3

「な、なんやその傷。また親父さんか?」

 出会した瞬間に聞いてもうた。永崎はベンチに座ったまま首振って、ガーゼの上から傷擦りつつ立ち上がる。

「その辺にいた不良に金属バットで殴られました」

「えっ」

「流石に痛かったです。鷹島先輩、行きましょう」

「お、おう……」

 永崎はいつも通りの顔しとる。歩き出しながら、その辺にいた不良は一応返り討ちにしたって話す。三人相手やった。金属バットによる痣はそこそこ長引く。ガーゼは小林が貼ってくれた。

 ここまで聞いてそうか俺おらんようなっても小林とちゃんと交流しとんねんなてほっとする反面で、なんや上手く言い表わせへん粘っこい気持ちが腹の底にじわっと滲む。あっこれあかんやつやってすぐわかったから、なかったふりして適当に「そういや漫画新しいの買うてさあ」とか話ずらして家まで向かった。

 俺の家の中は誰もおらん。そら大人のみなさんはお仕事や。おかんもパート先に行っとるし、おとんは転勤免れた会社で今日もあくせく働いとる。永崎は部屋に連れ込まんとリビングのソファーに座らせた。冷えたサイダーあったからコップ入れて手渡して、昼飯食ったか聞いてみたらパン一個て返事された。

 なんか食わせたらなと思ったけども俺ふつうに料理でけへん。冷蔵庫もう一回見たら昨日の残りの肉じゃが見つけたから冷やご飯と一緒にチンして渡したった。永崎は嬉しそうにして肉じゃが食うた。ほんまかわええ後輩やで。こうやっとると不良伸したり親父とバトってたりすんの嘘ちゃうかなて思い始める。

 俺永崎の破滅とか焦土とかに真っ直ぐ向かっとるような真っ暗い輝きを見てたくて近付いたのに、内面知っていくうちにほのぼの日常主人公でもええやん別にて気持ちが別口で生まれてもうてた。

「鷹島先輩、勉強教えて欲しいんですけど、ええですか」

 永崎は肉じゃがをぺろっと食うた後に聞いてきた。俺そんな勉強めっちゃできるわけちゃうけども、中学生の宿題てそういやそこそこ多かったなとも思い出して了承した。

 俺の部屋に移動はせんと食卓に勉強道具持ってきた。永崎は問題集開いてせっせと一人で解き始めたから、わからんようなったら言うてやて声掛けたあとに俺も一応勉強した。無言の時間やった。シャーペンのカリカリ音だけ鳴っとった。たまに外から車の音とかも聞こえたけど日常のBGMや。永崎は頭悪いてほどでもあらへんし、俺がなんも言わんでも教科書開いたりノート開いたりして自分で問題解いとった。

 ほんまにふつうの時間やった。不良との喧嘩なし、あの親父との確執なし、小林含めたラブコメなしで、今の鷹島家にはただの先輩後輩だけおった。腕血塗れにして不良ボコって自分も倒れてた、俺が初めて見た永崎洸太の姿がふっと浮かんで異様に懐かしくなってきた。俺の主人公。無茶苦茶な生き方しとる無茶苦茶に荒れた人生の主人公。どんな道選んだとしてもそれが主人公の運命になる。脇役の俺はこうやって目の前で、もしわからん漢字やら公式やら出て来たらこうやでーって教えるくらいしかしてやれへん。

 いや、そんぐらいしかしたらあかん。

 そんなことぼんやり考えながら化学式の表眺めとったら永崎がふと顔上げた。

「先輩に借りたうしおととら、おもろかったです」

「おっ、せやろせやろ!」

「はい。続き貸してください」

「当たり前やん、今どのへんや」

「えーと……飛行機に目でかいバケモンがおって……白い髪の女の人がたいへんで……」

「まだまだ序盤やな、こっから更にやばなるから」

「そうなんですか」

 頷いてからシャーペン止めた永崎にうしおととらの良さをあれこれ話した。けっこう前の漫画やけど、連載終わっとる作品っちゅうのは一気読みできるから貸しやすい。永崎が気に入ったんならなおさらや。ボーボボは永崎にとってはおもろいけど意味不明なとこ多かったみたいやし、色々読ませた少女漫画もようわからんみたいやったし、うしおととらみたいなバケモン倒しいって主人公強くてヒロインもちゃんとおってな王道な筋道のバトル漫画がわかりやすいんかもしれへん。

 早速続き貸したろ思て椅子から立った。勉強してろて声かけてから部屋行って、六巻から並んどるうしおととら見てこのまま五巻ずつ貸したればええなてひとり言呟きながら手ぇ上げた。俺は六巻やなくて最終巻引っ張り出した。無意識な指の動きに思考回路がじわじわ追い付いて、あーそうかそうやんなって納得した。

 うしおととらてバトルかっこええし泣ける話めっちゃあるしヒロインかわええし手に汗握る展開が魅力なんやけど、そらもうあれや、真ん中にある分厚い筋道てタイトル通りなんや。うしおととら。潮くんととらちゃんの話。主要キャラ二人の交流が最後の最後に結実すんねん。

 主人公をすぐ近くで見とるやつが存在する漫画やねんな。

 最終巻押し込んで、十巻まで片手に抱えながらリビングに戻った。永崎は歴史の教科書読んどった。目の前に漫画五冊置いたら教科書閉じて、ありがとうございます言いながらうしおととら六巻から十巻までを鞄に入れた。

「永崎、好きなキャラおる?」

 まだ五巻までやけど聞いてみた。

「とらです」

 永崎は即答して、歴史の教科書をもっかい開いた。俺は頷くだけにした。

 勉強会は夕方までやった。永崎は宿題だいぶ終わったらしくて喜んでお礼言うてきた。俺特になんもしてへんかったんやけど、年号やら元素記号やら覚えるための語呂合わせは知らんかったみたいやからいい国作ったり水兵リーベ召喚したりした。

 十七時過ぎたらおかん帰って来て、食卓で勉強会しとる俺ら見てにっこにこの笑顔になった。はじめはなんでそんな機嫌ええねんと不思議やったけどすぐにしもたと思うた。パートでおらんから気ぃ抜けてたし俺の青春事情で永崎を部屋に連れ込みにくくて一階におったんがあかんかった。

「永崎くん、お父さんによろしくなあ」

 とか礼儀正しいんやけど実情知らんうちのおかんが頭下げながら言うたから、永崎はほんまになんも浮かんでへん真っ直ぐな無表情をぶら下げた。


 おかんには適当に言うて無表情の永崎連れて家を出た。夏の夕方は明るくて元気な声で小学生が走ってた。

 俺は何から話すか迷てたけども隠したいわけちゃうかったから歩きながら口開いた。

 ほんまは俺の父親が転勤しそうやったこと。この土地離れなあかんかもしれへんかったこと。俺だけ残ってギリギリ滑り込めそうな私立通おうと思てたこと。それやったら一人暮らしもまあできるし、なんとかなるわて覚悟決めてたこと。

 そうしたら、永崎の親父がしゃしゃり出てきたこと。

 話しとる間にあんま通らへん道を進んでた。ちらほらと民家があって、裏道抜けたら細い路地が公園に向かって続いとる。桜並木の道らしい。左右に葉っぱわんさかつけた桜の木が並んどる。

「鷹島先輩」

 永崎は不意に立ち止まる。

「このまま親父殺しに行きたいです、おれ」

 静かで強い言葉に俺も思わず足止めた。永崎を見下ろして、やめとけとかごめんとか冷静にならなあかんとか、否定的なこと言いかけてもうてなんとか飲み込んだ。

 俺はうしおととらのとらみたいには絶対なられへん。永崎を見てるだけの傍観者でええはずやろって自分で自分に言い聞かせるしかあらへんねん。諦めとかやなくてこう、ぐちゃぐちゃやった。向き合って永崎の真剣な顔眺めながら何も考えられへん情けない状態になってもうてた。

 無言の俺らの間に、ポコン、て間抜けな音が割り込んだ。

 メッセージの通知音やった。空気変えるつもりとかはあらへんかったけど、反射でスマホ取り出して画面見た。佐々川さんからやった。HELLSINGどう? っちゅうふつうの話題で、俺は返事せんまま永崎をもう一回見下ろした。

 ぐちゃぐちゃでろくに何も考えられへんけども、意識が一瞬だけ佐々川さんとHELLSINGに飛んだから冷静な部分がちょっとだけ戻って来てくれた。

「今すぐ殺しに行くんは、多分、あのおっさんの思惑通り……やと、思う」

 口に出すと永崎は目を見開いた。暗くなってきた夕方の中で俺は深呼吸しながら永崎の親父を思い浮かべた。不敵なおっさん。行動が意味不明なおっさん。

 将来的には永崎にぶっ殺されたいんちゃうかなて動きばっかするクソ親父は、俺を上手く使えば永崎を思うように動かせると考えとるような気ぃがした。

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