第7話 基本的人権と雷怖い
「基本的人権ですか……」
保坂さんは下を向いて何か考えている様でしだ。
「腹に七月 赤子がござる。もしもこの子が男の子なら 寺へ差し上げ学問させて 羽織袴で習わせる。
もしもこの子が女の子なら 藁でしぼして小縄でしめて 前の小川にちゃぼんと投げる。下からドジョウがつつくやら 上から烏がつつくやら」
「えっ? なんです」
突然歌い出した保坂さんの謡の内容に、今度は私が凍りつきました。
「僕の出身の石見地方で歌われてる手毬唄です。
子供の間引きを謳ったものですが、本来は『息子ならこうなる、娘ならこうなる。だから息子を授けてください。お願いします』
と言う男子祈願のおまじないみたいな唄なんだそうです。
でも、実際は男の子も女の子も、親の都合で間引かれてました。
「お戻ししようか」と言って、産婆が産湯に赤子を沈めてそれでお終い。
間引いた時の隠語で、女なら『野原へ花摘みにやった』
男なら『広島に綿買いにやった』と言うそうです」
あまりのことに何も言えません。
「僕は養子でね。生家は貧しくて、もし貰い先がなかったら、ぼくも間引かれてたんです。だから姉は産まれたばかりの僕を抱いて逃げました。
神社に、子宝祈願に来ていた夫婦に、『もらってください』と必死に頭を下げて、僕を渡したんです。
それが保坂の両親、僕は運が良かった。
保坂の父は医者なので、いろんなところへ往診に行きます。
僕が十歳の時、廓へ梅毒で死にかけの女郎を診察しに行ったら、その女郎があの時の姉だったんです。姉はあの後すぐ、廓に売られたんです。
僕が元気なのを聞いて『なんもできん女の身だったが、一生に一回だけ良いことができた』と嬉しそうに言って死んだそうです。これが現実です」
廓に売られて……貴子様達の事を思い出します。
「だから、僕の夢は、『何か一つ、良いことをして死にたい』なんです。
あなたも、一つ間違えば、捨てられていたのに、ちゃんと実のご両親に育ててもらえてる。そう考えればあなたも僕もとても運が良かった。
人間は、世界を理解するために物語を作ると言います。
宗教も本当は人間の都合のいい作り話で、人は自分の信じたい物語を勝手に信じて生きてるだけなのかもしれません。
でも、物語はいろんな世界に連れてってくれる。辛い時に心を軽くして助けてくれる。
現実はあまりに厳しいから、それを忘れるために、人間は綺麗な夢を見たいんです。
薄っぺらい理想でも綺麗事でも良い。間引きの歌より、僕は赤い鳥の歌の方が好きです」
ぐうの音も出ません、今すぐ逃げ出したい。もう、モデルなんて嫌!
「おーい、しのぶ姉ちゃん、来てくれよお。シゲとクニがケンカして大変なんだ。
寛治兄ちゃんじゃ止められんのだ」
その時弟の清六が呼びに来たのです。
「あの子達ったらまたなの。失礼します」
これ幸い、私は部屋を飛び出しました。兄さんは、優しすぎて、叱るのが下手なのです。
弟妹たちは小さい時から世話をしている私のいうことの方を聞くのでした。
「シゲ、クニ、何をしてるの!」
私の一声で、庭で泣きながら掴み合いをしていた妹達は、慌てて手を離しました。
「喧嘩の原因は何? またママゴト道具の取り合いなの?」
「だって、だって、クニがあたしの大事なお茶碗かくしたんだよ」
「だってシゲ姉ちゃん、全然貸してくれないんだぁ」
「あらら、またなの?」
確かにあれはいい茶碗です。昔私が欠かして、兄さんの割った蓴菜模様のお茶碗の片割れでした。
「こんな争い事になるなら、あの時二つとも割れば良かったかなあ」
兄さんが困って頭をかいています。
「何言ってるの、茶碗が可愛そうでしょう。そんなこと言ってると、茶碗が化けて出るわよ」
「え、化けるの?」
シゲがびっくりして言いました。お昼に、茶碗を一つ割ったばかりなのです。
「そうよォ。よくも割ったなーって出てくるんだから」
「嘘、お兄ちゃんも出た?」
「そういえば出たような、出ないような……」
兄さんが話を合わせます。
「や、やだ」
シゲはお化けが大嫌いなのです。夜はお便所に一人でいけないのです。
そのとき、ポッと、雫が頭に当たりました。雨でした。
気づくと、黒雲が東の空を覆っています。雷も遠くでなりだしました。
「さっき干した洗濯物! みんな手伝って」
物干場に急いで走ります。
「シゲ、クニ、清六、中に運んで。寛治さんも手伝って」
いつのまにか兄さんがいません。
「もう、どこにいったのよ。これだから男は」
「僕、手伝ってるよ」と清六。
「ゴメン、悪かった。あんたはいい子」
ドン、ガラガララ……落ちました!
「近いわ、みんな蚊帳に入るのよ」
洗濯物を抱えてみんなで走りました。
「やーっ怖いよう、おへそ取られるよう」
一番下のクニは、もう泣きだしました。
「大丈夫、蚊帳の中には落ちないから」
いつもは男だと強がる清六も、こればかりはダメで、縋り付く手の爪が食い込みそうです。
「大丈夫だよ、避雷針あるから。寛治兄ちゃんが言ってたもん」
さっきまでお化けを怖がっていたシゲが逆に落ち着いていましたが、次のドンで、やっぱり私にしがみつきました。
私も本当は怖かったのですが、みんなの手前そうも行きません。お姉ちゃんの辛いところです。
「もう、寛治さんがいれば思いっきりしがみつくのに、何でこんな時にいないのよ」
心の中で叫んでいたら兄さんが、保坂さんを連れて蚊帳に飛び込んできたのです。
見れば保坂さんの顔色は真っ青。
「わーっ神様助けて」
はあ? 今の声誰。
「大丈夫だ、保坂。屋根に避雷針もあるから、ここには落ちない」
「わーん寛治くん怖いよォ」
え、保坂さんって雷怖いの?
それで兄さんは保坂さんを助けにいって、いなかったのね。
「大丈夫俺がついてる、それに蚊帳は魔除けの結界だ安心しろ」
グヮラグヮラピカ・ドーン。家が揺れました。
どうやら、庭の木に落ちたようです。
「きゃーっ、もうダメだあ。うわあああーん」
保坂さん大泣き。こっちはびっくりしすぎて、泣くどころでありません。
みんなで抱き合って固まってしまいました。
やがて、にわか雨は去って、雷も遠くなって行きます。保坂さんは兄さんに縋ってまだ泣いていました。
抱え込んだ洗濯物はまだ湿っています。今から干せば夜までに乾くでしょう。
「清六、シゲ、クニ。洗濯物干し直すよ、手伝って」
みんな無言で洗濯物を抱えて、縁側に出ました。
「お姉ちゃん、お祖父ちゃんの松が」
シゲの指差す庭の一本松が、雷に打たれて真っ二つになっていました。
「危なかったねえ」
あらためて怖くなりました。
その時清六がポツンと言ったのです。
「いんてりげんちゃんでも、雷怖いんだ」と。
それはインテリゲンチャなのでは?
「きっとおへそとられた事あるんだ」とクニ。
違うと思う、ぷぷぷ。
「青鬼の目に涙」とシゲ。
もうダメェ。四人揃って大爆笑、もう止まりません。縁側で転げ回って笑っていました。
「わーっ、神様助けてえー」と、清六。
あはははは。
「寛治くん怖いよー」と、シゲ。
きゃはははは。
「保坂、ヘソとられたー」とクニ。
アハハハハハハハ、アーッハッハッハッ、あースカッとした。
「そんなにおかしいですか」
情けない顔で蚊帳から出てきた保坂さんは言いました。
「でも、やっと笑ってくれましたね。改めてモデルお願いします。
笑った顔のあなたが描きたいんです」
もう断れなくなりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます