第六話 悲しい過去

 生気のない伯爵の顔の中で、目だけが爛々と異様な光を放っている。

 明確な殺意を前にルビアは息を詰め、相手の様子を注意深く窺った。


(わたしが止めなければ、伯爵は本当にアルセニオさまを殺してしまう……!)


 だが、一体どうやって伯爵を落ち着かせるべきか。下手なことを言って余計に彼の逆鱗に触れるわけにもいかない。

 しかし、何がなんでも伯爵を止めるべきだったと、ルビアは直後に後悔する。


「老いぼれが、僕の妻になんの用だ」


 屋敷の中にいたはずのアルセニオが、いつの間にかルビアたちの側までやってきていたのだ。

 側には先ほど、ルビアの散歩に付き合ってくれていた侍女がいる。彼女がアルセニオを呼んできたのだろう。


「アルセニオさま、来てはいけません――!」

「〝光の精霊よ、闇照らす月の女神カリスタの名の下に、その者を拘束せよ〟」


 言い終えるか否かの内に、伯爵が呪文を唱える。

 咄嗟に避けようとしたが、できなかった。まるで身体中を見えない縄で縛られているかのような拘束感が、ルビアの行動を邪魔する。

 直後、首筋にひやりとした感触があり、背後から短剣を押し当てられているのだとわかった。


「なんのつもりだ、フィエロ伯爵」

「アマリアの仇を討ちにきた。――魔力ではお前に敵うまいが、この老いぼれでも女一人を人質にすることくらいできるからな」

「貴様……っ」


 アルセニオが顔色を変え、怒りと焦りをあらわにする。

 ふたりのやりとりに、祖父と孫らしい情というものは一切感じられない。そこにあるのは、恨みや憎しみ、嫌悪といった負の感情だけだ。


「その顔。よほど妻のことを気に入っているようだな。そうかそうか、彼女はお前に優しくしてくれたか。呪われたお前を、可哀想に思ったのだろうな」

「貴様には関係ない! そいつを離せ!」

「ああ、離すとも。お前を殺したら、喜んで離してやろう。私としても、罪のないお嬢さんを殺すのは忍びないのでな。だが、お前が妙な動きを見せたら……分かっているな?」


 ルビアの首に、ぐっと短剣が食い込む。鋭い痛みが走り、そこから血が滴るのがわかった。

 本能的な恐怖に、喉から引きつった悲鳴が零れる。


「おっと。動いてはいけないよ。君だって、巻き込まれて死にたくはないだろう」

「やめてください。こんなこと、アルセニオさまのお母さまはきっと望んでなんか――」


 腹を痛めて産んだ我が子を、自身の父親が殺そうとする。そんな悲しいことを望む人間なんて、いるはずがないとルビアは思っていた。

 しかしルビアの言葉を遮るように、背後で伯爵が薄らと笑う気配がする。


「ああ、君は本当に優しくて、恵まれた家庭で育ったようだ。親は子を愛して然るべきと信じているのだね。――だが残念ながら、世の中には例外というものがある。そのうちの一つが、生まれた子供が化け物の場合だ」


 そう言うと、伯爵は信じられない話を始めた。

 なんと彼の娘アマリアは、生まれたばかりのアルセニオの目をえぐり出し、殺そうとしたと言うのだ。


 それはこの国で広く信仰されている、エンカルニタ教の教えが大きく関係しているそうだ。エンカルニタ今日の聖典では、しばしば人々を滅亡に至らしめる悪魔の王が登場する。そしてその王は、星を宿した黄金色の目をしているらしい。


 信心深いアマリアは、生まれたばかりの我が子が悪魔と同じ目をしていることに耐えられなかった。だからアルセニオの目をえぐり取り、そのまま殺そうとしたのだという。

 アルセニオの魔力が暴走したのは、そのせいだ。まだ魔術も使えぬアルセニオは命の危機を察し、無意識のうちに己の身を守ろうとした。

 その結果、アマリアは膨大な魔力に晒され消し炭にされてしまったのだ。


 いくら信心深いからと言って、実の親が我が子にそんな恐ろしいことをするなんて、俄には信じられなかった。

 しかしそれは、ルビアが信仰心の薄い南部出身であるというのも大いに関係しているのだろう。


 信仰を否定するつもりはない。人は時に、神に縋らなければくじけそうになることもあるから。

 けれど信仰を優先してまで我が子を殺そうとする親の気持ちは、きっとルビアには一生理解出来ない。


(ああ、だからアルセニオさまは初めてお目にかかった時、あんな顔をなさったのね)


 ルビアが彼の目を綺麗だと口にした時の、虚を突かれたような驚いたような、純粋無垢な表情。


『はぁ!? お前……おかしいんじゃないのか!?』


 あの時彼は、本気でそう思っていたのだ。

 自分の目は悪魔と同じ凶眼だと、ずっと思い込んで生きてきたから。

 アルセニオの深い孤独を思い、ルビアは泣きそうになった。

 母を殺したという重荷だけではない。母に殺されかけたという過去が、彼にどれほどの苦痛を味わわせたのか、想像もできないほどだ。


「さあ、お喋りはこれくらいにして、そろそろ目的を遂げるとしよう。そこを動くなよ、凶眼」


 そちらを見ずとも、フィエロ伯爵が右手に魔力を集中させるのがわかった。

 アルセニオに防御する様子は見えない。伯爵の攻撃をかわせば、ルビアが死んでしまうとわかっているからだ。


(ああ、本当に……なんて優しい方なの)


 政略結婚で迎えた年上の妻のことなど、捨て置けばいいのに。


「やめて……! どうかやめてください、フィエロ伯爵……!」

「アマリア、今お前の仇をとるぞ」


 もはやフィエロ伯爵の耳に、ルビアの言葉は届いていない。

 こうなれば、自分でどうにかするしかない。ルビアは必死に集中し、全身に魔力を張り巡らせた。

 もっと魔術の授業を真面目に受けてればよかった――なんて、今更思ってももう遅いけれど。


「〝火の精霊よ――万物を燃やす炎の神シーロの名の下に、我が身を縛る枷を焼き尽くせ!〟」


 ルビアの呪文に呼応し、ぼっと全身から炎が上がる。しかしそれはルビアの服や肌を傷つけることなく、魔術の拘束のみを解いた。

 

「――おのれ! 〝雷の精霊よ、天翔ける雷鳴の神ライムンドの名において――〟」


 拘束が解けたことに慌てた伯爵が、焦ったように呪文を唱え始める。

 その一瞬の隙を、ルビアは見逃さなかった。

 魔術によって放たれた閃光がアルセニオに届くより早く、彼と伯爵の間に飛び出し、自身の身を盾にしてアルセニオを庇ったのだ。

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