第十六話 夢ならば覚めないで
「さっきから何を言っているの、アル? あなた変よ」
不安そうなヒメナの言葉は、もはやアルセニオの耳には届いていなかった。彼は幻でも見たかのようにふらふらと足早にルビアの目の前にやってきて、その身体を強く抱きしめる。
「お願いだ。夢なら、どうか覚めないでくれ……」
咄嗟に否定するには、 彼の声はあまりに真剣で、切羽詰まっていて。ルビアは息を呑んで彼の抱擁を受け止めることしかできなかった。
「何度も、何度も君を夢に見た。だけど、夢の中で何度呼んでも君は返事をしてくれなくて……。ずっと、ずっと会いたかった。――君に、会いたかったんだ。ルビア……!!」
語尾を掠れ、震えさせながらも、アルセニオはそれを打ち消すほどの強さでルビアの名を呼んだ。
肩が濡れる感触に驚いて身を離したルビアの視界に、彼の金色の目から涙がこぼれ落ちるのが見えた。
思慕と後悔とがない交ぜになった表情に、胸を突かれる。
後から後から頬を伝って流れる涙に、気づけばルビアはハンカチを取り出し、彼の顔を拭っていた。
「泣かないでください、アルセニオさま」
優しく、宥めるように。かつて八歳の少年だった彼にそうしていたのと同じく、ルビアは少し背伸びをして、ごく自然にアルセニオの頭を撫でる。
生まれ変わりを知らせるつもりはないなどという考えは、彼の涙の前に一瞬で吹き飛んだ。
ルビアは、知らなかったのだ。
自分の死が、一体どれほどの孤独を彼に与えてしまったのか。この時まで、想像すらしなかった。
そうでなければどうして、呑気にお飾りの妻として気楽な生活を送ればいいなんて考えることができただろうか。
「夢じゃありません。ルビアはここにいますよ。ほら、ちゃんと温かいでしょう?」
「うん……うん……」
子供のように泣きじゃくりながら、アルセニオは何度も頷いた。
あの頃ですら見たことのなかったアルセニオの涙に、ルビアまで釣られて泣きそうになる。
「……ごめんなさい。十秒以内に、来ることはできませんでした。随分、お待たせしてしまいましたね」
八歳の彼が『僕が呼んだら十秒以内に来るように』と言っていたことを思い出しながら、ルビアはあえて軽い調子で言った。
アルセニオの両手を取ると、自分のぬくもりを伝えるようにぎゅっと握りしめる。
かつて手のひらの中に収まるほど小さかった彼の手は、今やルビアの手には余るほどに大きくなっていた。男性にしては滑らかな、けれど骨張った長い指を持つ手が、ルビアの手を握り返す。
「いいんだ……。君とまた会えた、それだけで、十六年なんて一瞬だ」
やがて泣き止んだ彼は、赤くなった洟をすんとすすりながら潤んだ目を穏やかに細めた。
「本当に、ルビアなんだね」
「はい。自分でも、不思議ですけれど……。でも、どうして〝わたし〟だとわかったんですか?」
確かに今のルビアは亡くなったルビアに、姿形がよく似ている。しかしそうだとしても、本気で生まれ変わりを信じる人はいないだろう。
ましてや、先ほどからのアルセニオのように確信を持つような言動をすることは。
「一目で分かるに決まっている。自分の妻のことなんだから」
答えになっているような、なっていないような言葉を口にして、アルセニオは微笑んだ。幼い頃も大層な美少年であったが、あの頃の生意気さはすっかり鳴りを潜めている。
物憂げな雰囲気や、柔らかに変じた口調も相まって、水の垂れるような美青年といった印象だ。
「でも、残念なことをしたな。僕の花嫁が君だとわかっていたなら、魔物討伐の指令なんて断って君を出迎えたのに」
「だけどわたしは、立派にお務めをこなすアルセニオさまを、誇りに思いますよ」「本当に? ……君にそう言われると、すごく嬉しい」
どうやらアルセニオはこの十六年で、随分と素直になったようだ。
かつてであれば『お前に褒められても、別に嬉しくなんてないんだからな!』とそっぽを向いていただろう。けれど今は、はにかむようなとろけるような笑みを浮かべ、まっすぐにルビアを見つめてくる。
ルビアだって、まだ十六歳になったばかりの年頃の娘だ。
前世の記憶があるとはいえ、思い出したのはつい最近のこと。
特別男性に耐性があるわけでもなく、ましてやこれほどの美形に微笑まれた経験などあるはずもない。
大人になったアルセニオを前に、胸高鳴らせ、頬を染めるのも無理のない話だろう。
これまで体験したことのない感情に胸がざわざわし、思わず彼から目を逸らしたその時だった。
「ルビアさん……。あなた、アルに何をしたの?」
化け物を見るようなヒメナの目と、視線が合った。
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