二章 新しい人生

第八話 二度目の政略結婚

 それはあまりに突然のことだった。


「実はお前に、縁談が来ている」


 父に呼び出され、部屋に入るなりもたらされた知らせに、少女は軽く目を見開いた。

 十六歳といえば、もうそろそろ縁談が来てもおかしくない年齢ではある。しかし父は、亡き姉に似た娘をことのほか可愛がっており、嫁に出すのはまだまだ先だろうと周囲も少女も思っていた。


「わたしに? お相手はどなたでしょうか」

「シルヴァ公爵家当主、アルセニオ殿だ」

「アルセニオ……」


 その言葉を口にするなり、少女は突如として酷い耳鳴りに襲われる。やがて頭の中に、膨大な記憶の渦が流れ込んできた。

 

 ――それは、いわゆる前世の記憶。


 自分が、アルセニオという八歳の少年に嫁いだこと。

 弟のように可愛い彼と、少しずつ絆を育んでいたこと。

 しかし最後はアルセニオを攻撃魔術から庇ったことによって、死んでしまったこと。


 そして今、再び新たな生を授かり、別人として生きているということ――。


「っ――」


 彼女は、思わず自分の腹の辺りを押さえる。今は服に隠れて見えないが、そこには生まれた時から、まるで薔薇のような形の痣があった。

 普段はなんともないその場所が、今はしくしくと何かを訴えるように痛んでいる。


「大丈夫か? 腹でも痛いのか?」

「いいえ……平気です」


 微かに痛む痣を押さえながら、少女は父に作り笑顔を向けた。

 前世の記憶が蘇ったなどと言ったら、父は長老のところに行って怪しげな薬を貰ってくるに違いない。

 それどころか、一族総出で少女を囲んで大規模な祈祷さえ挙げるかもしれなかった。


(驚いた……。生まれ変わりって、本当にあるのね)


 部屋の壁に飾ってある鏡をそっと覗き込むと、そこには溌剌とした印象の娘が映り込んでいる。

 髪の色は、月光を思わせる淡い金色。そして目の色は澄んだ湖水のような青。

 ミルク色の肌に、薔薇色を溶かしたような血色のいい頬が魅力的だ。


 両親や親戚からはよく、能天気なところが亡くなった伯母にそっくりだと言われる。実際、肖像画に残された伯母ののほほんとした佇まいは、どことなく少女に似ていた。


(でも、それもそのはずよね。だって、わたしがその〝伯母〟本人の生まれ変わりなんだもの)


 ルビア・タルク。

 タルク族長の十三番目の孫娘として生まれた彼女は、同じ年の初めに早世した父の姉の名をそのまま付けられた。

 父はひとつ年上の姉に、随分と可愛がってもらったそうだ。ルビアは小さな頃から、伯母の思い出を聞かされて育った。


『姉上はとても優しくて、いつも笑顔を絶やさない方だった。お前は私の姉上に似て美人で気立てがいいから、生まれ変わりかもしれないぞ』


 美人云々は身内の欲目として、父はよく冗談めかしてそういうことを口にした。しかしまさか、本当に我が子が亡き姉の生まれ変わりだとは想像すらしていなかっただろう。 


 実際ルビア本人ですら、前世の記憶を思い出したのはたった今のことで困惑している最中だ。

 もちろんそんなことを知る由もない父は、どんどん話を進めていく。


「アルセニオ殿は今年で二十四歳。メルキウス帝国始まって以来最強の魔術師と名高く、現在次席魔術師を務めておられる」


 父の言葉に、ルビアは思わず涙ぐみそうになった。

『ルビア』の死から十六年。当時八歳だった少年が立派に成長し、次席魔術師を務めるまでになるとは、なんと感慨深いことか。


 じわりと滲んだ涙を、しかしルビアは慌てて引っ込める。

 今のルビアは、アルセニオとはなんの関係もない人間なのだ。いきなり泣き出しては、父を驚かせてしまう。


「お前も知ってのとおり、我がタルク一族は代々国境を防衛する代わりに、一族の娘を名門貴族に嫁がせ、帝国との繋がりを強めてきた。おじいさまの従姉君や、お前の伯母上もそうだ」


 娘の縁談という喜ばしい話題のはずなのに、父の表情は浮かなかった。

 もちろんその理由を、ルビアはよく知っている。


「名門と縁続きになることによって、我々を土着の民族と嘲る者は昨今では少なくなってきた。それ自体は喜ばしいことだ。ただ――お前に話したかどうかはわからないが、アルセニオ殿は私の姉――つまりお前の伯母上の元夫だ」

「はい、存じております。伯母さまはわたしと同じ十六歳の時に、八歳のアルセニオさまに嫁がれたのだと……」

「そうだ。そして姉上はアルセニオ殿を助けるために、命を落とした」


 それは前世の記憶が戻る前から、一族中の人々がよく聞かせてくれた話だ。

 ルビア伯母は、自分の命を犠牲にして悪漢に立ち向かい、夫を守った、勇敢な女性なのだ――と。


 今にして思えば、まるで英雄のように語り継がれているのが非常に恥ずかしい。何をとち狂ったか、ルビアが生まれる頃に彼女の銅像を造るという話まで持ち上がったらしい。立ち消えになって本当によかったと思う。


「アルセニオ殿は姉上のことを想い、生涯独身を貫くつもりでいたそうだ。しかし――皇帝陛下がそんなことを許すはずもない」


 優れた魔術師は、後世にその能力を引き継がなければならない。

 魔力を持つ者は突然変異的に現れることもあるが、その大半は血統によるものだ。ゆえに魔術師は、早期の結婚を望まれている。

 次席魔術師ともなれば、国からの圧力は相当なものだろう。


 これまではなんとか受け流してきたアルセニオだが、二十四歳になり、とうとう痺れを切らした皇帝が強制的に結婚を命じた――というのが今回の顛末のようだ。





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