8.お土産は赤い薔薇です

 

「殿下、わたしお墓参りに行ってきます」

「墓参り? ……そうかシルト夫人の命日か」


 シャルロッテは訓練予算を組み直すスワードに言った。

 シャルロッテが風邪で伏して以降、スケジュールには週2日の休息日が設けられた。

 基本的に休息日は何をしてもいい。1日中ベッドで寝耽るもよし、図書館に入り浸るもよし、ティータイムを楽しむもよし。

 しかし王宮を出る際には必ずスワードに事前報告するルールがあった。そのためにシャルロッテはこうして事前報告をしにきたわけだが、そうすると必ず決まった返事が返ってくる。


「私も行こう」


 ──これである。


「あのぅ…殿下? わたしの母のお墓参りですよ?」

「だからこそだ。君を預かっていると夫人に挨拶をせねばなるまい」

「は、はぁ……」


 休息日のスワードはいつもこの調子だった。ある日は散歩、ある日はウィンドウショッピング、またある日はパン屋の試食まで。あれやこれやと理由をつけては、スワードは場所を選ばずどこにでもついてきた。

 シャルロッテはその度に困惑の表情を浮かべたが、彼女の顔色などスワードはお首にもかけない。

 今回も「1人で良いです」「いや私も行く」の押し問答を5往復して、結局シャルロッテはスワードと共に母親の墓参りへ行くことにしたのだった。



 行き先はシルト侯爵の領地邸。シャルロッテはそこで家族と一晩過ごし、明日墓参りをしに行く予定だ。

 シャルロッテは日差しの強いシルト領に合わせて帽子と日傘を持った。それから室外へ出るとシャルロッテは途端に固まった。

 シャルロッテの視線は客室前で待機していたスワードに集中した。彼は王太子の装いから一変して護身のために帯刀し、凛々しい騎士に扮していたのである。


(わあ! これはこれでっ……!)

 

 シャルロッテはスワードの軍服姿に大いに心臓を打たれたが、長旅前に何かを壊すのは憚られ…いやいつも憚られるがとにかく。シャルロッテはなんとか平常心を保った。鋭意練習中の深呼吸もどきをしたおかげだった。


「準備はいいか?」

「はい! よい……っしょ! それでは行きましょうううううっ!?」

「重そうだから」


 スワードはシャルロッテの手から革製のボストンバッグをヒョイッと取り上げた。そのバッグはシャルロッテの荷物でパツパツで、まるで美味なる腸詰のようである。

 そのバッグだけ重力が違うのではないかと疑う程の重さだったが、しかしスワードはそれを物ともせず涼しい顔で持ち上げた。

 シャルロッテは「焦り」と「ド緊張」で昂り、スワードが高く掲げるバッグを取り返そうと跳躍する。


「自分でっ! 持ちますっ! のでっ!」

「君がこんなに重い物を持ったら腕が捥げる」

「ぜぇ……ぜぇ……殿下お忘れですか?わたし怪力令嬢ですよ?」

「だが立派な淑女だ。いいから黙って持たせろ。たまには私も紳士ぶりたい」


(殿下って意外と頑固なのよね……)


 シャルロッテはとうとう折れて荷物を持たせた。通りすがる使用人達の視線が突き刺さってきたのは言うまでもない。

 スワードの厚意がありがたい反面、シャルロッテは小さく小さくなるのだった。

 それから2人が馬車に乗り込むと、スワードが御者に出発の合図をした。

 車体がガタリと揺れて車輪が回り、シャルロッテは窓外の流れる景色を見る。

 1番日が高くなるこの時間は、馬車の中まで蒸し暑い。


「シルト領まで大体2時間半だったな」

「あっ殿下! 1箇所だけ……大通りのお花屋さんに寄っていただけますか?」

「ああ、もしや薔薇か?」

「へ? なぜ殿下がご存知で?」

「昔侯爵がうんざりするほど惚気ていたんだ。薔薇を贈ると夫人が花より赤くなるとな」


 スワードはそう言うと、眺める景色からシャルロッテの瞳に視線を向けた。

 彼の青い瞳に日が差し、まるで水光のように輝く。


「あの時は鬱陶しいだけだったが、今は理解できる」


 スワードは青瞳を細めて眩しそうにシャルロッテを見つめた。

 シャルロッテが今まで見てきたどの青色よりもスワードの青瞳が美しいので、自分の顔に熱が集まるのを感じるのだった。

 そうして2人が立ち寄った大通りの店は、王都で最も有名な花屋ブルームである。

 ここでは季節や原産地を問わず種々の花が揃えられ、大庭園を持つ貴族でさえここぞという時にブルームを利用するらしい。

 シャルロッテ達が店の門をくぐると沢山の花々が2人を迎え入れた。

 店内はガラス天井が高く、壁面は全てクリアガラスのステンドグラスや、朝霞を思わす磨りガラスでできている。

 日光を惜しげもなく取り込む設計は、まるで店自体が温室のようだ。


「お花がこんなに沢山……!」


 シャルロッテは大きく息を吸い、花々の香りを一身に浴びた。これはジャスミンだろうか、これは薔薇だろうか、と甘い花の香りを全身の細胞で楽しむ。

 すると、店の奥で物音がした。


「きゃあっ! お客さんが来てたなんて、気づかなかった〜ごめんなさいっ!」


 店の奥から黄色い声が聞こえると、小走りでパタパタと現れたのは可愛らしい娘だった。容貌はストロベリーブロンドとマシュマロのような肌に、熟れたいちごを思わせるダークレッドの瞳をしており、常に垂れた眉は幼く見える。

 彼女はシャルロッテより背丈が少々低く、シャルロッテはその店員を愛らしく思った。 しかしその朗らかな気持ちも一瞬で終わった。

 

「わあ〜! 素敵な騎士様っ!お花が欲しいんですか?」

「私ではなく彼女だ」

「え? えーっと付き人さん?」


(はい!?!?)


 シャルロッテの今日の格好は、実家の使用人に示しがつくように令嬢らしい装いだった。

 誰が見ても、彼女の風貌が使用人のそれと違うと明らかである。

 スワードはその言葉に眉を顰め、一歩前に出るとシャルロッテを庇った。


「口を慎め。彼女は立派な貴族令嬢だ」

「あっごめんなさい! あたし小さい頃からいっぱい大変なことあって……常識みたいなことよく分かんなくて……。本当に悪気はないの」


 娘は哀愁漂う表情でスワードを上目遣いで見つめた。しかしそれがまた愛らしいのを見ると、シャルロッテはなぜか焦燥感に駆られる。シャルロッテは娘に口早く注文した。


「あの、わたし薔薇をいただきたいのだけれど……」

「騎士様も苦労してきたんでしょ?」

「赤色を花束にしていただける? 本数は……」

「あたしもっと騎士様のこと知りたいなあ」


 娘はシャルロッテを空気のように扱い、あろうことかスワードに色目を使っている。

 その目つきを見ると、シャルロッテの中で大きくなった「謎の尖った感情」が昂って爆発した。

 シャルロッテの堪忍袋の尾は切れるどころか、堪忍袋ごと引き裂かれたのである。


「あの! 薔薇の花束をいただけるかしら! 赤い薔薇を99本! リボンはあの緑色にしてくださる!?」


 シャルロッテは腹から声を出し、窓際で艶やかに咲く薔薇をビシッと指差した。精一杯声を出したが、しかし彼女の子猫のような咆哮である。

 娘もスワードも目を丸くし、憤ったシャルロッテだけが産毛を逆立ていた。

 そうして沈黙が流れるとシャルロッテはハッと我に帰った。


(やだっ! わたしったら何を……!)


 シャルロッテは慌てて両手で口元を隠す。

 しかし凍った空気は解凍されず、すかさず娘が応戦した。


「ひうっ……ふえっ……。怒鳴らなくても……、あたしはただ騎士様と仲良くしてただけで……」

「違います! わたしは別に怒ってなんか」


(──怒ってなんかいない? じゃあなぜ、わたしはこんなに声を荒げているの?)


 そこでシャルロッテは自身の煮沸された血液に気がついた。それは明らかに感情が昂っている証拠だったが、娘に向ける尖った感情の正体が分からない。

 そうしている間も、その娘はいかにもシャルロッテに泣かされたかのように振る舞い、涙に濡れる上気した顔でスワードを見上げる。

 シャルロッテはそれにまた尖った謎の感情が昂ったが、しかしスワードは娘に目もくれない。


「シャルロッテ、さっさと行こう。君と2人でいられる時間が惜しい」


 シャルロッテが頭上を見上げれば、スワードは優しく微笑んでいた。

 神経を逆撫でする甘ったるい生花の香りも、スワードのミントとサボンの香りで塗り替えられる。

 その笑顔と温もりと香りは「恥ずかしさ」と「ときめき」の感情を湧かせ、同時に店員に対して昂っていた刺々しい謎の感情を消していった。

 しかし問題が発生したのである。


「ねえ、シャルロッテって……もしかして『あの』シャルロッテ・シルト?」

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