第九話 彼の幸せを

 アルセニオは新しい花嫁を望んでいない。とはいえタルク族としては、皇帝の不興をかうわけにもいかず、急遽ルビアを花嫁にすることを決めた――といったところだろう。


 本家の中で、結婚適齢期で未婚の娘はルビアしかいない。

 ましてやルビアの父は、次期族長だ。

 その長女であるルビアに白羽の矢が立つのは、当然のことと言えよう。


 そしてアルセニオも、皇帝の命に逆らうことはできず、渋々この打診を受けたに違いない。


「亡くなった姉上のことを想ってくださるのは嬉しい。だがそれだけに、お前にとってこの結婚は幸せなものにはならないかもしれない」

「お父さま……」

「一度結婚してしまえば、皇帝陛下の手前離縁も難しいだろう。だから、お前が嫌だと言うのなら、どうにかして分家筋の娘を花嫁として差し出すよう、おじいさまを説得してみせよう」


 祖父は一族思いで情に厚い人だが、同時に現実主義者でもある。帝国貴族の妻として送り出すのに、分家の娘では荷が重いと考えるのは間違いない。

 あるいは、彼の亡き妻に似ていると評判のルビアならば、寵を得られると考えたかもしれない。

 ともかく、祖父がいくら身内に甘くとも、情にほだされ皇帝からの打診を断るような人間でないことは父もよくわかっているはずだ。


 だが、きっとそれを覚悟の上で、ルビアを守ろうとしてくれているのだろう。

 優しすぎるところが次期族長としては損であると言われる、父らしい判断だ。


「ありがとうございます、お父さま。ですがわたしは大丈夫です。タルク本家の娘として、立派にお役目を果たしてみせましょう」


 これはあくまで、父に対する建前だ。

 父や祖父には申し訳ないが、ルビアは本心では、本家の娘としての矜持だとか役割だとか、そういうことはどうでもいいと思っていた。


 ルビアが気になっているのはただひとつ。

 アルセニオが今、元気で暮らしているかどうかということ。

 彼が幸せでいるのを一目確認することさえできれば、それだけで十分だ。


(もしアルセニオさまに愛人がいようと、冷え切った結婚生活を送ろうと、わたしは喜んでアルセニオさまの幸せを応援するわ……!)


 楽観主義で呑気なところは、前世から変わっていない。

 そんな娘の内心など知ることもなく、父はルビアを優しく抱き寄せた。

 

「ルビア……お前を誇りに思うよ。だがもし、婚家で辛い目に遭わされるようなことがあれば、すぐに知らせておくれ。私兵を引き連れて、シルヴァ家に乗り込むから」

「お父さまったら」


 父の腕の中で、ルビアは小さく笑う。

 前世の『ルビア』にとっては幼く、頼りないばかりだった弟が、頼もしく優しい父親になったことを感慨深く思いながら。



     §


 それから二ヶ月、ルビアは輿入れ支度のために慌ただしく過ごした。

 予想通りというべきか、前世と同じくアルセニオは結婚式を挙げることを望んでいないということだったため、婚礼衣装を用意する必要はなかった。

 身の回り品や衣服、愛用の化粧品や雑貨などを箱に詰め、祖父や分家筋への別れの挨拶やらを済ませ、旅立ちの日に備える。


 アルセニオの悪い噂については、南領中の誰もが知っていた。


「シルヴァ家当主は、親殺しの呪われた凶眼と言われているけど、大丈夫かしら」

「最強と呼ばれているけれど冷酷で、滅多に他人を寄せ付けないらしい」

「先のルビアさまも、もしかしたら凶眼に――」

「しっ、言葉が過ぎるぞ!」


 分家を訪ねた際にそんなやりとりが目の前で交わされたのも、一度や二度ではない。

 だが父は、それらの噂を真っ向から否定した。


「アルセニオ殿は、姉上のことを心から大事にしておられた。姉上が亡くなった際は、わざわざ遠い南領まで出向き、我々に頭を下げてくださった」


 当時、自分よりいくつも年下の少年が、大人びた口調で真摯に謝罪をするのを目の当たりにした父は、自分を恥じたそうだ。

 姉が亡くなったのはアルセニオのせいだと心の中で責めていた自分が、いかに子供だったのかを思い知らされた。彼だってきっと、ルビアを亡くして辛かったはずなのに――と。


「きっと、お前のことも大切にしてくださる」


 王都に旅立つ日、父はルビアの頭を優しく撫でながらそう言ってくれた。

 彼の目頭には涙が浮かんでいたが、ルビアは見て見ぬふりをした。


「ルビア、元気でな」

「シルヴァ公爵と仲良くね」

「姫さま、お達者で。どうかお身体に気をつけて」

「おねえちゃま、また帰ってきてね!」


 見送りに来てくれた家族や親族が、口々に別れの言葉を告げてくれる。

 よく可愛がっていた小さな弟妹、甥姪などは、顔をぐしゃぐしゃに濡らして泣いていた。


(前世でも、こうやってみんなが見送ってくれたっけ……)


 そのことを懐かしく思いながらも、二度と帰ることができなかった事実に胸が痛む。

 ルビアはひとりひとりとじっくり別れを惜しんだ後、馬車に乗り込んでからもしばらく、窓から身を乗り出して皆に手を振るのだった。

 まるでこれが最後と、故郷の町の風景を目に焼き付けるように。

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