3.王太子の模擬恋人になりました!



『成功とは即ち、優れた計画そのものである』


 この言葉の通り、王国の名だたる賢人達の栄光の裏には、必ず優れた計画があった。

 今日は「か弱くなる訓練」初日。

 シャルロッテとスワードは先の格言に基づき、より良い計画のため様々な意見を出し合っていた。


「よし、恋人になろう」

「…………はい?」


 スワードは黒板の前に立ち、粉っぽい白チョークで「模擬恋人」と板書した。そして得々と語る。


「要するに『形から入ろう』という計画だ。君の目標は『か弱くなって恋をする』だろう?」

「仰る通りです」

「しかし、君は年頃の男を相手に怪力発動してしまう。だから私と恋人になって、実際のデートを想定するんだ。私が君を昂らせて、君は怪力を制御できるよう訓練する。謂わば『模擬恋人』と『模擬デート』計画だな」

「なっなるほど。つまり訓練でもあり、実戦でもあるということですね!」

「そういうことだ」


 シャルロッテはノートに意気揚々と「模擬恋人」「殿下」「模擬デート」と書き記す。

 これでか弱くなるビジョンが明確化したあとはひたすら実行あるのみ、である。

 模擬恋人であるスワードに昂り、感情をコントロールして怪力発動を制御する……その繰り返し。

 しかしシャルロッテは思った。訓練とはいえ、恋人が「王国の麗星」と名高い王太子で、しかもデートをする? いやいや流石に、火力が強すぎやしないか?

 恥ずかしながらデート未経験の身ゆえ、これはあくまで小説情報だが、恋人のデートには「ときめき」が付きものだ。つまり、感情が昂る点が多々あるということ。

 ときめいたシャルロッテが幾度となくテーブルを壊すものだから、侯爵が暫く恋愛小説禁止令を出したほどである。

 そんなシャルロッテが、王太子とデート。

 ──見える。毎秒昂ってショック死する自分が見える。 

 シャルロッテは自分の死を予見したところで一言断りを入れた。


「では、他の人と模擬恋人になります!」

「は?」


 先程までのスワードのしたり顔は一瞬にして消え失せた。美しく端正な顔を顰めてシャルロッテを睨めつけるが、彼女もまたすかさず臨戦態勢に入る。


「わたしはお付き合いもデートもしたことがないので、ただでさえ緊張するのにお相手が殿下だなんて、そのぅ……ひっ人死にが出るかと……」

「は? 誰が死ぬと言うんだ」

「ですので、わたしとか、わたしとか……、わたしとか?」

「大袈裟な。前の婚約者と1度や2度くらいあるだろう? デートと言わずとも外出程度なら」

「……そうですね、婚約者必須の舞踏会に付き合わされた時と、婚約破棄で呼び出された時でしたら。これってデー……?」

「違うぞ」


 スワードに食い気味に否定され、シャルロッテは肩を落とした。怪力令嬢ゆえにデート未経験だなんて恥ずかしすぎる。

 シャルロッテは昂る羞恥心と、煩い搏動を宥めようと努めた。しかし努力とは裏腹に顔は赤面してしまう。

 スワードはその様を目ざとに見つけた。

 そしてシャルロッテの手を引き席から立ちあがらせて言う。


「もう1度言う。君の恋人はこの私だ」


 その面には、満開の花のように美しい笑みを湛えていて。しかし瞳の奥は獰猛な野獣の如く光っていた。絶対に逃さない、そう言わんばかりに。

 そしてスワードは立て板に水が如く説き伏せた。


「よく考えるんだ、シャルロッテ・シルト。私以外となれば、そこらのバカ令息と模擬恋人になる。『怪力令嬢』を蔑む奴等の前で怪力発動してみろ、君はどうなる? 罵倒されたらどうするつもりだ。よしんば大目に見られたとして、例えば君がうっかり国宝をぶち壊したとしよう。そいつらにその場の収拾がつけられるか?」

(国 宝 を う っ か り ぶ ち 壊 す !?)

「無理だろう? そんな甲斐性のある男が私以外にいるなら此処に連れてこい。どうだ? ん?」

「さっ……探せばきっと──!」

「ああでも、そんな男がいれば君は此処にいないか、すまない。愚問だったな」

(ふぐうぅっっ!!!!)


 スワードは散々捲し立てた末、シャルロッテの柔なハートを完膚なきまでに叩きのめした。

 しかしスワードの表情がまあ、また途轍もなく清々しい笑顔なので、反発心も折れてしまう。

 シャルロッテはひしゃげたハートにアイロンをかけつつ逡巡した。

 スワードの言ったことは正論だ。他にデートできる男がいるのなら、今まで枕を濡らすこともなかったわけで。シャルロッテはここに来て己の甘すぎる認識と現実に顔を顰める。

 そうして黙りこくると、スワードはシャルロッテの腰を抱き寄せた。

 見た目よりぶ厚い胸板が彼女を迎え入れる。どうやら彼は着痩せするタイプらしい。

 スワードの手や肉壁から伝わる熱や、体の芯まで届くような甘く低い声。

 そして髪筋を撫でる僅かな呼気にさえ、シャルロッテは昂った。

 それはもう、隅から隅までずずずいっと、昂った。仕方がない、王太子が軽率に怪力令嬢に触れるのが悪いのである。

 スワードはシャルロッテを見下ろして言った。


「言っておくが、恋には『感情の昂り』が付きものだ。時に胸に風穴が開き、焦燥して、しかしそれが満たされればもっと……と欲が出る。そのコントロールがこの上なく難しい」

「……殿下もそうですか?」


 スワードは返事の代わりに首をすくめた。

 まあ、王太子の恋愛事情など赤裸々に話せるわけもないか。

 彼の言葉の真偽はともかく、少なくともシャルロッテが恋をするためには、人の倍以上は感情をコントロールする必要がある。

 一筋縄ではいかないと覚悟はしていたが、これは想像をはるかに超える障壁だ。

 スワードはシャルロッテの頭をさらりと撫でて囁いた。


「私の恋人になるんだ」


 スワードの呼気が耳の産毛を擽り、甘い痺れが全身を駆ける。

 シャルロッテはその場で仰け反った。

 昂りすぎるシャルロッテの本能が、身の危険を感じて逃げようと試みる。

 しかし、それは腰に回された大きな手によって阻まれて。


「恋がしたいなら私とすればいいだろう? 私さえクリアすれば、他の男はどれも同じだ。まあ、できればの話だが」

「殿下がお相手な限り一生できないかと……」

「それならそれで好都合だ。一生私と訓練すればいい」

「はいいっ!?」


 スワードは器用に片眉を上げ、悪戯に微笑む。なんて憎らしく美しい尊顔だろう。

 王太子と模擬恋愛、シャルロッテに天より高く聳え立つ岩壁だ。

 しかし、もし完遂すれば。きっと世界が一変するのだろう。そして軍事を担う王太子がこの訓練計画を練ったのだからきっと間違いはないはず。そうだ、やるしかない。


「……殿下と恋をします。不束者ですが、よろしくお願いいたします」


 そうしてやる気に満ち溢れたシャルロッテは、ペンを3本立て続けにへし折ったということだった。

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