エピローグ



「――依頼人『ユージーン・シュトロハイム』、対象『セレーナ・アボット』、届け先『シュトロハイム王宮』……これにて完遂。花嫁は無事依頼人のもとに届けられました、と」


 リチャードは、報告書を書き上げると、怪盗シリルへの依頼リストに、『済』のスタンプを押す。


「うふふ、あの二人、幸せいっぱいって顔してたわねぇん。今思い出しても、嬉しくなっちゃうわぁん」


 ブルーのドレスを身にまとい、秀麗なる王弟殿下の横で花のように笑う、美しい天使。

 式典の最中も、時折彼女をいたわるように視線を向け、甘く柔らかく微笑む、王弟殿下。

 絵師はこぞって二人の絵を描き、その絵姿は爆発的な人気で、描いたそばから売れていってしまったとか。


「絵姿を見たら、カナールの街のエマちゃんなんて、ぶっ倒れるんじゃないかしらん。仲良くなった旅の夫婦が、実は隣国の王弟カップルだったなんてねぇ」


 リチャードが考えごとにふけっていると、ノックの音が聞こえる。すぐ後に、診療所に続く扉から、ロイドが姿を現したのだった。


「リッちゃん、報告書、終わりましたか? 次の依頼が来てるんですけど」

「あらぁん。次の狙いはなぁに? 依頼人はぁ?」

「依頼人、ユージーン・シュトロハイム。対象、シュトロハイムの王弟の私室に置かれている箱。対象物を盗み出したら、デイヴィス子爵家に届けてほしいとのことです」


 ロイドは、リチャードの前に一枚の依頼書を置く。


「ええん? またまたジーンちゃんからの依頼ぃ?」

「はい。盗みは『E』、対象物を届けるのは『R』、という指名が入ってます。報酬は、指名料も込みで、先払いしてもらってます」


 『E』はジーン、『R』はリチャードのことを示している。ジーン以外にも、贔屓の依頼主はこうして、怪盗シリルのメンバーを指名してくることがあった。


「まあまあ、お世話になっちゃうわねぇん。ありがたく活動資金にさせてもらっちゃうけどぉ、あの子、お小遣い大丈夫なのん?」

「仮にも王弟ですから、お小遣いというのは……」

「言葉の綾よ、あ・や!」

「まあ、とにかく、まっとうに公務をこなしているようですから、怪しいお金ではないと思いますよ」


 怪盗シリルへの依頼料は、決して安いものではない。

 しかし、予算もそこそこ必要な上、報酬は四人で等分、さらにジーンはダブと折半なので、実入りはそんなに多くない。


「で、その『箱』ってなんなの?」

「デイヴィス子爵家への慰謝料と、謝罪の手紙が入っているみたいですよ。花嫁を盗っちゃったからって」

「あらん? でも、花嫁泥棒はデイヴィス子爵とは合意の上じゃなかったっけぇん? 事前に経緯を説明して、先払いでいくらか渡していたわよねぇん?」

「そうですけど、ジーンさんもああ見えて律儀な性格ですからね。あ、でも、アボット伯爵家が使い込んだ結婚支度金に関しては、伯爵家自身で返済させるとのことですよ?」

「まあ、それは当然ねぇん」


 慰謝料に関してはジーンに非があるが、結婚支度金はジーンにはほぼ関係がない。せいぜい、ウエディングドレス代ぐらいだろう。

 だが、ジーンのことだから、その分もデイヴィス子爵に色をつけて渡しているはずだ。


「そういえば、あのクズ伯爵家はどうなったのぉん?」

「アボット伯爵は、ノルベルト国王に爵位の返上を奏上しました。本来なら処刑になる運びですが、十年前に隣国の王子とその家族を救った実績、また、納税を一切怠らなかった実績を評価されました」

「うんうん。それで?」

「その結果、二段階爵位を落として男爵とし、領地は一部が王領として召し上げられ、残りはそのままアボット領として存続させることが決まりました」

「つまりぃ、お咎めはほぼ無しってことぉん?」

「はい、そうなります」


 男爵家ならば、伯爵家のときと比べて、社交などにかかる費用がかなり抑えられる。服飾費や交友費が格段に下がるのだ。


「それに、今年は気候がよく、豊作となる見込みです。夫人との離縁も決まりましたし、徐々に財政状況は改善していくのではないでしょうか」

「あら、離縁するのねぇん、結局」

「ええ。アマラ夫人は伯爵家を意図的に没落させたとして、処罰対象となりました。アボット伯爵……もとい、アボット男爵との離縁は、王命でもあります」

「なるほどねぇん」

「ライリーさんは今も牢屋の中。ドリスさんは子爵家への嫁入りを断られた上、十八歳の成人を迎えた途端に元使用人のみなさんに訴えられ、修道院で奉仕活動をしています。アマラ夫人に関しては……ええと、聞きたいですか?」

「……遠慮するわぁん」


 さすがにゴーント侯爵でも、散々やらかした娘を助けることはできないだろう。むしろ、見捨てられた可能性だってある。


「さて。じゃあそろそろ無駄話はやめて、仕事に取り掛かりましょうかねぇ」

「そうですね。怪盗シリルのメンバーは減ってしまいますけど、国を良くするために頑張らないと」

「――おいおい、メンバーが減るって? 誰がやめるんだ?」

「ジーン!?」


 忙しいはずの男の声が聞こえ、リチャードとロイドは振り向く。部屋の入り口には、いつのまにか腕組みをしたジーンが立っていた。

 服装はいつもの旅姿。サイラスの開発した眼鏡もちゃんと着けている。

 ただ一つ違うのは、その左手薬指に、輝くリングが嵌められていることぐらいだ。


「俺はまだまだ現役だぞ。やめさせられてたまるか」


 ジーンは、自分の部屋から持ってきた箱を、テーブルの上、依頼書の上に放った。デイヴィス子爵家に持っていく箱だ。


「でも、アナタの立場」

「ほれ」


 ジーンは、懐から紙束を出すと、指でつまみ、二人の前でぺらりと広げる。


「……契約書?」

「ああ」


 ジーンは契約書を、先ほどの箱の上に重ねて置く。


「今日は王弟ユージーンとして、怪盗シリルとシュトロハイム王国王家との間に、契約を結びに来た。まあ、ノルベルト王国との契約と同じようなもんだ」

「でっかいお得意さんが増えたわねぇん?」

「――表の顔は義賊。裏の顔は、平和と安寧を願う者たちからの清く正しい依頼にだけ応える、王国の暗部」


 ジーンは、謳うように、怪盗シリルの真実をそらんじる。


「まだまだこれからだぜ、怪盗シリルは。なんたって、ノルベルト王国だけじゃなく、シュトロハイム王国の暗部まで背負わなきゃいけねえんだから。……な? ノルベルト王国第四騎士団長さんよ」


 ジーンはリチャードの肩に手を置いた。きつい香水がぶわりと香るが、今のセレーナなら、匂いをさせて帰ってもきっと怒らないだろう。


「やだぁん、最近はこっちにかかりきりだから、その肩書きは使ってないのよぉん。そもそも第四騎士団って特殊部隊だから、ほとんど仕事ないしぃん」

「はは、特殊部隊にそうそう仕事があってたまるか」

「それにしても――」


 ロイドが、おもむろにカーテンを開ける。

 窓の向こうには、国境の街。その上には、境目なくどこまでも続く、青空が広がっていた。


「――リッちゃんが出世できたのも、私が医師になれたのも、サイラスが好き放題発明を続けられるのも。全て、難民だった我々を気にかけてくれた、セラさんのおかげなんですよね。そして、今度は国と国を結んだ。本当にすごい人です」


 セレーナはジーンを通じて、難民の状況をよく聞き、足りないものがあればアボット伯爵に伝えていた。

 集落が落ち着き、一つの新たな街として軌道に乗り始めるまで――自身が物置小屋に追い出されても、ずっと、難民たちを気にかけてくれたのだ。

 セレーナは子供の頃から、優しさと責任を兼ね備えている、まさにノブレス・オブリージュを体現したような娘だった。


「――ああ。セラ本人にその自覚はねえけどな」

「貴方もですよ。ここまで頑張りましたね、ジーン」

「はは、そうゆうのむず痒いからやめてくれっての」


 似たもの夫婦だ、と呟き、ロイドは笑う。


 ジーンはリチャードの横を過ぎ、ロイドの横を過ぎ、眼鏡を外して、窓を大きく開いた。

 風が柔らかなダークブルーの髪を揺らし、陽の光は、金色の瞳に希望を映す。


 ――空も大地も、風も光も、国境など関係なく繋がっている。しがらみなどなく、どこまでも自由だ。


 一方で、人はしがらみの中で、生きていく。そのしがらみが苦しくても、心地良くても、人はその中で生きていくのだ。

 けれど、人は心地良いしがらみを得るための努力なら、いくらでもすることができる。


「――もう、逃がさねえからな。セラ」


 ジーンの絆と愛しがらみは、彼をどこまでも強くしてくれる。これまでも、これからも。


 ――もう二度と、守りたいものを守れなくて後悔することが、ないように。



 〈了〉


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