第十三話 呪われた子
アルセニオ・シルヴァは呪われた子だ。
膨大な魔力を秘めた凶眼を持って生まれ、生まれ落ちたのとほぼ同時にその魔力の暴走でもって母親を殺した。
エンカルニタ教の熱心な信者である母は『不吉な凶眼』の存在を――とりわけそれが自分の腹から出てきたという事実を、決して認めようとはしなかった。
そうして、彼女はアルセニオの目をえぐり出そうとし、宿主の身体を守ろうと暴走した魔力によって命を落とした。
ひとり娘であった母を可愛がっていたフィエロ伯爵の嘆きようはすさまじいものだったという。周囲が止めていなければ、彼はアルセニオを娘の仇として殺しにいっていたかもしれない。
それらの事実を、アルセニオは使用人たちの噂話で知った。
愕然としたアルセニオは、父を問いただした。
きっと否定してくれるだろう――そう信じて。
しかし父の告げた事実は残酷だった。愕然とするアルセニオに父が重々しく告げた言葉が、今でも忘れられない。
『お前の力は、人を傷つける刃となる。できるだけ早くに、魔力を制御する術を身に着けるんだ』
父は当時まだロサリオ公爵家の次男だったジェレミーに、アルセニオの魔術の師となるよう頼み込んだ。
けれどそれは恐らく、息子への愛情ゆえではなかったのだろう。
母を殺したアルセニオを憎んでか、あるいは恐れてか、父はそれ以降滅多に屋敷には寄りつかなくなったから。
最期は、巨大な邪竜に立ち向かって死んだと言われている。
父は最期まで人々を守る、立派な魔術師たろうとした――。
その知らせを聞いた時、そして葬儀の時、涙ひとつ流さなかったアルセニオを見て周囲は「やはり凶眼」「親の死などどうでもいいのだ」と噂した。
アルセニオの人生は、幼い子供が送るものにしてはひどく空虚だった。
それはアルセニオの感情が欠落しているからということも、大いに関係しているだろう。
アルセニオには、決定的に何かが足りなかった。
おおよそ普通の人間が持っているであろう優しさや、慈しみの心、特に何かを悲しむ心が欠如している。
両親の愛情を受けられず、使用人からは恐れられ、民たちからは悪し様に噂される。そんな状況だから、人間らしい感情を持てというほうが酷だったかもしれない。
唯一ジェレミーだけは普通に接してくれたが、それだって彼がアルセニオより強い魔術師だからだ。安全な場所にいるから、アルセニオを恐れずにいられる。
ただそれだけのことだった。
そんな風だから八歳で政略結婚が決まった時も、別になんの感慨もわかなかった。
相手は八歳も年上の、南領タルク一族の姫。どうせ彼女も、アルセニオの噂に怯えていながら、皇命に逆らえず泣きながら嫁いでくるに違いない。
しかし予想に反して、彼女は色々と変わっていた。変人と言ってもいい。
初対面の時のやりとりは、今思い出してもどうかしていると思う。
『初めまして、閣下! タルク一族当主の娘、ルビアと申します』
『ようこそ……と言いたいところだが、この結婚は僕が望んだことではない。王命の手前、お前のことは一応公爵夫人として遇するが、僕からの愛など期待するな。……おい、聞いているのか!』
『申し訳ございません、閣下のお目がとっても綺麗で、見とれていました! まるで星みたいに綺麗ですね』
『はぁ!? お前……おかしいんじゃないのか!?』
生まれて以降ずっと多くの悪意にさらされてきたアルセニオにとって、自分に向けられた悪意を受け流すことは造作もないことだった。
実際、彼にとって周囲が悪し様に自分を罵ったとしても、羽虫がうるさい程度の感情しか抱かなかったからだ。
しかし、ルビアは。
誰もが厭う凶眼をまっすぐに見つめ、自分のほうこそ目をきらきらさせながら、まるで特別な宝石を前にした子供のような無邪気さで、アルセニオの目を褒めた。
誰もが『目が合ったら呪われるよ』と言ったアルセニオの目から、決して視線を逸らすことなく。
ルビアは、特別な人だった。
優しく、気立てがよく、ちょっと呑気で抜けていて。でもそんなのほほんとしたところを、アルセニオは好ましく思っていた。
彼女と過ごす時間はいつも穏やかで、彼女の言葉はいつだって、乾いたアルセニオの心を清らかな水のように潤してくれた。
ルビアが来てからというもの、アルセニオは自分が以前とは変わっていることをひしひしと感じていた。
彼女と話すと瞬く間に自分のペースを乱され、感情がこれまでにないほど大きく起伏する。
それに、屋敷の空気も変わった。
いつも怯えていた使用人たちが、ルビアとアルセニオのやりとりを見て微笑ましげに笑い、明るく挨拶をしてくれるようになったのだ。
それらの変化に最初は戸惑ったものの、悪い気はしなかった。
ルビアの笑顔や振る舞いは、人にいい変化を与える。その場の空気を、明るいものに変える。
彼女は魔術があまり得意ではないと言っていたけれど、アルセニオにとっては、それこそが彼女の魔術なのではないかと思った。
ルビアが生きていた時、アルセニオは一度だけ魔力を暴走させそうになったことがある。あれはひとりのメイドが、ルビアを『成り上がりの先住民』と馬鹿にした時のことだ。
そうした陰口には慣れていたのだろう。ルビアは苦笑いしていたが、傷付いていないわけがない。
怒りに全身の血が沸騰し、気づけば魔力を暴走させていた。
『怖くありませんよ。閣下は優しい方ですもの』
誰もが逃げ惑う中、禍々しく渦巻く黒い魔力の中心で、ルビアはアルセニオの手を優しく取った。
『皆、僕を怖がるのに……お前はばかだ』
本気で、そう思った。
誰もがアルセニオを、呪われた凶眼だと恐れているのに。魔力の暴走で殺される可能性だってあったのに『優しい方』だなんて、どうかしている。
『閣下を怖がるくらいだったら、わたしはばかで結構です』
生まれて初めて差し伸べられた手に、アルセニオは泣きそうになった。
人の手というのは、こんなにも優しいものだったのか。人の言葉というのは、これほどに温かいものだったのか。
恋に落ちた瞬間というものがあるのだとすれば、きっとあの時だったのだと後になって思う。
まだたった八歳の、小さな子供だった。
けれどアルセニオは確かに、ルビアに恋をしていた。
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