第十一話 侍女

 アルセニオがよそ者を寄せ付けたがらないことは、前世の知識で分かっていたし、南領でも有名なことだった。


 ゆえにルビアは自身の侍女たちを南領にすべて残し、単身で輿入れした。道中付き添ってくれていた唯一の侍女も、乗ってきた馬車と共に帰したため、ここでのルビアは完全にひとりだった。


「荷物は以上です」

「ありがとう。ご苦労さまです」


 荷物を運んでくれた下男たちに礼を告げ、ルビアは長旅で強張った身体を労るように、部屋のソファに身体を沈めた。

 

 屋敷の離れは、そこだけで生活が完結できるような造りになっているようだった。

 一階には台所もあるし、浴室や図書室も備えられている。使用人の部屋らしきものもあった。


 前世ではこのような建物があった記憶はないから、ルビアの死後に建てられたものなのだろう。壁紙は美しく、天井からは豪華な照明器具がつり下がっているが、室内に置かれた家具や調度品は質素なものばかりで、ひどくちぐはぐな印象を受けた。


 ルビア付きの侍女を名乗る女性がやってきたのは、離れに案内されてすぐのことだった。茶色の髪を引っ詰めにし、つり上がった目尻が特徴的な、いかにも厳しそうな五十がらみの女性だ。


(初めて見る顔だわ……)


 前世でアルセニオがルビアのために集めてくれた侍女たちは、全員顔も名前も覚えている。

 だが、あれから十六年も経ったのだから、新しい使用人が増えていたとしても何も不思議ではない。


「初めまして、ルビアさま。本日よりあなたさまのお世話をいたします、デボラと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 口調こそ丁寧だが、デボラの声には一切の温度が感じられず、呑気なルビアでさえ息が詰まりそうになるほどだった。

 

「あの、他の侍女はどちらに?」

「わたくしひとりでございますが」


 当然のように返され、ルビアは驚いてしまった。南領では常時、五、六人の侍女が控えてくれていたし、前世でもアルセニオは十分な数の侍女を用意してくれていたからだ。

 公爵家の奥方の侍女がひとりなど、聞いたこともない。


「このお屋敷には、侍女がひとりしかいないということ?」


 そう言うと、デボラは眉間に皺を寄せた後、ふっと片方の口端を持ち上げて笑った。まるで、なんて馬鹿な質問をするのだろうと言わんばかりの表情だ。


「いいえ、母屋には侍女が八名おります。ですが彼女たちは、ピアッティ子爵夫人とヒメナさまにお仕えしておりますので」

「あなたもそうだったの?」

「左様でございます。わたくしがこちらに来たのは、旦那さまがあなたさまのためにひとりも侍女を用意されなかったことを不憫に思ったヒメナさまが、そうお命じになったからです」


 そう言って、デボラは更に付け加えた。


「ご不満でしたら、ヒメナさまに訴えて侍女を増やしていただくよう交渉してみてはいかがでしょう」


 小馬鹿にしたようなデボラの言葉を、ルビアは怪訝に思った。

 いくら望まぬ結婚とはいえ、アルセニオが花嫁のために侍女をひとりも用意していないということがあり得るだろうか。

 彼は前世でも、ルビアを蔑ろにすることは決してしなかったのに。


「……もしかしてヒメナさまは、アルセニオさまの恋人なの?」

「わたくしの口からは、とても」


 デボラは言葉を濁したが、それこそが肯定の返事としか思えなかった。


(そうだったのね……!)


 そうだとすれば、デボラの礼を欠いた態度も、侍女が他にいないことにも納得がいく。

 ルビアは思わず笑みをこぼした。それは正妻の反応として正しいとはとても言えなかったが、 そんなことはどうでもいい。

 ルビア以外の人を寄せ付けなかったアルセニオが、恋人を持ってくれたことが嬉しかった。


「そういう事情なら、わかったわ。これからよろしくね、デボラ」

「はぁ……」


 夫に恋人がいることを知らされたばかりの妻とは思えない態度に、デボラが釈然としない顔で生返事をする。


「早速だけど、長旅で喉が渇いてしまって。何か飲み物をいただけるかしら」

「……かしこまりました」


 デボラは相変わらず、不可解なものを見るような目でルビアを見つめていたが、結局は静かに頭を下げて部屋を出て行った。


 デボラにしてみれば、恐らくルビアが怒るか悲しむかでもすると思ったのだろう。

 だがルビアにとっては、アルセニオが幸せに暮らしているのなら、そのことが一番大切なのだ。


 だから、アルセニオに恋人が出来たと知って少し寂しいなんて――きっと気のせいだ。



 ――デボラが戻ってきたのは、それからすぐのことだった。

 テーブルに置かれたのは、黒に近い茶色のお茶が入ったティーカップ。


「どうぞ」 

  

 禍々しい色をしたお茶を、デボラは平気な顔でルビアに勧めた。


「変わった色をしているのね。なんていうお茶かしら」

「最近王都で流行している、カルナド産の黒紅茶ですわ。南領ご出身のルビアさまには、珍しいお品かもしれませんね」


 鼻で笑うようなデボラの言葉に、ルビアは内心で呆れてしまう。

 南領をどんな僻地だと思っているのか知らないが、王都や他の地域とも頻繁に行き来があり、出入りの商人も非常に多い場所だ。

 カルナドからやってきた商人と取引をすることも当然あったが、黒紅茶などというものは見たことも聞いたこともなかった。


「それじゃ、いただくわね」


 一口飲んでみて、その苦みと渋みに思わず顔をしかめた。

 これが黒茶などではなく、紅茶の茶葉を長く放置して淹れたものだということくらい、すぐにわかる。

 ミゼ茶に慣れているルビアですら、違和感を覚えるほどだ。普通の紅茶に慣れた人間ならば、思わず吐き出してしまうかもしれない。


 だが、ルビアは文句も言わず『黒紅茶』を飲み干した。

 そして呆気にとられるデボラを見て、にこりと微笑む。


「ごちそうさまでした。……だけど、黒紅茶は〝田舎者〟のわたしには少し渋かったみたい。次回は普通の紅茶を用意してくれるとありがたいわ」

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