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永崎がばあちゃんの家に行っとるんはほんまらしい。久しぶりに孫の顔が見たいて連絡あったらしくて、永崎単身で行かせることにしたと。んで、ばあちゃんはペースメーカー入っとるんやからとかなんとか言うてスマホは取り上げた。せやから俺がやり取りしとったんは永崎やなくて永崎の親父。
永崎の親父は永崎のスマホを俺に見せながらここまで話した。俺らはまだ公園におって、永崎の親父はにやつきながら話しとって、俺はなんとか逃げられへんやろかと頭を一生懸命働かせとった。
でも多分無理やなと思た。
「鷹島くんのお父さんにお前泊めるから心配すんなて言うといたぞ」
て言われたところで、こいつほんまに何考えてんねん逃げ道塞いで何したいねんて半ギレになりつつ覚悟は決めた、決めるしかあらへんかった。
永崎家に永崎のおかんはおらんらしい。こっちはこっちで自分の地元に帰っとるようで、永崎の親父は今家に一人きりなんやと自分で話した。
家があるんは物寂しい一角やった。小林の家から徒歩十分くらいの位置やったけど、それなりにふつうの住宅が並んどったあの辺りと比べたら、明らかに雰囲気がトーンダウンした。ポストからチラシがはみ出とる古い家の近くを通った。多分家主が死んでもうて誰も手をいれられへん廃屋や。そこを通り過ぎたら草にまみれた畑と田んぼが挟まって、シャッターが全部降りとる無言の一軒家が奥に見えて、俺の前を歩いとった永崎の親父がふっと手ぇ上げた。
指差した方向には雑草が生い茂る空き地があった。破れたフェンスが草の先から覗いとる。あっちや、と親父が言うた。それから雑草の中をざくざく進んでいく。今なら走って逃げられるかもしれんと一瞬考えた。せやけどついていった。俺はアホやと思う。
永崎の親父が握っとる自分の親のことも心配やったけども、俺は、永崎が過ごしてきた家が見たかった。
雑草とフェンスを越えた。奥にあった一軒家が幽霊みたいに現れて、見た目は思てたよりもまともやった。ふつうの、なんの変哲もない家や。
鍵開けた親父に促されて中入った途端にちょっと驚いた。玄関先にはトロフィーと賞状が無造作に置かれとった。
賞状には永崎恭司て名前が振ってあって、この心底意味不明なおっさんのフルネームを知ってもうた。
「かなり昔のやけどな」
俺の視線の先を見て永崎恭司が口開く。
「柔道やっとったんや。今も柔道教室の師範しとるから、地元民とはそこそこコミュニケーション取れとんねん」
「……うちの情報とかも、そのコミュニケーションで?」
「田舎やからな、新参の話はどっからでも回ってくるわ」
永崎恭司は俺を居間に連れて行った。片付いとることもなく散らかっとることもない平凡な居間やったけど一部だけおかしかった。
壁にいくつも穴が空いとった。なんの穴かなんて、永崎の顔やら体にあった生傷思い出したら聞くまでもなかった。
外観はふつうやったけど、この家はやっぱりおかしいとこなんや。
やばいやん俺と一気に背筋が寒なった。せやけど永崎恭司は、
「鷹島くん、まあそんな硬くならんでええ。俺はお前を洸太みたいにする気はあらへんからな」
とか俺を座らせながら言うてくる。ぜんぜん信用できん。口には出さんかったけど思いっ切り顔に出してもうたみたいで、呆れた雰囲気で肩竦められた。
「俺がお前を騙して連れて来たんはなあ、そもそも洸太のためやから」
「……、永崎の……?」
「前に話したやろ。俺はあいつが俺をぶっ倒す日を待っとんねん。お前もわかっとるやろうけど洸太は成長期になったんかどんどん体格ようなってきたし、そんな遠い未来でもなさそうや。まあせやけど、問題もある」
永崎恭司は机挟んだ正面に座って、にやっと笑た。
「お前や、鷹島実。ほんまにどんだけ上手いことやったんか知らんけど、洸太はお前の言うことはそこそこ聞いてまう。それ自体はええけどもやな、俺よりもお前に比重がいってもうたら良うないねん。わかるか?」
「…………まあ、言いたいことは」
「相変わらずナメた口聞くやんけ、親ダシにしたらのこのこついてきた癖にな」
「親は……俺と永崎のことには、直接関係ありませんし」
ガン! て凄い音がした。永崎恭司が机の裏を殴った音やった。当然机は揺れて俺は反射でビクついてもうたから、声上げて思いっ切り笑われた。
「こういう耐性はないんやなあ、鷹島くん」
「……」
「まあええわ。俺はお前に釘刺すだけのつもりやからな、自分の子供ちゃうから手は上げへん」
自分の子供にも手ぇ上げんなや。そう言いたかったけども、言えんかった。
正直ほんまに怖かった。柔道有段者やてわかったんもあるけども、それ以前にこいつ話通じひん人種やて本能でわかってもうとった。純粋な悪が目に見えるんならこんなんやろなと思た。
そのくせ見た目自体は永崎が年取った雰囲気やから対面してこうやって話しとると頭がおかしなりそうやった。
黙り込んだ俺の前で永崎恭司は煙草に火つけた。机にあった灰皿には吸い殻が積もってて、こいつ柔道しとんのに喫煙者なんかとか場違いに考えた。全身に力が入ったまんまでずっと緊張しとった。
煙草吸い終わった永崎恭司が何も言わんまま立ち上がった。跳ねそうになった肩をなんとか押さえて見上げたら、俺のこと見えへんのかって様子で家の奥に歩いて行った。逃げ帰れるやん、て何回目になるかわからん逃亡案が思い浮かんだ。力振り絞って机に手ぇついて膝立てたけど足は泣き叫んどるようにガタガタ震えてた。
俺は永崎の状況を追体験しとるんやと思った。あの親父の怖さって、遠慮ない暴力よりもなんも意味わからん思考の方が強いねん。
理解でけへんもんってほんまに怖いんや。そんでから、親に手出されへんやろかとか逃げてまう方が親にも永崎にもとばっちり行くかもしれんとか考えとると結局立ち上がれへん。
座り込んだまま呆然としてて、その間に何回かスマホが鳴った。登録しとる無料漫画アプリの告知やらぜんぜんどうでもええ店からのクーポン通知とかやった。それ見とる間に永崎恭司が戻ってきて、メシやとか言いながら値引きの札貼られた菓子パンを俺の目の前に二つ置いた。
「スーパーのパートやっとる女と懇意にしとるからいつも貰うんや」
なんてしょうもない情報聞かされて、頷くしかでけへんかった。恐怖っていろんなもん奪い取んねん。まだ細かく震えとる指先でパンの袋開けて、メロンパンの甘い匂いにえずきそうになりながら一口かじった。そしたら手が伸びてきた。殴られる、と思ったけどゴツい掌は俺の頭ぐしゃぐしゃ混ぜた。
意味不明さが更新された。なんで撫でられとんのかなんもわからん、と思うとったら最悪な理由が話された。
「洸太が気に入っとる理由わかるわ。鷹島くん、かわええな」
「……、……、え……?」
「親やら洸太やらが大事やから、俺がほっといても逃げんかったんやろ? かわええなあ鷹島くん。洸太のこと、そんなに好きか?」
永崎恭司は笑った。何回も笑われたけど、初めて見る笑い方やった。背中に走ったんはええからはよ逃げろっていう本能からの絶叫で、あーこれこのおっさんが女落とす時のやつやって気がつけた。
メロンパン放り出して逃げかけたけど捕まった。永崎恭司はそらもう鮮やかな手付きで俺を捻り上げて床の上に俯せで組み敷いた。背中側で拗られた腕が痛かったし、床にぶつけた鼻も痛かった。
手ぇ上げへんのちゃうんですかって思わず言うたら「手ぇ出さへんとは言うてへんしなあ」とかクソほどナメた返しが来たけど、ぎっちり締め上げられて後頭部も押さえられたらほんまに一ミリも動けんかった。あっちも両手は塞がっとる。でも頭があるからうなじの辺り舐められた。ひっ、て悲鳴漏らしてもうた。なんとか逃げようと全力でもがくけども力の差がありすぎた。
俺はほんまにアホやんって、首齧られて服捲られながら思た。
半分以上諦めた気分になったときに、俺のスマホが通知やなくて着信音鳴らし始めた。
「……でん……でんわ、で、ます、」
なりふり構わん懇願したら、永崎恭司はまあええわて言いながら俺を解放した。俺はずるずる這いずってスマホ取った。電話は小林からで、どうしようか一瞬悩んだけども出る言うて離させたから出た。
「もしもし……?」
『そこ出て玄関から右の小道に行ってください』
「え……」
『ええから、今すぐ』
ここで電話は切れた。事態に追い付けんくて、俺はほぼ思考できてへんかった。
座り込んだまんまの俺の肩叩いた永崎恭司は自分のスマホ翳しながら首振った。
「小林さんとこか。親父さんの方から連絡きとるわ」
「……」
「いっぺん不倫のあれこれでやらかしてきたお宅やからなあ、今更訴えられても面倒やし行ってええぞ」
腕引っ張って立たされた。鞄も持たされて、背中押されて、玄関まで連れて行かれた。
「ほなまたな、鷹島くん」
何も返事できんまま玄関が閉まった。俺はぼんやりしとったけど、小林の声思い出しながら震える足でどうにか歩いて右に進んだ。
小道には小林がいた。駆け寄ってきて、俺の顔見るなり抱え込むみたいに抱き締めてきた。その直後に足から力抜けてへたり込んだ。視界が歪んだ。膝の上にぼたぼた涙が落ちてった。
「ごめん…………」
何にどう謝ってんのかもわからんかったけど謝罪が漏れて、小林は何も言わんまま、俺を小林のお父さんの車まで連れて行ってくれた。
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