7.力尽くの恋(sideスワード)

「おやすみシャルロッテ」


 月明かりだけが頼りの薄暗い部屋の中、スワードはシャルロッテの額に優しくキスをした。


 シャルロッテは訓練の疲労が原因で人生初の風邪を引いてしまった。

 メイド曰くかなりの発熱だったらしいが、今は幾ばくか熱も下がったようで、スワードはホッと胸を撫で下ろした。


(次のスケジュールはシャルロッテの体調も加味しよう…)


 スワードはシャルロッテの寝顔をうっとりと眺め、あくる日のことを思い返した。



◇◇◇



「今日は王宮が騒がしいな」

「あぁ、きっと『怪力令嬢』のせいでしょう。なんでも怪力体質を治すために宮廷医師と学者に見せにきたとか」

「怪力令嬢?」

「おや、ご存知ありませんか?シルト侯爵のご息女です」


 この時、スワードは初めて「怪力令嬢」の存在を知った。


 聞くところによると、巷で有名なその「怪力令嬢」は兎にも角にも馬鹿力らしい。どれほどかと言えば物を壊すのは当然で呼吸をするに等しく、その気になれば指一本で100万の兵を制圧できるのだとか。


 まぁ噂とは常に尾びれがつく生き物だし、その令嬢も苦労が尽きないだろうとスワードは思った。


(私が「王国の麗星」などと名付けられたのと同じだな)


 幼い時分から未来の王太子という肩書きを理解していたスワードは、その地位や権力を誰にも奪わせず、自分の手綱は自分で握ると決めていた。

 ゆえに他者に隙を与えず、常に冷静で完璧に王子然としてきたわけだが、その結果付いてきたのが「王国の麗星」という大それた異名だった。


 一時は嫌悪した異名だったが、なかなかどうしてその異名にホイホイ釣られる者も多くいたもので。スワードは人心掌握のために「王国の麗星」を喜んで自らの仮面とした。腹の中を隠すのにぴったりだった。


 そうしてスワードはその「怪力令嬢」を空想してみた。


「どんな令嬢なんだ?」

「私も詳しくは存じません。社交界には顔を出さないそうですよ。殿下には一生縁のない、物騒な令嬢かと」

「物騒…か」


 どのような容貌をしているのだろう。怪力に相応しく筋骨隆々としているのだろうか、もしやゴリラのような姿をしているやもしれない。

 しかもこれだけ有名になるくらいだ、きっと相当の荒くれ者で一癖も二癖も難のある性格に違いない。


 スワードは想像上の「怪力令嬢」にクツクツ笑った。

 しかしそれも日々の政務に忙殺されて忘れ去り、数ヶ月が経った頃に王宮で舞踏会が開かれた。


「王太子殿下、うちの娘が成人を迎えまして実に美しく」

「いやいやうちの娘こそ王都で最高の器量好しで」

「才色兼備とはうちの娘の──」


 スワードは肯定も否定もせず、縁を結びたがる者達にただ美しく微笑んだ。


 令嬢はどれも同じだ。幾度となく顔を合わせて語り合えど、1つも感情は動かない。

 そればかりか顔を合わす度に頬を赤らめて「何か」を期待する令嬢達に辟易した。


(それでもいつかはこの中の誰かと結婚するのだろう。夫婦になれば少しは情も湧くだろうか…)


 そう思いながらもスワードは令嬢達に声をかけられるほど冷めていき、感情が死んでいくのを感じた。そうしてスワードが頭の回路を切断しかけた時だった。


「美しいレディ、どうか貴女のお名前を!」

「いいえ!名乗る程の者ではございませんので!!」


 スワードが声の方へ視線を逸らすと、向こうで令息達が塊になっていた。興奮した彼らは1人の令嬢を取り囲んでいる。


 その令嬢を見やればミルクティー色の髪の毛がとろりと揺れて、肌はミルク色が際立ち、大きくて透き通るエメラルド色の瞳を持つ美しい娘だった。


(あれは誰だ?どこの令嬢だろう)


 スワードは珍しく目を奪われた。

 手に持つシャンパングラスに力がこもるくらいには目を凝らして彼女を見つめる。

 男達は自分より頭2つ分は小さく華奢な令嬢に盛った猿のように食いついて、一方の令嬢は子猫のように震えていた。


「シャンパンはお好きですか!?」

「もしくはお茶でもいかがでしょう!」

「いいえ結構です!わたし…えっと…そう!食器アレルギーなので、何も持ってはいけないのです!」


(ははっ もっとマシな嘘があるだろうに)


 名を尋ねられた令嬢が青ざめて拒否するのを見ると、スワードは周りにバレないようクスリと笑った。

 なぜ名乗りたくないのかは知らないが、あまり社交が得意でないことは確かだ。

 男達に囲まれた令嬢は「助けて」「許して」と言わんばかりに手を組んで、男達と一問一答していた。

 

 そしてスワードは令嬢が壁沿いにジリジリ移動していることに気がついた。どうやら会場の出口を目指しているらしい。


(たまには人助けでもしてみるか)


 スワードはそれらしい口実を見つけて一歩踏み出したが、周りの令嬢達に行く手を阻まれた。


「ご政務も熱心になさってると聞きました!」

「わたくし殿下のお役に立てますわ!」


 実に邪魔だった。

 しかしいつも「王国の麗星」と評判の王太子が、大勢の貴族の前でなりふり構わない姿を見せるわけにもいかず、スワードもこの時ばかりは自分の異名を呪ったのだった。


 それから次にスワードが見た時には、令嬢はすでに消えていた。


 ──行ってしまった、か。


 スワードは意気消沈した。

 あの令嬢と知り合えなかったことが残念でならなかった。同時に1人の令嬢にそんなことを感じる自分が不思議で仕方がない。

 スワードはこのシコリとなった感情の正体が分からず、彼女と話してこの感情に名前をつけたかった。


 頃合いを見て会場を抜けたスワードは、あの令嬢が去っていった出口に足を運んだ。

 物語では大抵ここで王子が令嬢の持ち物を拾うものだが、現実でそんなに都合がいいことはなく、ただ冷たい夜風が吹くだけだった。


 ──まぁ、次がある。


 舞踏会が終わり、スワードは今後の舞踏会のスケジュールを確認した。

 今回の舞踏会に参加できたということは王都の、ある程度の家格の令嬢であるはずだ。

 それならば今後も舞踏会で顔を合わせることになるだろう、もしかしたら向こうから挨拶をしにくるやもしれない。スワードは呑気にそう思った。


 しかし「次」はいつまで経っても来なかった。


 あの可憐な令嬢はスワードの感情にシコリを残したまま、舞踏会に参加することは2度となかった。スワードは舞踏会に参加しては彼女がいないと知るなり萎萎し、頭の片隅でその令嬢を思いながら日々を過ごしていた。



 そして「あの日」。



「すまない。平気か?」


 スワードの体に電気が走った。

 シルト侯爵の娘であり噂の「怪力令嬢」こそが、あの夜スワードにシコリを残した令嬢だった。


 そしてその令嬢シャルロッテは、スワード相手に感情が昂り、ケーキをぶっ潰して彼をチョコレートまみれにした。

 「不敬罪」を恐れた彼女は涙ながらにスワードに命乞いをしたが、どうやら彼女は「か弱くなって恋がしたい」らしい。


(恋をする?どこの誰と?私以上の男はいないだろう)

 

 誰にも奪われたくなかった。もっと彼女を知りたい、もっと自分を知ってほしい。


 シャルロッテの側にいたい。


 その昂る感情を自覚すると、スワードはやっとシコリの正体に気がついた。


 ──これが恋か。


 スワードはあの夜から昂り続けた感情に名をつけ、それはストンと腑に落ちた。他の令嬢達では知り得なかった新しい感情、それは「恋」だったのだ。


 そうしてスワードはシャルロッテと「力ずく」で縁を繋いだ。2度とないチャンスを、シャルロッテとの恋を成就させるために。


◇◇◇


「…か弱くな…れました…むにゃ」


 シャルロッテの寝言にスワードの顔が緩んだ。

 「か弱く」なりたい切実なシャルロッテも、顔を赤くして怪力発動する彼女も、この腑抜けた寝顔さえ愛おしい。

 

「私なら怪力ごと愛せるぞ。早くこっちに来い」


 スワードはシャルロッテのしとりと汗ばむ頬に触れた。

 明日はどうやって昂らせようか、そんな幸せな悩みに口角を上げ、スワードはシャルロッテの部屋を後にしたのだった。


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