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 中学生にして命の危機に瀕するなんて思わんかった。目え覚ましたらようわからんけど暗いとこにおって、話し声がどっからか聞こえてきた。光が漏れてくる方向があって、出入り口やって遅れて気付いて、その前で影が二つくらいゆらゆらしとったから扉前で誘拐犯が話しとるんかってとりあえずの状況は把握した。

 俺ほんま、こういう漫画みたいな状態になってもなにかが欠落しとんねん。

 ぜんぜん現実味あらへんた。むしろ変な冷静さがあって、あー永崎呼び出すためのエサになれるなんて驚きやわとか考えとった。でもほんまに来るか? っちゅう疑いもあった。まあけっこう一緒におるのはもちろんなんやけど、たとえば俺と小林が同時に捕まったらあいつ多分小林の方に行くやろし、一緒におる言うてもまだ二ヶ月三ヶ月とかの話やねんし、ちゅうか殴られたとこ痛いな、とにかく俺って人質にできる器みたいなもんほんまにあるんか疑わしかった。

 扉の窓から見えとる影に目え向ける。相手何人おんのかわからん。十五年くらい生きてきて初めて誰かに捕まってもうたけど、それでも俺の前には透明なフィルターが確かにあって、今起こっとることの実感がどうしても伴わへん。ずっとそうや。俺所謂転勤族で保育園も小学校もここやない地域で暮らしとって関わる人間次々変わるし、どんどん連載移り変わるジャンプみたいなもんやったから何があってもだからなんやねんて気持ちが終わらん。ずっと客観や。見てるだけ。深く関わってもいつ離れるかわからへんねんし、ここで死んでも違うとこであー痛かったて起きるような気ぃすらする。俺は俺の人生のこと信じてへんと思うねん。

 そんな俺を永崎が助けようと思うの全然理屈に合わんやん。

『実、いつもほんまにすまん』

 脳内におとんの声が急に響いた。転勤の度に申し訳なさそうにして、俺は小学校低学年の頃は泣いた時もあったけども今では親おらんと生きてかれへんし透明フィルターのおかげでまーしゃあないなで感想終わるし薄かった。薄なった。それに現状は俺がおとんにもおかんにも謝るべきや。捕まって縛られてなんやわからんけどピンチでしんどい。俺なんかエサにならへんてはよ気付いて釈放してくれへんかったら走馬灯みたいに過去とか忘れたいもんとか思い出す。落ち着きとうて吸った息は震えてた。扉の窓の影が笑とるように揺れる。今何時かもわからん。夜ではないことしかわからん。

 永崎、俺は、お前の生活を見られへん状態になってまうんはほんまに嫌や。

 そう思い浮かべてもうた瞬間に

「おい! やっと来たんか永崎お前!」

 窓の向こうで怒鳴り声が聞こえた。驚いた。

 この時の俺は永崎にとって俺の価値なんか別に高ないと思うてたから。

 罵声と破裂音と打撃音が聞こえて来て、扉前でふらふらしてた影が見えんくなってから、ほんまに来たんやって驚き半分信じられん気持ち半分、ぶん殴られた後頭部の痛みスパイスにして呆けてた。なんちゅうか全然現実的やなかった。せやけどそれは透明フィルターによる諦めとかやなくて、何が起こったんかわからんっちゅう、理解の範囲越えてもうたから起きた剥離みたいなもんに変わってた。

 扉が空いた。引き戸やった。ぎいぎい不快な音立てながら横に開いて、

「あ、おった。帰りましょう、鷹島先輩」

 永崎がちょっとだけ笑いながら言うて来た。俺は唖然としてもうてから、なんとか言葉練って口開けた。

「そら、かえりたい、けど、めっちゃ縛られとんねん、今……」

「ほんまや、ちょお待ってください」

 永崎は中に入ってきて俺の拘束解いてくれた。よろけて立って、永崎に支えてもろたけど大丈夫やって声掛けて、なんでここわかったんか聞いてみた。ふつうに連絡来たかららしかった。

「あそこで伸びとるやつらが、家に電話してきたんです」

「お前の家?」

「はい。母親が出て、あんたの先輩迎えに来いってさって言われて、鷹島先輩なんやったら迎えに行こ思て」

「……俺ちゃうかったら?」

「うーん、知らん人しかおらんし帰ってたんちゃうかな」

 話しながら外に出た。ポケットのスマホで確認したら夕方で、扉前で伸びとるやつらの一人に足首がっと掴まれた。

 よろけて倒れそうになった。なんとか踏みとどまって振り向いたらちょうど永崎が背骨狙って踵落とししとるところで、拉致犯はンギャッみたいな変な潰れた声上げとった。永崎はそいつの背中に馬乗りになった。手早く両手を後ろに回させて固定して、

「鷹島先輩にもう手え出しませんて約束せえ」

 めっちゃ無感動な声で命令した。拉致犯はなんやゴニョゴニョ言うた。永崎が力入れたらまた叫んで手え出しませんて一筆書くから離してくれって必死な顔で頼み始めた。永崎はちょっとだけ首傾けた。

「紙で約束した証拠残すってことで合うとる?」

「そ、そう、そうや、せやから離してくれ、書くわ、そこの先輩にはなんもせん、」

「ほな書いてもらうわ。鷹島先輩、紙とペンください」

 俺はキョロキョロした。なんせ鞄の行方がわからんかった。よう見ると俺が入れられとったところの奥に鞄も転がっとって、急いで取りに行って中からノートとシャーペン取り出した。ここはどっかの畑の小屋みたいやった。改めて見たら中には農具っぽいもんがあったし外観が思いっ切り納戸とかそういうやつやった。

 相変わらず永崎に固定されとる拉致犯の前にノートとシャーペン置いた。もう一人の拉致犯は転がったままなんや呻いとって、全然動けへんらしかった。ノートとシャーペン置いても永崎は手え離さんかった。離してくれて拉致犯はもう一回頼んだけど離して先輩に殴りかかったら嫌やし言うて、その問答が三回くらい繰り返されたあとに永崎が提案した。

「腕折ってええなら離すわ」

 拉致犯もやけど俺もぽかんとした。折ってもうたら書けへんやん。俺は思うただけやったけど拉致犯は口に出して言うた。永崎はびっくりするくらいきょとんとしてから、もう何も返さんまま腰浮かせた。

 離したるんかなと思うた直後に鈍い音が立って、拉致犯は言葉も話せんようになって悶絶しとった。

「めんどいからもう折った、はよ口で書けや」

 拉致犯はこくこく頷いて舌でシャーペン転がして必死に咥えようとした。なんとなく前にしゃがんで口元に持っていったると、拉致犯はふつうに泣きながら礼言うた。唾液まみれのシャーペン、ほんまに返して欲しなかったからそのままあげる言うた。永崎と俺が見守る中で拉致犯はガッタガタの字で一筆書いた。

「おおきに。ほな二度と鷹島先輩ん前に顔見せんなよ」

 永崎は一筆部分を破いて自分のポケットに突っ込んだ。拉致犯は呻きながら頷いた。俺は永崎に促されてそこから離れて、近くにあった畑見てやっぱどっかの農家の小屋やったんかと納得した。


 いつの間にか太陽がだいぶ傾いてもうとった。縛られてたとこ若干痛いしぶん殴られた後頭部も痛かった。ふと吹いた風は秋の匂いやった。顔上げてあんま見覚えないのどかな景色眺めて、隣にいる永崎を見んままで口開いた。

「来おへんやろと思うてた」

 なんや安っぽい、それこそ漫画のテンプレの台詞みたいなこと言うてもた。せやけど本音やった。俺は俺が永崎にとって価値があるように思わんかった。小学校、中学校と俺はかなり諦めとった。コミュニケーション能力だけはなんとか伸ばした。いつ転校してもうても溶け込むように、変に感傷的にならんと笑たままで別れられるように。俺も相手もお互いが大事なんやって考えたりせんように。

 永崎がこっち見とったかはわからん。考えるみたいに黙っとったのだけは確かで、俺らは無言のまま田んぼ地帯のあぜ道に差し掛かった。遠くで潰れかけのパチ屋のネオンが光ってた。比較的車通りのある道路がその前に伸びとった。田んぼの中で稲穂がざらざら揺れる。葉っぱの裏の白さが夜に向かう暗さの中でぼんやり浮かび上がってた。

「おれ、信用ないですか」

 永崎がぽつりと言うた。反射で首振って、俺は自分にあんま助ける価値ないんちゃうかって、オブラートに包みつつ気ぃ遣わせん程度の感じで伝えた。

 せやけど永崎は否定した。

「鷹島先輩は、なんちゅうか、大事です。おれこそこんなんやけど、今日やって先輩はおれに構うせいで捕まったけど、これからも一緒におりたいと思うてます。でも、嫌ですか。そうやったら、離れます」

「離れんでええ」

 考える前に口に出た。ここでやっと永崎を見下ろして、立ち止まって視線を交わした。また無言やった。縛られた痛みとか殴られた痛みとか残っとったけどそんなんもうどうでもええと思うた。

 容赦なく腕折るし口で一筆書かせるし暴力になんの遠慮もないしいつか親父殺す言うてて常に全力で破滅に向かっとるようなやつやって充分わかってるんやけど、俺は永崎に主人公として以外のもんを感じてしもた。透明フィルターが永崎相手には段々適応せんようになっとった。

 ピンチ助けられて惚れへんやつがおるかって話やねん。

 それがたとえ永崎のせいで起こったピンチでも、俺は永崎を大事な相手やと思い始めてもうとるってことに、田んぼの真ん中で見つめ合いながらじわじわ自覚してきてた。


 永崎の親父を初めて見たんは、その自覚が自分の中にすっかり浸透した後やった。

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