第9節 昼休み追走曲 Ⅳ.
「おい誰か生徒会呼べ!」
「何だ何だ?」
「会長がご乱心だってよ」
「え? あの喪服の子?」
「ちげーよ前の会長だよ」
「見せて見せて~」
北校舎三階廊下。
賑やかな出店と化した教室の鼻先で、人だかりができていた。
台風の目となる少女・
「どこだ! どこへ行ったっ?」
美しい緋色の髪を振り乱し、視線を床に這わせ、ときどき生徒や来客にぶつかっては謝っている。
「おいそこのお前、何暴れてる!」
大柄な男が後ろから彼女の肩を掴もうとした。
振り返りもせず。
反射的な動きで、紗綺は男の手を躱しつつ腕を掴み、見事な背負い投げを決めた。
廊下が地震のように揺れる。
「ぎょふっ」
「済まない! 急いでいるんだ!」
「あらあら。紗綺お姉様がまさかここまで取り乱されるとは……予想外でしたわね」
衿狭の隣で喪服会長こと
まるで他人事。
楽しんでいるかのようなその横顔に、衿狭は訊いてみた。
「幻滅しないの?」
「まさか。むしろ喜ばしい発見ですわ、お姉様にあんな意外な一面があったなんて。うまく行けばお姉様を操れ……おっと、何でもありませんわ」
「お姉様ねぇ……」
「あら。おかしいですか?」
「別に」
「貴方にはいなかったのですか? 姉や妹が」
「いないよ」
衿狭は答えた。
枢とは目を合わせず、窓から外を見る。
「それは少し不思議ですわね」
「不思議?」
「かく言うわたくしもひとりっ子でしてね。姉でも妹でもいい、遊び相手がほしいと常々思っておりました。ひとりっ子とはそういうものではないですか?」
「……それほどいいもんじゃないと思うよ。姉妹なんて」
「その口振り。知っているからこそ、というふうに聞こえますわね?」
衿狭は答えなかった。
黙って紗綺のほうに視線を向ける。
相変わらず彼女の周囲には人だかりができている。
ちょっと目を離した隙に廊下に転がる男が増えていた。岸に打ち上げられた魚のようにびくびく痙攣している。
紗綺は更にその先にいる。
「オイ、うちの店にイチャモン付けてんじゃねーぞ。ネズミなんか沸くわけねーだろ」
「でもさっき見たって奴が……」
近くの寿司屋もどきの店先で揉めている男子生徒の会話に、紗綺の耳がぴくりと立った。
「そこか⁉」
一瞬で男子生徒たちに間合いを詰める。
睨み合っていたふたりが面食らって紗綺を見た。
「どこにいるんだ⁉」
「えっ、ネズミの話か? 誰か持ってったぞ」
「ど、どこへ⁉」
「知らねーけど、捨てるって中庭のほうに……」
「中庭だな!」
言うなりまた弾丸の如く走った。
階段——
ではなく窓のほうに。
「えっ⁉ ちょ、ここ三階……」
「はぁっ!」
止める暇もなく、紗綺は窓から身を躍らせた。
中庭の樹を一度蹴り、見事に地面に着地した。
窓に駆け寄った生徒から悲鳴と感嘆の声が上がる。
揉めていた男子生徒たちも呆気に取られていた。
「あらあら。どうなってしまうのでしょうかね」
枢は声を弾ませて、階段のほうへ駆けた。
紗綺を追って中庭まで行くつもりらしい。
衿狭は迷った。
このまま彼女に付いていっていいものか。階段を降りるとなるとちょっと違和感を持たれるかもしれない。
衿狭の本当の目的に。
枢の勘が爪を立てるかもしれない。
が——
そんな杞憂を見透かしたように、階段の踊り場で枢の足が止まった。
こっちを見上げて言う。
「あら。付いてきませんの?」
黄土か琥珀のような瞳を妖しく光らせた。
「わたくしに付いてくる必要があるのでしょう? 荻納衿狭さん」
「……何のこと?」
「あらあら。やはり
黙っている衿狭に、枢は続けた。
「貴方は先程わたくしに話し掛けたときからどうも何か狙いがあるようですわね。見張り? 或いは時間稼ぎ? それとも何か別の狙いでも?」
——気付かれていたのか。
やはりこのお嬢様、侮れない。
不意に枢はわざとらしくきょろきょろと周囲を見渡した。
「そういえば……今日は
「どうして私が知ってると思うの?」
「どうしてでしょうね」
枢は細い指を自分の顎に当てた。
「どことなく、おふたりが似ているような……そんな気がしたからでしょうか」
「似てる? どこが? どうして?」
つい、無意識に声が尖る。
枢は衿狭を見ながら小首を傾げた。
「どことなく……雰囲気でしょうか?」
「それこそ見当違いだよ。世界で一番似てないと思うけど」
「あらあら。舞鳳鷺さんはお友達が少ないのですね。お可哀相に」
こころにもなさそうに枢は言った。
口元はむしろ嬉しそうでさえある。
「まぁ、いまはこのくらいにしておきましょう。気が向いたら『本音』を教えてくださいね」
「あ、か、会長!」
騒ぎを聞きつけて集まってきたらしい生徒会の面々が、階段に立つ枢を見つけて声を掛けた。「大変なんです! 元会長が……」
「ええ。把握しています。そろそろ潮時ですわね」
それだけ言うと、衿狭に振り返った。
「まぁ、何にせよこちらを片付けなくてはいけませんわね。
そう言って再び喪服の裾を翻す。
騒ぎが大きくなりつつある中庭に向けて、生徒会を率いて歩き出した。
衿狭はその背中を見送る。
本当にこれでよかったのか。
自分の選択に間違いはなかったか。
もし。
選択が間違いだったら。
——先達を危険に晒してしまったら?
唐突に沸き上がった嫌なイメージを、振り落とすように頭を振る。階段を降り始めた。
もう決めたことだ。
それに、邪魔者を排除するのにこれが一番いい考えのはず。
そう。
あの邪魔者を放置しては、それこそ先達が危険。
溜息ひとつ吐いて、再び枢のあとを追おうとしたそのとき。
「あっ、エリちゃぁーん♪」
聞きたくない、しかし聞き覚えのあるあの声が聞こえた気がした。
「……ん?」
廊下を見る。
が、そこに生徒は散らばっているもののこっちを見ている人影はない。みんな中庭の騒ぎに首ったけだ。
——空耳?
厭なことを考えていた所為か。
ともかく今度こそ中庭のほうへ行こうとした。そのとき。
「いやー俺さぁ、迷子になっちゃって。ちょっと案内してくれない? 勿論お礼はするからさ。何か食べたいものない?」
シルエットでもうナンパ男と分かりそうな風体のチャラい青年に、女子生徒ふたりが絡まれていた。
どうやら妙な大人も来客に紛れているらしい。
ふと女子生徒のほうに目が行った。
「……嘘?」
***
「そんなはず……!」
——《あれ》がいない。
昨夜確かにここにいた《あれ》が。
見間違い? ありえない。
どこかへ移動した? ならばどこへ。
そもそも何のために移動を?
まさか気付かれていたのか?
様々な疑問と考えが噴出する。
緊張か焦燥か、額に汗が噴き出した。
そこへ——
「何かお探し? 元生徒会長さん」
からからと車輪の音を立てて、モビリティに乗った小柄な少女が現れた。
背後から現れた
病的なまでに肌の白い天才少女の双眸が、迷いなく舞鳳鷺を射抜いた。
静かに、冷たく。
久雨は言った。
「姉さん——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます