第17話 告白



「セラ。準備はでき……っ!?」


 王族の誰かが来るのだろうと考えていたセレーナは、ジーンの声が聞こえたことを不思議に思って、顔を上げる。


「え……ジーン?」


 入り口の前で立ち尽くしていたのは、豪奢な服を見事に着こなす、ジーンだった。

 貴族の盛装どころか、王子様が着るような、飾りのたくさんついた白い長衣。スリムな黒のパンツに、膝下まである革のブーツ。耳にはエメラルドのピアスが飾られている。

 ジーンはいつもの眼鏡を外し、金色の目を丸くしたまま、セレーナを見て固まっていた。


「あの、ジーン?」

「っ、ああ、すまない。セラがあまりにも綺麗だから、つい……」


 ジーンは、赤く染まった頬を隠すように、手で顔を覆った。


「では、殿下、私どもは失礼いたします。何かございましたらお呼び下さい」

「じゃあ、セラちゃん、ジーン、また後でね」


 ダブとメイドが部屋から出て行き、それと入れ替わるようにジーンが室内に入ってくる。

 ジーンは頬を染めたまま、気まずそうに頬をぽりぽりと掻いていた。


「えっと、待って。殿下って、ジーン……ユージーン殿下……、ユージーン、でん、か……?」


 ジーンは、観念したように頷く。


「はは、驚いた? 俺、王族だったんだぜ」

「……驚いたよ……」


 今度はセレーナが固まって立ち尽くしてしまう番だった。ジーンは、ゆっくりとセレーナの前まで歩み寄る。


「セラ。もし良かったら、さ……今日の式典で、みんなにセラを紹介したいんだ。王弟ユージーンの、唯一として」

「王、弟……?」

「セラ。俺……気の利いたこと、言えないけどさ」


 ジーンは、セレーナの手を取り、その場にひざまずいた。


「セレーナ・アボット嬢。俺、ユージーン・シュトロハイムは、ずっと前から、貴女を……貴女だけを愛しています。どうか俺と、結婚して下さい」


 金色に輝く瞳が、まっすぐにセレーナを見上げている。

 真摯で、優しくて、美しい金色。

 セレーナがずっと大好きだった、澄み切った輝き。


「ジーン……、わたしも、ジーンを、愛してる」

「セラ……!」

「――でも」


 喜びに細まった金色と異なり、セレーナのエメラルドグリーンには、喜びだけでなく不安が差していた。


「わたしに、ユージーン殿下の婚約者が、つとまりますか……?」


 セレーナは、隣国の没落伯爵家の令嬢にすぎない。マナーや教養だって不安だし、王弟という高貴な身分のジーンと、釣り合うとは思えなかった。


「――セラじゃないと、俺の妻はつとまらない」


 ジーンは、セレーナの手の甲に、そっと口づけを落とす。熱を帯びた金色の瞳が、セレーナを射ぬく。


「俺は、セラ以外、いらない。心配しなくても、誰にも文句なんて言わせないさ」

「でも……」

「俺さ、今は王弟だけど、下町出身なんだよ。前王……俺の父親が、認知しなくてさ。だから、俺自身も、王宮で贅沢な暮らしをするのは性に合わないんだ」


 ジーンは、ぽつりぽつりと、自身の境遇を話し始めた。

 踊り子だった母が、自分を一人で育てたこと。情勢が悪化して、隣国へ亡命したこと。そして、セレーナとアボット伯爵が、自分たち難民を救ってくれたこと。


「俺が今ここにいるのは、セラが助けてくれたから。俺に強さを教えてくれたから。生きる意味をくれたから」


 ジーンは立ち上がると、懐から小さな箱を取り出す。中に収まっていたゴールドの指輪を手に取り、再び箱を懐にしまった。


「だから、さ。これからも、俺に生きる意味をちょうだい? ずっと、俺のそばで」

「ジーン……」

「王家のしがらみとか、そういうのは気にすんな。王族としての仕事は少ししなきゃいけねえけど、次にまた王位争いが起こったとき、俺はそういうことに関して、一切の不干渉を貫くって宣言したから」

「でも……わたしに、王弟殿下の妻としての仕事がつとまるかしら。それに、やっぱり、身分が合わないし、教養やマナーだって……」

「問題ねえ」


 ジーンは、自身たっぷりに頷いた。


「そもそも、俺だって口は悪りぃし、下町出身で貴族のマナーも碌に身についてねえだろ? これから一緒に学んでいきゃあいいんだ」

「……まあ、口が悪いのは完全に同意するわ」

「はは」


 ジーンのマナーについては、見たことがないからわからないが……少なくとも、貴族のマナーは一朝一夕で身につくものではない。

 これから一緒に、という言葉に、セレーナは少し安心した。


「俺の兄、現国王が俺に望んだ仕事は、表立っては・・・・・現状ただ一つだけ――シュトロハイム王国と、ノルベルト王国との、架け橋となること。だから、そんなに多くの仕事があるわけじゃねえんだ。ちょっと人前でスピーチやダンスしたりはしなきゃいけねえけど、原稿は官僚が作ってくれるし、実務は外交官たちがやるからな」

「うっ、スピーチにダンス」

「セラだったら、少し練習すりゃあ大丈夫だ。難しく構えるこたぁねえよ。それに、身分のことだが――」


 ジーンは再び、セレーナの手を取る。そしてそのまま、左手のグローブをするりと外してしまった。


「――ノルベルト王家から降嫁した公爵家出身の、前アボット伯爵夫人。その娘であり、ノルベルト王家の血が流れているセレーナ・アボット嬢は、王弟の妻として申し分ない」

「……えっ? お母様が……なんですって?」


 セレーナは、またしても新しい情報を与えられて、もはや現実味が感じられなくなっていた。

 けれど、左手に触れているジーンの指先は、確かにあたたかくて、力強くて、これが夢などではないのだと感じさせる。


「セレーナは知らなかったんだろ? 前伯爵夫人も、駆け落ち同然で出てきたとかで、公爵家にも伯爵家にも迷惑をかけられないとかって言って、完全に縁を切っていたみたいだし。それに、セレーナの素性を知られたら、あの継母に何されるかわかんねえからって、アボット伯爵も隠してたみたいだしな」

「そ、そんなの、知らなかった……!」

「――だからさ」


 一度言葉を切り、ジーンは、小さく息を吸う。

 そうして、セレーナの左手を少し持ち上げると、にやりと笑った。


「諦めて、俺と結婚しようぜ?」


 ジーンは、指輪をセレーナの薬指に通す。指輪は、抵抗もなくセレーナの指にぴたりと嵌まった。


「ジーン……! 返事、まだしてないのに」

「ん……嫌だった?」

「嫌なわけ、ない。だって」


 セレーナは、ジーンの嵌めてくれた指輪を、愛おしげに眺める。


「だって、わたし……とっくに、あなたを」


 セレーナは、エメラルドの瞳を潤ませ、薬指の指輪を、そっとなぞる。


「――ジーンを、愛してるもの」


 多分、伯爵家の離れでジーンと過ごしていた頃から、セレーナはジーンを憎からず想っていた。

 ジーンと目が合うと嬉しくて、ジーンが静かだと心配して。昼間に話したことを、夜になって思い返して、一喜一憂して。

 ――ジーンが、セレーナの初恋だったのだ。


「セラ」


 ジーンはセレーナの腕を引き寄せ、抱きしめる。

 ふわりと懐かしい香りに包まれて、幸せがセレーナを満たしていく。


「でも、ずるいわ。周りをぜーんぶ固めて、逃げられないようにしちゃうんだもの」

「言ったろ? 俺からは逃げられない運命だって」

「ふふ、そうね。その通りだったわ」

「だろ?」


 ジーンは、おどけた調子で言う。けれどその表情は、どこまでも優しく穏やかで、甘やかだった。


「じゃあ……」


 セレーナは、ジーンから身体を離すと、丁寧に膝を折って、カーテシーをした。貴族令嬢の礼である。


「ユージーン・シュトロハイム殿下。どうか、わたし、セレーナ・アボットを、貴方様の妻に迎えてくださいませ」

「――喜んで」


 ジーンも、胸に手を当て、軽く一礼をした。

 二人で同時に顔をあげると、セレーナは、自分からジーンの背中に腕を回す。

 そして、とびきり甘い声で、ジーンに特別なおねだりをした。


「ジーン。わたしを、世界で一番、幸せなお嫁さんにしてね?」

「――ああ、もちろんだよ。約束する」


 セレーナは、もう、ジーンから逃げられない。

 けれど、ジーンもまた、セレーナから逃げられない。


 二人の唇が、そっと重なり合う。

 ふわふわと甘く、熱くとけるような幸せが、何度も何度も、触れ合ったのだった。



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