第十四話 後悔
それなのにどうしてアルセニオはあの時、ルビアを守れなかったのだろう。
誰より大切な人を守れなかったくせに、最強の魔術師だなどと笑わせる。
ルビアが亡くなった瞬間の、あの手の冷たさと、頬の白さが今でも脳裏に焼き付いている。あれ以降悪夢にうなされ、夜も満足に眠れなくなった。
ルビアの夢を見るたびに、アルセニオは自分を責めた。
(僕が死ねばよかったのに……)
アルセニオが死んでさえいれば、ルビアが命を落とすことはなかった。
可憐で明るい彼女は、良い相手と再婚して幸せに暮らすことだってできたはずだ。
いや、そもそも自分のような凶眼が妻を迎えたこと自体が、間違いだったのかもしれない。
母を殺し、父に疎まれ、祖父に憎悪の目を向けられた――そんな自分が幸せになろうとしたことが、おこがましかったのだ。
それなのにルビアは最期の瞬間まで、アルセニオのことを気遣っていた。
『その優しさを、忘れないで……。そうすれば、いつかきっと……あなたのことを、分かってくれる人が、現れるはず』
『たくさんの人と、触れ合って……。その魔術を、人のために生かして……。そうして、お友達や、恋人を……』
ルビアは本当にばかだ。
罵ってくれてよかった。憎んでくれてよかったのだ。
彼女にはその権利があった。
そして、彼女の家族にも。
ルビアの死後、南領を訪れたアルセニオは、彼女の家族に事情を説明した。
自身の祖父が彼女を殺したこと。
本当の標的は自分だったこと。
ルビアが自分を庇ったせいで、命を落としたこと――。
『どうして、姉上を守れなかったんだ! あんた、最強の魔術師なんだろ!!』
ルビアの弟に泣きながら罵られ、親族たちから冷ややかな目を向けられ、しかしそんな中でもルビアの両親だけはアルセニオを責めはしなかった。
『あの子も夫を守れて誇りに思っていることでしょう』
『優しい子でした。きっと、あなたが助かって嬉しかったと思います」
殴られ、罵られたほうがまだマシだった。
いっそ殺してほしかった。死にたかった。
だけど、ルビアはそんなことを望んではいない。
『どうか、幸せに、なって……』
(お前がいないのに、どうやって?)
ルビアがいなくなってからの日々は、アルセニオの人生にとって最も空虚なものだった。
ただ息をして、生きるための食事を取り、国からの依頼を淡々とこなす日々。
従妹だと名乗る娘と、その母親が屋敷を訪ねてきたのは、ルビアの死から二ヶ月後のことだった。
フィエロ伯爵の投獄によって頼れるものがいなくなり、近しい身内であるアルセニオを頼らざるを得なかったらしい。
寄る辺のなくなった彼女たちに対する罪悪感など、なかった。
訪ねてくるまで、存在すら知らなかった相手だ。むしろ、フィエロ伯爵の身内というだけで厭わしい。
それでもアルセニオが彼女らを屋敷に迎え入れたのは、それがルビアの願いだったからだ。彼女はこれ以上ないほどの善人で、いつも他人に優しかった。
そしてアルセニオにも、そうあることを望んでいた。
離れを建てる間、客間に住まわせ、離れができあがってからはそちらに移り住んでもらった。
そうして必要な物や、欲しいというものがあればなんでも買い与えてきた。もちろん常識の範囲内でだが、やりたいということは、なんでもやらせてきた。
他人に優しくすれば、天国のルビアが喜ぶと思ったからだ。
『それに、誰かの笑顔を守れるって、きっとすごく嬉しくて誇らしいことだと思うんです。どうせ誰かに向けられるなら怒り顔より、笑顔のほうがいいでしょう?』
『……お前は、僕が誰かを守れるようになったら、嬉しいのか?』
『はい、もちろんです。わたしの旦那さまは優しくて立派な魔術師だって、自慢に思います』
あの時のやりとりを、アルセニオは片時も忘れたことはない。
ゆえにアルセニオの行動基準はすべて、ルビアが喜ぶかどうかということに拠った。
魔術の腕を磨き、国からの依頼を受けて魔物を討伐し、困っている人々のために診療所や孤児院を建てた。
そうしているうちにアルセニオのことを恐れていた民たちの見る目も代わり、彼らはアルセニオを救世主か何かのように讃えるようになった。
町の人たちは皆アルセニオを慕い、立派な公爵さまだと口を揃えて言う。
すべて、ルビアのおかげだ。
それなのにどうして、彼女だけがここにいない。
(ルビアに、会いたい……)
彼女の死から何年経っても、ぽっかりと開いた心の隙間は埋まることなく、むしろますます広がっていく一方だった。
それなのに、周囲はアルセニオに、過去にしがみつくことを許してはくれなかった。
魔力は生まれながらに有するもので、そのほとんどは遺伝だということがわかっている。そのため魔術師の伴侶は、魔術師でなければならないと国法で定められている。
十八歳を過ぎた頃から、名門魔術師一族からひっきりなしに縁談が届くようになった。しかしアルセニオは生涯、ルビア以外の妻を持つつもりはなかった。
そのたびに断り続けていたものの、二十四歳を迎えた今年、とうとう痺れを切らした皇帝が強制的に結婚を命じてきた。
相手はタルク族の姫――ルビアの姪にあたる十六歳の少女。名前は、伯母と同じルビアというらしい。
皇帝の話によると、その少女は先のルビアに似た性格、似た容姿を持つとのことだったが、それがなんだというのだろう。
同じ名前、似た姿形をしていても、その少女はアルセニオの愛したルビアではない。
だが、いかに最強魔術師と呼ばれていようと、皇命に逆らえる権限などあるはずもなかった。
強引に承諾を取り付けられ、気づけば相手が嫁いでくる日程まで決められていた。
新しい妻には申し訳ないが、ルビア以外の女性を愛せるはずもない。
形ばかりの結婚をし、後は自由に過ごしてもらおう。愛人を作ってもらってもいい。どんな贅沢だって、好きなようにしてもらっていい。
それが、アルセニオが新しい妻に差し出せる最大限の誠意だった。
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