第10節 昼休み追走曲 Ⅴ.

 

 栗色の長い三つ編み。

 女子の象徴と言うべきひらひらしたスカート。

 そして我捨道がしゃどう玄音くろねに貰った音符マークの髪飾り。

 ちょっと野暮ったいと言うか古臭いと言うか根暗っぽいと言うかだが、どう見ても女子生徒に分類される恰好をして。

「どうしてこんなことに……?」

 沙垣先達は声を絞り出すように言った。


 中庭近くの北校舎一階廊下。

 生徒たちが周囲を犇めいている。来客も結構いるようだ。

 だがまともに彼らを観察する余裕など先達にはない。顔を上げるのも怖かった。こころなしか自分に注目が集まっている気さえして。

 いや、見られているとすれば彼女か?


「すごーい。全然誰にも気づかれないよ、先ちゃん・・・・♪」

 玄音が両手を合わせて楽しげに言った。

 かく言う彼女も黒髪を被り、地味な制服を身に纏っているが、アイドルのオーラみたいなものは否応なく溢れている。道行く男子生徒が「おっ」と振り返るのも無理なかった。


「生徒会から身を隠すためとはいえ、他にいい方法なかったのかな……」

「えー嫌なの? 可愛いよ♪」

「うう、スカートがスースーする」

 先達はスカートの裾を抑えながら言った。

「ねぇ我捨道さん、やっぱり僕——」

「わっ、先ちゃん危ない!」

 先達の言葉を遮って玄音が袖を引いた。


「生徒会だ! 退け!」


 横暴な怒声とともに、廊下を爆走する連中が横を通った。紫の裏地のケープをはためかせ先達の肩にぶつかる勢いで走り去る。

「あれは……」

 一瞬擦れ違った横顔は漆九条うるしくじょうだった。

 ひやりとしたが全く先達に気付く様子はない。

 急いでいるとはいえ気付かないもんだろうか。そこまで女装が板に付いてるのか。それはそれで何だか微妙な気持ちだ。

 生徒会女子の鴨上かもがみが振り返って漆九条に怒鳴る。


「先輩、紗綺さんは上の階みたいです!」

「えっ、暴れてるのはあの人なのか?」

「え?」

「俺は魚人と聞いたぞ」

「なにアホなこと言ってるんです。紅緋絽纐纈べにひろこうけつ元会長ですよ!」

「だとしたら俺たちでどうにかなるのか? 応援を待ったほうが……」

「そんなこと言ってるうちに被害増えますから! ほら早く!」

「し、しかし……」


 と、そのとき。

 廊下の外、すぐ傍を何かが落下した。中庭の樹が揺れる。わっという喚声に、漆九条の肩がびくりと震えた。

 落下したそれは何事もなかったように走り去る。

 一瞬見えたそのシルエットは、噂の紅緋絽纐纈紗綺に他ならなかった。


「な、何だ⁉」

「会長が飛び降りたぞ!」

「ええ……マジ?」

「ほら先輩、早く追わなきゃ!」

「わ、分かったよ。けどアレ、ほんとに俺らだけで取り抑えられるのか……?」

 ぶつぶつ言いながらも漆九条や鴨上は走り去った。


「あはっ。なんか楽しそー。行ってみよ、先ちゃん♪」

 玄音が先達のスカートの裾を引っ張る。

「ま、待ってよ。目的を忘れないで。僕は荻納さんを探さなきゃ……」

「でも結構人集まってるよ。こんな騒ぎだもん、エリちゃんもそっち行ってるんじゃない?」

「それはまぁ……」

 と、何か言い掛けて。

「あっ、くるるん!」

 玄音が叫んだ。

 紗綺のあとを追うように、階段を降りてくる人影がある。遠目にも目を惹く喪服は他でもない豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじくるる現生徒会長。

 そしてその後ろ。

 階段をゆっくり降りて来た眼帯の黒髪。

 荻納衿狭だった。


「荻納さ……」

 と出し掛けた声を、危うく呑み込む。

——こんな格好じゃ見つけても声を掛けられない!

 どうしてそんな肝心なことに今更気付くんだ。しかも玄音と一緒だし。我ながらアホすぎる。


「あっ、エリちゃぁーん♪」

 玄音が手をぶんぶん振って言った。

「ちょぉ⁉」

 玄音の声に反応し、衿狭がこっちを向く。

——やばっ……

 咄嗟に玄音の手を引き、傍にあった掃除用具入れの物陰に隠れた。

 またしても図らずも、玄音と至近距離に接近してしまう。おまけに抱き寄せた恰好になってしまった。ぱちくりとアイドルが見上げていた。

——まずい。

 こんな状況を見られたら一巻の終わりだ。

 かと言っていま出て行くのは不自然極まりない。きっと彼女はまだこっちを見ている。

 ああ、やっぱりいい匂いするな。冥途の土産に香りって含まれるのかな。

 そんな現実逃避を始めたとき。


「ねぇねぇ、君たち!」


 急に若い男の楽しげな声が響いた。

 見ると二十代半ばらしい青年が歩み寄ってくる。

 にやにやした表情を浮かべ、ぱっと見にもチャラいオーラ全開だ。

「いやー俺さぁ、迷子になっちゃって。ちょっと案内してくれない? 勿論お礼はするからさ。何か食べたいものない?」

 なんてことだ。男にナンパされる日が来るとは。

——いや。

 これはチャンスだ。この状況ならいきなり走って逃げても不審がられない!


「我捨道さん!」

 先達は玄音の細い手首を掴み、走り出そうとした。

 だが慌て過ぎて前を見ていなかった。


「ごふぅっ」


 誰かを轢いた。

「あっ、ごめんなさい!」

 慌てて急ブレーキを踏む。

 そこまで派手にぶつかったつもりもなかったが、相手は廊下にひっくり返った。

 倒れたその男の白衣白髪を見て心臓が止まりかけた。

 咄嗟に背を向けて顔を隠す。


「ごほっ、おい殺す気か……ん? お前は?」


 軛殯くびきもがり康峰が立ち上がりながら怪訝そうに言った。


***


「……ん? お前は?」

 康峰はぶつかった少女の向こうに、見知った顔を見つけて眉を顰めた。

「お、昨日のセンセーじゃん! チ~ッス」

 チャラ男はこっちに気付くと気安く手を上げて来た。

 見たところ女子生徒に声を掛けていたらしい。

「こいつ、性懲りもなく……」


 女子トイレ前の生徒たちの一揆から逃げてきたはいいものの、今度はナンパ男が待ち受けているとは。

 無視したかったが、仮にも女子二名が絡まれていてはそうもいかない。

 自分にぶつかったほうの女子生徒はこっちに背を向け顔を伏せている。よほど男が苦手なのか。

「センセー助けてぇ~♪」

 もうひとりの黒髪は気の抜けた声で言いながら手を振ってきた。

 こっちはずいぶん慣れた様子だ。

 まぁ確かに、男がナンパしたくなるのも頷けるほど美人なのは間違いない。


「昨日言わなかったか? この学園の生徒に手を出すと碌な目に遭わんぞ」

「ひとついいことを教えてやるよセンセー。人生を十倍楽しむ方法だ。ありもしないルールや思い込みを取っ払うこと、それだけで人生が違って見えてくるぜ」

「参考にするよ。人生を棒に振りたくなったらな」

「違うって! 軽い冗談じゃん? 今日はちゃんと別の目的があって来たんだけど、たまたま可愛い子がいたから声掛けちゃっただけ」

「別の目的?」

「そ。ここっていま教師募集中なんでしょ?」


 確かに康峰が出て行ったあと代わりを募集しているとは聞いている。

 何を言い出すのかと思うと、男は懐からしわくちゃになった紙を取り出した。

 康峰(と黒髪の少女)が覗き込む。

 そこには『履歴書』と書かれていた。

「俺、ここの教師になろうと思って。どこ行ったら面接受けられるか知ってる?」


 康峰は改めて男を見る。

——こんな奴が俺の代わり……?

 それなら俺が戻ったほうがまだマシだ。

 いや、だからって戻る気はないけど。


「入校許可証を見せろ」

「ほい」

 渡された入校許可証の写真と名前を確認する。

 一般客が学園祭に参加するには天代てんだい守護しゅごから入校許可証を貰う必要がある。それがなければ一発アウトで放り出せるのだが、渡されたのは残念ながらちゃんとした入校許可証だった。

 氏名欄には『静木しずき和彦かずひこ』とあった。


「名前の割にずいぶん騒がしい男だな」

「男に褒められてもなぁ」

「褒めてないぞ」

「なんでセンセーになりたいのぉ?」

 黒髪の子が訊いてきた。

 ずいぶん積極的な子だ。いまのうちに逃げてくれれば男を追い払ったことになるのに。好奇心旺盛なのは結構だがもう少し連れの三つ編みを見習ってほしい。


「えーそれ訊いちゃう~? そんなのキミみたいな可愛い子がいるからに決まってんじゃん? なーんて」

「なんだこいつ」

「それって私以外でもいいってこと?」

「あっ、ウソウソ! キミが目当てだから! 俺キミしか見えてないから?」

「ほんと?」

 少女が何故か康峰に訊く。

 康峰は腕を組んで答えた。

「昨日紅緋絽纐纈にも同じこと言ってたな」

「あぁっ、裏切んなよセンセー!」

「最初から仲間でも何でもないぞ」

「はいお疲れさま、結果は後日郵送するね♪」

「これ採用試験だったの?」

「まーでも気持ちは分かるかも。紗綺ちゃんってすっごい美人だし。ね、先ちゃん?」


 栗色の髪の少女の腕を引いて言う。

 先ちゃんは頑なに顔を背けていた。

「ねぇ、その子大丈夫? 体調悪い?」

 ナンパ師でさえ心配して声を掛ける。

 先ちゃんは声を出さず「大丈夫」をアピールするようにこくこく頷いているが、益々怪しい。

 それによく見るとどこか不自然さがある。

 体格と言うか、服の着こなしと言うか……

「まさか……」

 康峰が少女の肩に手を伸ばしたとき。


「くたばれこの腐れ半魚人!」


 怒声が響いた。

 階段のほうから男子生徒が吹っ飛ばされる。

「危なっ!」

「ごふっ」

 静木とやらが間一髪で避け、黒髪の少女と康峰は間一髪で避けられなかった。吹っ飛んできた男の下敷きになる。

 床に腰ぶつけた痛みで危うく心臓が止まりかけた。

「な——なんだ⁉」


「てめぇ……」

「掛かってこいコラ半魚人!」


 吹っ飛んできた男と、階段上から彼を蹴り飛ばしたらしい男。

 蹴ったのは馬更竜巻だ。鴉羽学園きっての実力者のひとりで乱暴者の風来坊。

 蹴られたほうは——

 巨大なイワシっぽい被り物。

 真っ白いスーツ。グラサン。


『とにかく大変なんです! 元会長がご乱心で、半魚人が暴れてて……』


 無線で聞いた言葉が蘇る。

——本当にいたのか⁉

 てっきり話に尾ヒレが付いただけかと思ったが。

 

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