴みかかって、それから──、


 その後のことはよく覚えていない。


 激痛で目が覚めると、ベルナールは屋敷の自室にいた。側に腰掛けるシャルロッテの目はとうに腫れあがり、充血していて。

 それは足首の痛みなどよりも、ベルナールの胸をずっと痛め続けることとなった。


「わたしのせいで……本当にごめんね……」



◇◇◇



「……自分が馬鹿にされても泣かなかったくせに」


 ベルナールはそう呟いて灰色の記憶に幕を下ろし、目をいからしてスワードに言った。


「だから姉上を弄ぶなら、たとえ王太子殿下だろうと僕が許しません」

「私が前の婚約者のようにシャルロッテを捨てるとでも?」

「あのですら最初は良い顔をしてましたから。今の貴方のように」

「……そのバカと同等とは心外だな」


 スワードが手を止めた。残りのボールはどれも容易にはいかないポジションに残っていた。さすがのスワードも目を細めて慎重にキューを構える。ベルナールはさらに追い詰めるように問うた。


「どこが好きなんですか? 姉上のこと」


 ベルナールの変声期真っ只中の掠れた声がカコン、とボールの落下音と重なった。スワードはそれを簡単なことのように見せて、容易く明瞭に返答した。


「全てだな」

「え」


 スワードの表情は至って真面目だ。ベルナールは回答に拍子抜けし、体が弛緩して久しぶりにキューの重さを感じた。そしてその言葉の真意を、目を輝かせたスワードが口にする。


「嘘が下手で、前向きなくせに小心者で、誰よりひた向きで、それらを怪力が引き立てる。控えめに言って最高だと思わないか?」

「はい……?」


 スワードのシャルロッテへの想いは、こんこんと湧き出でる清水の如くスワードの口から紡がれていく。


(やっぱこの人、変態王太子だ……)


 聞いているこちらが恥ずかしくなるほどの惚気。鳥肌が立ってきたベルナールが話を遮ろうと口を開くと、スワードは静かに言った。


「怪力令嬢と呼ばれようと心を閉ざさなかった彼女が、沢山の感情と生きてきたシャルロッテが……私はどうしようもなく眩しいんだ」


 スワードの瞳はとろけ落ちそうなほど熱く潤み、瞬きの度に煌めく。それは一国の王太子ではない、スワードというただの男で。

 ベルナールはそれを見ると、浮かび上がっていた様々な難癖が一気に霧散した。

 

 ──カコンッ


 スワードが最後のボールを落とし、ゲームは終了した。

 

「私の勝ちだな」


 そう言い放ったスワードは端正な男でありながらも、少年のように得意気な笑みを浮かべていた。 

 勝負は歴然、ベルナールの完敗だ。

 試合で負け、でも負けた。

 ベルナールは漠然とそう思った。

 しかし確かなことは、この「負け」は決して不快ではなく、むしろ心地良いものだということで、ベルナールは爽快感さえ感じている。

 気づけば握りしめる重いキューも床へ下ろし、全身が弛緩するようだった。

 そしてようやく、ベルナールは自らの過ちを認める気になった。


「数々の無礼を申し訳ございませんでした。罰なら……何でも受けます」

「罰? 罰する理由がない。姉を思うが故の行いだっただろう」

「そ……うですが……」

(でもそれじゃ気が済まないでしょ。変態王太子とか散々バカにされたし)


 ベルナールは顔を顰めて俯いた。

 あれだけ虚勢を張ったところで、所詮は少年14歳。

 結局のところ、本当の覚悟などできていなかったことをベルナールは思い知った。

 足元がふらついてそれを自覚すると、スワードはくすりと笑った。


「そう思うなら出世しろ。私の治世で役に立て」

「……え?」

「私に罪の無い人間をなぶる趣味はないということだ。それがシャルロッテの弟となれば、尚更な」

「僕が姉上の……」


 ──シャルロッテの弟だから。


 ベルナールは「怪力令嬢」の弟だからと虐められることは嫌と言うほど経験した。

 しかしシャルロッテの弟だからと優しくして貰ったのはこれが初めてだった。

 あれだけ貶されたのにも関わらず、スワードはここ1番の穏やかな笑顔でベルナールに笑って見せた。

 その優しさは、ベルナールの心に刺さった杭を抜いてくれるようで。傷口からは沢山の感情が込み上げ、やがて溢れ出た。


「感謝します……本当に……」


 もうベルナールの震える口では言葉にできず、スワードもそれ以上は求めない。

 ベルナールは「姉のどこが好きか」と質問を投げた己を恥じた。なんて稚拙な考えだろうか、と。

 「好き」とは先に心で感じるもの、感情が揺さぶられるものではなかろうか。

 そして「好き」の理由は後から言葉となってついてくる。

 その衝撃と時差はまるで光の後に音が轟く雷のようで、恋はさしずめ雷なのだろう。

 そうしてベルナールが落ち着きを取り戻すと彼の瞳に静かに光が灯った。

 母親譲りの、菫色の瞳に。



◇◇◇



 勝負を終えた2人が部屋を後にするとシャルロッテが迎えた。

 彼女は大判のショールを手に持ち、それをベルナールの肩にふわりと掛けた。

 同時にシャルロッテのパウダリーな甘い香りがベルナールの鼻腔をくすぐる。

 ベルナールはこの香りで己の半生を思い出した。


 「怪力令嬢」になってからずっと庇い合ってきたシルト姉弟。

 その姉は不憫で健気で、誰よりも優しい存在だ。

 ベルナールはきっとこの先も姉を脅かす存在が現れれば、今日のように鋭く爪を立てるだろう。

 愛する姉のためならば。


 でも出来れば自分の出番が無いことを──目の前の変態王太子の言葉がでありますように。

 そう思いながら、ベルナールは眼前のスワードとシャルロッテを見た。


「君の髪は濡れるとミルク少なめの紅茶色になるのだな」

「ちょっ! ちょちょちょっ!?」


 スワードはシャルロッテの湿った髪の毛を梳かすように頭を撫でた。

 スワードの指が髪の毛一筋に触れていくと、シャルロッテが呼応するように紅く染まる。


「綺麗だ」

 

 スワードは恥ずかし気もなくシャルロッテに言う。

 そのスワードは、いつか父が母を見つめる時の目と、同じ目をしていた。


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