第五話 憎悪

 少しずつ、けれど着実に、ルビアとアルセニオは絆を育んでいた。

 もちろん、ルビアにとってそれは恋愛感情などではなく、友情のような、家族愛のような感情だったけれど。


 このまま、アルセニオが大きくなるのを側で見守りたい。

 頼りない雛が飛び立つ時を待ち望む親鳥のような気持ちで、ルビアはアルセニオと共に過ごしていた。

 まさか、そんな日々が間もなく終わりを迎えるなど知る由もなく。


  ――その日、侍女と共に庭を散歩していたルビアは、正門の前に見知らぬ老人がいることに気づいた。


 着ている服は上等だが、醸し出す雰囲気はやつれきっており、まるでこの世の不幸を一身に背負っているかのようだ。

 目の下に刻まれたクマは色濃く、顔色もよくなかった。


「……あの方、お具合でも悪いのでしょうか」

「あの方?」


 ルビアの言葉に、侍女が視線の先を追う。

 そして老人の姿を視界に捉えるなり、顔色を変えた。


「あちらは――旦那さまの母方の御祖父さま、フィエロ伯爵です」

「まあ、アルセニオさまの? それでは、すぐに応接間にお通ししないと」

「あっ、奥さま……!」


 侍女が、なぜか慌てたような声を上げたが、ルビアはそれを無視して正門のほうに駆けていった。

 フィエロ伯爵の顔色の悪さが気がかりで、一刻も早く室内で休ませてあげなければという一心だった。


「お待たせして申し訳ございません。ようこそおいでくださいました、フィエロ伯爵」


 ルビアとアルセニオは結婚式も挙げておらず、その後も親族が屋敷を訪ねてくるようなことはなかったため、彼とはこれが初対面だ。


 近くで見ると、アルセニオと少し鼻の形が似ているだろうか。真っ白な髪に落ちくぼんだ目をしているが、そのくっきりとした目鼻立ちから、若い頃は麗しい紳士であっただろうことが窺える。


「君は――」


 侍女でも下女でもない、普段着とはいえ上等なドレスに包んだルビアが誰なのか、すぐにはわからなかったのだろう。門を開けたルビアを見て、フィエロ伯爵が片眉を上げる。


「申し遅れました。アルセニオさまの妻のルビアと申します。お目にかかれて光栄です」


 夫の祖父に失礼があってはいけないと、ルビアは淑女の礼をとって自己紹介をする。


「……ああ、そうか。君が、あの呪い子の妻になったという可哀想なお嬢さんだね」

「え?」


 それはとても、祖父が孫のことを話題にするような口調や言葉使いではなかった。

 聞き間違いかと思い、ルビアは思わず顔を上げて伯爵の顔を見つめる。

 すると彼は苦々しげにその表情を歪め、吐き捨てるように言った。


「知らないのかね。アレは生まれ落ちると同時に自身の母親を殺した、忌まわしい化け物だ」

「そんな……。それは魔力の暴走ゆえのことで、アルセニオさまの意思ではなかったはずです」


 もちろん魔力の暴走ゆえに亡くなってしまったアルセニオの母は、とても気の毒だ。しかし、大人ならまだしも、生まれたばかりの赤子を罪に問い、暴走した魔力の責任を取らせられるわけもない。


 だからこそ国王や、国に仕える魔術師たちも、特例としてアルセニオを保護下に置いて監視するような措置を執ったのだと聞いている。

 そのことを、フィエロ伯爵が知らないはずはない。


「アルセニオさまは、きっと今も苦しんでおられます」


 成長し、真実を教えられた時、彼がどれほど辛い思いをしたか。

 自らの手で母親をあやめてしまったという事実は、十歳にも満たない少年が背負うにはあまりに重すぎる。

 そして『母殺し』の汚名は、これから先の彼の人生にずっとついて回るのだ。

 せめて身内くらいは、アルセニオの味方であってほしいと願うのは、ルビアのエゴだろうか。


 フィエロ伯爵はルビアの言葉を聞いて、忌々しげに顔を歪めた。


「あの凶眼に、そんな感情があるものか。あれは人の形をした魔物だ」

「ですが、アルセニオさまは伯爵の実のお孫さまで……」

「あんなものは孫などではない!!」


 激高したように、フィエロ男爵が声を荒らげた。

 ビリビリと鼓膜が震えるほどの大声に、ルビアは思わずその身を竦ませる。


 いまやフィエロ男爵の灰色の目は、憎しみに満ちて血走っていた。顔は怒りによってこれ以上ないほどこわばり、額には青筋が浮いている。


「我が娘アマリアは優しく信心深く、気立てのよい娘だった! それを、あの化け物は消し炭にしたのだ! 可哀想なアマリアは、原型すらとどめず亡くなってしまった……! 自らの生んだ子が凶眼というだけでも辛かっただろうに、その子に殺され、どれほど無念だったことか……っ」


 大切な娘を亡くした悲しみと、その娘を殺した相手に対する憎悪。それらがないまぜになった、血を吐くような叫びに、ルビアは言葉もなかった。

 今の今まで、ルビアは肉親同士ならば分かり合える――と思っていた。けれどそれは、恵まれた環境に身を置いて育った者の、傲慢で浅はかな甘い考えだったのだ。


 愕然とするルビアを前に、伯爵は少し落ち着きを取り戻した声で続けた。


「私はね、お嬢さん。あの化け物が妻を迎えたと聞いて、我が耳を疑ったよ。母親殺しの凶眼が、一人前に家庭を持つなど、なんという皮肉だろうとね」

「アルセニオさまは、国王陛下のご下命で――」

「そんなことはわかっている。だが、聞くところによると、アレは君を気に入っているそうじゃないか。君を馬鹿にした侍女を解雇したと聞いたよ」


 解雇された侍女から直接聞いたのか、あるいは噂話を耳にしたのかはわからない。けれど伯爵はその言葉によって、アルセニオがルビアを気に入っていると思い込んでしまったのだろう。

 そしてその事実は、伯爵の心に更なる憎悪を生んだ。


「二度と、アレに関わる気はなかった。しかし私の大切なアマリアを奪った化け物が幸せに幸せに暮らしているなんて、私には到底赦せない。アマリアも浮かばれないだろう? だから――」


 ――シャキン。


 冷たい、金属質の音が響く。

 伯爵が懐から取り出した短剣を、鞘から抜いたのだ。


「アレには死んでもらわなければ」

 

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